【エリアレポート概要】
文化芸術の地域特性への考察
執筆:阿部 利尋(昭和音楽大学大学院アートマネジメント修士課程)
近所で公演や展覧会が行われていないから文化芸術鑑賞に興味を持てないというデータがある。また最終学歴や習いごとの履歴、世帯年収も芸術鑑賞に影響をもたらしそうである。住んでいる都市階級と文化的満足度も相関している(図1)。つまり私たちの国でも芸術鑑賞を主にした文化的慣習行動の選好は、教育水準、出身階級と密接に結びついているようにみえる。そのほか社会的ヒエラルヒーに公認された無意識の教養の中で芸術文化や文化芸術は存在している、といったような論説をする専門家も散見できる。
要するに文化芸術鑑賞には何かしらの差や階層のようなものがありそうである。その差を目視する一つの方法として地域別の指標、つまり地域特性のようなものを考えることが有効ではないだろうか。なぜならば地域特性(差異)があることはさまざまなデータをみても明らかであるし、また地域別のデータは行政により正確に的確に管理され、誰でも確認できる具体的なデータとして開示され、閲覧できるからである。
ではその地域特性とはどういうものなのだろうか。日本における地域特性についてもさまざまな指標や切り口があるが、たとえば「オーケストラ、室内楽、オペラ、合唱、吹奏楽など」の直接鑑賞割合は中国・四国・九州地域に若干の割合低下が見られるが(図2)、図3をみると綺麗に正規分布しており大きな偏りは確認できない。最大格差は約4.3倍である(図4)。
ここでいくつか具体的なデータを見てみよう。文化庁が行った「文化に関する世論調査 報告書 令和4年3月」の中で『Q : あなたは、この1年間に、コンサートや美術展、映画、歴史的な文化財、アートや音楽のフェスティバル等の文化芸術イベントを直接鑑賞(テレビ、ラジオ、CD·DVD、インターネット配信等での視聴を除く鑑賞)をしたことはありますか』という問いに対し、各ジャンル別、都道府県ごとの直接鑑賞割合を以下にまとめた(図5)。これをみるとさまざまなジャンルでさまざまな割合差があることがわかる。たとえばジャンル1『オーケストラ、室内楽、オペラ、合唱、吹奏楽など』の直接鑑賞割合は、このアンケートによると最も高いのが石川県であり、低いのが山口県、佐賀県、鹿児島県である。その差は4.3倍である。ジャンル4『美術のうち、特に現代美術』の直接鑑賞割合は最も高いのが石川県であり、低いのが島根県、宮崎県である。その差は55倍である。ではなぜこのような地域特性が現れるのであろうか。そこに市場の失敗は存在するのであろうか、この差を問題と定義してもよいものなのだろうか。
仮にジャンル1『オーケストラ、室内楽、オペラ、合唱、吹奏楽など』を少しだけ考察してみよう。なぜ石川県が最も直接鑑賞割合が高いのであろうか。私たちは周りの知人、友人に訊ねてみたが、明確な解答を持っている人はいなかった。はたしてこの解答を持っている人は存在するのであろうか。そこで私たちは仮説としていくつかの可能性を考えてみることにした。石川県にはプロのオーケストラを数多く保有する地域風土があるのではないかとか、劇場や音楽堂の数が多いのではないか、資産家が多い地域なのではないか、公演回数がとても多い地域なのではないか...。しかしそのような強い偏りは無いようである(図6、図7)。このデータを見る限りでは、さまざまな指標があるが、際立って石川県が優位なことを示す指標は見当たらないように思える。言い換えるとデータには現れにくい、データ化することが難しいような、なにか異なる強い指標が(理念や雰囲気といったような指標が)私たちに強い影響力を及ぼしているのではないか、という疑問が浮かび上がってくる。つまり経済的な数字化しやすい視座とは別に、数字化しにくい社会的な、文化的な、ぼんやりとした雰囲気のする視座がどうやら介在しているようである。
この度アートマネジメント総合情報サイト「ネットTAM」が主催する「TAMスタジオ」という"つながれる場"において、各エリア(石川県、広島県、東京都)のアートマネジメントに従事する人と大学院で研究する人がつながれる場をいただいたことがきっかけとなり、それら社会的な、文化的な雰囲気を考えるうえでの重要な指標としての地域特性を考えてみたいと思ったことが今回のレポートをまとめるきっかけと一つとなった。
ではこのような地域特性をふまえ、我が国の文化芸術はどのように運営管理されているのであろうか。文化面においては日本国憲法第25条1項で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と定義されている。その他、文化芸術には憲法13条の幸福追求権を根拠とした、文化芸術基本法という法律があり、この第一章第二条二項で「文化芸術に関する施策の推進に当たっては、文化芸術を創造し、享受することが人々の生まれながらの権利であることに鑑み、国民がその年齢、障害の有無、経済的な状況又は居住する地域にかかわらず等しく、文化芸術を鑑賞し、これに参加し、またはこれを創造することができるような環境の整備が図られなければならない。」と明記され、行政の指針を表すとともに、芸術における平等権のようなものが国民に約束されている。また第二条の十項では「文化芸術に関する施策の推進に当たっては、文化芸術により生み出されるさまざまな価値を文化芸術の継承、発展及び創造に活用することが重要であることに鑑み、文化芸術の固有の意義と価値を尊重しつつ、観光、まちづくり、国際交流、福祉、教育、産業その他の各関連分野における施策との有機的な連携が図れるように配慮されなければならない」とし、幅広い分野との連携の推進を強調している。
このような行政指針に基づき、文化の頂点の伸長を主眼とした狭義の芸術文化政策と並行して、芸術文化や生活文化の普及を目的とした広義の芸術文化政策が行われており、近年では芸術祭が各地域で頻繁に行われるようになったり、アーツカウンシルの普及や、文化庁認定の日本遺産のような地域に点在する遺産をパッケージ化、ブランド化してアイデンティティの再確認を促進するような仕組みも行われるようになり、文化芸術や芸術文化というものがより私たちの身近に感じられるようになってきたような雰囲気があるのではないであろうか。またコロナ禍前ではインバウンド3000万人突破のように観光産業の目覚ましい発展がみてとれ、文化芸術と観光、まちづくり、産業の連携はうまく加速しているように感じられた。文化庁の予算は限られているにもかかわらず(図8)、文化行政の努力の賜物であり、すばらしい道筋の過程といってもよいのではないだろうか。
つまり私たちの社会の中で文化芸術や芸術文化のニーズが高まってきているようである、といえるのではないだろうか。行政は私たち市民の写し鏡である。このような環境の変化の中で、実際に地域で活動するアートマネージャーたちがいる。彼女ら、彼らのことをよく知っている人は多くはないだろう。ではアートマネージャーたちは一体何をおこなっているのであろうか。どのような思いがそこにはあるのであろうか。そこには地域の特性のようなものは存在するのであろうか。その特性とはどのような雰囲気のするものなのだろうか。このような論点から、データでは測ることが難しそうな地域特性という強い影響力や雰囲気(理念)に関して少しでも理解を深め、少しでも触れることを目指したのがこのレポート群である。
最後になるが、ここに一つおもしろい指標を紹介したい。それはウェルビーイングという指標である。ウェルビーイングとは、心身における「よい状態」が持続的に経験されていることやそうした経験を促進するような場の状態なども含めることができる概念であり、このウェルビーイングという指標が高いことが国民の幸福度に比例するとされている。このウェルビーイングの指標である幸福感、ユーダイモニア(人生の意義・社会とのつながり)、協調的幸福、Awe(畏怖畏敬)と文化芸術鑑賞、あるいは文化芸術活動との正の関連が見られることが文化庁の報告書で指摘されている。特に「ユーダイモニア(人生の意義・社会とのつながり)」と文化芸術鑑賞、あるいは文化芸術活動との間に十分な効果量がみられており、地域の状態に対する満足度と人生の意義を感じる経験頻度の関連も強いと報告されている。この関連は年齢や性別、都市サイズや年収などを統制しても残る関連であり、文化芸術に触れることが、一部の人のみならず、さまざまな人々の生きがいやつながりと一定の関係があることが見出されている。
つまりアートマネージャーの仕事はどんな年齢やどんな性別、どんな都市サイズやどんな年収の人に対しても生きがいやつながり、ひいては国民の幸福度を高めることのできる仕事であるということである。このレポートの冒頭で述べた『最終学歴や習いごとの履歴、世帯年収、住んでいる都市階級、教育水準、出身階級、そのほか社会的ヒエラルヒーに公認された無意識の教養』を乗り越えて社会の幸福度を高めることができる可能性があるのである。この事実をエールと変えて、以下の各地域のアートマネージャーたちのレポートを見ていただければ幸いある。
[参考文献]
- 文化庁「文化に関する世論調査 報告書 令和4年3月」
- 文化庁「文化に関する世論調査-ウェルビーイングと文化芸術活動の関連-報告書」令和4年3月31日
- ピエール・ブルデュー著、石井洋二郎訳『ディスタンクシオンⅠ<普及版>』(藤原書店、2020)
- マックス・ヴェーバー著 大塚久雄訳 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫、1989)
- 石田麻子『芸術文化助成の考え方 アーツカウンシルの戦略的投資』(美学出版、2021)
- 大塚久雄『社会科学の方法-ヴェーバーとマルクス』(岩波新書、1966)
- 刈谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』(中公新書、1995)
- 小坂井敏晶『格差という虚構』(ちくま新書、2021)
- 出口剛司『大学4年間の社会学が10時間でざっと学べる』(2019、KADOKAWA)
- 中尾知彦『アーツ・マネジメンツの基本』(慶應義塾大学三田哲学会業書、2021)
- 中村美帆『文化的に生きる権利-文化政策研究からみた憲法第二十五条の可能性-』(春風社、2021)
- 根木昭『文化政策学入門』(水曜社、2010)
- 平沢和司「世帯所得と子どもの学歴 -前向き分析と後向き分析の比較-」(中澤渉編『2015年SSM調査報告書5教育II』)
- 松岡亮二『教育格差-階層・地域・学歴』(ちくま書店、2019)