もはや山田麗子のように斜に構えない。
最近、思うところあって“3年B組金八先生”のファーストシリーズを見ていたのですが、女優である三原じゅん子さんは、ハクい不良、山田麗子役として出演しています。
全部はまだ見ていないのですが、麗子はパーマをあててナンパ、文字通り斜に構え(授業中、ナナメ前を向いていることが多い)、制服は腕まくりです。強めの美意識があるらしく、同級生の裏切りや不正にはかなり敏感、何か暗い影のようなものを感じますが、第9回までしか見てない現在、影の理由はいまだ明らかではありません。
金八第1シーズンが放映されていたのは1979から1980年、僕が2、3歳のころ。扱われる問題の一つに、杉田かおる演じる浅井雪乃(中3)の妊娠というものがあります。雪乃はいろいろワケあって金八の下宿先で居候することになるのですが、妊婦である浅井雪乃の前でも坂本金八は躊躇ゼロで喫煙しながら教育について語ったりしていますし、金八と同居している吉行和子もその母も名取裕子も全然何も思ってなさそうに談笑しています。当時はそれが普通だったんだろうから何も変でないにせよ、路上喫煙すら危うい昨今では何かの問題になりそうな描写です。常識は変わったんですね。
ところで描写ということでいうなら僕は主に絵を制作するアーティストです。
で、絵は基本的には何でも描けばいいと思うんですが、前述の金八喫煙みたいな、コレを描いちゃマズいでしょう…というものもゼロではないと思います。たとえば人を傷つける以外にどんな機能も全然ないような絵をわざわざ描くという選択を、僕は選ばないと思います。(すごくいい作品は多少人を傷つけるものだとも思いますが、とりあえずは。)
山田麗子ばりに斜に構えてても意味がないのでいいますが、僕は絵を見て、それか描いて、ドキドキ感動したいです。
ほんと生きててよかったとか思いたいわけです。アートを通して、イノチ! とか思いたいです。アートに幻想だけ見てもダメ、プロフェッショナルとして職人として冷然かつ怜悧に時には政治的に油顔面風に仕事を進める、みたいな態度が必要なのはわかっていても、やはり何か度を超えた、椅子から落ちるような経験が欲しい。これがアートですよ…といわれた時に冷えきった栄養コーヒーみたいなものを出されて体によいから飲め、早く飲め、ばかりいわれるようなアート鑑賞ばかりだと嫌だし、でもそれは勉強したくないとかそういうことではないです。努力はしますが、やっぱ感動に打たれてズッコケたいじゃないですか。結果的にいままでよりも生きているのが楽しくなればベストでしょう。
「どこに滋養があるんですか!」
(アニメ「火垂るの墓」より貧窮する清太が医者に「滋養をつけて」と節子の病状についていわれたシーンで。)
…こういうレベルの叫びっていうか、詩魂を叩きつけるっていうか。本当にいい作品は、何もかもを超えて行くのだということを信じたいです。何もかも超えて、何なのかわかるけど、何なのか全然わからないぐらいに。
なので、そういう作品がつくれるように、コツコツとがんばろうと思うのです。
ただ、時々ひとりよがりになって自分だけ勝手に感動したり、芸術っていうのはコレなんだと意味不明の提示をしていたりということを無反省にやってることが僕にもあると思うので、そういうときにアートマネージメントの一環として、それがんばってるみたいだけど全然伝わってないよ、といわれたりするわけです。
なので、謙虚にがんばって、いつかマネージメントの方と一緒に感動できればいいなあと思います。
本当に。
(2013年1月20日)