ネットTAM編集部から与えられた「TAM開催地のその後」という主題と異なったお話をしなければなりません。
東日本大震災の被災地からのレポートです。
私の住む盛岡市は、岩手県内陸部ですので津波の被害はありません。3.11の本震と4.7の余震により停電・断水がありましたが、数日で復旧しました。壊滅的な被害を受けた沿岸地方に比べると小さな被害ですが、親族や友人・知人が沿岸で被災されたという市民も多く、心的苦痛は小さくありません。また、ホールの被害やイベントの開催自粛モードにより、文化事業の仕事が激減し、舞台業者や文化芸術従事者は2次被害で苦しんでいます。
私はこれまで10回ほど、津波の被害のあった沿岸地方を訪ねました。参加している「3.11絵本プロジェクトいわて」(被災地の子どもたちに絵本を届けようというプロジェクト。代表・末盛千枝子)の一環でしたが、夏によく遊びに行った美しい三陸海岸の姿が一変し、愕然としました。まちは、まるで写真で見る原爆投下や大空襲の焼け跡のように何もなく、人の営みの気配を感じることはできませんでした。震災から2か月が経過し、瓦礫の山は次第に片づけられ、仮設住宅も建ち始めましたが、いまだに暮らしの復興の道筋はついていません。
この震災に私たち文化関係者はどう立ち向かっていかなければならないか、私も自問の日々です。早く被災地に入ってお手伝いしたいというアーティストの方々から連絡をもらうことがあります。しかし、被災地は千差万別です。ひとつとして同じところはありません。被災地のニーズとアーティストの役に立ちたいという思いは必ずしも一致するものではありません。また、時の経過とともにニーズも変化します。昨日必要であったものが翌日不要になり、その逆もありえます。アートと被災地とのマッチングが必要です。
私が役員をやっているNPO法人いわてアートサポートセンターが中心となって、被災地の文化支援・文化復興をコーディネートする「いわて文化支援ネットワーク」を4月21日に立ち上げました。今後、さまざまな文化支援活動を行いますが、今取り組み始めたのが、被災地の学校の芸術鑑賞事業支援です。多くの被災地自治体では経費や交通事情により小中学校の芸術鑑賞事業実施を断念せざるをえない状況です。ひとつの校舎に2つの学校が押し込まれているという状況も珍しくなく、多くの体育館は避難所や支援物資集配所に使われています。こうした劣悪な環境のもとでも鑑賞事業をぜひ行いたいという声も出始めています。こうした願いを支えたいということで、沿岸3町村で4公演の音楽鑑賞事業を、震災で仕事が激減した盛岡のプロの演奏家を中心に足りない人材を東京等から招いて、臨時の合奏団を編成して実施することにしました。今後、こうした需要は増えていくと思います。地元の人間が多いので経費は少なくすみますが、すべてをボランティアで賄うわけではありません。各種の助成金や資金カンパを募りながら、活動を進めます。ご協力ください。いわてアートサポートセンター理事の寺崎巌(指揮者)は、「イーハトーヴの四季」という8ページのチャリティーミニ写真集を2000部発行し、1部500円で販売し、うち経費を除いた300円を文化支援金に回しています。
平野部の全家屋全壊という壊滅的な被害を受けた陸前高田市は私が中学時代暮らしたまちです。絵本を届けた同市の保育所の所長は私の同級生です。同級生は6名亡くなったという話を聞きました。彼女は園児を一生懸命避難させ、最後尾を走っていて、ふっと後ろを振り向くと大きな津波が眼前50メートルまで押し寄せてきていたそうです。あと、1分避難が遅れていたら...と言っていました。
瓦礫の中の道なき道を案内してくれたもう一人の同級生は創作太鼓グループの主宰者です。陸前高田市ではこれまで22回におよぶ全国太鼓フェスティバルを開催している太鼓のまちでもあります。多くの仲間の太鼓が流されたそうです。彼は、累々たる瓦礫の中から流された太鼓たちを探し求めて何日も歩き続けたそうです。そんな思いが通じたのでしょうか。5月29日に、全国各地から太鼓仲間が集まり太鼓のまちの灯を消してはならないと、太鼓の競演を行うことになりました。そして、秋の第23回太鼓フェスティバルはぜひ開催させたいと、彼は力強く語っていました。地域に根づいている文化の継承は最も大切な文化支援のひとつではないでしょうか。
思い起こすと、阪神・淡路大震災からほぼ2年後、トヨタ・アートマネジメント講座Vol.4神戸セッションに招かれたことがあります。テーマは震災下における「演劇の可能性」でした。私は「外の人間」としてお話させていただきました。講座終了後、新開地のバラックのような居酒屋で語りあったことを思い出します。あれから15年の歳月が流れ、今度は、否応なく自身の問題として、メッセージを出していかなければなりません。
5月5日のこどもの日、山田町で行われた「3.11 絵本プロジェクトいわて」のイベント「子供の日 in 山田八幡宮」。
(2011年5月14日)
坂田 裕一
盛岡市中央公民館館長/NPO法人いわてアートサポートセンター副理事長/岩手県演劇協会会長
1952年岩手県生まれ。國學院大學文学部卒。76年盛岡市採用。90年開館時から盛岡劇場に配属。95年度まで盛岡演劇の広場づくり推進事業や盛岡文士劇の復活などに取り組む。その後、商業観光課観光係長。盛岡市観光文化交流センター開館とともに副館長兼もりおか啄木・賢治青春館副館長を経て、盛岡市ブランド推進課長から盛岡市中央公民館長。
(財)地域創造では,ステージラボコーディネーターや専門家研究会委員を務めるほか、総合研究開発機構(NIRA)の「文化都市政策で創る都市の未来」研究会委員、北海道文化財団文化活動アドバイザーなどを歴任。大学時代から演劇活動を続け,78年に盛岡の地域劇団「赤い風」を結成。主に演出・プロデュースを担当。世界アルペンスキー選手権大会総合開会式の構成や岩手芸術祭開幕フェスティバル、プレ国民文化祭フェスティバルなどの演出も努める。2005年岩手県で初めての文化芸術系初のNPO法人「いわてアートサポートセンター」を設立、小劇場(80~100人)と小さなギャラリーを運営。日本演出者協会員、日本アートマネージメント学会員。著書に『創造都市への展望』(共著・学芸社)ほか、戯曲『赤い風版北帰行』『テルミドールの風』。
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