リオ2016文化プログラムの視察報告及び東京2020への示唆
0. はじめに:リオ2016五輪文化プログラムのステークホルダー
今年(2016年)の8月半ばから約2週間、アーツカウンシル東京の依頼でリオ・デ・ジャネイロ(以下「リオ」)に滞在し、主に文化プログラムに関して第31回オリンピック競技大会(2016/リオデジャネイロ)(以下「リオ2016」)の視察と調査を行う機会に恵まれた*1。以下に文化プログラムの視察報告を整理する。
*1:現地での調査は吉本光宏氏(ニッセイ基礎研究所)と共同で実施した。なお、吉本氏のレポート「リオ2016報告 - 文化プログラムを中心に」は http://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=54039?site=nliを参照。
リオ2016の文化プログラムの主要なステークホルダーは、リオ2016組織委員会、ブラジル連邦政府、リオ州、リオ市の4者である。それぞれの文化プログラムの内容面での特徴については本稿の後段で整理するが、ステークホルダー間相互の連携はほとんど図られておらず、個別に関与していた点が全般的な特徴であった。これは、ロンドン2012の文化プログラムにおいて、組織委員会とロンドン市が人事面も含めて連携を図りつつ、同時に全国各地の実際のプログラムの現場に関してはアーツカウンシルが全面的に下支えをしていた構造とは大きく異なる。その背景としては、恒常的に文化芸術を支援する専門的組織としてのアーツカウンシルがブラジルにおいて存在していないという構造的な問題を指摘することができる。以下においては、ステークホルダーごとに、文化プログラムをどのように実施したのか(あるいは「しなかったのか」)について触れていきたい。
1. リオ2016組織委員会の取組
組織委員会は、女優であり、また映画監督、そして直近はリオ市立劇場の芸術監督であるCarla Camurati(カルラ・カムラッチ)氏を文化担当ディレクターに任命し、文化プログラムを展開する予定であった。このポストは、ロンドン2012のRuth Mackenzie(ルース・マッケンジー)氏に相当するポジションである。
そして2015年4月には、五輪開幕の500日前記念プログラムとして、リオ市内で500人によるフラッシュモブを開催した。また、同年7月時点には、都市空間(街路、広場、公園、ビーチ等)に文化を導入し、カリオカ(リオ市民)や観光客を驚かすという文化プログラムの企画を公表している*2。
*2:リオ2016Webサイト
リオ大会の文化プログラムは“Celebra(セレブラ;「祝祭」という意味)”と名づけられ、ブラジル文化の多様性をアピールするために、当初は多種多様な文化イベント等の実施が想定され、ロゴ・デザインに関しては、下図のようなものが作成された。これは、ロンドン大会における「公式の文化プログラム」および非営利の文化プログラム「インスパイア」に相当するものであり、「公式」の場合にはオリンピックまたはパラリンピックのロゴと組み合わせて使用し、非営利の「インスパイア」に相当する場合には、オリンピックの公式ロゴは組み合わせずにCelebraの部分のみで使用することが想定されていた模様である。
*3:リオ2016Webサイト
Celebraの公式な文化プログラムとしては、日本人のアーティストによる作品も含まれている。このCelebraの公式なロゴを使用した、森万里子氏による新作のアート作品“The Ring:One with Nature”は、リオ州マンガラチバ市にあるVeu da Noivaと呼ばれる滝の上に設置された*4。
*4:リオ2016“Conheça os projetos do Celebra, programa de cultura dos Jogos Rio 2016”(2016年8月17日)
しかし、上述のプログラムや五輪スタジアムで実施された開閉会式を除いて、実際には組織委員会による文化プログラムはほとんど何も実施されなかった。その理由としては、予算の欠如、人員の欠如、人材の欠如を指摘することができる。
予算の欠如に関しては、ロイターの報道によると、五輪開幕直前の時点(2016年7月)で組織委員会は「4億 - 5億レアル(1億2100万 - 1億5100万ドル)の赤字を抱えている」とのことであり、赤字の大きな要因は、「数千人の選手が滞在する五輪選手村の賃貸料や、大規模な汚職に揺れるブラジル国営石油会社ペトロブラスからの資金支援が予想より少なかったことなど」*5だとされている。また、人員の欠如に関しては、組織委員会で文化を担当していたのはわずか1名とのことであり、人材の欠如に関しては、ディレクターであったカムラッチ氏は文化プログラム実施へ向けてさまざまな関係者との調整を図っていくにあたり適任者ではなかったとのコメントを現地でのインタビューで得た。
*5:ロイター「リオ五輪組織委員会、最大1.5億ドルの資金不足=関係筋」(2016年7月12日)
こうした状況に関して、現地で文化関係者にインタビューをした際には、「悪夢(nightmare)のようだ」とのコメントが発せられたことが印象的であった。
2. ブラジル連邦政府の取組
ブラジル連邦政府は2015年5月に、「1万人のアーティストの参加によって、合計2,000件の文化プログラムをリオ市内の80カ所以上で開催する」との構想を発表した。そして、これらの文化プログラムのための予算は8,500万レアル*6が想定されていた*7。
*6:1レアル=33円で換算すると、約28億円。
*7:ブラジル連邦政府“Conheça a programação cultural dos Jogos Rio 2016”(2016年5月4日)
また、2016年7月29日付で、文化省は「561件のイベントを実施、2,000人のアーティストが参加」および「8,500万レアルの予算を確保し、そのうち5万レアルはすでに文化プログラムに支出されている」と発表していた*8。
*8:ブラジル連邦政府文化省“Diversidade cultural brasileira será apresentada no RJ”(2016年7月29日)
こうした文化プログラムを実現するため、すでにサンパウロ市において街中の公共空間を活用した文化イベントVirada Culturalのディレクターを10年に渡り務めてきたJose Mauro(ジョゼ・マウロ)氏が、その実績を買われて2016年1月に文化プログラムの芸術監督として指名された。
マウロ氏によると、リオ市の文化プログラムは港湾地区に集中していたため(後述)、その他の地区を対象として、連邦政府が所有する建物や公共空間を活用するプログラムを構想した、とのことである。そしてマウロ氏の構想では、ブラジルの各地域の文化多様性を取り入れるため、連邦全国からアーティストを招聘して、文化的なパレードや大規模なプロジェクション・マッピングを実施し、多くの人々が参加することができるように、無料で開催することが想定されていた。その他、五輪の競技のブレイクタイムに、競技場においてブラジル文化の豊かさを提示する文化プログラムも構想されていた*9。
*9:ジョゼ・マウロ(Jose Mauro)氏へのインタビュー調査(2016年8月23日)
しかし、6月にルセフ大統領が職務停止となったことによって状況は一変した。BBCの報道によると、ルセフ大統領失職後の新しい中道右派政権の最初の政策の一つは、緊縮財政の名のもとに連邦政府の文化省を廃止することであった(!)。しかし、これに反対する数百人ものアーティストがリオの文化省ビルを占拠し、中庭にテントを張り、外庭では大衆に見せるため扇動的なパフォーマンスを毎晩上演した後、大規模なデモが発生したことにより、政権は文化省の廃止を取りやめた、とのことである*10。
*10:BBC“Rio 2016: The 'secret' Cultural Olympiad”(2016年7月29日)
こうした状況の中、五輪開幕直前の7月になって連邦政府の文化プログラムは、大部分が中止されることが決定された。その理由としては、当時から現在に続く機微な政治状況をふまえ、屋外の公共空間において入場無料・一般公開の大規模な文化イベントを開催した場合、集まった市民が暴徒化して反政府デモを行う懸念が払しょくされないためである。マウロ氏によると、すでに支払いの済んでいた事業等を除いて、約8割の文化プログラムが中止になったとのことであり、マウロ氏自身も芸術監督を7月に退任することとなる。
なお、連邦政府が実施した“2割”相当の文化プログラムの中に含まれるのかどうかは不明であるが、公募プログラム「アート・モニュメント・ブラジル2016・オリンピック2016」が実施された。これは「スポーツとアートの接点」をテーマとして、281件の応募作品の中から23件を推薦、制作への資金援助を行なうというプログラムである。選ばれた企画のジャンルは、モニュメント(彫刻)制作から短編映像作品までと幅広く、年内に完成させることが義務づけられている、とのことである*11。
*11:高橋ジョー「いま、ブラジルは世界に向けてアートを発信する」(2016年8月)
3. リオ州の取組
リオデジャネイロ州は2016年6月17日に「財政が危機的状態にあるとして非常事態を宣言し、8月の五輪期間中に公共サービスを提供できるよう連邦政府に資金支援を要請した」と報道された*12。
*12:ロイター「ブラジル・リオ州が財政非常事態、連邦政府に支援要請」(2016年6月20日)
このような「非常事態宣言」下であるので、リオ州は文化プログラムについては何も実施しなかったものと推測される。実際、リオでの関係者へのインタビューにおいても全員が、リオ州は文化プログラムを実施しなかったであろうとコメントしている。また、Webで検索してもリオ州の文化プログラムに関する情報は何も確認できなかった。
以上のように、組織委員会、連邦政府、リオ州のいずれも、文化プログラムをほとんど実施していなかった。日刊紙O Globo(オ・グロボ)によると、開会式の2週間前の時点で確定していた文化プログラムは、リオ市が担当していたものだけであったとのことである*13。
*13:O Globo“Governo federal cancela atrações e programação cultural na Olimpíada segue um mistério”(2016年7月22日)
4. リオ市の取組
リオ市の取組は、①文化局の取り組み、②港湾地区の文化的再開発、の2つに大別できる。
①文化局の取り組み
リオ市文化局の取組は、a:供給サイドへのアプローチ、b:需要サイドへのアプローチ、の2つのプロジェクトによって構成されている。
図3:リオ市文化局による文化プログラムの全体構造
このうち「a:供給サイドへのアプローチ」に関しては、リオ市が文化プログラムを一般公募して、審査を通過したプログラムに資金が提供される「文化プロジェクト支援選定」(SELEÇÃO PATROCÍNIO A PROJETOS R CULTURAIS)という仕組みが展開された。文化プログラムの公募は2015年8月3日から10月18日まで実施され、応募は1,078件、そのうち審査を通過したものは153件(採択率:14.2%)で、これらのうち130件以上を対象として、1件当たり5~10万レアル、合計1,000万レアルの資金が提供された。内容としては、演劇、映画、文学など、多岐にわたっている。
図4:「文化プロジェクト支援選定」の概要
文化プログラムの類型 | 審査通過件数 | 合計予算 |
---|---|---|
公立施設で実施されるプロクラム | 26件 | 200万レアル |
私立施設で実施されるプログラム | 23件 | 200万レアル |
入場料無料(あるいは30レアル未満)で実施されるプログラム | 25件 | 200万レアル |
(団体に所属しない)一般市民によるプログラム | 68件 | 300万レアル |
障碍者向けのプログラム
※主催スタッフのうち50%以上は障碍者であることが条件
|
11件 | 100万レアル |
合計 | 153件 | 1,000万レアル |
(出所)リオ市文化局規定2015年№6*14を元に筆者作成
*14:リオ市“REGULAMENTO DO PROCESSO DE SELEÇÃO PATROCÍNIO A PROJETOS R CULTURAIS”(2015年10月)
その結果、オリンピック期間中(8月5日〜21日)に合計2,228回、パラリンピック期間中(9月7日〜18日)には合計1,306件の文化プログラムが実施された。下記はそのうちの主要なプログラムである*15。ただし、下記のうち、“Vero”のポスターがリオ市内に大きく掲示されていたが、Celebraのロゴは掲示されておらず、また、リオ2016との関連をうかがわせる記述もなかった。
*15:リオ市提供資料。
図5:リオ市の主要な文化プログラム
プログラム名 | 実施日 | 概要 |
---|---|---|
Metaesquema | 8月6日 | 東京都現代美術館で2008年に開催された「ネオ・トロピカリア:ブラジルの創造力」にも出展していたリオ市出身の著名なアーティストHelio Oiticica(エリオ・オイチシカ)氏の作品をもとに、サーカス団Anima Circが自由に解釈したパフォーマンス。このサーカス団には、スラム街(ファベーラ)で暮らす貧しい若者を対象としたソーシャル・プログラムの修了者も参加している。 |
Fest-Favera | 7月30日 〜8月7日 |
1994年設立の劇団GENE INSANNO COMPANHIA DE TEATROによって、大規模な5つのスラム街(ファベーラ)で開催された、舞踊、演劇、音楽等の総合芸術フェスティバル。 |
Vero | 8月中? | リオ五輪のオープニング・セレモニーの振付と演出も手がけた演出家Deborah Colker(デボラ・コルカー)氏が演出するダンス公演。なお、コルカー氏の演出する「Belle」は、2015年に神奈川芸術劇場で上演された。 |
コルコバートのキリスト像・神聖なる幾何学展 | 7月30日 〜10月2日 |
リオデジャネイロのニューラグジュアリーブランド「OSKLEN(オスクレン)」(東京・青山にも店舗がある)のクリエイティブ・ディレクターである Oskar Metsavaht(オスカル・メツァヴァト)氏がキュレーションする展覧会。リニューアル後のリオ市歴史博物館にて開催。 |
Black Bom Party | 8月20日 | ストリートで開催されるブラック・ミュージックの音楽パーティBlack Bomのポケットサイズ版。イベント開催を通じて黒人の社会的地位の確立が目指された。 |
Sabastiano | 〜8月28日 | リオ出身のジャーナリストで作家João do Rio(ジョアウンド・リオ)氏が執筆した短編小説にインスパイアされた演劇。リオ市内の老舗喫茶店コロンボや郊外のファンキー・パーティ等、市内の様々なところに観衆を連れていくという、移動式で上演する演劇。 |
(出所)リオ市提供資料を元に筆者作成
また、「b:需要サイドへのアプローチ」に関しては、文化へのアクセスを増加させることを目的として、「リオ文化パスポート(PASSAPORTE CULTURAL RIO)」が導入・実施された。
この「リオ文化パスポート」はWebを通じて、ブラジル国民には無料で、外国人は15レアルを支払えば交付される。そして所有者は、リオ市立の文化施設および同制度に参加する民間文化施設での展覧会や公演等は、すべて無料または半額以下の安価な料金で鑑賞することができる。なお、入場者が「リオ文化パスポート」を利用した場合、文化施設は入場料を徴収できないこととなるが、これに対してリオ市は財政面での補てんは行っていないとのことである。「リオ文化パスポート」が活用されることで、各文化施設の入場者数は増加することとなり、入場者の増加に伴う関連消費(たとえばパンフレットの購入や飲食等)も増加するほか、中長期的にはリピーターも増加すると期待されるためである。この「リオ文化パスポート」の発行枚数は約20万冊に達している。ブラジルには、首都であるブラジリアがある連邦直轄区も含めて合計27の州があるが、そのすべての州の住民が「リオ文化パスポート」を申請・取得しているとのことである。ちなみに、本施策を提案した文化局長は元外交官とのことであり、「パスポート」という名称も含めて外交官らしい施策であると言える*16。
*16:リオ市文化局長ジュニア・ぺリン(Junior Perim)氏へのインタビュー(2016年8月22日)
ただし、「リオ文化パスポート」はリオ2016の開幕直前に発行中止となっている。「リオ文化パスポート」の公式Webサイトを見ると、「地方選挙裁判所の判断により、『リオ文化パスポート』プログラムは中止となりました」と掲示されている。ブラジルの日刊紙オ・グロボ(O Globo)によれば、リオ州の選挙活動監視担当裁判官は、8月10日に「リオ文化パスポート」の発行中止を命令したとのことである。リオ州の法律(9504/97)は、首長選挙の当該年に行政機関が選挙民に対してサービスまたは商品を無料で提供することを、事前に法的に許可され、かつ前年度より実施していない限り禁止しているためである。すでに配布されたパスポートの回収についても連邦政府公共省は要求していたが、これについて裁判所が却下した、とのことである。*17
*17:O Globo “Juiz eleitoral suspende programa cultural da Prefeitura do Rio”(2016年8月10日)
なお、文化プログラムの期間となるこの4年間で、リオ市の文化局長のポストは毎年交代しており、持続的な政策やプログラムが実施できる状況になかった。現職の文化局長は2016年5月、すなわち五輪開催の直前に政治任用で着任したばかりである。
②港湾地区の文化的再開発
リオの港湾地区はリオ発祥の地でありながら、従前は廃墟のような倉庫が立ち並び、ホームレスが吹き溜まり、また麻薬取引が蔓延るという、寂れてとても危険な地区であった。同地区を対象として、五輪を契機とする再開発により、文化的なエリアとして再生する再開発プロジェクトの名称が“Porto Maravilha(「奇跡の港」という意味)”である。
“Porto Maravilha”の開発面積は約500万平方メートル、地区内に「リオ美術館」「明日の博物館」等の文化施設を整備するとともに、同地区に4本のトンネルを建設して市中心部からのアクセスを改善するという事業であり、総投資額は約82億レアルに達する*18。
*18:ブラジル連邦政府“Plano de Políticas Públicas”(2015年4月)
再開発の事業手法としては、地域内の追加開発権(Certificados de Potencial Adicional Construtivo)を民間企業に売却し、その資金を公共インフラの整備や、歴史・文化遺産の保存に充てるというPPP方式が採用されており、リオ市が設立した港湾地区都市開発会社(Companhia de Dsenvolvimento Urbano da Região do Porto do Rio de Janeiro)が全体を統括している*19。
*19:山田孝嗣「背後地区の再開発が期待されるリオデジャネイロ港」(2014年4月)
同地区に整備された文化的な要素は、「リオ美術館」「明日の博物館」「世界最大のグラフィティ」「リオ2016の聖火台」「ライブサイト」、そして「ホスピタリティ・ハウス(後述)」である。以下、その概要を整理したい。
「リオ美術館」(Museu de Arte do Rio)は、「ジョアン6世小宮殿(Palacete Dom João VI)」と隣接する元バスターミナルの近代建築を接続して美術館に再生するという再開発プロジェクトで、2013年3月に竣工した。ちなみに、ジョアン6世(1767年〜1826年)とはポルトガルの摂政であり、ナポレオンの侵攻から逃れるため、1816年に彼の母である女王マリア1世が亡くなるとリオデジャネイロでポルトガル王として即位した人物である。すなわちリオ2016は、この歴史的な即位からちょうど200年という節目の年に開催されたことになる。
「明日の博物館」(Museu do Amanhã)は、2004年アテネオリンピックのメイン会場も設計したスペイン出身の建築家Santiago Calatrava Valls(サンティアゴ・カラトラーバ)氏が設計した、持続可能性をテーマとする科学博物館である。また、同博物館の壁面においては、組織委員会が美術関係者から推薦のあったアーティストに制作を依頼した大会公式ポスター13枚が五輪大会前に展示されていた*20。
*20:毎日新聞「リオっ子のレガシー/4 アートも多様」(2016年7月25日)
この港湾地区での五輪の文化プログラムは、ギネスブックにも掲載されている。グラフィティ・アーティストのEduardo Kobra(エドゥアルド・コブラ)氏が、五輪のロゴからインスピレーションを受けて、世界五大陸の先住民の顔を描いた、幅170m・高さ15mの巨大なグラフィティ「Ethnicities Mural」が、世界最大の壁画としてギネスブックに掲載されることとなったのである。五つの顔は各々、パプア・ニューギニア(オセアニア)のフリ族と、エチオピア(アフリカ)のムルシ族、タイ(アジア)のカレン族、欧州のスピ族、米州大陸のタパジョー族を表している、とのことである。なお、この作品の制作には2,800本のスプレー缶のほか、アクリル・ペンキ180缶と昇降機7台が使用されたという*21。
*21:ニッケイ新聞「コブラ氏の壁画ギネスに=五大陸の先住民の顔描く=五輪で生まれた文化作品」(2016年8月25日)
また、この巨大なグラフィティの隣には、フランス出身のアーティスト、JR氏によるインスタレーション“Inside Out”が設置されている。この作品は、さまざまな人々の顔写真を大きく引き伸ばしてビルの壁に貼るというものであり、JR氏がフランスや日本など世界各国で実践してきた手法である。
リオ2016の聖火台は、アメリカ出身のアーティストAnthony Howe(アンソニー・ハウ)氏によるキネティック・アートである。リオ2016では、スタジアム内だけでは一般の人が聖火を目にすることができないということで、二つ目の小ぶりの聖火が港湾地区に設置された。実際に、港湾地区の聖火台はリオ市民や観光客に大変な人気を博しており、絶好の撮影スポットとなっていた。
その他、港湾地区においては、リオ2016開催中に3つのライブサイトが開設されていた。これらのライブサイトでは、各種競技のライブ映像のほか、競技の合間には音楽やダンスのライブ演奏が行われており、リオ2016の期間中に合計80件以上のライブが無料で開催された模様である。
5. リオ2016五輪文化プログラムの特徴と東京2020への示唆
上述した通り、リオ2016においてはほとんど文化プログラムが実施されなかった。もちろん、リオ2016において文化プログラムがほとんど実施されなかったからと言って、東京2020がそのような水準を継承することは適切ではない。当然のことではあるが、新興国における最初の五輪大会と、成熟した国で二度目(三度目)に開催される五輪大会とでは、おのずから意味が異なってくるからである。
フランスの文化人類学者Claude Lévi-Strauss(クロード・レヴィ=ストロース)は、1930年代のブラジルの少数民族を訪ねた旅の記録をまとめた名紀行文『悲しき熱帯(Tristes tropiques)』(1955&1993)において、ブラジルのことを「対蹠地」と呼んだ。「対蹠地」とは俗にいう「地球の裏側」のことであり、ブラジルは「われわれの国のものとは根本的に異なっているべき」であり、「われわれの国の正反対の物」(レヴィ=ストロース1955&1993:63)であると語った。まさにリオ2016は、東京2020にとっての「対蹠地」であったと考えられる。
そこで、以下においては、リオ2016の文化的な特徴をあらためて整理するとともに、東京2020への示唆を提案したい。リオ2016の整理にあたっては、ブラジル文化の特徴を表現する3つのキーワード、すなわち“GAMBIARRA”“ANTROPOFAGIA”“JOGO DE CINTURA”に基づいて検討する*22。
*22:この3つのキーワードは、アーティストのジュン・ナカオ氏からの示唆による。ジュン・ナカオ氏は、リオ2016開催時に現地で実施されていたCULTURE & TOKYO in RIO 「TURN」に参加した4人のアーティストの一人。
①GAMBIARRAと東京2020への示唆
GAMBIARRA(ガンビアーハ)とは、「あり合わせの策」とか「その場でなんとかする」とか「もともと有るものでクリエイティブに対処する」といった意味である。
上述の通り、リオ2016の文化プログラムは公式にはほとんど実施されなかったわけであるが、関係者へのインタビューにおいては、「特別なイベントはたしかに少ないかもしれないけれど、リオは街中にグラフィティが描かれており、街全部が美術館のようなものさ」と嘯いて、意に介している様子は一向に見られなかった。まさに、GAMBIARRAの精神の賜物である。
実際、リオの街中には無数のグラフィティがあふれている。そして、リオ市では「グラフィティ・リオ」と呼ばれる市条例が2014年2月に施行されており、また、グラフィティの第一人者であったAlex Valluri(アレックス・バラウリ)氏の命日(1987年3月27日)にちなんで3月27日は「グラフィティの日」に制定されているとのことである*23。
*23:ニッケイ新聞「『グラフィティは芸術だ』=リオ市長が公式に認める」(2014年2月28日)
もっとも、だからといって筆者は東京の街中でグラフィティを描くことを提案しようというわけではない。リオのグラフィティを参考事例としつつ、既存の文化施設だけではなく、街中の「けったいな場所」での文化プログラムを推進することを提案したいのである。
ロンドン2012の文化プログラムにおいては、一風変わった“けったいな”場所でのアート・プロジェクト(Art in Unusual Places)が多数実施された。その中でも、通常ではありえない場所の筆頭格として、世界遺産ストーンヘンジでのプロジェクト“The Fire Garden”をあげることができる*24。
*24:本稿におけるロンドン2012の事例は、太下義之「『オリンピック文化プログラム』の日本における展望-文化プログラムの場としてのオープンスペース-」(2015).ランドスケープ研究VOL.79.№3.より
ストーンヘンジとは、英国南部のソールズベリー地方に位置する、環状に並んだ巨石(ストーンサークル)であり、考古学者たちはこの直立巨石が紀元前5000年頃から1600年にわたって建てられたと推測している。また、ストーンヘンジは、世界で最も有名な先史時代の遺跡の一つであり、1986年にユネスコの世界遺産にも登録されている。
ストーンヘンジが構築された目的は明らかになっていないが、古代イギリス人が住んでいた最古の場所という研究成果も出されており、また、先史時代において天文台や暦として使われていたと主張する研究者もいる。
このストーンヘンジを舞台として、500以上の発煙筒と40のたいまつとカンテラに点火したイベントが、壮大なスケールのスペクタクル演出を得意とするフランスのアート集団Campagnie Carabosseによって制作された。このイベントは2012年7月10日の夜9時から12日の晩まで開催された。
オリンピックは、多くの人にとって「一生に一度」の体験となる特別なイベントである。オリンピックのような特別な機会であったからこそ、世界遺産を舞台とした本当の火を使うパフォーマンスが企画・提案された際に、「けったいな」と一蹴されずに実現にこぎつけることができたのであろう。
なお、遺産に関連して“Discovering Places”という文化プログラムも実施された。これは、英国中を対象として、隠れた歴史遺産や誰かに伝えたい話にまつわる場所などを紹介し、英国の素晴らしさを再認識してもらおうというプロジェクトで、25万を超える人々が参加した。
その他、“Peace Camp”は、英国の演出家デボラ・ワーナーによるプロジェクトで、北アイルランドの人里離れた砂浜などのオープンスペースで、柔らかな光をたたえた直径3mのテントが複数設営され、その中では著名な俳優たちによる、愛や平和に関する詩の朗読が聞こえてくる、というものであった。
“Piccadilly Circus Circus”は、ロンドンでもひときわ人が集まる場所として有名なピカデリー・サーカスにおいて、一晩限りのサーカスを行うという、駄洒落のような名称のプロジェクトである。
17か国から、240人を超えるサーカス・アーティスト(空中曲芸師、ワイヤーブランコの曲芸師、フラフープの芸人、ジャグラー、竹馬の軽業師、BMXのストリート・ダンサー、綱渡り芸人、中国の棒術師、コンテンポラリーな道化、ミュージシャン、ボイス・パーカッション(beatboxer)等を含む)が出演した。
なお、このプロジェクトは会場となるピカデリー・サーカス周辺の道路を封鎖して実施されたが、これは第二次世界大戦のヨーロッパ戦勝記念日(1945年5月8日)での封鎖以来、初めてのことであった。そして、来場者が混雑しすぎるという懸念があったため、事前に開催予告がなされなかった。
また、“One Extraordinary Day(特別な一日)”という文化プログラムでは、ロンドンのランドマーク、たとえば、ノーマン・フォスター設計のロンドン市庁舎、同じくフォスター設計による吊り橋のミレニアム・ブリッジ、1999年の開業当時は世界最大の観覧車であったロンドンアイなどを舞台として、ニューヨークのダンス・グループStreb Extreme Actionの全身タイツをまとったダンサーたちが、それぞれ1回限りのパフォーマンスを行った。
“Piccadilly Circus Circus”も“One Extraordinary Day”も、どちらもロンドン市民からみると、いつも通りの場所に突然にパフォーマーたちが現れるというポップ・アップ型のイベントであった。
以上のように、オリンピックの文化プログラムにおいて、オープンスペースや公共空間で文化プログラムを実施した背景には、ふだんは文化芸術に親しみがない人々に対して、文化芸術に触れる機会を提供し、将来の観客を開拓するという目的があった。
こうした取り組みの成果として、オリンピック後の2012年9月に実施された国勢調査では、「オリンピック/パラリンピック」をきっかけに、今後文化活動に参加する人々の数は増えるだろう」と35%が回答している*25。
*25:Beatriz Garcia “London2012 Cultural Olympiad Evalution Executive Summary”P16.2013.
ロンドン2012やリオ2016の事例を勘案すると、東京2020の文化プログラムに関しては、既存の文化施設においてはもちろんのこと、さまざまな“けったいな”場所も活用すべきであろう。
たとえば、神社や社寺は、元来は日本における思想、文化、学術、政治の中心拠点であり、日本の歴史と文化を象徴する環境を今日においても継承している公共的空間である。日本全国の社寺の数は、文部科学省の「宗教統計調査」(平成26年12月31日現在)によると、神社は81,342社、寺院は77,254箇寺となっている*26。このように全国津々浦々に数多く立地している文化的空間を東京2020において活用しない手はない。
*26:文部科学省の「宗教統計調査」(平成27年度)
また、大学キャンパスも文化プログラムの舞台として大きなポテンシャルを秘めている。かつて、巨大な人形が街中を練り歩くというパフォーマンスが特徴の、フランス・ナント市を拠点とするパフォーマンス集団「Royal de Luxe(ロワイヤル・ド・リュクス)」を日本に招聘しようと企画した際に、日本の街中に張り巡らされた電線と信号、歩道橋等が邪魔となって実現しなかったという裏話を聞いたことがある。
一方で、大学のキャンパスについては、構内の敷地が単一の大学法人の所有となっていることから、権利処理や手続きが比較的容易であると推測され、電線の地下埋設が一般的となっている。こうしたことから、「ロワイヤル・ド・リュクス」のように、一般道では電線に引っかかってしまうため実施不可能な、巨大な人形のパフォーマンス等も大学キャンパス構内であれば実施可能であると考えられる。
その他にも、たとえば、池袋や新宿のように複数のプラットフォームが並ぶターミナル駅において、終電後のプラットフォームの間に人が乗って歩き回ることのできる強化ガラスを渡すことができれば、駅全体が巨大な劇場空間に変貌することになる。
以上のようにわれわれ日本人が日常的に見慣れた空間であっても、文化プログラムという視点で見ると、そこを非日常の空間に変貌させることができるかもしれない。このように日常的に存在するものをクリエイティブに活用するというGAMBIARRAの精神は、東京2020においても大いに参考にすべきであろう。
なお、ロンドン2012においては、クリエイティブなアイデアを持つ若者がそれを実現するために必要なスペースを見つける仕組みとして“Somewhereto_”が導入された。これは、自分のニーズに合ったスペースを若者たちがインターネットを通じて探し出すことができるだけでなく、そのスペースは基本的に無料で利用できる仕組みであった。東京2020においても、こうした仕組みの導入により、“けったい”な場所がクリエイティブに活用されることが期待される。
②ANTROPOFAGIAと東京2020への示唆
ANTROPOFAGIA(アントロポファギア)とは、「人肉食いの習慣」のことである。
ブラジル憲法では、「CHAPTER I 個人及び集団の権利と義務」のArticle 5、XLIIにて、「人種差別は、保釈および時効はない」*27と規定されている。このように人種差別を厳しく処罰するという稀有な憲法を擁するブラジルでは、実際に人種や肌の色による差別は他の国と比較して少ないように見受けられる。むしろ、世界のさまざまな民族や文化を積極的に取り入れて、自らの文化へとつくり上げていくコスモポリタンな雰囲気をブラジルという国には感じることができる。
こうした感想を裏付けるかのように、ブラジルの詩人オズワルド・デ・アンドラーデの「アントロポファギア宣言」(1928)では、ブラジルのアイデンティティの形成における他の諸文化の吸収・混合のプロセスとして「アントロポファギア」があったと宣言したとのことである。すなわち、「近代主義のプロセスで、ブラジルのアイデンティティの輪郭を捉えようとする芸術家や作家たちが、形成期文化(アフリカ、原住民インディオ、及びポルトガルの文化)の中に、自らの価値を構築するために、『他』の価値を摂取するという習慣──『人肉食い』の習慣──を育んだ文化があった」と結論づけたということである*28。
*28:国際交流基金「サンパウロ・ビエンナーレ 24回 4.各部門の概要」
リオ2016の文化プログラムにおいても、ANTROPOFAGIAすなわち、他の国の文化の摂取がみられたが、その代表的な事例が「ホスピタリティ・ハウス」であろう。
この「ホスピタリティ・ハウス」とは、各国政府が五輪大会の開催都市において市内の文化センターやスポーツクラブ、または歴史的建造物等を借り上げて、自国の文化体験の機会を市民や観光客に提供するというものである。最近の五輪大会においては恒例となっている仕組みであり、リオ2016においては30か国以上が「ホスピタリティ・ハウス」を開設した。いくつかの国の「ホスピタリティ・ハウス」は、エントリーを選手のみに限定したり、ゲストのみを招待していたが、大半のものは一般に公開された*29。
*29:RIO2016“Rio gets ready to party as hospitality houses revealed for Olympic and Paralympic Games”(2016年5月27日)
ホスト国ブラジルの「カーサ・ブラジル」は、最大のホスピタリティ・ハウスの一つであった。港湾地区の2つの元倉庫を改装した「カーサ・ブラジル」の中では、ブラジルの食文化(コーヒー、チョコレート、カシャーサ、ワイン等)を味わうことができたほか、ブラジルの工芸の展示が行われていた。
「ブリティッシュ・ハウス」は、元・美術学校の校舎という歴史的建造物を活用し、コルコバードのキリスト像を見上げることができるという好立地において、事前に登録した者だけを招待するエクスクルーシブなイベントを開催していた。
「スイス・ハウス」は、ボートとカヌーの競技会場となったロドリゴ・デ・フレイタス湖の湖岸に開設された。野球のグラウンドを使用した敷地からは美しい山並みと湖を見渡すことができ、観光地スイスのイメージに合った適地であった。敷地内では、特殊プラスチック製のアイス・スケートリンクや陸上競技の体験ブースなどが設置されており、子どもも大人も楽しめるように工夫されていた。
「カーサ・アフリカ」はアフリカの54か国による共同出展であった。この展示はショッピング・センターの一角を借り上げて開催されており、飛行機のかたちをしたミニシアターの中ではアフリカ観光の映像が上映されていた。
「東京2020ジャパンハウス」は、バッハ地区に立地する複合文化施設Cidade das Artes内に開設された。1階では東京2020や開催都市東京および日本の魅力を紹介する展示コーナーがあり、2階では「茶道」「浴衣」「書道」、日本の祭りで親しまれる「ヨーヨー」など、日本文化が体験できるエリアが設置されていた。さらに、1階のステージでは多くのイベントが行われ、一般の人も楽しめるコンテンツが提供されていた。
さて、このようなリオ2016の展開から、いったいどのような示唆を得ることができるであろうか。筆者は、2020年へ向けた文化政策として“Design for Future”*30を2014年に発表しているが、その中の一つの施策として「世界のアーツ・ファウンデーションとの協働によるヘッド・クォーターの整備」を提言している。その具体的な内容は、以下の通りである。「世界各国の文化財団(public/private)のアジア・ヘッドクォーターを日本に誘致する。そのため、日本政府または地方自治体が当該施設の土地(底地)を長期間にわり無償で提供するほか、施設整備のため国際設計コンペの経費および建設費の一部を助成する。それぞれのヘッド・クォーターは、各国アーティストの作品が展示されるオープン・スペースを整備するものとする。こうした施策により、世界のアーティスト、文化の専門人材、さらには資金を日本呼び込むことにつながる」。
*30:太下義之「Design for Future. From 2020 to 22th. 2020 年および 2020 年以降を見据えた文化振興方策」(2014年7月)
この提案にANTROPOFAGIAを掛け合わせてみると、世界各国の文化財団(public/private)と日本の企業メセナがコラボレーションを展開するというアイデアも考えられる。たとえば、「カルティエ現代美術財団×資生堂」のコラボレーションによる「カサ・フランス」が、谷中の町家をコンバージョンして整備されたとしたら、文化プログラムとしてとても興味深い展開となるのではないだろうか。2020年へ向けて、こうした文化の化学変化が東京の各所で起こることを期待したい。
③JOGO DE CINTURAと東京2020への示唆
JOGO DE CINTURA(ジョゴ・デ・シントゥーラ)とは、直訳すると「腰でプレイする」という意味であり、サッカーにおいて腰の動きが柔らかいプレイを評価するときに使われているようである。日本語で言えば、杓子定規に物事を進めるのではなく、臨機応変に対処するという意味であろう。
たとえば、前述した「リオ文化パスポート」に関しては、リオ市としては当初、「オリンピック文化パスポート」という名称にしようと想定していたが、IOCからは「オリンピック」の名称の使用許諾が得られなかったとのことである。一方で、裏表紙や見返し等、計4カ所に五輪の公式ロゴが掲載されているほか、表紙は五輪をイメージさせる五色の線によってデザインされている。前述した通り、この「リオ文化パスポート」には、制度に賛同する民間文化施設も多数掲載されているのであるが、それでも五輪の公式ロゴを掲載することが可能となっていた。これはまさにJOGO DE CINTURAであり、この事例は東京2020に対しても大きな示唆を与えると筆者は考える。
さて、2016年8月には、「東京2020参画プログラム」のガイドライン等が公表された。この「東京2020参画プログラム」とは、「さまざまな組織・団体がオリンピック・パラリンピックとつながりを持ちながら大会へ向けた参画・機運醸成・レガシー創出に向けたアクションが実施できる仕組み(組織・団体のアクションへの認証・マーク付与)」である。より具体的に説明すると、「文化」はもちろんのこと、その他「スポーツ・健康」等も含めて計8つの分野が設定されており、さらに全体は「東京2020公認プログラム」と「東京2020応援プログラム」に大別される。
「東京2020公認プログラム」(以下「公認」)とは、文字通り「公認事業」として位置づけられるものであり、五輪およびパラリンピックのロゴが入った「公認マーク」が付与される。ただし、実施主体は限定され、政府(各省庁)、開催都市(東京都、区市町村)、スポンサー、JOC、JPC、会場関連自治体(道県、市町)、大会放送権者のみとなっている。
もう一つの「東京2020応援プログラム」(以下「応援」)とは、「公認事業」ではないものの、「アクションの裾野を広げ、多くの人々が参画できることを目指す」ために、非営利団体等が実施するプログラムである。これは、ロンドン大会における“inspire”に相当するものである。
ロンドン大会においては、“inspire”すなわち非営利のプログラムが大きな役割を果たした(太下2015)*31。ロンドン大会の“Inspire”のロゴは、「ロンドン・オリンピック/パラリンピックのロゴから五輪マークを外したものを採用したため、過去の大会よりも多岐にわたる文化組織の参加促進や認知向上につながった」とのことである。そして、「文化プログラムに関する独自のロゴが、五輪大会のメインのロゴとは別に導入・実施されたのは、2012年のロンドン大会が初めてのことであった。この文化プログラムのロゴ(Inspireおよびロンドン2012フェスティバルのロゴ)は、大会のメインのロゴから五輪のマークを消去したものであり、五輪のマークは使用しないが、一つのロゴであるという戦略は、オフィシャルパートナーの利害と対立することなく、さまざまな組織がロンドン・オリンピック/パラリンピックとの関連性を表明することができた」と評価されている。2020東京においても、「公認」と「応援」については共通するロゴを使用しつつ、「応援」からは五輪のロゴを外す、という方法が採択された。
*31:太下義之「オリンピック文化プログラムに関する研究および『地域版アーツカウンシル』の提言」(2015)
ただし、非営利のプログラムである「東京2020応援プログラム」を申請できる団体に関しては、現在のところ文化関連では、日本芸術文化振興会、国際交流基金、東京都歴史文化財団、日本芸能実演家団体協議会、等に限定されている。今後は「順次拡大する予定」とのことあるが、このような限定的な展開では、「アクションの裾野を広げ、多くの人々が参画できることを目指す」という目的の達成は、長い道のりとなりそうである。
筆者は、このような「限定列挙方式」ではなく、非営利団体であればどの団体でも基本的に申請ができるという「原則適用方式」に転換すべきだと考えている。その場合、“非営利”という点に疑義があるとのことであれば、この“非営利”という点に関して、専門的人材を擁する機関、たとえば公益社団法人企業メセナ協議会によって合否を判定すれば良いと考える。
ロンドン大会においては、この“Inspire”にさまざまな団体・組織が参画し、結果として合計で11万7千件以上(公称は17万7千件)もの文化プログラムが実施された。しかし、現在の日本の展開は上述したように限定的なものであり、「東京2020公認プログラム」と「東京2020応援プログラム」を合計しても、文化庁の目標である「20万件」には到達しない懸念がある。このような状況に対して内閣府においては、上述した「公認」や「応援」とまったく別のマークを付与するという手法が検討されているようである。しかし、オリンピックを連想させないマークに対して、人びとはどれほどの価値を見出すのであろうか。
こうした背景のもと、筆者はまったく別のソリューションもあるのではないかと考えている。それは、オリンピック「公認」(または「応援」)として実施されるプログラムに関して、一つのプログラムとしての性質のほかに、「プラットフォーム」としての性質を付与すれば良いのではないかと考えている。そして、「プラットフォーム」のもとに、さまざまなその他の「非・公認」プログラムが参画するような仕組みがあればよいのではないかと考えている。多くの非営利プログラムにとっては、いずれにしても五輪のマークやオリンピックを連想させるロゴの使用はできないのであるから、そうであれば、著名なアーティスト等が先導するプロジェクトを公認または応援プログラムとして設定したうえで、それらの「東京2020参画プログラム」をベースとするプラットフォームがその他のプログラムに対して延伸していき、そのプラットフォームにさまざまなプログラムが参画するようにした方が良いのではないか、というアイデアである。
図18:東京2020参画プログラムから「プラットフォーム」が延伸
この「プラットフォーム」のために参考となるプロジェクトが、リオ2016において実施された。それは、アーティストの日比野克彦氏による監修の下で実施された「TURN」という名称のアートプログラムである。この「TURN」には、日比野氏以外に4名のアーティストが参加し、それぞれがサンパウロの福祉施設等での交流を通じて生み出した作品を展示していた。すなわち、「TURN」は、日比野氏によるアートプログラムであると同時に、4人のアーティストにとっては「プラットフォーム」としても機能するという二つの顔を持っていたことになる。
文化プログラムの数量が大事だというわけではないが、政府として「20万件」という目標を掲げてしまっているので、その目標については達成することを前提に考えてみたい。参考までに試算してみると、この「TURN」のようなプラットフォームを100事業ほど創出して、それぞれに100のプログラムが参画すれば、それで合計1万事業となる。一つの事業は複数の「プログラム」を包含しているので、これでプログラム数としては10万件程度になるのではないか。
なお、リオ2016においては、上述した通り、文化プログラムに関するステークホルダー間の連携がとられていなかった。一方、東京2020に関しては、文化プログラムに関する情報を一元的に集約する仕組みが必要であると考えられる。ただし、日本には英国のアーツカウンシルのような全国的規模の専門組織は存在しておらず、このような組織を新たに成立することも現実的ではない。こうしたことを勘案すると、東京2020においては、一極集中型の管理ではなく、むしろ分散型を志向して、全国にさまざまなアートの「プラットフォーム」を構築していき、それらをゆるやかにネットワーク化していくことが、日本の実態には合っているのではないか。
本項執筆時点で、京都と東京で国際会議「スポーツ・文化・ワールド・フォーラム」が開催されており、同会議が文化プログラムのキックオフの機会となる見込みである。ただし、具体的に東京またはその他の地域でどのような展開が行われるのかについては、今後の検討事項となる。
今後の検討においては、文化プログラムは単なるイベントではない、という点に留意が必要であろう。IOCは「レガシー」、すなわち後世に継承される遺産という概念、を重視している。1964年の東京オリンピックでは、亀倉雄策による大会ポスターを通じて日本のデザイン力が国際的に評価され、デザイナーという職業が日本社会に定着する契機となった。2020年へ向け、どのようなレガシーを想定して文化プログラムに取り組むのか、今、日本の知恵が問われているのである。
(2016年10月18日)