講義NO.3『うっかり越境してきたけれど』
TAMスクールレポート
初日最後の講義は、THEATRE for ALL ディレクターの金森香さん。
『うっかり越境してきたけれど』と題してアートプロジェクト、ファッション、演劇といったジャンルを横断した企画を実施してきた理由とそのコツを紐解いていただきました。
「越境」するつもりはなかった。
演劇、ダンス、映画などのメディア芸術作品を字幕や手話によってバリアフリーに楽しめるようにするオンライン劇場「THEATRE for ALL」。このディレクターであるとともに、その他にも多種多様なジャンルを横断するような企画を手掛けている金森香さんですが、「越境している感覚は自分にはなかった」と言います。
金森:やりたいことは昔から「建物のないところに劇場という表現の場をつくること」なんです。これは幼稚園のころから今に至るまでずっと変わっていない夢。それにつながりそうなことに手を出していたら、結果的に多領域になっていました。
金森さんは大学でアートと芸術批評をを学んだ後、出版社リトルモアで仕事を始めました。並行して「ファッションがあれば世界は劇場になる」とのコンセプトを掲げたファッションブランド「シアタープロダクツ」を同社の出資のもとで立ち上げ、約17年間経営に従事しました。その他にも舞台芸術・ファッション・建築などに関する領域横断のNPO法人「ドリフターズ・インターナショナル」を設立したり、企業の新規事業の立上げに携わったりと実に多彩です。しかし根底には「建物のないところに劇場を...」の1本の思いが貫かれていたわけです。
「手癖のようなスキルとして越境性を身につけてきた面もある」とも。
金森:初めての社会人経験を積んだ出版社リトルモアでは広報を担当しました。新刊書籍をPRするために、プレスリリースをつくるなどしましたがそれだけでは、一部の人にしか伝わらない。そこで発売にあわせたトークイベントをしたり、連動した展示会を開いたり、映画の同時公開と合わせて宣伝したり...といろんな角度からボリュームを出してPRするという手法を学びました。点でしかない情報が、面となりさらに拡散して、多くの人に届きやすくなる、いうことを知り、一つのメッセージを伝えるにはさまざまな手段を使う必要があることを、身を持って学びました。
いつのまにかうっかり越境したのは、やりたいことを実現するため、人に伝えるために、持ち合わせているスキルを存分に活用していたから。金森さんにとっての越境は目的ではなく、自然な手段であった、といえそうです。
越境でこそ生まれる価値がある。
その後は、一つひとつのプロジェクトの内容を伝えながら「越境で得られる価値」について解きほぐしてくれました。
たとえば、2011年に「シアタープロダクツ」がAR三兄弟の方々と実施した、手のひらサイズのバーチャルファッションショー。
ARを使って、PCを介してコレクションイベントがそれぞれのお客さんの手元で再生される当時画期的なファッションショーでしたが、着想のきっかけは東日本大震災だったそうです。
金森:震災で電車が止まったり計画停電があったりと、集客をしにくい社会情勢でした。予定していたファッションショーをどうしようか、もともとイベントの演出を一緒に考えていただいてたAR三兄弟の川田さんと相談し、そんな状況への対応策として思いついた。PCさえあれば、目の前にファッションショーが立ち上がり、場所を問わずに臨場感を味わってもらえれば、外出が難しくてもイベントを開催できる。
ファッションの領域を飛び出して、テクノロジーの最前線とコラボレーションする。これも課題解決のための手段でしたが、結果として表現の可能性をひろげることになったわけです。
その他にも、横浜トリエンナーレと連動した船の上でのファッションショー、また科学未来館の企画で義足を使っている人たちがモデルとなったファッションショーなどの例もあげ、「販売促進や新作発表というファッションショーの目的はありますが、それだけではなく、誰の生活にも身近な存在である服というものを通して、例えば地域の魅力、いま向き合うべき課題、などのメッセージを伝えたかった」と解説してくれました。
中でも広い範囲で領域を横断したのが栃木県の那須で実施した「スペクタクル・イン・ザ・ファーム」。ジャンルミックスの芸術祭で、地域の人たちと一緒に、音楽、演劇、ダンスなどのアートといったパフォーミング・アーツと、動物園や温泉といった那須にそもそもあったカラフルな観光資源を掛け合わせた芸術祭でした。
金森:私がやってきた仕事の中では、越境のわかりやすい例ですね。新しいコラボレーション作品も生まれたし、興味のジャンルをまたいでお客さんが作品やアーティストを知るきっかけにもなったし、フェスティバルの運営を通して地域の交流も生まれた。
越境でたくさんの領域がつながると、数々の化学反応が起きる。単色では決してだせない幅広な可能性があることを提示していただきました。
アート×福祉で超える多くのバリア。
金森さんが、いま最も力を注いでいる取り組みの一つが「THEATRE for ALL」。演劇・ダンス・映画・メディア芸術などの作品をバリアフリー/多言語翻訳で楽しめるオンライン劇場です。
これは「アート×福祉」という越境が生んだマッシュアップの場です。
もともとは新型コロナウイルスの影響で、パフォーミング・アーツは表現の場を失われました。アーティストも運営側も厳しい状況を強いられているのは周知のとおり。そこでオンライン配信ならではの可能性を感じ、まずは手弁当でも始めようと企画をスタートしたそうです。
多言語字幕・手話通訳・音声ガイドなどの情報保証をつけた映像を配信する劇場。ではありますが「いわゆる障害者の方々にとってだけでなく、アートを楽しむにはさまざまなバリアが存在している。それらに向き合い理解を深め、一つ一つ取り除いていくような活動だ」といいます。
金森:子育て中で劇場に足を運びにくいという環境上のバリアもありますよね。あとは、アート鑑賞の経験が少ないがゆえに、とっつきにくいと感じることも一つのバリアだと思います。それらを解消するために、例えば、鑑賞の視点を得てもらったり理解を助けたりするような解説動画やワークショップなどのラーニングプログラムも取り入れています。
多種多様なバリアに対し、どんな対策が求められているのか。それ自体を研究するLABというコミュニティも運営しています。ここでは、さまざまな立場の方や障害当事者、アーティスト、専門家とチームになり、鑑賞環境について考え、新しいバリアフリー表現の実験を重ねています。
金森:アート×福祉という越境を意識してデザインしているわけではありませんし、何かクリアな正解があるものではない。自分たちの専門性を活かしながら、しかしプロジェクトを進める中で我々サービス提供者は福祉を真剣に学ぶ必要が当然出てくる。そしてさまざまな当事者の方々やアーティスト・各制作者と、課題を解決する策を練って、解を探していく――。そうしたプロセスをつくっていること、こうした対話や議論の場をつくっていることにこそ意味があるのではと思い、力を入れて取り組んでいます。
別の領域にある何かが新たに結合することでイノベーションは生まれるものです。ごく自然に、そんな新結合の場をつくるのが金森さんのスタイル。アートマネジメントのみならず、多くの業種、職種の方々のヒントになったのではないでしょうか。
「理解できない」からはじまる。
最後は、TAMスクールの企画プランナーである田尾圭一郎(カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社CCCアートラボ事業本部プロジェクトプランニング事業部ユニット長)とのクロストークが実施されました。
田尾:越境したとき、異なるジャンルの方々とはある意味「言語が違う」側面があると思います。どうやってお互いの理解を深めてプロジェクトを進めているのでしょうか。
金森:そこはとても大変です。それぞれ違う言葉を使い分けないといけない面はあります。でも「遠くのゴール」を共有することはできると思うんです。プロセスは業界や領域によって異なっていても、向かうゴールが同じであれば、一緒に頑張れる。それを意識してことあるごとにビジョンを共有するようにはしています。私自身も判断に迷うときは、そこに立ち返ります。
田尾:ゴールそのものも、人や組織によって少し異なってくることもありえませんか? たとえば地域芸術祭は地域をよりよくすることがゴールだと思いますが、「よくする」の意味あいも人によって異なる。社会や日常に問題提起したいと思うアーティストと観光客が増えて町が元気になってほしいと思う地域の人たちがいたりする。こうしたズレはどうすればいいのでしょう?
金森:それはむしろプロセスの違い、なのではないか、と思うようにしています。より良い明日を作る、アートを通して社会を変えたい、みたいなゴールはもしかしたら同じ。ただゴールへの道のりを一人では歩み進められない、あるいはみんなで歩んだ方がいい、のだとしたら、他分野へのリスペクトをしつつ、相手にとって何がベストなのか、をいつも真剣に考えます。
田尾:その他に、越境するにあたり大事にしていることは?
金森:自分にとって「揺るげないこと」は何なのか。それを見つめるのも大事だと思います。揺るがないではなく、ゆるげない。意思ではなく限界点というか、どうしても離れられない部分って誰しもある。たとえば私にとっては、「身体性や劇場性に立脚する感動を伝える」や「表現者や表現活動を支えること」。これに自分の人生を使いたい、そのようにしか生きられない。そう思っています。
そして最後に「当事者性とコミュニケーション」という興味深い話に触れて、金森さんは講義を終えました。
金森:日本語表現において「当事者」とは「マイノリティの当事者」という意味を持って使われる事が多いです。しかし、本来の言葉の意味にかえると、誰しも何らかの当事者だと思うのです。自分は自分の当事者性から逃げられないし、相手もまた当事者である。互いの立場を本当には理解することはできない。その限界をわかったうえで、大胆に&謙虚に、越境したコミュニケーションをすることが大切かなと最近すごく考えています。
それはアートマネジメントのみならず、世の中全体に対する言葉にも感じました。
2021年7月12日
取材・文:日下部沙織