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特別編「災害とアート~防災の観点から災害復興におけるアートの可能性を探る」ミニ・メセナフォーラム レポート




 ネットTAMでは、震災のみならず、あらゆる災害におけるアートの可能性を考え続けるために、本コンテンツのテーマを「災害におけるアートの可能性」として新たに展開します。

 今回は特別編として、公益社団法人企業メセナ協議会主催による対談「災害とアート~防災の観点から災害復興におけるアートの可能性を探る」のレポートをお届けします。社会課題をクリエイティブの力で解決することを目的としたNPO法人プラス・アーツ 理事長の永田宏和さんと、第16回の執筆者である株式会社ニッセイ基礎研究所 芸術文化プロジェクト室 准主任研究員の大澤寅雄さんにご登壇いただき、災害とアートのかかわりや、その周囲の人々の心の動き、日本文化を背景とした防災に対する考え方など、幅広くお話しいただきました。

以下は、対談レポートの抜粋です。※全文はこちら(PDF)

常識を超えたところで課題を解決するアートの力

大澤:永田さんのお話のなかで、日本では防災教育が文化そのものではないかという点が印象的でした。以前永田さんにヒアリングさせていただいたときに、鯰絵(なまずえ)について教えていただきました。これは江戸時代の浮世絵ですが、安政の大地震のあとにすごく流行ったという絵です。

永田:地震の象徴として、鯰が暴れると地震が起きるという伝説がかつて日本にはありました。地震が起こると困るからみんなで鯰を懲らしめている絵です。江戸時代からこのように絵を使って大地震のことを伝えようとしたり、かわら版を使って広めたりアーカイブするというのは、日本特有の文化ではないかという気がします。鯰絵は本当にたくさんありますが、よく大工さんが出てきます。大工さんは地震が起こると儲かるので、大工さんが悪だくみしているような絵図や、彼らが鯰を助けに来ようとしているという、皮肉や風刺もこめた描かれ方をされているものもあります。

大澤:包丁や棒を持って鯰を叩いている人もいれば、なぜか女性が三味線で叩いていたりと、滑稽だけれども、地震はなぜ起こるのかということを、江戸時代なりの習俗的な考え方で示していますよね。科学的ではないにしても、こういうことが起き得るのだということを伝えているのだと思います。250点ほどの種類が確認されているようですが、鯰絵は身を守る護符として、あるいは不安を取り除くためのまじないとして、庶民のあいだに急速に広まり、流行が終息するまでのおよそ2か月間に多数の作品がつくられたとwikipediaにも書いてありますね。
単に防災と文化というくくりではない、日本人にそもそも備わっている知恵のようなものを感じます。

しんよし原大なまづゆらひ
しんよし原大なまづゆらひ

自然・災害と向き合う

大澤:永田さんの仕事はいつも「防災×アート」というように言われています。永田さんは「特にアートをやっているわけではないけれども」とおっしゃいましたが、ご自身はアートをやっているつもりではないわけですね。

永田:アート自身の定義は難しいと思いますが、アーティスティックなことをしている感覚はあります。ただ、アートそのものをやっているかと言われると、自分自身にその意識はないですね。よくアーティストの藤浩志さんが「アートは超常識」と言いますが、あの言葉が大好きです。非常識ではなく、常識を超えるのがアートだと。アートの持つ役割についてはさまざまなとらえ方があると思いますが、社会課題に取り組んでいる立場からすると、既成概念に凝り固まったものや、「こうでなければいけない」というしきたりなどから一歩踏み出したり、打破するときに、藤さんの言う「超常識としてのアート」という考え方は非常に重要で、アーティスティックなことだと感じています。

大澤:常識に囚われない、常識を超えたところで課題を解決する取り組みというのは、僕もすごく共感します。
もう1つの切り口ですが、先日、茨城県で水害が起き、東日本大震災のときにも大きな津波がありました。何か大きな災害が起こって次に備えるとき、より頑丈な堤防をつくるとか、もっと高い防潮堤をつくるとか、地盤を何メートル嵩上げしようとか、そういう形での防災が果たして正しいのでしょうか。江戸時代は果たしてそうだったのだろうか、という疑問があります。これからの時代に災害と向き合う姿勢について、どうお考えですか。

永田:これもなかなか難しいところで、一概にダメだとも言えないし、できる対策はしたほうがよいけれども、だいたい災害の方が超えてしまいます。このあいだの川の堤防の決壊も30年前と現在で雨量を比較すると、圧倒的にいまのほうが多いわけです。堤防にしても25〜30年前の基準でつくられていて、そのときに常識だったものは非常識になってしまっている。もう歯が立たないわけです。
そうなると、もちろん、さらに大きな堤防をつくらないといけないのでしょうけれど、少し発想を変えないと防ぐことはできません。来たときの対処だけではなく、雨そのものを減らすような、環境を見据えたことをみんなでやらないといけないのではないか、こういう視点に立たないと、根本的には何も変わらないという気はします。
もちろん一概には言えませんが、どこかで、人が一番で自然を押さえ込む、というような考え方で自然をとらえたような災害対策というのは、基本的には通用しないのではないかと思います。

大澤:とても大きなテーマになるかもしれませんが、自然は克服するものや押さえ込むもの、という考えが文明や文化の根底にあったのかもしれません。カルチャーやカルティベート、つまり「耕す」という語源の「文化」という言葉を、自然に対峙するものとしてとらえてきました。でも、日本古来の芸能が、土地の神様を鎮めたり亡くなった方の魂を弔ったりする役割には、自然と対峙するというよりは自然とともに生きる姿勢を感じます。

永田:寄り添う、ともに生きる、という姿勢ですね。
僕らがやっている「地震ITSUMO」という活動も「もしも起こったらどうしよう」ではなくて、「いつも起こるのだからちゃんと付き合おう」という考えがベースにあります。地震のメカニズムを知って、対処の仕方も知る。人との付き合い方と同じだと思います。相手のことをちゃんと知らなければ付き合えない、そういう感覚にならないと、あまりにも無知過ぎますよね。自分が住んでいる地域のハザードマップを見ていないとか、自分の住んでいる土地が昔はどういう場所だったのか、そういう歴史も相当忘れ去られているというか、分断されていますよね。
3.11のあとに藤さんとも議論をしましたが、地域の歴史というものがかなりぞんざいに扱われているのではないか、と。ちゃんと付き合えていない。災害とは誰も付き合いたくないと思いますが、付き合わざるを得ないのでちゃんと知ったほうがよいし、付き合い方を学んだほうがよい。僕らのプログラムはそのように行っているつもりです。付き合う接点をつくるのがカエル・キャラバンです。マニュアルも、どうすれば手に取ってもらい、かばんに入れてもらえるか、身近になってもらえるか、そういうことを一所懸命考えています。

大澤:災害と付き合うということと、普段から地域のことを知っているかどうかは関連していると思います。この土地は水害が起きたときにいち早く浸水する地域だということを、古くから住んでいる人は知っていても、新しく来た人は全然知らない。あるいは、あの家はおばあちゃんの独り暮らしだから、まず見にいってあげなければという付き合いがコミュニティーのなかであるかどうか。カエル・キャラバンの活動を見ていても、こういうことが大事なのではないかと思いますね。

永田:「挨拶も防災でした」という被災者の名言がありますが、災害が起こると、そういうことに気づかされます。何もかも便利になって仲良くなくても暮らせるから忘れがちですが、普段から仲良く暮らすことの意味というのも、災害が起こったときに気づかされるわけです。災害が起こるとみんなの意識が高まって、そのときにしか興味を持ってくれない人がいるので、一所懸命伝えようとがんばりますが、時間が経つにつれて、元に戻って忘れてしまうのは、なぜかなといつも思います。人間の真理かもしれませんが...。
特に都市で暮らす人は依存型の人ばかりなので、誰かが助けてくれる、何とかなると思っている。そういうことではなくて、人を助けられる人、自分で立っていられる人をどれだけつくれるか、にかかっています。最近は「人づくり」と言っていますが、それに尽きると思います。人づくりをするうえでは、超常識的な発想で場をつくらない限り、災害や地震というのは遠いんですね。気になってはいるけれども、ちょっと置いておこうかという感覚になってしまうので、そこにアートの力的なものが必要な気はします。

対談の様子
対談の様子

新たな社会創造のために

大澤:ここで、企業メセナ協議会の取組についても紹介したいと思います。
企業メセナ協議会は東日本大震災が起きた直後の2011年3月23日に「東日本大震災 芸術・文化による復興支援ファンド(GBFund)」を設立しました。メッセージはWebサイトで読んでほしいのですが、僕は2009年3月に出された「社会創造のための緊急提言ニュー・コンパクト」に、すごく感銘を受けました。

「社会的危機を乗り越え、日本を再生するには、バーチャルで巨大な社会像から脱却し、リアルで等身大の持続する社会をつくり出す必要があります。そうした社会創造のために、いまこそ文化への集中投資が急務だと考えます。文化は、社会を形成する人々の知恵の総体であり、社会創造のための新たなソフトを生み出す力の源泉だからです」

企業メセナ協議会『社会創造のための緊急提言「ニュー・コンパクト」〜文化振興による地域コミュニティー再生策〜』(2009年3月16日) ※PDF

震災の2年前にこのようなメッセージを出し、いち早くGBFundというものを立ち上げた企業メセナ協議会さんをリスペクトするのですが、ファンドの目標額が1億円だと聞いたときに、いくら何でも高すぎるのではないかと思っていました。が、軽々とそれを超え、途中で目標を2億円に上げました。今年7月時点で1億4,000万の寄付総額があり、助成活動件数は239件となります。
2009年当時の社会的な危機というのは、リーマン・ショックやバブル経済崩壊などだったかもしれませんが、その後東日本大震災や福島での原発事故があって、向き合うべき社会的危機が訪れたときに、文化の力というものを信用しないといけないのではないかと思いました。

大澤寅雄さん
大澤寅雄さん

無力さを忘れず、寄り添いながらすすむ

大澤:東日本大震災が起きたときに「文化やアートで何ができるのか、なんと無力なのだろう」と考えた人も大勢いたし、僕自身もそうでした。しかし、実際にGBFundの採択活動を見てもいろいろな活動が起きています。この結果から見ても、やはり文化にできることはたくさんあるといまは思っています。阪神淡路大震災を見ていらっしゃる永田さんも思うところがあると思いますが、いかがですか。

永田:文化やデザインで何ができるか、本当に向き合うと無力です。僕も、いまでも無力だと思っています。ただ、無力さを理解したうえで一歩踏み出せる人が、本当のインパクトを与えられるんじゃないかと思います。アース・マニュアルプロジェクトという世界各地の優れた災害関連分野のクリエイティブな活動を集めた展覧会のときのリサーチでは、「俺のデザインで(被災地に対して)何かやってやるぞ」という姿勢のプロジェクトはあまり続いていなかったり、地元で浮いてしまったり、うまくいっていないものがたくさん見受けられました。スタンドプレーの活動も、正直たくさんありました。やはり謙虚さというか、寄り添い方がしっかりしている活動は継続し、根付き、受け継がれているのだと思います。そういう意味で、姿勢や態度というのが一番大事だと思っています。そして、無力さを理解したうえで、諦めずに一歩踏み出せるかどうかが重要だと思います。

大澤:「災害とアート」というテーマで考えたとき、「アートに何ができるのだろう、何もできないのではないか」という無力感を感じたことを、いまでもどこかに持っていたほうがよいのではないかと思いますね。

永田:そうですね。若者たちに震災とのかかわり方を話す機会があれば、僕自身は阪神・淡路大震災の直後には何もできず無力感でずっと辛い思いをしていたこと、発生から10年目にカエル・キャラバン開発の機会に巡り合い、自分の番がきた、がんばろうと思ったこと、10年後にできるかかわり方もあることなどを話しています。
大きな災害になるほど、自分ができることなどたかが知れているけれども、何かしらできることがあると思っています。それがどういうことなのか、どれぐらいのボリュームなのか、いつそういう番が来るかもわからないけれども、災害や被災地に対して思い続けることが重要で、忘れないことが大切だと思います。

永田宏和さん
永田宏和さん

記憶や経験をのこし、伝えていくこと

大澤:教訓を学んだり残していくことの課題として、悲しく辛い記憶は残しにくいということもあると思います。

永田:楽しみながらやれる体験もありますが、悲しい体験ももちろんもあります。実は1回大失敗したことがありました。学校の授業に防災の知識を学ぶボードゲームを持っていって子どもたちに遊ばせて、それ自体は大成功したのですが、最後に15分ほど時間が余ったので、先生がよかれと思って子どもが震災で亡くなる悲しいストーリーの絵本を読み聞かせしたんです。子どもからすると、ゲームで楽しく盛り上がった直後にドーンと悲しい状況に落とされたわけです。その授業のあとの子どもの感想が「ゲームで笑っていたことを後悔しました」と。「ゲラゲラ笑ったりして、すごく悪かった」と泣き出す子もいました。そうなると先生方は「このゲームは使えない」となってしまうのです。授業の組み立て方や学ぶ場のつくり方は細心の注意を払って構成しなければなりません。本当に災害時の心の話を学ばせたいのなら、その時間をしっかりとる必要があります。防災を伝えていくというのは、伝え方を間違えるとマイナス効果が起こり得るものです。場のつくり方や子どもたちのケアをきちんとしないと、とんでもないことになるということを伝えることはとても大事だと思っています。

大澤:風化させてはならない経験というのはあると思いますが、決して、悲しい、辛いことだけを残すわけではなく、時間が経てば、技術を伝えるために楽しみながら学ぶなど、方法を変えていくこともありではないか。そうすることで、向き合いにくいものと向きあう。辛いものは、やはり辛いものとして向き合わなければいけないけれども、向き合わないまま遠ざけてしまうと忘れられてしまうということがあると思います。

永田:阪神・淡路大震災でお子さんを亡くされた、私がよく存じている語り部の方がいらっしゃるのですが、最近講演に行った際に、話を聞いていた子どもたちが面と向かって「先生の話、ちょっと重くてうざいわ」と平気で言ったそうで、とても辛かったとおっしゃっていました。僕らの技や知識は、いかようにもなるけれども、語り部さんのお話はしっかり聞いて心に留めておくべきで、とても大事なことなのに、なぜそのような反応になってきたのか理解に苦しみます。そんなことを言う子どもたちを一喝すべきだと思う一方で、たとえばアニメーションにするなど、違う手法で伝えていくこともできるかもしれません。「伝える」と「伝わる」はやはり違いますから、伝え方をこれからも考えていく必要がありますが、やはり難しいことです。

大澤:残念ながら時間となりました。本日のミニ・メセナフォーラムは「災害とアート~防災の観点から災害復興におけるアートの可能性を探る」ということで、永田さんと私でお話をさせていただきました。ありがとうございました。

永田:ありがとうございました。

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(2015年9月17日)

当日映像(ロング・ヴァージョン)

レポート全文

ダウンロード(PDF)

開催概要

ミニ・メセナフォーラム
「災害とアート~防災の観点から災害復興におけるアートの可能性を探る」
  • 日時:2015年9月17日(木)16:00〜17:00
  • 会場:公益社団法人企業メセナ協議会 事務局
  • 主催:公益社団法人企業メセナ協議会
  • 協力:ネットTAM
  • 取材者:向坊衣代

ネットTAMメモ

常識を超える力=アートととらえ、プラス・アーツという活動を展開してこられた永田さんと、消防団員としてのご経験も交え、災害とアート、ひいては社会とアートに対する見解を探ってこられた大澤さん。お二方の活動は多岐にわたります。
「自然はいつでもそこにある。なかったことにするのではなく、そこにいつもあるものとして共に生きることを学ぶことが大事なのではないか」
「阪神淡路大震災のときの無力感がずっと残っていて今が出番だと思っている。10年後に活かせることがあるんだ。すぐに動けなくても考え続けること、あきらめないで無力を超えることが大事」
「向き合うべき社会的危機が訪れたときに、文化の力というものを信用しなければならない」 ずっと考え、動き続けてきた永田さんと大澤さんの言葉はぐっと心に届きました。
東日本大震災を機に「震災におけるアートの可能性」について考えてきましたが、次回からは「災害におけるアートの可能性」について皆さまとともに考え続けていきます。

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