混乱と秩序を越えて:東京、リオ、そして東京
「コンテンポラリーの出現:日本の前衛美術 1950-1970」展(以下、「コンテンポラリーの出現」展)は、国際交流基金の主催によりリオ・デ・ジャネイロオリンピック開幕直前の7月14日からオリンピックが終了しパラリンピック開幕する前の8月28日まで、市内中心部に位置する歴史的建造物を利用した美術館、パソ・インペリアルにて開催された。パソ・インペリアルは18世紀に植民地ブラジルを治める総督の館として建築され、一時はポルトガル王族の住居ともなった由緒ある建物である。
国際交流基金は、2020年の東京オリンピックを見据え、文化プログラム3件をリオで実施したが、展覧会はそのプログラムの重要な柱のひとつであった。キュレーターにリオ出身で米国在住の研究者、コーネル大学准教授のペドロ・エルバーを起用するとともに、東京国立近代美術館の鈴木勝雄主任研究員に作品選定等に関するアドバイスをいただきつつ、私を含む国際交流基金職員が加わってブラジル・日本の混合チームが展覧会を担当することになった。日本とブラジルという2つの異なる視点に立ちつつ、複眼的に展覧会を組み立て、それによって日本の戦後美術の知識をほとんど持たないブラジルの観客にどのように日本美術への興味と関心を喚起できるか、このチームにとって、大きなチャレンジとなった。展覧会のテーマはエルバーがこれまで研究を重ねてきた戦後日本の「現代美術」である。第二次世界大戦の敗戦からようやく立ち直り、目覚しい復興を遂げようとする日本で、「現代美術(コンテンポラリー・アート)」がどのように誕生し、どのような意味を持っていたのか、その発展を検証するものだ。このような戦後の日本美術史を概観する展覧会は、ブラジルでは初となる。
展覧会は時系列的に「抽象の政治学」「アートと社会との関わり」「ことがら、概念、行為」の3つのテーマ別のセクションから成り立っている。「抽象の政治学」では、50年代の抽象表現を代表する具体グループの「熱い抽象」と、当時最新の科学技術を大胆に取り入れた実験工房を対比的に紹介した。「アートと社会との関わり」では、中村宏、池田龍夫など、当時の社会運動と密接なつながりを持つルポルタージュ絵画に加え、赤瀬川原平、高松次郎、中西夏之、さらには亀倉雄策の東京オリンピックのポスターなど、1964年のオリンピックを核としたさまざまなアートの動きを示した。ここでは60年代後半のニュース映像や学生運動等の写真、映像作品が展示され、時代を髣髴とさせる躍動感が溢れている。最後の「ことがら、概念、行為」のセクションでは、コンセプチュアル・アートを代表してヨーコ・オノ、松澤宥のほか、羽永光利の写真、および具体詩、末永蒼生の60年代後半の貴重な映像や資料、そして「もの派」を代表する菅木志雄の新作が展示された。熱い時代が収束するとともに、次第に静的で内静的な表現が中心になり、最後のセクションは松澤宥の《私の死》と《白鳥の歌》という詩的かつ暗示的な作品で静かに終わるという構成がとられた。
日本から遠く離れたブラジルで展覧会を開催するためには、作品輸送などの移動距離が長い(=コストが高い)ことや予算、インフラ面での不安、時間の制約など多くのハードルが存在する。しかしながらこのような困難な状況を逆手にとって、展覧会のテーマを絞り、限られた質の高い作品によって、よりコンパクトでかつ力強い表現を目指した。
また、日本の戦後美術紹介にとどまらず、展覧会を通じて現地のアートやアーティストと接点を持つべく、リオの人々が参加できるパフォーマンスを現地で実施することにした。1964年の東京オリンピックは日本人にとって戦後最も印象的な出来事であったが、オリンピックとアートがどのようにかかわりあったのか、リオという遠く離れた異なる場で改めて考えてみる。それによって、オリンピックという巨大イヴェントを開催するふたつの都市が、52年という時間を越えて共有できる何かがあると考えた。
パフォーマンスのひとつは、高松次郎、中西夏之、赤瀬川原平の3名のアーティストからなるグループ、ハイレッドセンター(HRC)の《首都圏清掃整理促進運動》のコンセプトに基づく新しい作品を、リオ在住の若手パフォーマンス・グループに委嘱するというものである。平田実の写真や赤瀬川の言説などでいまや有名になったこのHRCのパフォーマンスは、東京オリンピック開催中に銀座の路上で実施された。このHRCのパフォーマンスについてあらかじめキュレーターからアーティストに説明したうえで、彼らに課したパフォーマンスの条件は3つだけ。リオの路上で行うこと、周囲の人々にパフォーマンスが行われていることを知らせないこと、そして、なんからの形でオリンピックを参照するものとすることである。このパフォーマンスを実行したのは、リオ在住のパフォーマンス・グループ、セウス・プトス(Seus Putos)。彼らはこれまでもリオの政治的・文化的な文脈においてさまざまなパフォーマンスを実施してきたが、今回は、美術館に近い路上でHRCと同じく「路上を掃除する」というパフォーマンスを行った。「路上を掃除する」というHRCと同じ行動はアーティストがあえて選びとり、このパフォーマンスを撮影した写真とビデオは美術館にて展示された。セウス・プトスのメンバーが着込んだ派手でカラフルな衣装や振舞いは、HRCの禁欲的な白衣を着込んだモノクロの写真とは好対照をなしていた。
二つ目のパフォーマンスは、広い視点から「都市」や「都市空間」を考えようとするもので、磯崎新が1962年に東京で行った市民参加によるパフォーマンス《孵化過程》を参照して企画した。1964年のオリンピックを境に新幹線や高速道路が整備され東京の開発が加速したのと同様に、2015年にリオにオープンした「明日の美術館」を含む港湾地区の開発など、都市開発を巡り賛否両論の熱い議論がリオでも沸きあがっていた。都市は都市計画どおりに管理され、発展していくものではなく、人間が介入することによってアメーバーのように、不規則に思いもかけない方向に発展していく。このような磯崎の考えは、リオの地図上に自らの手で釘を打ち込み、ワイヤーを釘や壁まきつけ伸ばしていくパフォーマンスに自発的に参加したリオの市民により、参加者一人ひとりの体験に組み込まれた。
これらのパフォーマンスは展覧会に先立って実施され、参加者の間で展覧会への興味と関心を多いに掻き立てるところとなった。
加えて、パソ・インペリアルで制作し展示されたインスタレーション作品にも触れておきたい。日本からの出品作品に加えて、ブラジルの素材を使って、現地で特別に制作された新しい作品をリオの観客に提示するため、2つのインスタレーション作品を制作委嘱することとした。うち一作品は、1970年前後から活躍を始めた「もの派」の代表的なアーティストである菅木志雄に新作を委嘱した。場とものとの対話を何よりも重視して制作する菅の作品《空臨耕》は、ブラジルの木材と石とを素材にして、シンプルで素材の荒々しさの残る力強い展示となった。
もう一作品は具体の主要な作家の一人である元永定正が1956年に制作した屋外インスタレーションの《水》である。水を使った完成度の高い美しいインスタレーション《水》(1956年/2016年)パソ・インペリアルの会場では、18世紀の木造の美しい窓から差し込む光に伴って印象が変り、訪れた人々の目を喜ばせたことは特筆に価しよう。
最後に、展覧会の成果についてだが、絵画、映像、ドキュメント、資料、立体などさまざまなメディアを駆使し、1950年から70年にかけての日本の現代美術の力強さと独自性を余すところなく示し、結果的にはパソ・インペリアル美術館の事前の予想を超える3万6千人にものぼる多数の観客が展覧会を訪れた。
オリンピック期間中、スポーツ報道や政治的な出来事に多くの紙面が割かれた時期に、サンパウロの最大紙『フォルハ・デ・サン・パウロ』やリオの主要紙『イル・グローボ』などの大手新聞各紙、雑誌のほかテレビ番組でも展覧会が紹介されるなど、多くのプレスの注目を集めたという事実は、日本の歴史をほとんど知らない現地の人々が高い関心を持って展覧会に注目したことを如実に表した。これは現地メディアの力故であるとともに、パフォーマンスや新作の紹介などが観客動員への刺激となったものであろう。リオという遠隔地での開催のため、この展覧会を訪れた日本人は限定的ではあったものの、来館者からは「日本でも見ることができない貴重な展覧会だ。ぜひ日本でも開催してほしい」という声が寄せられたことを奇貨としたい。
都市には、そこに住まう人々の集合的な記憶や無意識が存在している。1964年のオリンピックの記憶を抱えて、東京は2020年、我々はどのようなオリンピックを開催し、どのような記憶を東京に残すのか? 東京とリオ、2つの都市の今後を大いに期待しつつ見守っていきたい。
写真提供:国際交流基金
(2016年11月7日)