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子育てとアート鑑賞を両立させた託児サービス


イベント託児サービス 「マザーズ」

 子どもを預けてゆっくりアートやコンサートを楽しむことができる託児サービスは、いまやさまざまな催しの場で見かけるようになりました。子育て中も変わらずにアートを楽しめる機会を提供し、その両立を下支えしています。催しの主催者側にとっても、お客様への付加価値提供として、重要な要素になりました。しかしながら、託児にともなう安全管理の意識はまだ低く、基準となる法律も未整備という現状もあります。
 File2では、25年前に母親の目線に立った独自の「イベント託児」®を主婦3人で立ち上げ、全国各地の文化施設で託児サービスを手がける業界の草分け的存在、イベント託児®「マザーズ」代表の二宮可子さんに、託児サービスの仕組みや現状の課題、今後の展望などをインタビュー。さらに託児サービスの導入事例として国立新美術館を取材し、託児サービスがアートの現場にどのようなKAIZENをもたらしているのかを探りました。

母親3人が始めた託児サービス「マザーズ」

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マザーズ代表の二宮可子さん

二宮さんが託児サービスを始めたきっかけについてお聞かせください。

二宮:1980年代、私が出産を機に仕事をやめて専業主婦になった頃、母親が安心して子どもを預けて芸術を楽しむことができるサービスは、世の中にはありませんでした。託児サービスがあるのは区主催の勉強会や教習所くらい。でも大人数の子どもを少ないスタッフがみていたり、児童の名前のチェックもしないなど、ずさんなものでした。有料でも安心して使える託児施設や派遣のベビーシッターシステムはほとんど無く、一時預かりのベビーホテルでの死亡事故や問題も多く報道されていたので、とても子どもを預ける気持ちにはなれませんでした。
 芸術の世界にも託児サービスはほとんどありませんでした。宇野重吉さんの発案で、劇団員が託児を行っていた劇団民芸や、NHK交響楽団などの例はすでにありましたが、全体で考えるとほとんどなかったといえると思います。私も以前はしょっちゅうコンサートやお芝居に出かけていたのに、子育てが始まってからはどこにも行けなくなりました。
 託児サービスが存在しなかった理由のひとつに、当時の社会風潮もあると思います。「三食昼寝付き」の専業主婦は子育てに専念するのが当たり前、母親が子どもを預けて楽しむなどもってのほか、という空気がありました。また、夫が育児を手伝うこともまだ一般的ではない時代だったんです。

80年代でもまだそんな感じだったのですね。

二宮:それでも私は家庭以外にも生きがいがほしいと思うようになりました。お金の問題ではなく、社会参加がしたかったのです。それでなにかできることはないかと考えて、私のようにコンサートや観劇中に子どもを預かってもらいたい人はたくさんいるはずだと思いました。そこで同じ思いを持つ子育て中の友人に相談して、母親の目線で安心して預けられる託児サービスのアイディアを出し合いました。私たちが好きな芸術分野に対象を限って、1988年、私の自宅を拠点に、母親3人による「マザーズ」がスタートしました。

初めての託児サービスに、周囲の反応はいかがでしたか?

二宮:最初はほとんどが門前払いでした。母親が安心して預けられるシステムをつくれば主催者側のPRにもつながると考えていたのですが、当時は託児ではなく「子守」という概念が強くあったので、子守にお金がかかることが理解できない主催者さんばかりでした。一番多かった反応は「主婦のわがままなお遊びには付き合えない」というものでした。「スポンサーをつけて札束積んで出直してこい」とか「公演に来たかったら子どもなど生むな」とまで言われたこともあります。
 そんな中、日本フィルハーモニーだけが「大歓迎です、ぜひやってください」といってくださいました。ちょうど日本フィルさんも、20代後半から30代の会員が子育て中も公演に足を運んでもらいたいと考えていたところだったのです。そうしてサントリーホールの公演の楽屋を託児室にして、初めてのイベント託児が実現しました。

サービスの内容はどのように決めていったのですか?

二宮:始めるにあたっては、とにかくけがや事故が絶対にあってはならないということが一番でした。お手本となる託児システムはまったくありませんでしたから、危機管理のノウハウは、まずは母親の立場で「うちの子だったらこうしてほしい」というところを基準に積み上げて行きました。
 たとえば、「わが子が0歳児なら、何かあったら両手で抱いて逃げてほしい」「わが子が1歳なら1人の大人が2人まで抱けるだろう」「2歳以上になっても大人が一人で完全に対応できるのは、子ども3人が限界だろう」というように、災害時の避難を想定して保育者と子どもの人数を決めていきました。

その後どのようにイベント託児を広げていったのですか?

二宮:日本フィルでのスタートをきっかけに、それまで子どものけがや事故が怖くて託児の導入を躊躇していた公的なホールでも、徐々に導入を検討してくださるようになりました。東京都交響楽団(1989年)、夢の遊民社(1990年)、リリパットアーミー(1990年)、青山劇場(1993年)キャラメルボックス(1994年)など、実績を積んでいくうちに、マザーズの託児は安心で安全という評判を聞きつけて、仕事はどんどん増えていきました。
 時代の意識の変化もありました。90年代に入ってバブルがはじけた後、公演チケットの売り上げが落ち込みました。それで新規顧客層として、これまでチケットを買いたくても買えなかった子育て中の人たちを開拓しようと、託児サービスを始める主催者さんが増えたのです。さらに社会全体の「子育て支援」「少子化対策」のムードも後押しになったと思います。
 そうして25年続けてきて、2010年まで月平均100公演のイベントで平均5名程度の子どもたちを預かってきました。2011年は3月11日の東日本大震災でホールや施設自体が被災したところも多く、またイベントが中止になったりして本数は半分にまで激減しましたが。

安心と安全がキーワード。マザーズの託児システム

マザーズの託児サービスのシステムを教えてください。

二宮:託児サービスは主催者側のお客様サービスの一環と捉えていただき、マザーズはその託児請負業という位置づけです。運営費用は主催者側が負担し、利用者にはその一部を負担していただくかたちで運営しています。
 内容は、少人数託児を行なっています。0才児と障がい児はマンツーマン。1歳児は子ども2人にシッターが1人、2歳児以上は3人に1人がつきます。シッターのほかに現場責任者であるディレクターとアシスタントディレクター、必ず2人セットで入れて現場を統括しています。施設ごとに建物と周辺の避難経路を記したマニュアルを必ず持参し、スタッフは全員が救急救命士の訓練を受けています。
 申し込みは事前予約制です。予約者には事前に当日のご案内や注意事項を記した書類をお送りします。予約制にすることで、食物アレルギーや障がいなどケアが必要なお子さんの情報を事前に知ることができますし、利用者にも全体のシステムを理解していただけるのでお互いの信頼関係を高めることができます。
 当日は、受付でまず同伴者とお子さんの写真を撮ります。実は誘拐対策なのですが、お帰りの際に差し上げる記念にもなります。また、預かり中の子どもの様子を記入した「サンクスカード」もお渡ししています。

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0歳児にはシッター1人が片時も目を離さないように付きそう。
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サンクスカードには、ミルクの回数や遊びの内容など預かり中の様子が書かれている。

託児中、子どもたちはどのように過ごしているのですか?

二宮:3歳児以上は紙コップなどを利用したクラフトづくりなど、スキンシップがある伝承遊びを取り入れるようにして、それ以外は私たちが見守るなかで自由に遊んでもらいます。帰る時には、それぞれ楽しい時間を過ごした保護者と子どもがみんな笑顔で帰っていただくことが私たちの使命と思っています。ありがたいことに、一度ご利用された方はほとんどがリピーターになってくれています。

シッターはどのような方がなさっていますか?

二宮:スタッフは基本的に「登録スタッフからの紹介者」に限っています。その理由は、顔が見える信頼関係を大切にしていることと、待遇ではなく子どもが好きだからこの仕事に就きたいという人に来てほしいからです。現在、全国主要都市に200人の登録スタッフがいますが、子育てが終了した40代以上の主婦がほとんどです。一般の保育士さんと比較すると年齢層は高めですが、みんな気は若くて(笑)意識の高いスタッフが揃っています。

スタッフの教育はどうされているのですか?

二宮:まずセミナーを開いて詳しい仕事の説明をします。同時に、仕事に臨む心構えを徹底的に話します。開演時間の決まっている公演は絶対に遅刻できません。普段は主婦でのんびりしていても、一度仕事を引き受けたらそこからプロになってくださいといいます。服装や靴、髪型などにも規定がありますが、そうした規定の理由もひとつずつ説明して、徐々にこの仕事への意識を高めていってもらいます。
 そのあとは現場の回数を踏んで、セミナーで聞いたことを実地で経験していきます。期間の長さではなく場数をどれだけ踏んだかが大切です。毎月1回の現場責任者会議でも、なにか決定するときは、現場の意見が最重要視されています。
 定年は70歳です。この仕事のよいところは、専業主婦の子育て経験がキャリアになるところです。赤ちゃんの抱き方とか体調の見極め方なんて、マニュアルにはできませんから。子育ての経験が仕事にいかせて、それぞれの生活のペースに合わせて長く続けられる仕事だと思いますね。

託児サービスを取り巻く現状と課題

二宮さんから見た、託児サービスの現状における問題とはどのようなものでしょうか。

二宮:最近は託児サービスを行う業者も増えてきましたが、私が懸念しているのは、託児の指針や危機管理への意識があいまいなまま、さまざまな託児サービスが運営されていて、さらにその基準となる法律もないことです。
 たとえば、託児サービスで人数割合を出しているところはほとんどありません。ましてやマザーズのように子どもの年齢や個人差に合わせた少数託児を行なっているところは皆無に等しい。ボランティアが20人の子どもをたった2人の大人でみていたり、どの子も同じように引き受けていたり、個人情報の取り扱いもいいかげんな例をよく聞きます。マザーズでやっていることは、安心と安全を考えればすべて当たり前のことだと思っていたのですが、当たり前ではなかった。人の命を預かる責任意識が、主催者側も業者側も薄いのです。
 さらに、託児サービスを導入するに当たって、これまでの随意契約から金額入札型に切り替える公共施設やホールが続出しています。そうすると託児の内容よりも金額が優先され、経費削減のために子どもの安全が損なわれるようなことが起きかねません。「指定管理者制度」が導入されて以来、この傾向は強くなりましたが、この現状はとても危険だと思っています。
 実際に「無認可託児所」などでは死亡事故が起きています。スタッフが赤ちゃんから眼を離している間に起きた事故で、また複数の子どもを1人のスタッフが見ている状況での事故例もあります。しかし現在の日本の法律で、「託児」は管理や規制の厳しい「保育園」とは違って、一切の規定はありません。不慮の事故があっても取り締まる法律がないので、こうした施設も業務停止などにはならずに営業を続けています。無認可託児所はある程度調査が入るようになりましたが、イベント託児の場合はまったくの野放し状態です。届出をする役所の窓口もありません。

ショッキングな現実ですね。人の命を預かる仕事なのに。

二宮:しかし実際に預けた親の立場からそうした不満を聞くことはあまりありません。おそらく預かってもらうという後ろめたさがあるので声を上げにくいのだろうと思います。でもお母さま方にも、託児はどこも一緒ではなくて、何かあった場合の対処のしかたや子どもの対応にも関心を持っていただきたいと思います。
 そして主催者の方には、ぜひノウハウと危機管理の重要性にもっと認識を強く持っていただきたい。私も機会あるごとにお話しするようにしています。もちろん、よくわかっていらっしゃる担当者もたくさんいますが、日本中どこでもちゃんと危機管理をした託児が行われるようにならなければ、なにかあってからでは取り返しがつきませんから。マザーズは25年間前から現在まで、幸い一度も事故はありません。

マザーズ自体がイベント託児の現場の改善に励まれているのですね。

二宮:「安心と安全」がなによりスタンダードになってほしいと思います。「イベント託児」を商標登録したのもそうした理由からです。まったくノウハウのないボランティアや人材派遣会社が「イベント託児」という言葉を使って営業を始めたのをみて、言葉を生み出した責任を感じ、「イベント託児」とついた名称のサービスは「危機管理」を考えている「託児サービス」であり、最低限の危機管理や人数割りは行なっていると知ってもらうために、商標登録をしました。
 企業メセナ協議会に入会した時も、お誘いいただいた損保ジャパンの方が、「妥協しないでいい託児をやっていこうとするマザーズの業務自体がメセナでしょう」とおっしゃいました。経済的にはどんな仕事でも引き受けたいのですが、安全と安心だけは絶対に譲らないと決めています。

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おもちゃも子どもが遊びたくなるように工夫して配置している。

お母さんの笑顔をこどもたちへ!

託児サービスのメリットはどこにあると思いますか?

二宮:まず主催者側にとって安心で安全な託児サービスを導入することは、少子化が進む中での子育て支援策として、イメージアップにつながります。また子育て世代を新しい顧客に取り込むこともできます。
 そして子どもを預ける側のメリットですが、これは私自身の体験からまずお話します。
 子どもがまだ小さくて子育てのストレスがほんとうに溜まっていたある日、夫に無理やり頼んで一人で映画に行ったことがありました。上映時間が短いものなら何でもよかったくらい切羽詰まって行ったのですが、人生の黄昏を描いたようなストーリーの外国映画でした。それまではこのつらい時期が一生続くように思っていたけど、見ているうちに、自分は今、人生の中の子育てという貴重な時期にいるだけなのだと思えて涙がでてきて、それで子どもや周囲への気持ちがリセットすることができたのですね。ほんの数時間、子どもと離れて大人の時間を楽しむことで、新しい気持ちでまた子育てと楽しく向き合えるのだと思えた貴重な体験でした。
 「働く母親」への支援策は、25年前も現在もたくさん打ち出されています。しかし、専業主婦をしている母親のストレスについては無理解が続いていると思います。母親たちだけの狭い世界と、社会から取り残される心的ストレスはあまり話題になりません。専業主婦は一日中家にいて、子どもといるのが楽しい時間なんでしょうと周りに強制されると、だんだんと息苦しくつらくなってきてしまう。子どもの虐待が起こる理由も、そうしたところに原因があるのかなと思います。
 マザーズを始めた当初は同じ母親仲間からも批判されました。「自分が遊ぶお金があるくらいなら、子どものパンツを買うのがいい母親」といわれましたが、「母親が楽しく、子どもに優しくなれるほうがいい母親だと思う」と反論したりしました。自分が楽しむために子どもを預けることに抵抗のある人もいるでしょうし、なによりお母さん自身が後ろめたく感じると思います。でも、子どもを預けて絵を見ることによって自分を取り戻すことができたら、それはすごくいい時間になるのです。そのあと子どもが泣いていたら後ろめたくて後悔しますが、マザーズはぜったいに楽しませます。泣いて預かった子どもは笑顔で返しますから(笑)
 マザーズのキャッチコピーは「お母さんの笑顔をこどもたちへ!」です。もちろん働いているお母さんもたまには仕事からも子育てからも解放されるべきです。母親だって一人の大人の女性として文化に触れるべきだと思います。チケットを買っておしゃれして、短時間でも子どものことを忘れる時間が絶対に必要です。

今後、イベント託児がアートの分野でどんなふうに発展していってほしいですか?

二宮:託児サービスはまだ主に商業公演が中心で、美術館はまだまだ少ないのです。地方の美術館ではいくつかありますが、今後もっと美術館での託児サービスが増えるといいと思います。 それと思うのですが、非日常を楽しむ美術館のような場所で子どもが大泣きしているのは、私はちょっと違うと思うのですね。日本は子ども中心の社会だから、大人の場所でも子どもには寛容ですが、子どもの騒ぐパワーの方がアートにまさってしまうので、お金を払って見にきた他の鑑賞者の行為を台無しにしてしまいます。なにより混雑時にベビーカーを押したり薄暗い場所に入ったりするのは子どもにもストレスにもなります。
 クラシックコンサートが未就学児は入場禁止としているように、アートの分野でも、子どもが入れる場所と入れない場所を区別してもいいのではないかと思います。そのかわり、平日の午前中などに思い切り親子で楽しめる時間を設けたり、託児サービスなどを利用したりして、うまく両立させて棲みわけしていくことで、誰にも芸術鑑賞の行為が保障されている社会になればいいと思っています。

どうもありがとうございました!

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