「当事者性」を受けとめる
第1回TAMスクールはアートマネジメントの現場に携わっている方やアートプロジェクトの企画制作の経験がある方など、総勢29名の方々にご参加いただきました。2日間の講義とシンポジウムを通して学んだことや得られた気づきなどの所感を参加者レポートとしてご紹介します。
きっかけ
私は都内公共ホールの指定管理者を担う組織に属している。
職員の平均年齢はおおよそ50代前半で、組織はほかに博物館やスポーツ施設の管理運営、多文化共生や小学生の活動支援事業も行っている。そのため、職員全員が必ずしも「文化芸術」や「アートマネジメント」に高い興味関心を持っているわけではない。昨年度まではマラソン大会の運営を行っていた職員が、翌年度にはクラシック公演の運営を行うこともある。
TAMスクール受講のきっかけは、世代や興味関心が異なる人とどのように「アートマネジメント」を行ったらよいか、そのヒントを少しでも得ることができればという思いからである。
「アート」という言葉に感じる居心地の悪さ
トヨタ・アート・マネジメント講座の受講生であった山口さんがTAMスクールで講師を務めることに対して発した「感慨深いです」という言葉から始まった5回の講義とシンポジウム。
田尾さんがシンポジウム中に発した「「アート」という言葉に居心地の悪さを感じる」という発言に共感を覚えた。美術でも演劇、舞踊、音楽でもなく、文学を学んでいた私もまた「アート」という言葉にどこか居心地の悪さを感じてしまう。こんな私が「アートマネジメント」にかかわってよいのかな...と。
しかし5人の講師の方それぞれが自らの「当事者性」に立脚しつつ、さまざまな分野に対する知識を謙虚に、あくなき探求心で深めている姿勢を、束の間ではあるが直に学ばせていただいたことで、あらめてこの居心地の悪さを受けとめ、覚悟を決めようと思った。私は文学という「ことば」を学んできた「当事者性」を生かし、今後の活動を行っていきたい。
タテ糸にもヨコ糸にもなりうる存在をめざして
私は今回、自身が事象をきれいに整序化しすぎて捉えるあまり、多様性を押し殺す傾向があることを痛感した。だからこそ冒頭で述べたように、世代や興味関心の異なる人との業務に戸惑ってしまうのだろう。多様性を押し殺すのではなく活かすことができるよう、現場で経験を積みたいと思った私は、清宮さんにお願いして「Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13 隅田川怒涛 夏会期」のお手伝いをさせていただいた。いわば一人、居残り授業を受けたのだ。これまで組織の一員として、上下の力関係が働くタテのつながりでの業務しか経験してこなかった私にとって、多様な背景を有す人々がタテ糸、ヨコ糸としてその編目を広げていったアートウーブメントの現場は新鮮だった。
1996年から2004年にかけて、日本の各地域のアートマネジメントの活性化を目的に開催されたトヨタ・アート・マネジメント講座。アートマネジメント[art manage + ment]からアートウーブメント[art woven + ment]へ、アートマネジメントの未来を考えるべく開催されたTAMスクールは、まだ1回目を終えたばかり。TAMスクールがトヨタ・アート・マネジメント講座のようにその役目を終えるころ、アートウーブメントの編目はどのように広がっているのだろうか。