ロンドン2012文化プログラムの再考、東京2020の可能性
ストップギャップ ダンスカンパニーは、障がいのある、なしに関係なく、参加したアーティストが一丸となって作品を創造し、国内外で公演を行う芸術集団です。ストップギャップの作品制作プロセスとは、障がい者と非障がい者の間に介在する「違い」を活かすこと。それでも参加アーティストたちの「インクルーシブなアプローチ」により、彼ら自身より幅広い多様性を受け入れることができました。このアプローチはカンパニーの作品にも大きな影響を与えています。たとえば3月の日本ツアーにおいて、世田谷パブリックシアターで上演された『エノーマスルーム』の主題は「悲しみ」でした。非常に難しく、センシティブなテーマといえますが、障がいの有無、文化や社会経済的な背景、そして年齢など、多様性に富むクリエイティブなキャストを揃えることで、人は死をどう捉え、どう対処するのかという問題について、さまざまな観点からより包括的に探ることができました。その結果、この作品には深遠なセンシティビティが加わったと同時に、キャストたち自身も、この難しいテーマに多少の公正さを付け加えることができたことで自信を深めました。この作品制作プロセスは、ストップギャップのあり方を一変させました。私たちが人間の日常生活で直面する、普遍的かつ困難な問題を掘り下げる作品をつくろうと決意を新たにすることで、カンパニーの作品も確実に、それまで以上に幅広い人々の共感を得られるようになったのです。
ストップギャップの芸術作品は、観客に2つのインパクトを与えるようになったと考えています。何よりもまず極めて芸術的な体験です。しかし、多様な個性が集まったキャストのパフォーマンスをお届けすることによって、真の多様性とは何なのか、統合された社会の姿とはどのようなものかを考えるきっかけになればと考えています。愛する人の死といったテーマに取り組むことは、年齢や経済的事情、人種の違いや障がいの有無に関係なく、私たちすべての心に影響を及ぼします。明らかな違いを認めつつ、それを乗り越えて私たちを一つにするものがある。ストップギャップの作品では、それをお見せしたいと考えています。そしてそれこそ、芸術的かつ社会的な大志を、一般の多くの人々に伝える方法なのです。
ストップギャップの魅力が、ダンス界全体に伝わり始めていることを示す根拠もあります。世田谷パブリックシアターのような会場での公演だけでなく、ヨーロッパ各地の著名な劇場や芸術祭で披露された『エノーマスルーム』は、私たちにとって今までで最も成功を収めた作品となりました。とはいえ、このステージへたどり着くまでにかかった時間は20年以上。その歴史において2012年オリンピック/パラリンピックのロンドン開催が2005年に決まったことで大きな転換点となり、ストップギャップは飛躍的な進化を遂げることになります。ひときわ重要な役割を果たしたのが、オリンピックのレガシープログラムです。2012年ロンドン大会の遺産継承に向けた出資者と業界全体の尽力により、ストップギャップのようなカンパニーは組織として十分成熟し、しかるべきインパクトを残せるようになったのです。
ロンドン五輪招致委員会は、2012年のオリンピック開催を活用し、全国規模で持続的な変革を奨励していくことを約束しました。この変革への強力な取り組みは、ダイバーシティ(多様性)とインクルージョン(社会的包摂)を促進することに重点が置かれました。そしてパラリンピック開催(と英国がパラリンピックムーブメントの発祥地であるという事実)は、障がいとアクセシビリティに関する問題が重要な焦点の一つになったことを意味していました。招致委員会は「ダイバーシティとインクルージョン」を全国規模で奨励するため、英国各地のコミュニティで行われた記念スポーツ大会や文化イベントの企画、開催を資金面で補助。この強力な取り組みの一環として、全国の障がい者アート/インクルーシブアート集団による質の高い芸術作品を世に送り出すという課題がありました。しかし2000年代半ばの時点で、これらの芸術集団で評価が確立されていた団体は多くありませんでした。キャンドゥーコー・ダンスやグレイアイ・シアターなど著名なダンスカンパニーもいくつかありましたが、適切なインクルーシブな芸術作品を英国の隅々にまで紹介するには、さらに多くのこうした団体が必要だったのです。英国の芸術文化助成制度はこれまで、多様性に富むグループを手厚く支援してきましたが、ロンドン2012開催が決定した2005年以降、障がい者アート/インクルーシブアートをより幅広く、より多くの資金で援助する機会が開かれました。ストップギャップもまた、そういった新しいチャンスの恩恵に預かった芸術集団の一つでした。
ストップギャップ ダンスカンパニーは、1990年代後半にコミュニティグループとして誕生。創設10年目までは非常に限られた規模での活動にとどまっていました。当初はアマチュアの集団に過ぎませんでしたが、創設時のコアメンバーが試行錯誤の末、インクルーシブダンスの指導法と作品制作プロセスを確立。ストップギャップはそれ以前にも文化財団から少額の財政支援を受けていましたが、2006年にはアーツカウンシル・イングランドの助成対象団体に指定され、これが極めて重要な転機となりました。カンパニーの運営費用が支援された結果、組織としての戦略的発展に力を入れることも可能になりました。そしてその直後にさらなる資金提供を受けたことで、より野心的なダンス作品の創作と、より広範囲なツアーが可能となったのです。2006年から資金提供を受け始めたストップギャップは、2008年春に初めての英国ツアーを敢行し、2012年夏までに計5作品で11回のツアーを実施。ブリティッシュ・カウンシルの支援により、国際プロジェクトへの参加回数も劇的に増えていきました。
ストップギャップ以外にも、多くのアーティストやグループが機会拡大の恩恵を受けており、誰もが2012年に向けて競い合っていました。再び大きな転機が訪れたのは、その年の夏。英国のみならず、世界の人々に障がい者アート/インクルーシブアートの新たな作品を紹介する第1回『アンリミテッド・フェスティバル』がサウスバンク・センターで開催され、式典には障がい者アートの第一人者たちや著名カンパニーが一堂に介しました。とりわけ感動的だったのが開会式で、おなじみの顔ぶれが一世一代のパフォーマンスを披露。『アンリミテッド・フェスティバル』とパラリンピック開会式は、英国における障がい者アート/インクルーシブアートの成熟度だけでなく、多様性からどのようにして素晴らしい創造性が生まれるのかを世界中の人々に印象づけました。
2012年は充実した1年になりましたが、ストップギャップがその年に与えられたチャンスを最大限に生かせたかというと疑問が残りました。カンパニーは2005年から2012年にかけて大幅な成長を遂げましたが、『アンリミテッド・フェスティバル』では作品を上演できず、所属ダンサーたちもストップギャップの一員としてではなく、フリーのアーティストとして開会式に参加しました。その数年間のストップギャップが成長する速度は、私たちに多くの教訓を与えてくれました。もしロンドン2012のレガシープログラムがなければ、この豊かな経験のすべてが失われていたかもしれません。幸運なことに、ダイバーシティ(多様性)とインクルージョン(社会的包摂)は2012年のはるか以前からアーツカウンシル・イングランドの助成制度において中心的課題となっており、ストップギャップのようなカンパニーの多くはオリンピック開幕まで資金援助の延長オファーを受けていました。また、『アンリミテッド』は2012年以降も資金援助と支援の継続が決まり、障がい者アート/インクルーシブアートはブリティッシュ・カウンシルの長期的優先事項となりました。主に英国内のインクルーシブアートとスポーツプロジェクトをサポートするべくロンドン2012のレガシートラストも『スピリット・オブ・2012』として設立されました。
幅広い組織がロンドン2012の遺産継承に取り組むということは、ストップギャップのようなカンパニーの持続的発展が可能になることを意味します。私たちも期待を裏切ることはなく、2014年の作品『アーティフィシャルシング』(https://www.stopgapdance.com/productions/artificial-things-2014-stage)は国内外のツアーを経て、2016年には中等学校のダンス課程で必修となりました。そして前述の通り、『エノーマスルーム』が成功を収めたほか、ストップギャップでのアーティスト育成イニシアチブも実を結びます。カンパニーの支援を受け、ダウン症のある振付家クリス・パヴィアが制作した屋外作品『アウェイクニング』は、 全国ツアー後の2014年に『アンリミテッド・フェスティバル』で上演。クリスは障がいのある振付家として、初めて全国ツアーの作品を手がけるという名誉も授かりました。また、ストップギャップのサブカンパニー、Sg2も設立され、次世代の障がい者ダンサーたちがダンス界に参入するための道筋を整備。さらに『スピリット・オブ・2012』の支援を受けたストップギャップは、『ノーフォーク&ノリッジ・フェスティバル』で大規模な屋外作品『シーフェアラーズ』を演じ、2018年に『ガーディアン』誌のレビューで4つ星を獲得しました。
先日のストップギャップ日本ツアーは準備に数年の歳月を要しましたが、私はその間に日本の障がいを持つアーティスト、プロデューサー、マネージャーの方々とお会いする機会を得ました。英国と比べると、日本で地位を確立している障がい者アート/インクルーシブアートの芸術集団はあまり多くありませんが、非常に才能豊かな人々と巡り合う幸運に恵まれました。日本では、ダンスの世界で素晴らしい実績を持つ森田かずよのような優れた障がい者ダンサーが活躍している一方で、かんばらけんたのような新人も頭角を現しています。また、インテグレイテッド・ダンス・カンパニー 響-Kyoにも優れたダンサーが多数いますし、振付家/舞踊家の佐久間新率いる革新的な芸術・社会福祉施設たんぽぽの家からは、魅力あふれるダンス作品がいくつも届けられています。さらに私は、熱心に学んでいる障がい者ダンサーたちの一団を擁するダンスラボラトリーとともに、アウトリーチワークショップを開催する機会を得ました。スローレーベルのディレクターで障がいを持つ演出家、栗栖良依は強靭な意志の持ち主で、リオ2016から東京2020へのフラッグハンドオーバーセレモニーにアドバイザーとして参加しています。障がいのあるパフォーマーのありのままを披露したこのセレモニーは、彼ら一人ひとりの特徴を生かすものとなりました。この方向性を推進するなら、パラリンピックのセレモニーではさらに優れたパフォーマンスを期待できるはずです。 ストップギャップはまた、日本の国際交流基金からの資金援助を受け、舞踏出身のアーティスト、鈴木ユキオとともに振付のワークショップを開催。その際、振付の作法を教え合ったことから、舞踏は元来からインクルーシブなものだったということをお互いが発見したことで大いに刺激を受けました。日本の卓越した舞踊形式と、障がいのあるパフォーマーの調和性が高いなんて、素敵な予兆というほかありません。これらの方々は私がお会いできたほんの一握りに過ぎず、日本にはさらに多くの才能豊かなアーティストや芸術集団が存在していると確信しています。
日本という国には、障がい者アート/インクルーシブアートの優れた芸術作品を広く紹介するための基盤がすでに整っています。そして東京2020では、そうしたアーティストたちにチャンスが与えられることを心から願っています。しかしそれよりも大切なのは、障がいのあるアーティストたちの価値が証明された来年以降も、彼らに継続的な支援がなされることです。それこそが彼らのインパクトと可能性を無駄にしないことになるのです。
協力:世田谷パブリックシアター
(2019年5月3日)