シンポジウム(1)
TAMスクールレポート
多彩な人材をタテ・ヨコに編み込みながら新しいアートマネジメントを実践する方々に登壇いただいた「第1回TAMスクール」
初日の最後は当日登壇いただいた山口佳子さん、清宮陵一さん、金森香さんの講師3名とファシリテーターの田尾圭一郎、そして参加いただいた方々全員参加によるシンポジウムを開催しました。
タテ・ヨコのアートマネジメントを実践するために、本当に大切なこととは?
それぞれの現場で認識している"タテ"とは誰か、"ヨコ"にあたるのは?
リラックスしながらも、熱量の高い議論が交わされました。
続けるために不可欠な、おカネと人間関係の話
山口佳子さんは、舞台芸術をサポートするための"ゆるやかなネットワーク"のつくりかたを。清宮陵一さんは、隅田川流域の人たちを音楽の力でつなげ、新しい地縁づくりを模索する狙いと希望を。金森香さんは、福祉×アートなどジャンルを"越境"したプロジェクトやイベントを続けるためのビジョンの共有の勘どころを──。
それぞれの現場での奮闘を語っていただいた3つの講義を終えた後は、3名の登壇者と参加者の方々が質問するかたちでシンポジウムがスタート。
自身も地域でアートマネジメントをされている参加者の方からの「資金面と人間関係。アートイベントなどを継続していくために不可欠なこの2つをどうクリアしているか、していけばいいかを知りたい」という問いが、最初のテーマになりました。
まずは"おカネ"に関して。
音楽を通した地縁づくりを実践するNPO法人トッピングイースト理事長の清宮さんは「最初はイベント当日、長男にザルを持ってもらい、投げ銭をいただくスタイルから始めました(笑)」と明かしつつ、「やはり助成金だけでは一過性になり、イベントに継続性が生まれない。自分たちで収入を得られる仕組みをあらゆるかたちで模索しながらつくっている」と教えてくれました。
清宮:地域の方々から参加費としていただけるのは5,000円が限界だと感じ、設定している。すると参加費以外の収入が不可欠。助成金、クラウドファンディング、地域の企業からの協賛など、小口でもなるべく多くの収入を得るようにしている。長く継続したければ、資金を集める努力も地道に継続していくことが必要ではないか
多彩なジャンルをミックスしたアートプロジェクトはもちろん、ファッションブランド「シアタープロダクツ」の経営も手掛けてきた金森さんは「リスクヘッジをとりながら、いかに資金の回転をやりくりするか。それはアパレル時代から頭を悩まし、そのことに時間とリソースがかかっていた」といいます。
一方で現在手がけるアートプロジェクトは、社会的な課題解決につながることがテーマとして内包されているため、現在の社会課題に対する理解を深め、事業と課題解決を結びつけるためのロジックを考え、それをていねいに伝えるための努力とインプットに時間をかけているそうです。
金森:たとえば、助成金一つ申請するにも、我々のアートプロジェクトと社会課題とのつながり、その解決法を助成金の枠組みにあわせて事業デザインし、言語化しなければならない。公のお金や、支援者の方々からの期待を受けた支援金を使わせていただく以上、何らかを社会に還元する必要があります。そのため日々、勉強を続けて、情報も更新し続けなければならず、スタッフはみな、多くの時間を費やしている。その積み重ねが企画するうえでも事業を設計するうえでも必要な筋肉を育てている、とも思います
"人間関係"に関しては、金森さんはアート関係者以外の方々と接する機会が多いだけに「思い込みで話さないことを大事にしている」とか。
金森:それぞれの方々の考え方をまずはよく聞き、尊重したうえで、自分たちが提供できるメリットをていねいに噛み砕いて伝えるようにしている。また、相手がどんなところに価値を見出すかは想像できないところもあるので、とにかく自分の中に返せる球をたくさん持っておくこと、柔軟な姿勢で、こちらがこだわりを持ち過ぎないことも大事だと思う。(プロジェクトを説明するにも、協力をお願いするにも)手持ちのソリューションが一つだと、着地しない
この意見に同意しながら、山口さんも「異なるジャンルの方々と話すときに、アート側がよかれと思って伝えた内容がうまく伝わらず、反発されることが過去何度もあった」と振り返ります。
山口:コトを急いで、中途半端なままコミュニケーションをとると断絶が生まれる。ごまかそうとするとうまくいかないことを痛い目に合いながら学習してきた。時間はかかってもていねいに一つずつ言葉を重ねている
加えて、ある参加者の方からの「アートプロジェクトのコミュニティでおこる恋愛問題やセクハラ・パワハラに対してどう対応すればいいか」といった問いに関しては素直な意見を披露しました。
山口:ハラスメントに関してはアート業界が遅れている部分は否定できない。とくに舞台などでツアーに出るときに羽目を外す参加者がいないわけではない。とにかく参加者の多くを占める若者を守っていく、と意識して目を光らせている。ただ20~30代の若い世代ほどこうした問題に意識が高い。将来的には大いに改善が期待できるのではないか
アートマネジメントにおける「タテ」とは?「ヨコ」とは?
その後は清宮さんから「タテとヨコを編むという今日の全体テーマがあるが、それぞれの方々が捉えているタテ、ヨコとは誰なのか、何なのか。あらためてそれをうかがいたい」と問題提起が。これがそのまま次のテーマとなりました。
すると参加者の方々から率直な意見が次々と出ました。
地方都市で公共ホールの館長をしている方は、「同じアートでも自分が属している演劇の世界がタテ、それ以外の美術や舞踊や音楽はヨコだと思っている」と回答が。また別の方からは「クライアントがやはりタテではないか」と回答がありました。
アートプロジェクトに関する補助金審査やアドバイスをしている、という参加者の方は自身が「タテかヨコかわからないが、(申請者との立ち位置が)上下にならないよう強く意識している」と発言。
「だから相談にきたときもそのまま解決策をアドバイスするのではなく、なるべく似た悩みを持つ方や組織を紹介して、自分たちで解決してもらうようにしている」と続けてくれました。
「タテの関係を考えるとやはり上下の力関係が生まれる。単純にクライアントだから、おカネの出どころだからタテであり、上だと捉えるのは違うのではないか」と別の角度からタテとヨコについて意見を述べてくれたのが、ダンスを手がける参加者の方でした。「ダンサーが舞台に立っているとき、音楽や照明といったダンス以外のことは他の人にゆだねるしかない。逆にダンサーがいなければ照明も音楽も機能しない。それは地域やクライアント、スポンサーにとっても、自分だけではできない仕事があるということ。適材適所で自分の力を発揮していくことが肝要なのではないか」
途中、ファシリテーターの田尾圭一郎が「タテとヨコがそれぞれ何であるのかというのは、各人で異なる。けれど、ヨコの関係とともにタテがあるから、編み込まれて一つの大きな"面"ができる。線にとどまらず、面を生みだすことが、アートマネジメントにおいては大事な仕事ではないか」と提言。続けて「個人的に抱えている」とする課題を共有しました。
田尾:一方で、このタテとヨコを編み込むことで生まれる面を大きくすることが一つのゴールならば、そのゴールとは具体的に何目指すべきなのか?
前出の公共ホール館長をつとめる参加者の方は、この問いに「税金を使って文化活動をしているため、都度その意義を問われる立場にいる。そのときに必ず『コミュニティの形成のためだ』と答える。職場や学校、家族以外のコミュニティが今はなかなか生まれづらくなっている。そのために多くの方々を引きつける魅力的なアートが必要となる。演劇だけではなく別のジャンルとタテ・ヨコを編むことで、大きな面積、すなわち大きなコミュニティの形成につながると感じている」と答えてくれました。
またシンポジウムのスタッフからも手があがって意見が。「タテとヨコの関係はどちらかというと内側の運営についての話になっているが、アートを鑑賞する方々をいかに巻き込むかがアートにまつわる大きな課題になっていると感じる。編み込んだ面積を大きくする意味でも、アートにこれまで関心がなかった方々をどう巻き込むかも大切では」と新たな問題提起もありました。
これとリンクしていたのが、地方都市でアートプロジェクトを実践している方の話でした。「地方の人口が少ない地域だとアートが敷居の高いものとして捉えられがちになる」とまず課題を提起。
「そこで最近は言葉としての『アート』は使わずに、相手の立場に寄り添った伝え方で頼る関係性を意識的に築いている。たとえばアーティストが木材の加工をしたいとき、『こういう加工を施したいので、大工の棟梁さんにプロの技術を貸してほしい』と頼り合いを通してコミュニケーションが生まれ、理解が生まれ、ハードルが低くなる。タテとヨコではなくシームレスにつながっていくことを考えている」と教えてくれました。
アパレル出身の金森さんは『実は、ヨコ糸とタテ糸が直角に交差してできるのが「織り組織」で「編み組織」とは本質的に違うものだったりする...』という。「織組織のタテ糸はそう簡単に変えられないが、ヨコ糸は変えられる特徴がある」とまず繊維的に解説したのち、こう続けました。
金森:自分にとって揺るぎない技術やプライドを持つ人がタテ糸になれる。ヨコ糸の方は即興性がいきる。ただ同時に別の場所で、そのタテ糸だった人が誰かにとってのヨコ糸であろうとすることによっておもしろいプロジェクトが生み出されるのではないか
この他にも「日本では芸術分野のコミュニティがやや閉鎖的になっている。ヨコのつながりを増やすことで『アートに関わりたい』という人をどんどん増やしていくことが大切なのではないか」「タテとヨコを編み込むときにコミュニケーション力の高いフリーな立場のコンサルタント、アートマネージャーが必要だ」と幅広な意見や提案が続出。まさにシンポジウムの場が、タテとヨコを豊かに編み込むような議論の場になっていました。
アートを高尚なものにしてはならない。
最後は「タテとヨコを編み込む"アートウーブメント"を起こすうえでこれから大切にしていきたいことがあるか、講師の方々に聞きたい」と参加者の方からトークテーマが出されました。
山口さんはこれに「おかしなことをいうようだが」と前置きしたうえで回答。
山口:おいしいごはんを食べることをいつも大切にしている。打ち上げで美味しいご飯を食べられるということは、何かがうまくいったということ。そういう意味でこの指標を大切にし続けていきたい
金森さんは「プロセスを大事にしたい」とのこと。
金森:成果、結果も大切だが、ものづくりのプロセスの中でさまざまな豊かなものが生まれてくる環境づくりが、自分に残された人生の仕事だと感じている。そこに多様な人が入り込めるようにコミュニケーションデザインをしていきたい
また「声を大切にしていきたい」と答えてくれたのは清宮さんです。
清宮:人の声の大きさやトーンから、その人の気持ちや心情が表情以上に見えることがある。そうしたコミュニケーションの意味が一つ。もう一つは社会で誰かが抱えている"小さな声"、埋もれがちな不安や意見や恐怖をひろっていきたい。そして表現することをやめないでいたいし、今日集まったようなすばらしい試みを実践している皆さんにもやめないでいただきたい
さらには翌日の登壇者であるアートトランスレーターの田村かのこさんと、アートマネージャーの野田智子さんも印象的な発言がありました。
田村:みなさんからアートを"翻訳する"との発言があり"わかりやすくする"の意味で使われているようだった。しかし翻訳は、わかりやすくすることではない。別のジャンルや異なる国の方々に、複雑なものであれば複雑なまま、いかにていねいに伝えられるかを考える仕事。
だからアート以外の世界にいる方々を『みくびらない』ことがとても大切だと考えている。その意識がないとアートをムダに高尚なものにしてしまう。不必要なタテヨコの構造をつくり、敬遠させることがあるのではないか
野田:『これはアートだよ』と作品や体験を届けるのではなく、何者かわからないものや体験に触れたあとで『これがアートなんだ』とフィジカルに感じる。そうした原体験の機会をつくることがアートマネージャーの一番大事な仕事だと感じた。
私自身、学生時代に京都の美術館で出会ったミニマルアートが原体験。ガラス玉がカーペットのように敷き詰められた緊張感ある作品と出会った。すると70歳くらいのシニアの方がそのうえを何も気にせず歩き、係員の悲鳴とともに作品が散らばったことがあった。瞬間、安堵感とともにアートとはこういうものだと実感した。誰かにとって心動かす作品だったとしても、別の誰かにとっては異なって見えて当然なんだと。そういう機会をつくることが肝要なのだとあらためて感じた
こうして時間をオーバーするほどに盛り上がったシンポジウムは終了。この2時間強が、これからのアートウーブメントの大きなうねりを生み出すための、大きなプロセスだったのではないでしょうか。
2021年7月27日
取材・文:箱田高樹(カデナクリエイト)