2020年の春は一年経っても鮮明だ。名古屋から京都への移住と息子の小学校入学、娘の保育園転園。家族単位での生活環境の変化に加え、コロナによる大きな変容。入学早々に小学校は休校になり、時差はあったものの保育園でもエッセンシャルワーカーではない親を対象に自粛の連絡があった。子供をみながらの仕事は窮屈を極め、夫とバトンを渡し合いながら必死にどうにか仕事をした。息子は学校が始まってもなかなか行けず、毎朝夫と代わる代わる教室の前まで見送り、時には廊下から授業にも付き添った。彼は生まれ育った場所から見知らぬまちへと身を移し、小学校という憧れの場所へ通うことへの期待と不安でいっぱいで、重ねて大人も社会も不安がるコロナの存在を感じ、とんでもなく敏感になっていた。その頃、美術館やアートイベントのほとんどが中止、閉館や延期が余儀なくされた。
「展覧会の中止」と聞くとやり場のない気持ちになる。2019年に開催されたあいちトリエンナーレでラーニングに従事していた私は、その言葉のもつ意味を十分知り得ているつもりだ。展覧会の再会にむけ奔走した時間が今もまだ生々しい。本来、人に見られることを前提につくられる展覧会、そのプロセスには、実に多様なつくり手が様々なレベルで存在していることを忘れてはならない。果たしてこの時期、誰にも見られることもなく静まり返ったままの展覧会がいくつ存在しただろうか。自身がコーディネーターとして関わっていたアートマネジメント講座も従来のやり方ではない方法を模索した。予定していたプログラムを決して中止とせず、参加者も運営をする私たちも持続できる仕組みづくりを行なった。チーム内では丁寧に対話を重ね、参加者を想像し、限られた時間の中でプログラムに反映していった。
時は進み、息子はゆっくりゆっくりと学校との距離を縮めていき秋には朝から一人で登校できるようになった。春は「なぜ学校へ行けないのか?」「何をしてあげられるか?」ばかり考えていたが、彼の心境を想像すると、結局は当事者である彼自身が受け入れて順応していくほかないと気付かされた。仕事の仕方も随分と変わった。対面での打ち合わせがほぼオンラインとなり、相手とのコミュニケーションの方法も再考せざるを得なかった。これほど想像力を駆使した年はない。今は、コロナ禍2年目に突入し、3回目の緊急事態宣言下にいる。この状況が続いても、続かなくても、この想像する力を研ぎ澄まして、他者との対話を重ねていきたい。