2020年ほどアートに触れない1年はなかった。緊急事態宣言の発出以降外出を自粛し、夏休みに少し緊張しながら東京国立近代美術館の「ピーター・ドイグ展」を訪れた時、美術館という空間にいること自体に、とにかくほっとしたことを鮮明に覚えている。
 その意味では、改めて私の日常にはアートは必要だと強く感じたし、一定の人々にとって何らかの生きる力であることは確かなのだろう。ただし、私たちは、私たちにとっての「アート」が、「スポーツ」や「エンターテイメント」である人々に対する想像力を手放すべきではない。つまり、アートは社会に必要だという一般論へのいささか乱暴な早上がりをこそアートに関わる私たちは自戒する必要がある。コロナ禍のアーティストへの支援は必要だが、一方で公的資金を原資とした場合、それは異なる領域で支援を必要とする人々の機会を奪うことと表裏一体にある。ゆえに、今だからこそアートは、その外側に広がる世界に対して了解可能な言葉を育てることに目を向けてほしい。