震災から3年半の南三陸町から
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私たちがかつて家々の軒先に白い切り紙を飾った場所は、今は10mものうずたかい土の下だ。そこは人が住めない危険区域に指定された。3年半という時を経てもなお、南三陸町では応急仮設住宅暮らしが続いている。町のあちこちで山を切り崩しているが、住居を建設する高台の土地が整地されるまでにはもう少し時間がかかる。高速道路の整備の速さに比してもどかしい。約60カ所に点在した仮設住宅での暮らしが思いがけず長引いた結果、各仮設でのコミュニティは緊密になった。しかし、近々公営住宅が完成すると、そのコミュニティの解体が始まる。仕事の再建がままならない人々が多いなか、新たな格差と孤独が生まれていくことも予想される。
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現地で2010年から継続してきた「きりこプロジェクト」は、今年新たな側面を持った。切り紙が、亡き人の姿を偲ぶための媒介となっているのだ。津波でご両親を亡くした女性は、自分の家のきりこをつくりたいと初めてきりこ作りに参加した。自分たち家族以外の人たちが、きりこを通して在りし日の両親の姿を思ってくれるということがうれしいと涙を流した。ウーパールーパーを飼っている薬局がある。その家の、病気で亡くなった娘さんが、生前ウーパールーパーのことを作文に書いて賞をもらった。そのことを思いながら、中学生が笑顔のウーパールーパーが薬瓶を差し出す絵柄の切り紙をつくった。家族は驚き喜んだ。もしかしたら娘さんが家にふと帰って来たかのような感覚にとらわれたかもしれない。家族以外の他者が、今はこの世にいない大切な人を思ってくれている。きわめてプライベートな無言のコミュニケーションが、つくり手と家族、そして死者の間に生まれたのである。
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もちろん、きりこの絵柄はこれまでと変わらずに、家業の理念に立ち返らせ、土の下に埋もれた場所の懐かしい記憶を呼び戻す「依り代」として、当事者が自分自身や過去の自分に向き合う時間をつくり出してもいる。泣きながら笑いながら、つくり手は失われた多くのものに心を寄せつつきりこをつくる。きりこを贈られた当事者は、それをつくってくれた他者と、無言で思い出を共有し心を通わせる。プロジェクトはきっとこれからもその意味合いを少しずつ変化させていくだろう。
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私たち東北人は無口だ。自分のことはあまり語らない。そこで、南三陸町の人たちの日々を写真で語ろうと、フォトプロジェクトを行っている。撮影を通して、被写体になる人々は、一緒にそのシーンを構成する人々との関係性を確かめ合う。写真家の浅田政志さんが繰り返し現地を訪れ、みなさんと話し合いながら作品を撮影する。自らの生活と町を再建するために汗を流す人々の懸命な姿と、大切に育んできた他者との関係や家族の絆を、その写真が雄弁に語ってくれる。
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©南三陸"がんばる"名場面フォトプロジェクト
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©南三陸"がんばる"名場面フォトプロジェクト
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震災直後、全国のアートセクターが支援に奔走してくれた。しかし、直後には、アート活動そのものを現場に適用することがむずかしい場面も多々あった。暮らしや将来の目途が少しずつ見えてきて、人は初めて町全体の再生に思いを致すことができ、失ってはならない見えざるものに心を向け共有することができるのだと、今年、私は現場で実感している。
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自分の生活がままならないうちに、防潮堤のことを考える余地はない。復旧・復興が住民不在のまま、行政的縦割りで進んでいく異様さと効率の悪さを私たちは目の当たりにしている。災害大国日本において、復旧・復興プロセスを統合的に見直し、地域に寄り添った再生手順を構築するべきである。
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奥さんは設営現場においしいそうめんを差し入れしてくれた。2010年の日々がよみがえった。
同様のことはアートと災害の関係においても言える。アートセクターが被災地のコミュニティの再建、人々の心のケアに大きな力を発揮することは自明の理である。しかし、東日本大震災では、発災からこれまで、どういったプログラムを、いつどのような場に適用すればいいのかを構成できなかった。日々変化する被災地で、災害発生から復旧期、復興期へと適用すべき、時宜をとらえたプログラム・プランニングの考え方をあらめて整理し、有事にアートが社会に対してその役割を発揮することができるように備えることが必要だと、問題が山積する現場で感じるこの頃である。
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(2014年9月3日)
活動データ
アートプロジェクトを通して、地域の人々とまちの目に見えない価値を見出し、人と人との間に見えない絆をつなぎ、新たな活力を生み出す活動をしている。2010年に南三陸町で、神棚飾りの様式を模した白い切り紙で、家々の物語を表し、軒先に飾る「きりこプロジェクト」を開始。その町並みが失われた今も継続している。震災後、「未来を歌に」「南三陸の海に思いを届けよう」「はるかな友に心寄せて」「南三陸・大地を融かすプロジェクト」「南三陸"がんばる"名場面フォトプロジェクト」など複数のプロジェクトを現地で行う。
関連リンク
ネットTAMメモ
「自分の生活がままならないうちに、防潮堤のことを考える余地はない。」
「高速道路の整備の速さに比してもどかしい」
吉川さんの心から発せられたこれらの言葉たちから、決して順調とは言えない震災からの日々が伺えます。
『耳を傾け、声を聞き、心を寄せる。』吉川さんのアートプロジェクトの根底にはこの考えが流れている気がします。
今回のコラムでは、日々変化する被災地で、いつ、どこで、どういったアートプログラムを実施すべきかを整理調整するプランニング力の必要性が語られています。
ネットTAMでは、有事にアートが社会に対してその役割を発揮することができるように、現地の状況や課題を継続的に伝えていきたいと思います。