ネットTAM

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つくることはじめ

「プロジェクター」

 「ねぇ、私は何をしている人でどんな職業だと思う?」
 授業をさぼって裏庭で散歩していた小学5年生の少女に私は問いかけてみた。

 2004年当時、1年前から活動を始めた沖縄の商店街の近くにある小学校で、ワークショップをさせてもらっていた。授業の合間に行うワークショップで、休み時間が活動時間だったため、私は子どもたちが授業の時間はエスケープ気分で校内を散策していた。
 小学校には、活動を展開する商店街に遊びに来る子どもたちも多く通っていた。彼らはいたずら半分に体当たりしたり、くったくない疑問質問を浴びせてくるよき小さな友であった。その一人である彼女はガキ大将的な兄の妹で、いつも一緒に遊びにきて私たちを見ていた。だからこそ尋ねた。
 少し間があって彼女は答えた。
 「んーっとね..."プロジェクター"?」
 「え? あの映写機のこと言ってる?」
 「ううん、違うさぁ、いつもそう言ってるんだのに」
 「いつも...? もしかして、いつも"プロジェクト"してるって言っているから?」
 「そう、だから"プロジェクター"でしょ?」

 当時活動を展開していた商店街は、以前このネットTAMでも記事を書いている林僚児くんと林千夏(旧姓:藤森)さんたちと始めたCUVAプロジェクトを行った銀天街という場所だ。今は彼らがスタジオ解放区というユニットで活動を展開し、銀天大学という任意団体が拠点を置く活発な場所になっている。

 自分たちの活動を大人に説明するときは「アーティストです」とわかりやすい共通言語を探した。その言葉の向こうではきっと「あぁ絵を描く人ね」とか「彫刻創る人ね」とか「県展出してるあの知り合いと一緒かな」と思われていたに違いない。
 生まれて10年弱の子ども達にとって「アーティスト」という言葉はまだ芽生えていないのが幸いなのか。彼らの質問はいつも「何しているの?」から始まる。そして私の答えはいつも「アートプロジェクトをしているんだよ」から始まる。
 「アートプロジェクトって何ね?」

 彼らに新しい言葉を与えたのは自分たちで、彼らはその言葉からまた新しい言葉を生み出して私に返してくれた。今は聞き慣れない不慣れな響きも、それは自分たちが発し続けた真実から生まれていると思った。照れ隠しでもない素直な表情で、彼女は私に、私の存在を教えてくれた。
 私の"プロジェクター"生活はここから始まっている。
 名付け親は10歳の少女。

作品[ here / bring come life 〜意識の回復 ] より(2003.03)
作品[ here / bring come life 〜意識の回復 ] より(2003.03)

CUVAプロジェクト銀天街発表会2 より(2003.09)
CUVAプロジェクト銀天街発表会2 より(2003.09)

スケジュール表というドローイング

 アーティストとしてのプロジェクトマネジメントの中に、個人の作品を制作する「プロセス」と同等なアートプロジェクトの「プロセス」を見いだしたのは、恐らく2007年の富山県氷見市で行われたヒミング・2007の事務局兼参加アーティストとして関わった体験の中だ。
 本番1か月前から拠点に住み込み、深夜までの作業、朝は誰かの呼び声で起きる日々。見えない可能性を持つ"ヒミング"というアートプロジェクトに対して、氷見の人たちの日々の押し問答が、日本海の照り返しの日差しの中で繰り広げられていた。私はいつもパソコンに向かい電話を耳に押し当てながら、氷見のドラマを背中で感じていた。
 事務局の態度をとる一方、作品を創るアーティストとしても参加していたので、プロジェクトの中で自分が見るものや聞くものをどのように解釈すべきか、いつも迷い、豊かな感情を与えてもらっていた。
 しかしこの年、事務局をしながらも作品は創るべきだと強く感じ、プロジェクトのプロセスの中に私の制作動機が同じように走っていると感じた。

ヒミング・2007 事務局でのミーティングはいつも夜 (2007.08)
ヒミング・2007 事務局でのミーティングはいつも夜 (2007.08)

富山県氷見市より (2007.08)
富山県氷見市より (2007.08)

富山県氷見市より (2007.08)
富山県氷見市より (2007.08)


 そういえば、大学の卒業制作。
 当時の卒業制作のテーマは「私が生きる」という青臭いもので、沖縄でのアートプロジェクトが題材だった。その中間制作発表の場でプロジェクトの進行表を提出した。皆が作品プランや習作やドローイングを見せる中で、手書きで書き記したプロジェクトの進行表、すなわちスケジュール表が私にとってのドローイングだった。

 プロセスの中に作品を見いだす習作としてのスケジュール表は、常に走り続けなければ生まれてこない。日々、予定調和を崩しながら更新されていくプロセスの中に、次の創造性が潜んでいると感じた、故の解釈。

東京

 そんな私の日々は東京にある。

羽田空港からモノレールの帰路より  (2007.12)
羽田空港からモノレールの帰路より (2007.12)


 アーティスト・イニシアティブ・コマンドNというグループに4年前から所属している。
 コマンドNは1999年に活動を開始し、2004年から千代田区神田錦町にプロジェクトスペースKANDADAという拠点を持っている。現在は主に8名のメンバーで展開している。このネットTAMのリレーを私につないでくれた石山拓真さんもメンバーの一人だ。全員アーティスト、全員非営利の中で関わる。グループへの参加資格は特にないが、"アーティスト"として社会に立脚していこうとするアーティスト集団である。

プロジェクトスペースKANDADA施工より (2004.09)
プロジェクトスペースKANDADA施工より (2004.09)


 10年目に入るコマンドNというグループの継続性は、ある意味奇跡に近い。代表のアーティスト・中村政人さんの存在の強さを否めないが、それに加えてメンバーひとりひとりが意志を持って関わらないと、この非営利アート集団の活動は成り立たない。そして、コマンドNはメンバーだけでは活動が成り立たないこともあり、さまざまに手をさしのべてくれる人々に助けられている。
 クオリティーを求めての切磋琢磨は毎回のごとく起こる。そのレベルはその時のメンバーにより変化する。

project collective.021 コジット・ジュンタラティップ個展準備より(2006.11)
project collective.021 コジット・ジュンタラティップ個展準備より(2006.11)


 「コマンドNらしさ」とは、10年継続する今も画一的ではないと私は感じている。アーティストが集団を成すのだから、それはしかるべき未決定事項なのだと思う。
 コマンドNはメンバーを替えながらもアメーバのごとく伸縮を繰り返す生命体のような不可思議な存在になる。
 コマンドNの活動はアーティストが生きていくためにアーティスト自身が「場」づくりを行っていくアートマネジメントの現場でもある。つまりはアーティストのセルフマネジメント的な現場になっている。
 その現場は、アーティストが動かなければ動かない。特にメンバーとなっているアーティストは、そのプレッシャーをコマンドNを通して社会に感じているからこそ、そこでの自己実現にリアリティーを見いだす。

project collective.019 クレメンティーン・デリス個展準備より
project collective.019 クレメンティーン・デリス個展準備より(2006.09)


 しかし、それは周りの目からはなかなか理解しがたい様子。

 コマンドNの財源は今は助成金と協賛金でまかなわれている。ちょうど今頃の時期、各機関・財団の助成申請受付が始まり、締め切りが迫る。毎年毎年早めに処理しようと思っていてもぎりぎりまで悩む癖はなかなか直らない。
 予算がとれ、いよいよ展覧会制作に入ると、今度は作家とのやりとりと広報活動に追われる。やらなければならないことと、こだわって時間をかけて楽しみたいところが交錯する。
 何重もの構造の中で、自分の立ち位置と「対 作家・アート・作品」について感じながら進めなければならない。予定より前倒しに内容の話は進めようとするがこれまた云々、遅々として進まない。展覧会を作り上げていくのは作家だけの問題でないと、周囲が常にもり立て続ける。開催日前日は恒例のように徹夜作業。その現場に立ち会う誰もが、出品作家の緊張感を共有する一夜になる。すべてのセッティングを終えた作家が屋外用看板に自身の展覧会タイトルを書く横で、スタッフがビールを飲み交わす。互いの労をねぎらう瞬間は、実はオープニングパーティーではなくこの緩やかな時間の中にあるのかもしれない。
 そしてまた日々が始まる。
 裏方となる事務所では、留守電の解除ボタンを押して、ギャラリーのシャッターを上げ、前日のゴミを集めて袋を閉じ、届いた郵便物に目を通す。
 理解しがたいとは、それ自体がアーティスティックな行為につながるとは肯定しがたい姿なのかもしれない。

project collective.024 ピーター・ヘネシー個展準備より(2007.04) KANDADAでは恒例、設営の合間にスタッフお手製の夕飯をみんなで囲む
project collective.024 ピーター・ヘネシー個展準備より(2007.04)
KANDADAでは恒例、設営の合間にスタッフお手製の夕飯をみんなで囲む

project collective.026 鈴木真吾個展準備より (2007.04)
project collective.026 鈴木真吾個展準備より (2007.04)

作品[ 日々は ] より (2008.09)
作品[ 日々は ] より (2008.09)


 KANDADAという場所でも、千代田区という地域性が常に隣り合わせになる。オフィス街の真ん中で、足早に目的地に向かうサラリーマンやOLだけではない地域性。2年に1度行われる神田祭では町内の人たちがはっぴを貸してくれ、「いいから、神輿にさわっておいで!」と急かされたり、カレー屋を営む町内会長が自転車ですれ違うと「今日から新しいの始まったんだね?」と声をかけてくれる。リンゴ狩りをしてきた並びの薬局の奥さんが「本当に美味しいリンゴなのよ」とお裾分けしてくれる。

神田祭 古くからここに位置する精興社の前に神輿がくる(KANDADAは精興社1階) (2007.05)
神田祭 古くからここに位置する精興社の前に神輿がくる(KANDADAは精興社1階) (2007.05)


 私たちは地元千代田区の人達にコマンドNという名前より「カンダダさん」と呼ばれることが多い。このスペースのネーミングが決まったとき、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に出てくる「犍陀多(カンダダ)」に由来するのか、とよく尋ねられた。神保町という古本屋街の近くに位置する立地からの深読みだが、「神田で起こすダダイズム」という意味が本来のもの。しかしここにあるのは、ダダイズムの持つ虚無的な暗さではなく社会とつながろうとする肯定的な否定。

KANDADA入り口 今もポリカボネートとオレンジの庇はポイントになっている (2005.03)
KANDADA入り口 今もポリカボネートとオレンジの庇はポイントになっている (2005.03)


 作品は日々の醍醐味の中から生まれる。
 沖縄から発した私のアートプロジェクトとの関わりは、コマンドNの縁で、秋田、富山、石川とプロジェクトに参加する機会を得ている。さまざまな人に出会い、さまざまな局面に出会い、自分の身体が動くことと心が揺れ動くことがシンクロする体験が生まれる。
 揺らぎの中で人と関わり、答えを求め続ける。何かを誘発し、何かが生まれ、何かに還してゆく。
 さまざまな地域性とさまざまな現場の中で、かけがえのない愛おしい時間が流れ始めるのは「アートプロジェクト」の真骨頂なのかもしれない。
 アートマネジメントとは、地球の深い場所でうごめくマグマのような生きる営みの熱を、絶えず流れようとする日々の現場に引き出してゆくことだと思う。

 私を"プロジェクター"と初めて呼んだ少女は、もう高校生になる頃。私は今でも彼女の目に"プロジェクター"として映る人でありたい。

ano week in KOZA アノコザ 野外上映会より (2008.03)
ano week in KOZA アノコザ 野外上映会より (2008.03)

ゼロダテ/大館展2008 ZAC cafeより (2008.09)
ゼロダテ/大館展2008 ZAC cafeより (2008.09)

(2008年10月28日)

今後の予定

■11/21〜23 アートNPOフォーラム沖縄へパネリストとして参加します。

■12月上旬に日本大学建築系の特別枠の授業でレクチャーします。最 近プロジェクト活動に興味を持つ建築学生が増えてきているとか。

■KANDADA
/projectcollective.031
DIG&BURY個展
12月6日(土)〜始まります! オープニングトークに、ゲスト/小崎哲哉さん(ARTiT編集長)をお迎えします。乞うご期待!

■コマンドNで密かに進んでいるアジアリ
サーチプロジェクト。2009年2月に報告会的企画を計画中! アジア各地に直接赴いたメンバーによるキュレーションで今一番若くて熱いアジアのアーティストがKANDADAに集結します! ご期待ください。

関連リンク

おすすめ!

アートプロジェクトも展覧会だけでなく音楽イベントも多数でてきて、多くのすてきなミュージシャン達と出会います。音楽機器に素人な美術関係者に挟まれてもなおめげずに、いつも笑顔ですばらしい音楽を届けてくれるすてきな人々。理解あってこその関係。本当にいつもすみません。そしてありがとうございます。音楽の力って、、すごい。そして、美術関係者に負けず劣らず動きまくっているアクティビストなミュージシャンの方々です。

中村真
(ヒミング・2006、2007ゲスト)

オムトン
(ヒミング・2007ゲスト)

juru*y
(アノコザ2008、kapoオープニングライブゲスト)

サイトウタクヤ
(ゼロダテ/大舘展2008、kapoオープニングライブゲスト)

次回執筆者

バトンタッチメッセージ

 「井戸を掘った人を決して忘れてはいけない」という中国の古いことわざがあるそうです。
 歳月を経て、2008年9月にアートセンターを立ち上げたヒミングメンバーの一人であるアーティスト・平田さん。平田さんがいなかったら始まらなかったことがあると思います。驚異的な直感力とやさしい笑顔、素敵な音センスにノックアウトです。すてきなエピソードと今後のお話をお願いします。
 ヒミングではいつも大変お世話になり、ありがとうございます。
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