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恋愛とアート

 最近はいろいろなことを考えます。KAYOKOYUKIの結城加代子です。
 このコラムのバトンを渡してくれたCOBRA に、「恋愛観も交えながらお聞かせください」という無茶ぶりをされたので、期待に応えられるかどうかわかりませんが、少しがんばってみようと思います。

 私は作家のマネージメントと現代アートの企画展などをしています。東京都千代田区の末広町に事務所とビューイング・ルームを構えて、展示をするときには他のギャラリーやオルタナティブ・スペースと協力して企画をしたり、アートフェアに出展したりしています。

 設立してもうすぐ1年半が経つのですが、あまりに急激に人生が変わったので、振り返るにはまだ早いという感じでまとまりません。時々こういった執筆やトークショーなどのご依頼をいただくのですが、あまり背伸びせずにありのままで伝えていこうと思っています。

 私がアートに対して期待しているのは、一人の人間の考え方の推移を見届けられるというところがひとつあります。人間は何十年も生きるので、どこかの瞬間を切り取って見せてもなかなか全体を把握するのは難しいですが、その断面にはその人がそれまで経験した中で感じた最新の情報が含まれていて、そこに自分と全く違う軸を感じると、とても嬉しくなってしまいます。そしてもっとおもしろいのが、その断面がだんだん変化していくことです。昨年(2012年)のコラムに、blanClassの小林さんがアートの機能について少し書いているので割愛しますが、私の役割は、そうして鑑賞者が丁寧に作品を体験できる機会をつくって、追いかけてもらう仕組みをつくることだと思っています。

 そんなに大それたことではありません。何より自分が見たいからやっていることで、職権乱用のようなものです。けれども、作家と同じように私自身の考えも常に見られているということは忘れてはなりません。自分の名前を使って公の場に披露していくということは、鑑賞者にも伝わることだし、同時に作家の作品の見え方にも 影響することだからです。作品と作家と私の活動をうまく連動させて、その連続性を利用して伝わるスピードをうまくコントロールすることが必要だと思っています。

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利部志穂《水位》 2011年
不要になったもの(給食調理器具)、ステンレス、アルミ素材、ヘリウムガス、他
撮影:若林勇人

 アートに期待することのまたひとつに、物を介して伝わる質感があります。言語や触感以外の、物質的に距離を保った、視覚に対して強く訴えた表現。現代の生活の中で、人間は目に頼って生きているところが大きいと思います。視覚を強みにしている他ジャンルが多い分、固定観念や安直なタグづけに陥りやすい。目から取り入れた情報を、迅速に仕分けして整理する作業に慣れている鑑賞者に対して、一定の時間をかけて感じてもらうこと。これは視覚に対しての一つの提案でもあるし、挑戦でもあります。課題が大きい分、達成できた時の効果は持続性のあるものになるのではないでしょうか。

 いまとくに悩んでいることがあります。それは、どこまでわかりやすく鑑賞者に届けるか、ということです。作家の組み合わせと展覧会の場所、テーマを考えると同時に、マネージメントというのは作家に作品のアドバイスをすることも含まれます。編集して見せるおもしろさと、あえてブランディングせずに放置しておく微妙さのバランスをとることが大事だな、と回数を重ねるごとに感じます。届ける先によっても変わるので、展覧会の都度、作家と話し合ったりして、まだまだ手探りの状態で答えが出ません。

 西洋の文脈に則って名前をつけたり、表面を整えたりすることも場合によっては必要なことですが、曖昧さを残したままにするということも重要だと感じます。アジアにおけるこの未分化なものが大きな影響力を持つ可能性も十分にあり得ると思っているからです。作品は場所や時代によって理解が変わってしまいます。でも作品の行き着く場所は、できあがったときにすでに決まっているようにも思います。それら全てを、積極的な誤読として受け入れていきたいと思っています。

 今日思いついたことをだらだらと書いていたら、恋愛を入れ込むことを忘れていました。COBRAごめんなさい。
 つまりは残念ながらそんな現状です。

 2013年は、恋愛も含めてアートを語れるようにがんばりたいと思います。
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

(2012年12月26日)

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