【金沢エリアレポート】
巡りゆくまち
執筆:宮越 文美(コーディネーター/伝統工芸従事者)
金沢というまちは、よく「一日で歩いてみて回れる」まちだといわれる。江戸時代には加賀藩が統制していた金沢城を中心として成立ち、まち並みには城下町の雰囲気を遺している。車が通るにはギリギリな細い道に一方通行、区画整理されない道や土地も多い。金沢市の中心街と呼ばれるエリアは、犀川と浅野川という2つの川に挟まれている。その限られた小さなエリアの中に、美術館や劇場などの文化施設が集中している※1。画廊、古美術店やギャラリー、ライブのできるバーなど個人経営店も数多くあり、大きな道から脇道に入ると、さらにおもしろいものや経験に出会うことができる。
※1:金沢アート&カルチャーガイド「金沢よるまっし」(石川県県民文化スポーツ部文化振興課/金沢市文化スポーツ局文化政策課)
金沢駅よりも西(海側)は、かつては建物もあまりない土地だったが、石川県庁が移転し金沢駅が改修されたことで現在では栄えてきている。北陸新幹線が東京−金沢間で開通したことは、まちのかたちを劇的に変えた。国内外の観光客が急増し、それにより圧倒的に観光地は活気づいた。近年、金沢港にはクルーズターミナルも新設され、客船旅行者の来訪にも力をいれようとしている※2
※2:金沢市都市計画マスタープラン(金沢市都市整備局都市計画課)
藩政期に育まれた文化やそれに伴う技術が多く根づく土地である。それゆえに金沢市、大きくは石川県での文化芸術活動の紹介には「加賀百万石」が語られることは少なくない。そのなかでも特徴的なのが「伝統工芸 ※3 」や「伝統芸能※4」である。代々伝来した品、伝承された技が、金沢という地から離れず、確実に存在している。長い時間をかけて形成されたものは、今からつくりあげることはできない。そのために、絶やさぬよう保存・伝承することに注力し ※5 、また観光資源として活用していきたいのが行政側の意識と拝察する。現に観光の力は凄まじく、蔑ろにはできないだろう。ただし、それに左右されるのは些か考えものでもある。新型コロナウィルス感染拡大の影響は、新幹線効果を吹き飛ばしてしまうほどで、金沢観光バブルは弾けてしまった。すると、観光を頼りにしていた数々のものは需要がなくなり、それを扱う人が廃業してしまう。人が取りやめてしまうと、ものも残らないのだ。
※3:伝統工芸36業種(いしかわ生活工芸ミュージアムウェブサイトより)
※4:いしかわの伝統芸能WEBシアター(企画:石川県、制作:一般財団法人石川県芸術文化協会)
※5:「工芸」に関しては、専門分野の制作や研修ができるよう金沢卯辰山工芸工房や金沢職人大学校など、金沢市営の各種工房が設立されている。また、石川県立美術館の附属施設として石川県文化財保存修復工房が置かれ、美術工芸品の保存修復をおこなっている。金沢の文化の人づくり助成事業(金沢市都市政策局文化政策課)も特筆すべき試みといえる。
「なぜ金沢市、石川県は文化芸術への関心が高いのか。」TAMスタジオに参加するなかで問いをもらった。考えてみれば、カルチャースクールを活用したり、個人に教えを請いながら、成人後も習い事を続けている人が多いような気がする。私が周囲で思いつく限りでも、ピアノ、バイオリン、茶道、生花、書道、バレエ、合唱、小唄、能などその「習い事」は多岐に渡る。たとえば、茶道文化は目を見張るものがあり、年間通じて大寄せも個人での茶会もひっきりなしに行われている ※6。 それを構成するには茶の素養ある人材は必要不可欠だが、その周辺を囲む茶道具、料理や菓子、着物、茶室、庭などをつくる・修繕する技術も必要となる ※7。 ひとときの愉しみのなかに、多くの人の営みが関わっているのだ。
※6:パンフレット「石川の茶会ガイド」(制作:石川県民文化スポーツ部文化振興課)
※7:イトウマサトシ編「金沢市の庭園(おにわさん ― お庭をゆるく愛でる庭園情報メディア)」
問いに対する答えは、データをあげて語ることはできない。あえていうならば、居住する人と人との距離が近いがゆえに、日々の人間関係だけでなく、同じエリアに暮らす各々の人間性が反映され、かたちづくられた作品や活動に対して強い関心を寄せるのではないだろうか ※8 。そうして人の目が集まる場所では、切磋琢磨する機会が生まれ、それを鑑賞する施設ができ、相互に作用しながら、いわゆるイベントやフェスティバルというものも増加する。
※8:成果発表会などのためか、数年先の予定が埋まるほどに文化施設の貸し館利用は多い。舞台芸術やバンド関係は、金沢市民芸術村。民家が利用されている石川県国際交流サロンでは、個人のグループ展や個展が開催される。
私は現在、11月13日から開催している「第5回金沢・世界工芸トリエンナーレ」という展覧会に、コーディネーターとして携わっている。詳しい成立ちはこちらを参照いただきたいのだが、金沢市制100周年を記念し1989年に開催された「金沢工芸大賞コンペティション」(主催:金沢市工芸祭開催委員会)をはじめとして、金沢市では2年ごとに工芸のコンペティションを継続して開催していた。2010年には「金沢・世界工芸トリエンナーレ」という名称に統一し、工芸を多角的な視点で捉えた展覧会を3年ごとに催している。第3回目であった2017年にはコンペティションの形式も復活した。
コンペティション(公募展)というものは、美術の歴史において、表現の拡がりを生む重要な役割を担っている。あえて条件や形式を設け、その時々の審査員の評価軸によって選出された作品たちは、時代を牽引する力があり、また同時に多くの人の心に留まるような魅力をもっている。そしてその作品たちを目にした人々の想像力は掻き立てられ、また新たな表現が生まれ、バトンが渡されていく。その影響は個々の意識に知らぬ間に浸透するので、アートの領域だけでなく、社会のしくみ、日々の生活も少しずつ変えていくと信じている。
私自身、生まれは福島県だが、小さいころに母の故郷である金沢に移り住んで以来ずっと金沢で暮らしている。母は日本刺繍の技法による作品制作を続けている。私は私でひょんなことから金沢美術工芸大学の芸術学専攻 ※9 に進んだ。大学卒業後は、一体なにものになれるのだろうかと不安に思いながらも、母の刺繍の技術を学び始め、それと同時に金沢市内でおこなわれる展覧会の運営補助や、金沢市の外郭団体 ※10 での仕事などにかかわらせてもらった。今では、工芸を含めたものづくり、表現活動をする人、またそうした活動を下支えしている人々の間を行き交いつつ、なにか困ったことがあれば私でできる範囲内でお手伝いする「なんでも屋さん」になってきている。肩書きというものを尋ねられるといつも頭を悩ませるのだが、自分自身の関心にしたがって楽しんでいるうちに、そこに不思議と「役割」がうまれ、それをがむしゃらにこなして振り返るといわゆる「仕事」になっていたことに気づく。こうした生き方ができるのも、金沢の大きすぎず狭すぎず、ゆるやかな時間の流れる土地がもつ力のおかげなのかもしれない。
※9:卒業後もかかわりを続けている。現在は、金沢美術工芸大学・三谷産業株式会社の産学連携事業として始動したアーティスト・イン・レジデンスプログラム「Artist in 金澤町家」(海外アーティストを招聘する国際交流事業)のプログラムコーディネーターの一員としてかかわる。
※10:(一社)金沢クラフトビジネス創造機構のこと。現在は、工芸分野と食などライフスタイル分野に携わる方々のものづくり協働プロジェクトである「金沢、つくるプロジェクト01 作家のひと匙」の運営サポートをおこなう。