地域 × アートを地域側から考える
第1回TAMスクールはアートマネジメントの現場に携わっている方やアートプロジェクトの企画制作の経験がある方など、総勢29名の方々にご参加いただきました。2日間の講義とシンポジウムを通して学んだことや得られた気づきなどの所感を参加者レポートとしてご紹介します。
今回、「地域×アート」プロジェクトの意義や目的、地域らしさを生かしたアウトプットをどのようにしてつくるのか、という点を意識して講座に参加しました。わかったことは、似たような企画であったとしても「地域発」か「アート発」かで、でき上がるまでのプロセスは大きく異なるということです。
私は、地元の京都でライフワークとしてまちづくりをしており、地域の有志で組織された団体でお寺や神社、町家を使って展覧会を開催している「地域発」の人間です。そんな私が、今回の講座で一番共感できたのが、「隅田川怒涛」の清宮陵一氏でした。特に「私のやり方には汎用性がない、なぜなら地元以外の場所での運営は、ケンカできないから(寄稿者意訳)」というものです。ケンカ・衝突の有無は「地域発」の企画において質を左右する重要な要素です。有志で組織される地域団体のほとんどが、地域住民の集まりです。そこでは地域やアートに対する知識や理解はバラバラで、地域をなんとかしたいという気持ちだけが共通しています。このバラバラな考えを一つにすることは難しいのですが、並列な関係で敬意をもってぶつかり合うことで、自身の考えが運営内で共有され、それぞれのこだわりが見えてきます。それが、プロジェクトのオリジナリティにつながっていると感じます。自身の事例でも、衝突がなかったら、展覧会としてのミッションやステートメントが生まれなかったと思います。
ただ、衝突は、その重要性を理解していないと関係が崩れる可能性もあります。
このような「地域発」が抱える運営上の懸念は、「アート発」でもあるのか、というと、どうやら存在しないようでした。ディレクターがいて、ステートメントやミッションがあり、アートの知識もある程度有する者が集まる。地域への理解はリサーチを行い、発見を共有していく。という、すでに実行する土台ができている組織においては、実行上の課題ではなく、展覧会の理念や意義をどのように社会に伝えるか、という社会実装上の課題解決が重要事項のようでした。
アートトランスレーターの田村かのこ氏の「札幌国際芸術祭」の事例は、コロナ禍で、どのように展覧会の意義を社会に実装しようとしたかが、具体的に語られ、「地域発」側の私も、十分理解できました。田村氏は、翻訳家は海外のアーティストの言葉を日本語に変換する、だけではなく、わかりにくいものをわかりやすく伝える、という理念のもと、展覧会と社会との関係を構築しておられるようでした。理解が難しいコンセプチャルなステートメントは、対話型鑑賞を採用して、鑑賞者に作品を通して考えてもらったり、リサーチ段階からワークショップなどで作家との接点を作って、アーティストの考えを伝えたりするなど、さまざまなコンテンツをつくって意図をわかりやすく伝えたり感じてもらったりしておられました。特に地域発でも有効だと感じたのが、展覧会終了後の「ボランティアさんとの月いちオンライン飲み会」です。運営主導で開催され、ディレクターもたまに参加するという飲み会は、運営の考えや地域の課題を共有しながらコミュニケーションできます。展覧会を育てたい私にとっては、すぐにでも取り入れたい内容でした。
アートの教育を受けていない「地域発」側の私にとって、この2日間の講座から「地域発」「アート発」の視点の違い、実行上、実装上の課題の理解と、実装事例を多く知ることができ、地域とアートの交点で、どのように振る舞えばよいかが少し見えたような気がしました。これから、アーティストやアート人材と協力しプロジェクトを行う際は、どちらが上で、どちらが下で、とかはなく、フラットに文化芸術と地域をつなげられるようコーディネーターとしての役割を担いたい。