分科会A+総合セッション

NPO法人芸術資源開発機構【ARDA】
高齢化社会とアート環境
シルバーパワーが社会を変える

総合セッション
「なぜ、いまアートなの? アートの力、アートの社会的価値を考える」

メニュー

>> プログラム詳細
>> 総合セッション
>> 映像記録
>> レポート

総合セッション

※「舞台は高級クリニック、パネリストは著名なカウンセラー」という設定で行われた総合セッションは、分科会企画運営団体の代表者が、フォーラム応募の動機となった問題意識や参加者と共有したい課題、分科会実施後の思い等を2分程度でプレゼンし、パネリストが感想やアドバイスを述べるという内容。なお、代表者は「分科会実施前の問題意識」も事前に“カウンセラー”に提出している。
>> パネリスト紹介

総合セッションでの分科会代表者の質問内容

<高齢社会とアート>ということで3人のスピーカーが異なる視点で話した。人口の高齢化率は日本が世界でトップ。2050年には国民の3人に1人が65歳以上の高齢者になる。今22歳の人が65歳になるのが2050年。今の若い人たちは歴史上始まって以来の高齢社会を生きることになる。3人の話に通していた問題は「生と死」だった。高齢化社会において、人間が「生と死」というテーマをどのように考えていくか。これまでと違う考え方が必要なのか、少なくとも違うスパンで考えねばならない時、アートはどのような取り組みができるか、引き続き大きな課題として見えてきた。こうしたことをどのように思うか?

(NPO法人芸術資源開発機構(ARDA)代表 並河恵美子)

映像記録

※推奨環境:映像はFLV(Flash Video)形式です。ご覧いただくには、Macromedia Flash Player が必要です。
※出演者の所属はフォーラム開催時のものです。

レポート

チラシ

※画像をクリックするとダウンロードできます。 (PDF : 8MB)


主旨説明

司会 : 並河 恵美子(なみかわ・えみこ)
NPO芸術資源開発機構代表



日本の高齢化率は世界に例を見ない速度で進行している。現在22歳の若者が65歳になる2050年には、国民の3人に1人が65歳以上の高齢者になると言われ、高齢者の存在が社会を変えるような力、シルバーパワーともいうべき影響が生まれてくるだろう。
日本のみならず世界的規模で社会の高齢化は進んでいる。今までの経済優先、産業優先の社会からインクルーシブ・ソサイエティ、障害がある人もない人も共に幸せを感じることができる社会=包括的社会へと移行することが求められているが、我々アートに関わる者もまた、この社会変化に向けて高齢化問題に取り組むべき時期が来ている。今回は、デザイン、美術館、NPO活動の3つの視点から高齢化社会とアート環境について考えたい。


団体紹介

特定非営利活動法人 NPO芸術資源開発機構(ARDA)
設立:2002年10月/会員数:64名(2007年3月現在)
代表:並河 恵美子
所在地:〒168-0082 東京都杉並区久我山5-23-2
TEL&FAX:03-3334-7876
E-mail:
ホームページ:http://www.ARDA.jp/

1990年
代半ば
東京都杉並区在住の現代美術関係者(美術館学芸員、美術教師、美術評論家、ギャラリストなど)や地域活動関係者などが集い、アートセンター設立を目指してインフォーマルな会合を始める。
1999年 国際高齢者年。ドキュメント2000の支援により杉並区上井草園にて並河恵美子が「高齢者施設へアートデリバリー」プロジェクトを開始
2002年 特定非営利活動法人格 認証(東京都)
2003年 海外との交流美術展/アートプロジェクト/アートマネジメント講座など実施。文化庁・文化ボランティア推進モデル事業(第1回)として「アートデリバリー講座」を実施、高齢者施設・児童館にアーティストを派遣する。
2004年 「介護する人 される人 のための出張芸術講座」がファイザー・プログラム(心とからだのヘルスケアに関する市民活動支援)に採択(第1期)
2005年 「介護する人 される人 のための出張芸術講座」第2期 実施(〜2007年3月)
2006年 現在 高齢者施設、児童館、保育園へアートデリバリー他、地域活動支援協力、調査研究活動を行う。


発表(要約)

「ユニヴァーサルデザインが社会を変える」
川原 啓嗣(かわはら・けいじ)
国際ユニヴァーサルデザイン協議会専務理事、インダストリアルデザイナー)



全人口に占める65歳以上の人口比率を「高齢化率」といい、7%を越えると「高齢化社会(aging society)」、14%を越えると「高齢社会(aged society)」という。日本は30年間に急速に高齢化して、高齢化率は2000年以降世界第一位になり、2005年、ついに20%を超えた。2007年中に21%に達すると予測され、「超高齢社会」(=super-aged society)に突入する。総務省の統計によれば、わが国の総人口は2005年にピークに達し、平均寿命の伸び率や出生率の低下により少子高齢化が急激に進み、今後は減少に転じる。2015年には4人に1人が65歳以上になるといわれている。

現在、総人口の約40%を50歳以上、「団塊の世代」を含む世代が占めている。気力はあってバリバリ働いているが、視力はじめ身体能力の方はどんどん落ちていて、例えば「老眼鏡」(英語では reading glass = 読書用の眼鏡 という)を着用するようになる。老眼鏡は小さな文字を読むには便利だが、かけたまま外に出歩くのは視界が不安定になって危ない。外にいる時に携帯電話が鳴ると、ディスプレイの小さな文字が読めなくて、誰からからかかってきたのかわからないし、メール返信の操作もできないという不都合に遇う。

厚生労働省定義によれば、身体障害者は約330万人。視覚障害に限れば約30万人強、そのうち点字が読み書きできる人は約3万2000人である。弱視は、日本眼科医協会のデータによれば約100万人。色覚異常、いわゆる色盲の人が320万人。水晶体が濁る老人性白内障は1900万人。老眼と呼ばれる人達の場合正確なデータはなく、年齢から推測して約5000万人とも6000万人とも言われていて、点字は広く普及しているが、老眼に対する対応はほとんどなされていないのが実状だ。老人性白内障になるとサインが読みづらくなったり、黒地に青色(白地に黄色も同様)が理解しにくくなるので、サインの作り方ひとつから対応していかなければならない。このようなことからいっても、われわれは高齢化社会についてまだまだ無知なのである。肉体的な能力は20代がピークと言われ、それを過ぎると自覚症状が無いだけで100人が100人、例外なく筋力・感覚能力が落ちてゆく。確実に老いる。高齢化は、ある特定の人達の問題ではなく、みんなの問題であると自覚して、社会づくりに向かわねばならない。

ユニヴァーサルデザイン(UD)はノースカロライナ州立大学ユニヴァーサルデザインセンターのロン・メイスが残した言葉を定義としていて、できる限り最大限多くの人、つまり障害者や高齢者も利用可能であるように、最初から意図してデザインし製品化することをめざしている。例えば、老いるとトイレの中で立ち座りをする事がだんだんおっくうになり、膝の曲げ伸ばしが大変になってくる。一番よいのは手すりをたくさんつけることだが、手すりを付けることは空間的にも心理的にも抵抗がある。手すりを付ける程まだ自分は歳をとってないぞ、というお年寄りの自尊心のようなものだが、そこでTOTOが提案したのは、棚ではあるが、実は手すりというもの。手すりと意識をせずに、棚に手をついて立ち上がれる。いわれないとわからないぐらいのさりげない配慮で、お年寄りの自尊心や人間の尊厳を大事にしている。これはとても人気がある商品になっている。

TOTO「レストパル」

このように、UDの本質とは、人間性や人間の尊厳を守ることである。日本の企業、作り手は、UDの普及に関してかなり努力をしているのだが、大半の人たちはまだまだそれを知らない。コストが高いこともあるが、多くの人が使えばコストも下がるだろう。消費者、使い手側にUDについてもっと知らせる努力が必要である。と同時に、消費者に対して、UDについて「教育」や「啓発」も必要であろう。今回のように、こうした異分野との交流を通して、UDの普及をさらに考えていきたいと思う。


「高齢者のミュージアム時間〜高齢化社会対応型美術館の今と未来〜」
稲庭 彩和子(いなにわ・さわこ)
神奈川県立近代美術館学芸員)



高齢者にとって、ミュージアムで過ごすことはどんなメリットがあるだろうか。私たちを取り巻く社会的状況を簡単に振り返り、これからの高齢化社会で美術館という場がもつ可能性を考えてみたい。

神奈川県立近代美術館は、1951年に最初の公立の近代美術館として鎌倉の八幡宮境内に開館した。当時、日本にはまだ国公立の美術館なく、戦後の美術館のモデルとなる形を試行錯誤してきた美術館だ。それから約半世紀、新館として三浦半島の海岸沿いに葉山館が誕生した。21世紀のはじめに活動を始めた美術館である。おなじ組織のもとにある美術館でも、戦後のまだGHQの占領下に開館した美術館と、21世紀にオープンした葉山館とでは、美術館をとりまく社会的状況やその機能はずいぶんと違う。美術館の役割や人々に対する機能は、時代によって変化しつづけるものであるといえるだろう。

ではこの半世紀の間にどういうことが起こって来たのだろうか。大雑把ではあるが、戦後50年は、国家の役割や規模が圧倒的に大きくなった時期である。国家が病院や学校の建設を始め、各種公共インフラを整備していった時代であった。美術館もそうして急速に整備されていった公の機能を持つ施設の一つだ。法律的な面でも整備が進んだ。終戦後、まず、教育基本法、学校教育法、日本国憲法など1947年に次々と施行され、そして続いて社会教育法、図書館法、博物館法、という教育基本法の下に連なる法律が整備された。1951年に博物館法が施行され、鎌倉の神奈川県立近代美術館が開館した。法律の整備によって施設の使命や社会での方向性が決定され、つづいて公的な施設の設置がつぎつぎに行われた。

半世紀を経て、私たちの生活はどのように変わったのだろうか。美術館よりも、より私たちの生活に身近な病院を例にとって、その半世紀の変化を身近な視点からもう少し見てみたい。例えば、私たちの人生が始まる場、そして最期を迎える場はどのように変化しているだろうか。

統計をひもといてみると、1950年には、ほとんどの人が自宅で生まれた。わずか2%の人だけが病院で生まれていた。それが半世紀後の2005年には自宅で生まれたひとが、わずか2%になり98%が病院で生まれている。50年の間にちょうど数字は逆転したのだ。インフラの整備と平行して、ソフトとしても高度な医療が出現して、例えば出産の時に亡くなる方も減少し、死産である赤ちゃんも減った。戦後50年で、人は生活の場に近いところで生まれるものという認識から、生活以外の場である施設で医師のもとに安全に生まれるもの、というように意識も変化した。

一方、1950年、神奈川県立近代美術館が開館した前の年には、98%の人が自宅で死を迎えていた。統計をみると、1955年頃、戦争が終息して日本が急激に復興し、高度成長期に入り、死亡者数が一定してくるが、この時期約80%が自宅で亡くなっている。しかし半世紀後の2000年の統計をみると、これがまた逆転する。約70%〜80%の人が病院で亡くなっているという現象がみてとれる。今、人々は生まれる瞬間、そして死ぬ瞬間、生活の場所ではなく、公的な役割を持つ施設、設備の中で、日常社会と切り離された場所で、その人生において重要な時間を過ごしているのだ。その結果、人の生や死に立ち会う機会も、目にする事や考える機会も私たちの日常生活から明らかに減ってきた半世紀とも言えるだろう。

この半世紀の間に公的な役割を持つ制度や施設が急速に発達し、私たちの生活の質は高くなったといえるが、しかし今、状況は転換点に来ている。医療の分野では、例えば全国各地の病院で産科の医師が確保できず、産科の閉鎖が起こり「出産難民」という造語ができてきた。この言葉は、産科医や小児科医の減少に伴い、近代化した病院出産を希望しながらも、希望する地域に理想な出産施設がない、あるいは施設があっても分娩予約がいっぱいで受け付けてもらえない人々の境遇を難民になぞらえた言葉、と説明されるが、そういう状況がうまれてきた。50年前は、お産婆さん、今で言う助産師が活躍したが、半世紀の間に医療施設が整備され、医療としての出産、お産はお医者さんが看てくれるものだという風に変わってきた。活躍していたお産婆さんの数は減った。いま、病院出産が破綻しつつあるなか、それでは、助産師さんにまだ戻そうといってもなかなか戻せない。いったん病院という施設に集約されてしまったお産の技術を、またゆるやかに広がりを持たせて、病院の外に出していく事は容易ではなくなっているのだ。時に過剰なほどに高度な医療が提供される、病院で産むメリットに対して、病院に集約されすぎて、破綻しそうになっている今の状況を、これからどのように解決してつぎのより良い「人生が始まる幸福なかたち」を作っていくのか、いま大きな転換点に私たちはたっている。

そして「最後の時を迎える場」に対しても、高齢社会の中で、それがどのような場所であるべきか関心が高まっている。いまほとんどの人が病院でなくなるが、果たして病院で亡くなることが安らかな終末を迎えられことにつながっているのか、疑問を持つ人も増えてきた。

病院設備の高機能化、医療内容の高度化がすすみ、ある日病気になってみると、驚くほど複雑な選択肢をいくつも突きつけられることに私たちは気がつく。医師の専門は細分化されて、病気に対する多様な治療方法と選択肢があり、設備、医療が高度になればなるほど私たち自身が、それを理解し、選択して行かなければいけない場面が増えている。そうした困難をサポートしてくれる、医療コーディネーターというような人も出てきている。産科の医師がいて、産む人がいて、その間に位置する助産師がいるように、医療でも医師や病院とそれを選択する人々の間に立って、情報や理解の溝を解消して、より幸福な形、満足の行く形をつくる、人材が求められている。この中間支援的な機能は、高度医療社会、高齢社会のなかで生活の質をあげるには、ではますます必要になっていくだろう。

ここで美術館に話をもどしてみたい。病院や学校と同じく、美術館の建設、設立に対してもこの半世紀の間、公的な経済資本が投下され、ハード面、ソフト面も急激に発展してきた。病院に人々が引き寄せられていったように、美術館もまた、求心的に人々を集めるような大きな展覧会を行い、多くの人や作品はそこに集められていった。「美術」と称されるものは、日常の社会の中からある場面では切り離され、美術館に集約されていった。戦後50年の間に「美術」は美術館でみるものという意識が人々の中で作られていった。それは、人が誕生する場面が、日常の場から切り離され、病院に集約されて「生まれるときは病院で」という意識が育っていったのと似ている。

戦後に急激に整備されていった、病院の設備とシステムと同じように、美術館もいま同じような悩みを抱え、転換点に建っている。病院や美術館が、戦後半世紀の間、人々を集める、求心的であった活動をどういう風にして壁を解体して、設備や高度な知識や医療やスキルを、私たちの生活の中につながるものとして、進化させ、戻していくか、これが今重要な課題になっている。

美術館は、人もコレクションも、基本的には集め、集約していく機能が中心である。コレクションを永遠に集め、保存するという基本的な考え方は勿論未だに健在だが、しかし、現実的には限界があることは明らかである。物理的に収蔵庫のスペースは限りあるからだ。基本的にミュージアムの集める機能にも限界がある事を意識する事は、これからの美術館運営で考えざるを得ない側面である。

この半世紀、病院に生と死の現場が集約され、私たちの生活圏から生と死に立ち会う機会が激減したように、美術館が発達したことによって、美術的な物や行為というものは、私たちの生活から、知らぬ間に激減しているのかもしれない。美術館があることによって、美術館に行けば美術があるが、自宅で、例えば掛け軸を掛け替えたり、それと合わせて花を生けかえたり、広い意味で美術的な行為に対する意識もこの半世紀で変化してきたことが想像できる。美術館が発達した事により、集約されたものを、どうやってまたより良い形で外に戻して行くのか。これからの美術館はそうした問題に立ち向かわざるを得ないのではないだろうか。

今、高齢者といわれる世代の人々は、まさにこの戦後の半世紀を生きてきた人々である。公的な設備と制度が急速に発展し、求心的な機能を果たす施設にさまざまなことが集約されていく社会を理想とし、発展させ、体験してきた世代といえる。今、その揺り戻しの時期に入ったと考えると、美術館はそうした高齢者に取って、どんなことが提供できるのだろうか。半世紀の活動によって集められた中身の可能性、つまり美術館でいえば、作品や知的、人的な資源など、改めて今の社会に照らし合わせて見つめ、その価値を再考してみる事は、意味のある事ではないだろうか。

例えば、宗教美術は勿論のこと、美術というのは少なからず生と死を見つめる中で生まれてきた。日常的な時間の流れの中と、そうではない時間の流れというものを行ったり来たりする媒体として、死生観を育むものとして作られてきた面がある。例えば仏教美術の曼陀羅など、常にそういう死生観を育てるような役割があった。人々は美術的なものを通して日常とは違う時間軸に出会い、老いていくということをネガティブなものとしてではなくて、老いや死を自然な事として受け止め、より幸福感を持って死を迎える心の土壌づくりに芸術は役だって来た。

戦後の半世紀、右肩上がりの高度成長のなかで、死や終末について真剣にとりあうことはタブー視され、死生観を育てる場というのも経済先行社会の中では切り捨てられてきてしまった面がある。病院の発達により、生死の現場に立ち会う機会は少なくなり、また、死生観を育むような場をつくるメディアとなる美術との出会いも、美術館の中だ。例えば、生死を身近に考える機会が増え、生活の質が問われる高齢社会にとって、その美術館にためられている、死生観を育むような美術の力をもう一度見直してみる、というのも一つのアイデアではないだろうか。

ここで高齢者が美術館を利用している具体的な例をいくつかあげたい。ドイツのハノーバーに、シュプレンゲル・ミュージアムという湖畔にたたずむ美しい美術館がある。ここの美術館では、60歳以上を対象としたプログラムを行い、好評を得ているという。高齢者というと良いイメージよりも、ネガティブな要素を連想することが多いかもしれないが、実は高齢者を前期高齢者・後期高齢者と分けると、75歳ぐらいまでの前期高齢者というのは、まだ充分美術館にも来ることができる体力があって、時間的にも余裕がある。また、入館料も半額や無料であることも多く、美術館を利用するにあたってはおそらく最も障害の少ない来館者層である。しかし、美術館をどのように利用したら楽しいか、そこで自分がどのような体験ができるのかを知り、活用している高齢者は少数派だろう。シュプレンゲル・ミュージアムでは、湖の見えるミュージアム・カフェでの参加者どうしがリラックスできるランチを間に挟みながら、学芸員のギャラリートークも織り交ぜ、ミュージアムで過ごす時間を深く楽しめるような提案をしている。

もう一つは、葉山の美術館での例で、ワークショップの写真(スライド)。孫とおじいちゃんが一緒にワークショップに参加している。美術館のプログラムというと子供対象という先入観をもっている方が多いが、意外と高齢者の利用もある。美術館は高齢者にとって、作品を介して過去と現在を行ったり来たりする想像の旅の場となったり(実際旅をするより体力は必要ない)、具体的な誰かとの交流の場になる可能性を持っている。美術館は美術館体験の新たなる意識を利用者側も持てるような提案をし、利用者側も積極的に機会を利用する流れがこれからは求められているのではないだろうか。

今までは美術館が求心的に集めて来たものを、外にどういう風に出して行くのか。戦後半世紀を一つの区切りとして、つぎの半世紀を見据え、世の中をリードした形でどのように場を提供していくのか。もうひとつは、美術館の場に、一つのドアからではなく、色々なドアから色々な人が入って来られるような、高齢者にとって心理的な障害を減らしていくことが必要だろう。美術館での体験を、旅や冒険の場と例えたが、美術館が持つ作品を媒介として色々な思考を巡らせる事で、生と死の問題や、日常の中では余り考えられないような体験をし、高度成長期のなかでは見落とされてきたものを再発見していくことも、新たな高齢者の役割であり、高齢者の生活の質を高める時間となるのではないだろうか、というのが私の一つの提案である。


「高齢者施設へアートデリバリー」
三ツ木 紀英(みつき・のりえ)
NPO芸術資源開発機構、アート・プロデューサー



ここ50年の間に、生活の中であった「生/死を迎える」という事がどんどん施設に吸収されていったと同時に、私たちの生活にあったアートも近代化の中で手放してきたかもしれない。たとえば、祭や軒下での近所の人たちとの交流・コミュニケーションの中で自分を表現するというアートのエッセンスが日々の生活の中にあったはずなのだが、近代化・合理化されていくなかで手放してきてしまったのではないだろうか。今、商店街、学校、児童館、私たちのような高齢者施設などさまざまな場所でアートプロジェクトが行われている。こうした活動というのは、人々の生活にアートを取り戻そうという動き、運動なのではないか。私たちのようなNPOは、アーティストたちと一緒に地域に入り、生活にアートを取り戻そうという活動であると思う。

これから映像で見ていただく「上井草園」という杉並区の特別養護老人ホームでのアートデリバリー活動は(株)ファイザー製薬の支援により実現したプロジェクトで、2005年から2006年の2年間は、集中的に2つの施設で継続的に活動を展開した。上井草園では、1日目は職員を対象とした体験ワークショップを行い、2日目はデイサービスで施設を利用する人向け、3日目は特養ホームの入所者向けにワークショップを行う。日常のケアの現場でアートを活かすことを目的に、2年間のべ23回行ってきた。

[映像上映]

デイサービスでのアートデリバリーは、50人くらいの人を対象に行っている。山海塾のダンサー岩下徹さんによるデイサービスでのワークショップの中で、ひとり自作の歌を歌っているおばあさんは、デイサービスのアクティビティー・プログラムの時に歌というより奇声にしか聞こえないような声を発し、普段は連れ出されてしまう存在だ。それがワークショップでは、彼女の声はノイズではなく音楽になり、主役というかアイドルのようになって、彼女を中心にワークショップが進んでいった。このように、ワークショップによって、関係性に変化が生じることがある。

特養ホームでは20人くらいの人を対象としている。岩下さんのワークショップは非常にシンプルで、みんなで輪になって体操をしたり、スカーフを広げたりするだけ。スタッフの方々も輪の中に一緒に入って、マッサージを行ったりする。施設の中では「触れる」という行為がない。そのためか、マッサージだけでも、昔お風呂の後お母さんに身体を拭いてもらったことだとか、そういったことをお年寄りたちは思い出す。スカーフで何か表現をして、隣の人に渡す。ここでちょっとずつ自分の、人と違った表現というものがあらわれる。身体を動かすことのできる方は一緒に踊り、身体が動かない方は声を出し、動かせる手を動かしたりして、一緒に踊る。非常に内容の濃いワークショップだった。

ワークショップのあとにはフィードバックの時間を設け、スタッフの方々とお話をする。「いやーあの方があんなに動かれると思いませんでした」「いつも無表情のあの方があんな笑顔で」といった発言が相次ぎ、参加者が見せる笑顔は、日常の時間の中では見られないものであるらしい。アートデリバリーはだいたい1時間ちょっとのワークショップだが、他のプログラムでは集中力が続かずに席を離れてしまう方なども多いという。アートデリバリーの時間は、退席することもなく、トイレもいかずに楽しまれている。

造形のワークショップを見ていただこう[映像:アーティスト・木谷安憲がプロレスのマスクをかぶって歌いながら登場する]。参加者に受け入れていただこうと、アーティストの方も最初にいろいろなアプローチを試みる。ワークショップのためにあらかじめゾウの形を作ってあって、形が決まっていると中に描きやすいようで、そこにいろいろなゾウを描いていく。私たちが思っている以上におもしろい色の組み合わせ、非常にユーモアがあって表情も豊かで、子供のように自由な表現が造形のワークショップではあらわれる。それぞれ作ったものを組み合わせて紙芝居を実演でもって上演したのだが、この時、作者に「ゾウの気持ちは?」と聞いた。すると、「自分で自分が嫌になってしまった」とか思うようにならない現在の気持ちが、自然と作品の中に投影されていることを知らされる。アーティストと触れ合う時間によって、そういうものが引き出されるのだろう。

日頃介護をしていらっしゃるスタッフの方に聞いた。

[インタビュー映像]

(どうしてアートデリバリーを取り入れてみようと思ったのですか?)

佐藤典子氏(至誠ホームスオミ アクティビティ・プロデューサー)「高齢期の人の、介護の現場の文化活動、アクティビティ活動の現場というのは、もうだいたい決まったようなもので、演歌が悪いわけではありませんが、同じに大勢で輪になってやるとか、ああいうふうな環境で、自分が高齢期を毎日暮らすとしたら幸せだろうかと考えた時に、そしたら新しいもので刺激的なもので、そして自分の力の創造性を発揮できるものの方がずっといいのではないか。そこでアートデリバリーに、アートに出会った…」

(他のアクティビティとアートデリバリーはどこが違いますか?)

藤山邦子氏(杉並区上井草園施設長)「どうしょうがないようなことでも、そこにアーティストさんの誠心誠意、全身全霊ですかね、そういうのがアーティストさんにはあるので、それがやはり利用者さんを打つのだと思います。一番私たちが接しているようですけれども、アーティストさんが触れて、利用者さんと一緒に触れ合った時間というのは、すごくこう深いものがあるんで、私たちの日頃の関係よりももっと圧縮した関係ができてたんじゃないかなあと思ってます。」

齋藤氏(至誠ホームスオミ グループホームスタッフ)「今やってる歌のやつは、歌がうまくなるという指導の部分が入っているわけです。なので、ここはこう歌うとかいうのを、先生が求めてるのに一番いいかたちのところにみんながめざしていくみたいなところがあるんですけど、アートデリバリーはとりあえず全受容みたいな感じで、正解も不正解もないし、その人がやりたいような感じでやるのが一番いいというか、自由な自己表現というんでしょうかねえ、そういうのにもなっているようなので、たぶんその辺が一番違うのかもしれませんね。正解不正解がない、自分なりのやり方が一番いいって言ってくれるのが、たぶんアートデリバリーなんですかね」

(アートデリバリーを続けることでどんな変化がありましたか?)

藤山邦子氏(杉並区上井草園施設長)「職員が指導してるということよりも、一緒に楽しんでる時間ですね、それによって変化がみられてきた。ケアされる側、受ける側、する側という、どちらかといえば、上からこう下へどうしても援助関係になってしまうんですが、それではない時間というのが皆わかってくる。なので、ふだんの日でも、そういう日を少しでも自分たちでできないだろうか、そういうふうに職員も変わってきています。これでいいんだ、利用者さんがこうやって楽しむ時間でいいんだ、それがなにしろ利用者さんたちにとっても、私たちにとっても、心地よい瞬間になってくる。これはやはり本物のアートという力を得ながら、そういう関係が引き出されてきたんだと思います。」

最後にお答えいただいた上井草園の施設長・藤山邦子さんには、アートの本質的な答えを言語化していただいたように思う。施設のスタッフと利用者さんの関係性が変わる。コミュニケーションがスムーズになって血液が巡る様に、流れというものができあがってくる。これが2年間アートデリバリーをやってきてあらわれた成果というか効果かと思われ、非常に数値化されにくいもので、目には見えない空気であったり、施設の中の雰囲気であったりといったものが、明らかに実感として変わってきている。

が、まだ変化の途中だと思っている。最初の頃は、施設のスタッフは遠巻きに見ていて、「アートデリバリーさんが来ている間は、私他の仕事をしています」と、ワークショップの中に入るよりも離れていた。スタッフを対象とした講座は、最初の頃は参加するのは1人か2人。最初の1年間は、3人、4人いれば万々歳という状態だった。続けていくなかで、「たまたま出てみたら、なんだか利用者さんの表情が違う」「いつもの自分たちとの間では見られないようなことがここで起こっている」「アートデリバリー、何か分からないけどすごいよ」と職員の中で口コミで本当に少しずつ広がっていった。2年間で、こんなコメントをやっと引き出せるようになったところなのである。


質疑応答・感想

※アンケート用紙を資料とともに配布したが、開始時間が前のプログラムの関係で押し、終了は予定時刻どおりに終わらせなければならなかったため、アンケート記入のための時間を設けることがかなわず、回収に至らなかった。下記は、ディスカッションの時間内の発言および実施後に寄せられたものをまとめたものである。
  • 友人が介護事業所をやっているが、もうすごく忙しくって、このような会に来ることもできない。今日お話を聞いて、ぜひこういったことを知らせてあげたらすごく勇気づけられて、今の疲れも飛ぶような気がする。アートデリバリーの様子を収録したDVDや今日のシンポジウムの内容などを是非貸し出してほしい。
  • 介護ではなく、障害者の支援施設で働いている。地域にいるアーティストの方と一緒にいろいろやっている。初めはみんなと一緒に絵を描いたり、どこかに行ったりするのが楽しかったが、続けていけばいくほど、忙しさもあって、ただ提供しているだけになってくる。今日は原点に戻れるようなよいヒントがあればと思い参加したが、アートデリバリーや美術館の話を聞かせてもらって、何かもうちょっといろいろなことができるかな、いろいろなことが考えられるかなと思った。
  • 企業でメセナを担当している。アートの社会化を考えていて、アートデリバリーのプロジェクトにも関わっている。企業や財団がアートとの関わりを持つことは非常に必要なことだと思う。関わり方はいろいろなかたちがあり、企業がユニヴァーサルデザインに取り組むこともひとつだし、アートデリバリーを支援するという関わり方も大事だし、こうした社会との関わりが社会の環境を変えていくことにつながっていくのだと思う。一方で、企業というのは福祉や環境に力を入れているけれども、アートに対して非常にアゲインストである。アートデリバリーのような福祉と接したアート、アートプロジェクトは示唆に富んでいる。是非息長くやっていただきたい。
  • 今日は知らなかったことを知る機会となった。ただ疑問も多く生まれ、お聞きしたいこともたくさんある。団塊の世代に対するアンケートのあり方や施設におけるワークショップについて、深く考えてみたい。
  • 墨田アートプロジェクトのインターンをやっている。三ツ木さんに質問したい。高齢化に進んでいく社会の中で、実際そのケアをしている現場というのは仕事がたくさんあって、人手が足りていない状況の中で、アートデリバリーを定着させていくのに2年間かかったというお話だったが、このようなプロジェクトは時間が必要なのだと思った。今後の、高齢化していく社会の中でのアートの発展と、2年間やって見えた課題を教えていただきたい。


【三ツ木】

非常に難しい。正に今、そのように感じている。2年間やって、やっと施設の方々に、こんなに良いものが、他のものでは代われない良さがアートデリバリーにはあると実感していただけたところである。ここからどうやって高齢化社会の中で広げていくのか、実際どれだけ広げられるのか等々課題は多く、例えば二つの施設に関わってきたが、これから新しい施設で始めるとなると、またそこでほぼゼロからのスタートになる。ただ数を増やしていくことがよいことなのか、という疑問もある。場の拡大はさておき、現実の施設の中ではこういうことが起こっていて、アートとしてこういうことをやっていて、こんな成果が出ている。私たちが今考えているのは、今あるこの成果や情報のストックを整理して、高齢化を考えるという意味で活動を知っていただき、問いかけをしたい。

高齢化社会を生きる中でどんな生活を送り、どうやって死を迎えるか、死ぬことについてどう考えていくか、自分で考えていくという時期にきている。消費者の方が変わらないと、ユニヴァーサルデザインは広まっていかないという指摘があったが、アートデリバリーも同様で、アートデリバリーをやりたいという要望があっても、簡単には受入れられないという状況がある。アートデリバリーに対価を払ってもいいという気になっていただかないとアートデリバリーも広まらない。今ある事例を伝えていく中で、もしかすると広まっていくかもしれないが、アートという性質上、すべての施設でアートデリバリーができるようになることはあり得ないのではとも思え、もっと生活に沿った仕組みの中で楽しんでいただけるようにするべきかなど、悩むところではある。

【川原】

先ほどのご質問の方に直接答えにはならないかもしれないが、ある種のヒントにしていただきたい。

ユニヴァーサルデザインは、今でこそ環境問題もあって追い風である。メセナはまだアゲインストだというご発言があったが、私は30年前くらいから身体が不自由な人のための生活用品のデザインをやってきたが、当時はアゲインストだった。作っても誰も聞いてくれないし、どこの企業も売ってくれないし、そういう時代が続いた。いくら当事者が熱気を傾けてもできないもので、そういうことを嫌と言うほど思い知らされた時期だったが、ちなみにその頃日本が高度経済成長でITが始まり、通常技術が進歩してくると、期せずしてさまざまなものが使いやすくなり、価格にも反映される。

ユニヴァーサルデザインのおもしろい一つの特徴は、利用者にとって確かによいということで使いやすいものが身の回りにたくさん増え、それが安価に手に入れられるとなると、商品とともに定義が普及する。そして企業あるいは事業者も利益を得る。ちょっと俗っぽい言い方だが、利用者に喜んでいただける商品を作れば、企業は儲かる。この作り手と利用者の相互利益によって、サイクルがどんどん大きく回転していく。ここにひとつヒントがあって、アートデリバリーもほしがる人がまず知らなければその効用が分からない。けれども知ると、「ああ、とってもよいんだ。これをお金に換算するとこれくらいの価値がある」ということが分かってきて、するとそこにビジネスが産まれることになる。

待っているだけでは仕方がない。ビジネスをうまく仕掛けて、上手に回転させて行くと、30年前から現時点までのユニヴァーサルデザインのようなよい回転を生み出すことができるのではないか。事業活動を生み出すために訴求していくキーマンやマネジメントを考えるに正念場があって、他に方法を追求していくことが必要になってくる。福祉の現場ではない別の、例えば広告業界の人に入ってもらうとか、コピーライターに入ってもらうとか、そう言うことも考えた方がいいかもしれない。あまり小さく取り組まないで、いろいろな人に声を掛けて、事業として、あるいはビジネスとして取り組むように考えていっていただきたい。

【稲庭】

美術館の普及活動と言われているような活動も、まったく同じような悩みを持っている。メセナのことでいうと、「美術」というとなかなかお金がつかないけれども、福祉とか別の分野だとお金がつきやすい。企業側から見て、「美術」では効力が弱い、ということだろう。「美術」にお金を投資することが、企業にとって何か利益があるというイメージを社会的に強く作り出せればお金が投下されるだろうが、今はそうじゃないイメージが「美術」にはある。

私が美術館で何かする時も、「美術」と言ってしまうことで自分から枠を作ってしまうように感じる。作品は「私は美術です」と言っている訳ではない。だから、いかに「美術」という言葉を使わずに、作品を介してコミュニケーションをいかに多面的に繋いでいくか、ここがすごく大切なポイントであると思う。

アートとか美術という言葉が、そもそもすごく枠を作ってしまうという感じがする。ビデオで見たように、アートとか美術とか言わなくても、豊かな物がそこにはある。が、美術とかアートだとかが先に来ると分からなくなってしまい、そこを突破していくことがとても重要であるだろう。

現場でやっていることを外に広めていかないといけないというのは、美術館でも同様だ。美術館でも活動の様子をDVDにして、それを貸し出すことなどを始めている。始めてみたら、学校とか色々な施設の教育機関から、私たちの思いとは逆の反響があった。教育施設の為に何かしてくれなくてもいい、美術館で何かやっている、自分達が知らないような、思ってもみなかったような活動を知らせてくれるだけですごく刺激になるので、教育普及活動としてDVDを制作し貸し出すのもいいが、美術館は美術館としての活動を活発にやってほしいと、そんなふうに言われる。これまでそうした意見交換もなかなかやってこられなかったという現実があるのだが、まずはここからやって行きたい。

【三ツ木】

今回のような発表の場にあたりアートデリバリーの記録をまとめてみて、普及の手立てなく冷え固まっていた情報だが、何かヒントになる必要とされている情報なのだということを感じた。もっと社会に広げていくべきではないかという、私たちが心の奥で感じていた思いは、今日のディスカッションを通じて、さらにより強くなっている。こうした発表の機会を作ることや、こういった映像の編集や本の出版等に取り組み、事業化に向けて取り組んでいきたい。今日この場から、いろいろな人が関わってくださることで、事業が広がっていくのだと思う。みなさんのお力を借りて進めていきたい。

【並河】

高齢化の現状とユニヴァーサルデザインの取り組み、50年間の美術館の意義、役割の変化、高齢者施設でのアートワークショップという3つの視点から報告をさせていただいた。

私も年齢的には高齢者に仲間入りし、使い勝手がよく高齢者の自尊心を意識したユニヴァーサルデザインは心強く思う。美術館が作品を介して死生観を育てていく場にもなるのではないかという提案をいただいたが、高齢者施設でのアートデリバリーにもみられるように、高齢化社会の中でアートが関わっていくうえで、生と死、個人の尊厳を意識することが重要であると思う。

分科会Aデータ

タイトル : 高齢化社会とアート環境 - シルバーパワーが社会を変える -
企画運営 : 特定非営利活動法人 NPO芸術資源開発機構
日 時 : 2007年3月3日(土)11:30 (実際は11:45頃から) 〜 13:00 (13:10頃終了)
会 場 : トヨタ自動車株式会社東京本社 2F会議室
進 行 :
11:45〜11:50 「はじめに」並河恵美子/NPO芸術資源開発機構(ARDA)代表
11:55〜12:20 「ユニヴァーサルデザインが社会を変える」
12:20〜12:40 「高齢者のミュージアム時間〜高齢化社会対応型美術館の今と未来」
12:40〜12:55 「高齢者施設へアートデリバリー」
12:55〜13:10 ディスカッション

申込総数 :146名
登録者数 :90名
当日参加者数:65名(+プレス、関係者等)

スタッフ : 村田早苗(NPO芸術資源開発機構事務局長)プロジェクト・マネージャー
安井節子(同 副理事長)児童館アートデリバリー・コーディネーター
加藤直子(同 理事、分科会チラシ・デザイナー)アートデリバリー等印刷デザイン担当
寺田真理(同 正会員)高齢者施設アートデリバリー・ボランティア


会場風景

当日配布資料


文責・編集:NPO法人ARDA事務局長村田早苗/協力:寺田真理

ページの先頭へ