ネットTAM

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素潜りノスゝメ

百姓アート 虫マネージメント

 大学時代アトリエで、学校の裏山に生息する虫をひっくり返して起き上がろうともがく虫たちを並べ、エネルギーの場の創出を真剣にやっていた。社会性ゼロと診断された私にとって、こうしてネットTAMにコラムを書くなんてことは当時を知る人にとって笑えることだ。

 しかし今も何も変わらない。自分の置かれた環境に対して百姓なのだ。ようするに何でもする。社会とは何のことだ、という問いをもち、なるべく社会の彼岸に立とうとする。

 「生」が「死」から逃れようと、不死のシステムを構築する。それがわたしたちの矛盾に満ちた社会。生きるための希望であったはずの不死のシステムが、「いま」を苦しめる。

 百姓は生きていくため に、環境からさまざまな術を編み出してきた。それが生活のためであったり、家族のためでも、世のためであれ、社会のためであれ、自分のためになんでもやる。

 季節ごとに生きる術を編み出し、天候を読み、タイミングを知る。地を耕し、家畜を養い、蚕を飼い、きのこや虫を食う。微生物とどのような関係を取り持つことができるか考えるのもまた、である。

長野県小諸市井子に在住の荻原清人(母方の祖父)とレタス


 沖縄と長野はレタスで繋がる。 「コザの八百屋の独り言

潜りの作法

 現代社会は意識優位の社会だ。思い通りに行かないことやわからないことの方が圧倒的に目の前に広がっているのにも関わらずに。それは、社会生活の中で拠り所にしている意識が、矛盾の大海原(無意識)に浮かぶ、とても不安定でちっぽけな島だということを示唆している。

 そんな無意識という大海原に転げ落ちるとき、「いま」を捉えるためのすてきなギフトがあるかもしれない。

 しかし、そこでひとつ作法がある。それは、素潜りすることだ。身体や脳すべての臓物という自然をフルに解放すること。なるべく酸素ボンベや、潜る資格や、皮膚を覆うぴちぴちのモビルスーツや鎧を着用せず、いわば不死のシステムを身にまとわずに。

 こころを揺り動かすものは、臓物をフルに解放した体験の中にしかない。そして、その素敵な財宝は持ち帰るためにそこにあったのではなく、そのエリア(領域)に出会えたことを祝福しているものだ。

琉球コナン

 沖縄のイメージとの遭遇は小学校の時まで遡る。

 先生は、「ハワイやグアムなんかに行かなくっても日本にも美しい海があるんだよ。でも、その美しい浜辺の下には爆弾が埋もれている・・・」

 今思うと極端だが、そのイメージが残り、沖縄に行きたい反面、命は惜しい。小学生ながらに考えた。長野県で育つ私にとっての海とは、年に1度連れてってもらえるかどうかの憧れの対象であり、それが爆弾という非日常の恐怖が想像をかきたて、強い印象となって脳のどこかにしまわれた。美しいものは手に入れられないのだよ。という悪魔のささやきが聞こえてきそうだった。

コザサバイバル

 未来少年コナン(宮崎駿のTVアニメ)のような、残され島のような、海にそのまま潜ってサメを倒して食うような日々をどこかに求めていた私は、そんな美しい海の対局にありそうな、コザという不条理のまちに流されてしまう。

夢遊病


 閉め切った真っ暗なシャッターの中、雨が勢いよく天井から降ってくる。そこにビール箱を並べたのが最初の寝床。そう、これはアートプロジェクトではなくて アートサバイバル。

 ある人が自身の体験を込めて何度もこう忠告した。沖縄で作家活動をするのは難しい。埋もれていって流されて「泡と消えるんだ」。何人も見てきた、と。

 よどみに浮かぶ泡沫は かつ消え かつ結びて 久しくとどまりたるためしなし

 憶えば、高校の時古典で『方丈記』を習ってから「かりのやどり」という言葉を気に入って、拡大解釈し、ひとの家を渡り歩くようになった。どうせ明日はない、と。いまを生き抜くためのアートサバイバルがその時から始まった。

 現代社会を素潜りでサバイブ(サバイバルダイブ*)するものたちへ、「コナン」はこう伝えている。足の、親指と人差し指の間は「いざ」の時のためにあけておけ、と。

*不死のシステム(社会)に拒絶反応する身体に襲いかかるさまざまな危機状態の中であえて既存の不死をまとわず、無意識に潜り自らの体験の中にある気づきや発見から社会環境を変えていく「いま」を手に入れ、切り開こうとすること

アートとまちが円環するコザ銀天街

 「僕は先日ちょっと披露してくれたウチナー言葉の芝居に本気で感動したのですよ。ただ、あの豆腐を揚げたカタハラノナントカーって縁起のいい食べ物の名前が思い出せなくて困ってます。今度教えてくださいね」 (前回コラム執筆者江東区地域振興会・森隆一郎さんのバトンタッチメッセージ)

 「"カタハランブー"ですっ」

 沖縄で昔ながらのそうざい屋「3幸」を営む、城間の娘千夏が叫ぶ。大手デパート「ヤスコ」の若社長ジュンの「あなたのお父さんの作った"パラパランブー"」発言に対して、千夏の真剣な"つっこみ"で、微妙な笑いをとれるかの大事な場面での台詞。森さんはすでに、芝居の中に登場する人物となったようだ。

 今年7月、アサヒ・アート・フェスティバル(AAF)2006参加プログラム「くゎっちーあしび」の中で上演した、「銀天座」ウチナー芝居「カタハランブー」は、劇団員全員"素人"で、「おおッ黒人役は、あなたしかいない!」といった具合に、まさに反強制巻き込み型スカウトで、まちの人をメンバーに獲得していきながら、2か月かけてつくっていった。ウチナー口を覚えることが大変だった。琉球大学の方言研究会のメンバーが中心になり、その中のリーダーである「比嘉陽花」が、1か月「そうざい通り」に素潜りして書き上げた脚本が光る。この芝居のモデルになったそうざい通りも登場人物もみんな現実の人たち。それをこの路地でハプニング的にやるのが何よりのねらいだった。買い物客でたまたま通るおばあも、自然と芝居の登場人物のエキストラとなる。

そうざい通り


 そして何より、「カタハランブー」という"ギフト"をくれたこの"エリア"に、感謝とメッセージが送られる。

フィクションと現実が円還していく

くゎっちーあしび/城間としろま(銀天座「カタハランブー」で城間さんに扮する林)Photo:平野ゆかり


 「カタハランブー」の形はちょうど巾着袋のようになっていて、妊婦のお腹のようにふっくらとふくらんで、そこから末広がりに衣が広がる様子がでめでたい縁起物。と語る「三幸」店主城間。結納の注文が入ると、今日もそうざいの店「三幸」ではアチコーコーのカタハランブーが並ぶ。

  「にぃにぃ〜、〜くぬカタハランブーや、〜10なんとかなんとか〜(にいさん、このカタハランブー10個ちょうだい)」

  「はっはっっはっっはっ はーっ〜なんとかさ〜ね、なんとか〜なんとか〜はっはっっはっっは!(これは注文のだから困ったなあ)」

 ダイナミックに方言ウチナー口がそうざい通りに飛び交う。

 昔はこの食べ物、当時子どもだった人たちにとってめったに食べられる代物ではなく、あこがれの最高の食べものだったため、今でもこの匂いを嗅ぐと、たまらなくなり、ひもじかったあの頃をとり戻すかのように、たくさん買ってみたくなる衝動にかられるんだよ。と、城間さん。ほんのり塩味が口に残る。

銀天街という地平

 沖縄文化を支える台所に身を置くと、いやでも毎日の変化、いわゆる日常の節、旧暦という自然のリズムと呼吸を合わす人々の暮らし、その息づかいが入ってくる。

 沖縄は神の国。だと、花屋さんは言う。普段は信じない人でも、火の神や屋敷払いといった旧暦に沿った祭事ごとをしないでいると、なんとなくおさまりが悪い。意味わからない人でもとにかくやる。

 その拠点となって機能するのが、そうざい通り。貴重な旧暦文化の台所たるゆえんだ。

 いわゆる聖地である御嶽、神事や祭事それを司るユタやノロに象徴されるような、民間信仰の現場そのものとは少し離れた地平に、アミニズムや先祖崇拝をバックボーンにしながら現代的な暮らしや世代間、その狭間でクリエイティブに揺れる世間の声が聞こえてくる、銀天街。小さくて猥雑で多様で異形をしたコザ。そこから世界の断片が眠る無意識の大海原を潜る。

 本当にこの地と出会えてよかったと心の底から思える。

藤森千夏/記憶図鑑

クバプロジェクト

 アートのアの字もない商店街で、まったくのよそものである内地の若者たちがアートプロジェクトをやり始めるという「向こう見ず」な出発点。

 定期的に通いながら、商店街での作品発表会を開催していった。

 宍戸遊美がホームステイを通して編み出した「スライドライブ」。そこの家庭との縁が、小学校の中に潜り込んでいく「バショカラプロジェクト」につながり、思えば、現在の前島アートセンターの立ち上げで、アートの現場に関わっていらした知念肇さん(「アートと街づくり」をテーマに琉大で経済を教える先生)が、内地から来た、沖縄で何かやりたい子にきっかけを与えようと、沖縄のさまざまなスポットへ案内してくれた。先生が昔、隠れ家的勉強部屋にしていた「空き店舗の2階」をアトリエに使っていいよ。と言ってくれた。そして、「わたしがしてやれるのはそこまでだ」とも言う。

 アートとまちの可能性について、先生自身が知らない世界、もうひとつの何かの可能性を残しておきたかったのだろう。アドバイスは「ネカすことだ」といった。「泡盛のように熟成させるんだよ」と。

 しかし、血の滾るわたしたちはすぐさま、その空き店舗に隣接する「銀天街」をいきなりノックした。手当たり次第、なんでもやった。ちょうど、電球を交換したかった。とか、ダンスパーティーの美術やってみないかとか。いう展開になっていった。ふいに訪れた、「アート」や「若さ」という息吹が商売人のしたたかなクリエイティブさに油を注いだ。そして、いままでの鬱積した地元の確執を打破する起爆剤となり、その楽しげな集まりをみて、自分の目を疑った八百屋さんは、「まれびと」だと思い、何か役に立てないかと惜しげもなく大金を差し出した。個人としては決して見ず知らずの他人に預けられる額ではない。わたしたちはいまだにその気持ちに応える使い道がわからない。応えるにはあまりにわたしたちは何も知らない。体験が伴っていない。目的が先行していき、その急激な変化は形だけを肥大させ、中身がスカスカになり、お互いを見えなくさせていってしまう。という危険を感じた。「ネカす」ことだ。クバ(右欄プロフィールの項参照)という事件を「ネカす」んだ。そこからだ、と。

 日常生活レベルでも地域のことを手伝いながら、信頼関係を築いていった。このまちの人々の日常と記憶を丁寧に掘り起こしながら、銀天街を舞台にいろいろやっていった。クバプロジェクト発表会の中でも、小澤めぐみ(旧姓:池谷)が作品のタイトルにつけた「すべてを新しくしてしまわないこと」という言霊は、商店街の青年部長の脳天をかち割り、彼の座右の銘になり、まちづくりの指標となって今も息づいている。それが及ぼすであろうさらなる影響力は測りしれない。

 4年前にわたしの最初につくったアーケードでのインスタレーションは、今でも、いわくつきの語られ草で、酒のつまみ話としてよく登場する。

 「向こう見ず」が縁を引き合わせ、「素潜り」が縁を深化させる。

素潜りギフト スタジオ解放区

 憶えば、4年前の夏、3か月、自作自演レジデンスしたのが、素潜りの原点だった。素潜りでもたらされたギフトは今なお息づいている。もしかしたら、あの夏、コザ銀天街の海の底で見せられたものは、脈々と関係しあい、無意識にあの地で産み落とされる子らが垣間見せた濃い影が、焼け付く太陽に、ちりちりと映し出された、わたしの過去、彼らの未来を追体験させる万華鏡だったのかもしれない。

埋葬


 来年は映画制作にとりかかる。いままでの4年間撮りネカしたもの。銀天街コザの内側に向け潜り続けた。今度は世界の外側に向かって潜る時だ。

 AAFの途方もない試みは、そんな内側と外側をつなぎ、各地域のコアなスポットで素潜っている、ちょっと潜水病気味なダイバーたちを交流させるような仕掛けをする。日本全国各地に遍在する何かを、磁場のもつ体験でもって紡いでいくところにある。これがとっても良質な酸素となって身体に補給される。

どこまで潜れるか 息が続く限り 上もなく下もわからなくなるくらい青の闇まで来たら
息を吐け
海月のような空気玉が浮かび上がっていく方向に身を委ね ゆっくりと浮かび上がるんだ
すばらしく太陽 こんにちは酸素

シチグヮチ 天ぷら解放区


 わたしたちを導いていく子どもたち。東京から通いでこの地に活動していた頃、「帰るならくるなー」と言った彼らと、本気で何かやってみたいという想いでうまれた「スタジオ解放区」(トヨタ財団地域社会プログラム)という地平。わたしたちの目の前で、決して家庭や学校で見せることのない振る舞いをする。彼らにとっての1年の出来事というのは一生に匹敵する。ものすごいスピードで脱皮を繰り返す彼らとどういう関係が取り持つことができるのか。彼らは一生懸命、世界を構築し直そう、と変貌していく。解放区の由来は、大島弓子の『ロストハウス』にイメージを重ね合わせた。

シチグヮチ祭り」。 ひと夏を彼らと過ごし、創りあげた永遠の夏休み。

コザカプセル/西村知巳:カラテセントラル


 レジデンスアートイベント、「コザカプセル」では、縁や繋がりで集まった10名ほどのさまざまなアーティストが同時多発的にまちにアクションした。沖縄での仲間も増えていき、内地から通ってくる仲間も継続している。銀天街に生きたアートプラットフォームができつつある。一度来た人は、何度も来る。ギフトを戻しに。銀天街レジデンス常連作家の野原大介は、「帰る度に何か置いてきてしまったような、何か恩をもらってきたような、また返しに行きたいなという幸福の連鎖が起きている」と言う。

 地域社会と関わるきっかけがアーティストにとっても必要なんだな。まちにはさまざまな住民が暮らす。まちに育てられたなと感じる。まちとはいろいろな人や活動がある。まちという学校。投げ掛けたらすぐ返ってくる人たちが住むまち。いろんな人のそれぞれの視点で何らかのレスポンスがあるのがおもしろい。

 アートと社会とがお互いの接点を見いだしクリエイティブに食いあうイメージがいい。

 カネフスキー監督の映画「ぼくら、20世紀の子供たち」に出てくるロシアのストリートチルドレンに負けないくらい、"水は与えられるものではなく、自ら空気中にある水分を獲得するために産毛をだすことで真っ赤に熟したトマトとなる"ことを思い出させる、コザチルドレン。
 自然界にしか興味がなく、やんばるの森に毎週、ポンコツ原チャを走らせ、真夜中に満面の笑みで銀天街に帰ってくる哲人。
 発泡スチロールから獅子舞をつくりだすなど、伝統的なものを現代的な日常品の中から創り出す商店街のクリエーターで石原裕次郎だという思い込み的武勇伝が数知れない、シーサー顔のお菓子屋さん。
 その石原裕次郎の女房役として、人に優しく、フォローをフォローと思わせない、文学系月光仮面のおじさん。
 無口なのに、気がつくと手品をしたりハーモニカを吹いたりロープワークを披露したり、おいしいイカスミ汁をつくる70歳のノッポさん。
 銀天街の未来を背負った青年部長は、ビールをしこたま飲み、寝る前にはもう一人の自分と今日の反省会する。
 おばちゃんが手作りで修復していった独特のまるみを帯びた池と呼ばれる湯船や、あり方そのものが作品のように美しいコミュニティ銭湯。
 政治や国際情勢、軍事論や芸術を自らの半生で潜った体験として、力強い言葉をもつ八百屋さん。
 基地で働き、ベトナムに郷愁の念を感じる古典三線奏者。神様はみんないっしょさあ〜とウチナーなまりの楽観的なインド人。
 70年代の洋服を取り揃えているのではなく70年代からそのまま売っている魔女的なお店。  不可思議で、異界の、タイムラグ空間の想い出の住人たち。

 フィクションと現実は円環し、アートと社会とがお互いの接点を見いだしクリエイティブに食い合い、その咀嚼の中で、アートのアの字が生まれて、それぞれの人生というレベルで、この場所に立ち寄り、ここの人々の中にアートプラットフォームを育む。

 沖縄でアートプロジェクトを始めてから早4年、住み着いてから2年が経とうとしている。やればやるほど、いろいろなことが"見えてくる"。いっぽうで、みなさんの"見えない"力に助けてもらいここまで来た。

 若き素潜りの日々に感謝。

(2006年11月24日)

今後の予定

■アサヒ・アート・フェスティバル2007参加(07.7.7 - 9.9)
「バイ・バイ・コザ~越境タイムラグ~コザ映画祭~」[夏期]
・コザ映画祭の開催。コザのまちの人々の日常と記憶を記録したドキュメント映画の制作、発表。
・多国籍なコザにせまる「バイ・バイ・コザ」こども映像ワークショップ。
・コザふるさと映画や関連映像の上映。
・コザ映画祭シンポジウムの開催

■多国籍な料理を楽しむ屋台祭りの開催(沖縄市コザ十字路銀天街)[通年]

■映画祭開催後は、沖縄各地や日本各地をまわり交流上映会を行っていく[通年]

■随時、スタジオ解放区ブログにて企画、開催スケジュールを掲載します。要チェック。

関連リンク

おすすめ!

・リン・マーギュリス 『生命とはなにか―バクテリアから惑星まで』
・養老孟司 『唯脳論』
・カネフスキー3部作 「動くな、死ね、蘇れ!」「ひとりで生きる」「ぼくら、20世紀の子供たち」

- 沖縄関連 -
・目取間俊 『沖縄「戦後」ゼロ年』
・塩月亮子 『聖なる狂気 ―沖縄シャーマニズムにおける憑依現象―』
・作者名? 『沖縄の文学』
・比嘉康雄 『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』
・森口豁ドキュメンタリー作品(久高島の作品と鳩間島の作品)
・NHKサイエンススペシャル『驚異の小宇宙・人体 2・脳と心 6 ~果てしなき脳宇宙「無意識と創造性」』
・司馬遼太郎 『街道を行く~沖縄・先島への道』
・『折口信夫全集』
・柳田國男 『海上の道』

次回執筆者

バトンタッチメッセージ

淡路島を耕す女。

国生み神話の舞台である、おのころ島をいままさにサバイブしようとしているひと。

おのころ島の夕暮れ時、ひとびとの一日の終わりや夕日がとってもきれいでした。

今度、虫を食べるとき、ご一緒したい。何やら、長野でもいろんな虫を食べるようだ。今度、調理法学んで参戦します。
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