【私】を生きる術(一枚の絵画から1つのプロジェクトまで!?)
「アート」が成立する条件には、アーティストの【言葉にならないけれど根拠のない自信に満ちた創造力による表現】と、オーディエンスの【五感をフル稼働させた想像力による美しき誤解】の、2つの能動的な【ソウゾウ力】による相互作用が不可欠だろう。その両者のつなぎ手として私たちは、アーティストの共犯者/オーディエンスの翻訳者になるべく、日々、切磋琢磨する。
私が仕事を始めた当初、アートセンターも希少で、アートとの関わり方をアーティストか美術館学芸員あるいはギャラリーアルバイト、そして観客。という程度しか知らなかったので、自分の立ち位置も理解しないまま、いきなり現場を切り盛りすることとなった。大学院上がりの社会人一年生が、ただアートに携わりたい一心で、企画の立て方、予算の組み方、諸々の交渉事項など、右も左も分からずに、多くの方々のご指導と援助の元に前進してきた。
いわば【たたき上げの超現場主義】といったところだろうか。
神戸アートビレッジセンター概観 |
1996年、神戸市の新開地に開館した神戸アートビレッジセンター(KAVC)は、まちの再興と若手育成を設立主旨に、美術・演劇・映像を中心とした現代芸術の情報発信地として神戸文化の貢献をめざしてきた。
美術部門では、若手表現者のトレーニングプログラム『神戸アートアニュアル1996〜2005』。シルクスクリーン工房を活用したアーティストとの共同企画『メディアとしてのシルクスクリーン』の松井智惠氏や島袋道浩氏の個展。まちにおけるアートプロジェクト『新開地アートストリート2002〜2005/地質調査→土地開拓→種まき・植樹→まちの資産運用』。太平洋地域エイズ国際会議の文化プログラム『kavcaap2003〜2005「HIV/エイズ-未来のドキュメント」』などがある。
神戸アートアニュアル/出品作家のプレゼンテーション |
島袋道浩展「帰ってきたタコ」 |
新開地アートストリート2005/新開地生誕100年の饗宴(湊川随道) |
kavcaap2002/ドラッグクイーンショー |
トヨタ・アートマネジメント講座(TAM)では、99年『芸術の基礎体力〜アートマネジメントABC〜』と02年『芸術環境整備事務所の設立と運営』、その間にもアフターTAM『自主トレ編』と題して参加者が企画立案から実施まで担う半年間の機会を共有した。
TAMチャレンジ編/ソーダンサロン |
いずれも、いわゆる短期間の鑑賞型プログラムではなく、準備段階から第三者と共にプロセスワークを分有する半年以上の企画が主で、ある程度の与条件はあるがレシピは無い。まさしく、創り手、つなぎ手、受け手が出来事の過程と結果を通じて、個々のあり方を熟考するプロジェクトメソッドとも言える。
私自身も鍛えられ及ばずながら、公共文化施設の美術担当としてアートの現場に関わって11年目に突入しようとしているが、美術・芸術が「アート」と呼ばれるようになって久しい現在、そのあり方もさまざまになった。美術館やギャラリー、アートフェアなど美術の文脈を司る場の一方で、まちの活性化を目的としたアートプロジェクトやレジデンス、医療や福祉/教育の場でのワークショップ、休眠施設を再利用したオルタナティブスペースやアートNPOなど、実社会にコミットする「アート」も台頭してきた。
業界のためのアートでもなく、役に立つツールとしてのアートでもない【アートの在り方】とは何だろうか。
そんな自問自答の日々を積み重ねていると、ますます、仕事と私事の境界は曖昧になる。
例えば、都市開発エリアの足もとに広がる未完の巨大地下空間を舞台にした『湊町アンダーグラウンドプロジェクト』や、湾岸の廃墟・名村造船所跡地における30年間のライフワーク『NAMURA ART MEETING '04-'34』など、休日も仕事と同様の過ごし方をしている。
湊町アンダーグラウンドプロジェクト(高橋匡太) |
『NAMURA ART MEETING '04-'34』湾岸の造船所跡地/夜の風景 |
私に限らず、アートの囚われ人たちは、仕事と遊びのいずれにも生産性と価値を位置づけ、自らがインター・メディアとなって社会的な存在であるために公私を問わず時間を費やしているだろう。
マイナスイメージの【フリーター】の本来の意味は、自分の好きなことを探して実践する自由を得るための選択肢であったというが、大企業でも永久就職は死語になり、リストラが新たな用語のような実状を目の当たりにし、モノではなくファンドやネットといった実体の無い概念やシステムが流通する現在。
アートマーケットの充実を希求する一方で、貨幣価値に換えがたい充足感が得られるアートの価値観はどこまで通用するのか。
大きな文脈に擁護を求めるのではなく、【私】という未知なる存在を楽しむために、あるいは、【私】を生きる術として、多様で新たな【知】と出会う場に身を置き、苦楽を引き受けながら、【私】をサバイバルするのも悪くない。
個人の価値観の変革や多様性が一元的な社会のシステムを変えるのかもしれないのだから・・・。
さて、私の今年、そしてこれからは・・・。
【公】では、これまでの10年を検証し、次なる10年を見据える計画を立てていく【貯めの年】になるだろう。アートセンターの資産であるアーティストやつなぎ手などの人的財産と企画力を三種の神器に、貧しさは試練の肥やし/攻撃は最大の防御!?ではないが、当館は全国に先駆けて昨年より指定管理者制度を導入し、未整備な時世の最先端で!?ハードとソフトの運用力も養っている。そして更にここでの経験をいかし、フィールドを広げ、次なる展開模索中(そういえば、『神戸ビエンナーレ』の噂も耳にする今日この頃だが)。
【私】では、ライフワークの『NAMURA ART MEETING '04-'34』はもとより、あらゆるシーンの生態系に食指をのばし、時には観客となって明日の活力を養う。自分のオリジナルメニューを創り出すために、苦手なモノにも挑戦し、自分の味覚の幅を広げるグルメ旅を続けるだろう。
目から鱗の刮目か、じっくり染み渡る覚醒か・・・【私】を活性するアートの力。インダストリアル・デザイナー/レイモンド・ローウィの言葉「口紅から機関車まで」ではないが、「一枚の絵画から1つのプロジェクトまで」私は表現の可能性を信じている。
(2006年1月25日)
今後の予定
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次回執筆者
バトンタッチメッセージ
大阪/新世界のフェスティバルゲートをはじめとする大阪の各地には、今、バブルの遺物を独自の視点で自らの活動の場として転用する智恵者の方々が存在します。
昨年はそのアートNPOが集結して、コンソーシアムという概念で架空のアートセンターを立ち上げる試みを実施されました。
その影の仕掛人!?こそ、甲斐さんと私は思っています。
いわゆるアートのプログラムを組み立てるアートプロデューサーではありませんが、そのグランドビジョンともいえるシステムや環境をマネジメントする才人。
(公私共にお世話になっていますが)今後も、その動向に目が離せません。
>甲斐さん、よろしくです!!!