郷土芸能や祭りって、何の、誰のために続けられてきたのだろう、と自問する日々。科学や医療や情報が発達し世界で、もしかして、祈願や信仰は必要ないのかもしれない。けれど、2020年の私達は、いつもより慎重に、丁重に祈り願っている気がする。そして、踊りや唄といった芸能による祈願や、祭りの神事の意義を、ゆっくりじっくりと考える時間をもらっている。
私が主宰する東京鹿踊のルーツであり故郷である岩手県の行山流舞川鹿子躍による悪疫祓いの儀式・奉納が、6月に決行された。家族や集落の人のことはもちろん、まだ見ぬ子孫や、見知らぬ人さえをも「思いやり」、安穏息災や豊穣を鹿踊で願ってきた紛れもない事実と、その思いやりの心が、躍る人、見聞きした人に感染し、結束の高まりや戒めになっていったのだろう。カッコよく激しく見せることだけが、芸能ではないことを、今まさに全国の祭り・芸能の皆さんは再確認し、共有し、実践しはじめている。