「私は社会彫刻家である。」
Relight Committeeを振り返って
当連載の最終回の前半は、Relight Committeeの振り返り、そして後半は、運営を支えるRC2015の役割を引き継ぎ、卒業したばかりのRC2016たちが最終授業のレポートをまとめています。
「社会彫刻家」の輩出を目指す市民大学として、2016年7月からスタートしたRelight Committee(以下、RC)。アーティスト、エンジニア、大学職員、行政・民間企業、財団職員など多世代・多分野のメンバーで構成されたRCは、全9回の課程を終え、彼らは卒業し、第1期生が誕生しました。今後はRCで培った学びが、それぞれの日常で実践されることになります。
2017年4月に3年目を迎えたRelight Projectは、2015年、このプロジェクトの課題や目的に賛同し、方向性の舵取りという大きな役割を担う有志の集団とともにスタートしました。RC2015=第0期生と歩み始めた初年度は、「アートと社会について従来の定義や枠組みを超えた対話を重ね、具体的な行動につなげる人を育てる学びの場」として位置づけられてはいたものの、「Relight Days」の実現が目的でもあったため、彼らの時間、知恵と労働の大部分がこのイベントに注がれていました。また、1年目ということで、外からの期待と同時に、当事者としての高揚感と緊張感の中で進み、言葉にならないほどの達成感もあったことを記憶しています。ただし、ここでは、そもそもの狙いであった「対話」に十分な時間が取れなかったことなど、課題が残ったのも事実でした。
そこでこの成功体験から得た実践的な側面を怠ることなく、もう少し市民大学らしい「学び」の仕組み、特に対話を中心とした学習の側面を組み込むために運営体制の見直しやプログラム内容の洗い出しをしました。
その結果、2016年からは新たに「社会彫刻家の輩出を目指す市民大学」という目的と学びのフレームを打ち出し、アートの持つ可能性を知ることで実践的な力を身につけ、自らの領域を切り開く力を育む人を増やしていきたいと考えたのです。この1年、RC自体の学びの理念や理想を追求しては構想を練り直し、同時に既存の教育システムや本来の学びの形・あり方自体をも問い直し、受講生を含む参加者すべてが主体性を持って学ぶ・かかわるための環境や仕組みづくりへの課題から、条件などを考察・模索してきました。
当連載第3回「実験的な学びの場が持つ課題」にも書きましたが、RCは英語の技術が身につくとか、現代アートについて詳しくなるとか、対外的にみると具体的な技術や技法、知識の取得という従来の学びのアウトプットには特化していません。それは受講生に合わせて、それぞれの学びを積み上げながら全体の授業内容を決定し、展開をするプロセスに比重を置く学びの場であるからです。
そして、社会彫刻家を「アートが持つ創造性や想像力を用いて、自らの生活や仕事に新たな価値をつくり続け、行動する人」として掲げ、授業を展開してきました。ヨーゼフ・ボイスが唱えた「社会彫刻」の観念であり、当市民大学にとって一番大切な部分は、「誰しもが社会を変えるために働ける、動ける」ということだと思っています。自立(independence)もし、自律(autonomy)もすることで、主体的(pro-active)な行動となることは社会彫刻家としての大切な資質であり、常に社会を見渡しながら、自らの視座で創意工夫をし、行動を促す判断作業の連続でもあります。
RC2016から学んだこと
この理念を全うするために、それぞれの違い・個性を最大限に尊重したうえで「思考する」状況や環境をつくるために、考えを深めるための情報の共有、定期的な対話や議論の場を意識的に多く設けてきました。ここから見えてきたことは、受講生はもちろんのこと、TA的な役割で運営側にいるRC2015メンバー含むかかわるものすべてが、よい緊張感を保ちつつ、互いが歩み寄りながらも、自分の中で腑に落ちないこと、思考を停止させないためにも「なぜ?」という問いを自信を持って投げかけ、とことん話し合える信頼関係が構築されていく状況が生まれたことでした。RCは、全人格の形成を目的とする学びの場に近いので、このような思考の切り口を多く持ち、なおかつフラットな環境を保持することの大切さをあらためて実感しました。同時にここは、安心して日常ではありえない挑戦をし、失敗できる場でもあったと思います。
RCでは、人々の思考を刺激することや、問いかけのツールとして現代アートが非常に有用であると考え、問い続けること、疑問を持つことの重要性を唱え続けています。そこには絶対的な答えはなく、思考し続けることからしか生まれない、自分にしかない答えを見いだすことの大切さを伝え・教えてきたつもりです。
授業の課題の一つが、プロジェクトのテーマ「生と死」について、社会彫刻家としてのアクションを企画することでした。後半で詳しくここの企画について書かれていますが、RC2016メンバーは、それぞれの個性と専門分野を軸足にしながら、アートを介するからこそ今まで向き合ったことのないテーマや領域に踏み込み、日常生活の中ではありえないことを大胆に考え、行動化することができたと思います。たとえば、江口恭代は、普段は某外資系大手のエグゼクティブ・セクレタリーをしていますが、彼女はとにかく自分の肉声でこのテーマと向き合うことを貫き、『心の声 祈り ここから新たに』を企画しました。バーでのミニコンサートなどの提案もありましたが、彼女は、ギルバード&ジョージの作品づくりにおける概念とされている「Living Sculpture」 のことや、リー・ミンウェイの「ソニック・ブラッサム」など人との関係性についてアートによってチャレンジする作品を知ることで、真っ白な服に身を包み、六本木の街を徘徊しながら、ひたすら『花は咲く』を歌いづつける企画を行ったのです。彼女は、歌いたいという素直な欲求から、パフォーマンス・アートという概念や事例を知ることで、自分自身の身体こそが作品である、まさにLiving Sculpture=生きた彫刻を演じ切ったと思っています。
また、「生きるってめんどくさい」を企画した関恵理子は、普段NPO法人の総務などを担当しています。映画は好きだが現代アートとは無縁のままRCに飛び込んできました。彼女は、長い間後ろ向きな気持ちであった「生きることの面倒くささ」を公の場で認め、1年間日々の面倒くさいことについて向き合い、書き続けるというアクションにコミットしました。このようなアクションに行き着いたのは、彼女がアートに出会い、自分なりのアートの解釈をしたからです。
アイデアが出てから実行プランに落とし込むまでの間、彼女とは何度も話し合いをし、このアイデアを形にするために、授業内で活用したアートの事例や彼女のアイデアを形にするのに役に立ちそうなアートの事例や思想を共有しました。その中でも、特にTehching Hsiehの「ONE YEAR PERFORMANCE」などの作品について噛み砕きながら彼女のアイデアについて話をしているうちに、彼女が自分で納得し、行動に落とし込んでいきました。
アートの醍醐味は、一見ネガティブな思考でもある「生きることが面倒くさい」ということすらも肯定されたり、答えなき道を歩み、迷いながら自分自身と向かい合い、足掻いている姿が愛おしく、宮島達男の言葉を借りると「チャーミング」にさえ見えてきたりします。そして、人はそういう姿に心を動かされるのです。
今の社会構造の中に自分自身を位置づけ、即答を求められがちな社会から期待された「正解」をつくり出すのではなく、自分と向き合い思考する過程を経て自分の答えを見つけることを徹底して行動した受講生の姿をみせつけられ、考えさせられました。それによって、問うことはより世の中を知ろうとする機会を生み、その好奇心が新たな学びにつながり、結果、壮大な価値観が育っていくということを、受講生から学びました。
当連載後半部分にあるRC2016の言葉が多くを語ってくれるはずですが、こうやってアートは答えのないことを問い続けることで、世の中にない価値観を指し示す大切な役割となるのです。
現在、RC2017に向けて再度大綱の確認、具体的なカリキュラム制作に取り掛かっていますが、最後の授業で受講生からのフィードバックを受け今考えていることは、素直にもっとアートのおもしろさを伝えたい、また社会彫刻家の意味を深めるためにも、今以上にもっと「アートをする」実験的な時間を取り入れようと考えています。
たとえばアート事例を学ぶ切り口を多様化し、議論ベースで進める方法や、体験ベースとして今回RC2016がつくった「社会彫刻家を探せ」の継続や、RC向けに制作されたアクションや作品を体験したり、歴史的なパフォーマンスアートからインストラクションやハプニングを実際に再演してみることなども検討中です。それから、RC2015と2016のOB・OGが今後もかかわれるための仕組みも見直しています。
RCが目指すべき人物像:社会彫刻家って?
繰り返しになりますが、社会彫刻家という言葉は、アーティストのヨーゼフ・ボイスが提唱した「社会彫刻」の概念をベースに考えられました。その具体的な実像は個々人の背景や職種により多様な形があります。RCでは、さまざまな領域において社会彫刻家が増えることで、より豊かで成熟した社会になっていくと考えています。
本来、創造性・想像力は誰もが持っているとても平等な能力です。社会彫刻家の本質は、一人ひとりが考える力や創造する力を発揮しながら社会を形づくっていくことにあります。アートを活用して、考える・感じることを伝え・教えることにより、参加する一人ひとりがアートと社会の関係性を考察し、アートが持つ創造性や想像力を用いて自らの生活や仕事に新たな価値をつくり続け、行動していってほしいという考えから生まれたものです。
3月18日の最終日、卒業証書に代わり、卒業後も自分自身に問いつづけるツールとして「私は社会彫刻家である。I am a Social Sculptor. 」と記されているカードを授与しました。どこにでも常備できて、そのカードを見るたびに、今の自分にとって「社会彫刻家とは何か?」を考え続けてほしいと願い、このようなかたちをとりました。言葉の定義は、それぞれにゆだねられています。
終わりが始まり
冒頭にも述べたように、RCでの学びはそれぞれの職場や日常生活の中で、RCを通じて考えたこと、感じたことを応用しながら職場や生活に活かしていくこととなります。1年という限られた時間でしたが、ともにアートを介して自らの行動を考え、それぞれが普段の生活では考えない方法や思考で物事を捉え実践をした受講生たちは、確実に今までとは違った考え方や物の捉え方を知り、思考する癖や、いろんなことに疑問を持つ習慣とリテラシーを身につけて卒業したことと確信しています。
先日、RC2015のメンバーが企画・構成・出版した「Relight Committee Book 2015〜2016」の冒頭で、彼らはこう綴っています。
私たちがRCの1年間の活動で積み重ねた思考や気づきは、今もメンバーそれぞれの中に息づき日々の生活に変化をもたらしています。そして今回、あの日々ともう一度向き合い、自らが得たものを自らの手で1冊の本として残す挑戦をしました。私たちの学びと実践は、終わることなく今後も続いていきます。
私がこの言葉を受けてあらためて思うことは、現代社会で生きていくうえで、人々の想像・創造性こそが社会を形づくる本質で、アートは必要不可欠であることです。そして、各々が学びを実感するのには、時間が必要であるということです。具体的に何を学んだのかは、これからの日常生活の中での自分の変わり様が教えてくれるはずです。
今後も、RCの活動を通して、現代アートの思想や社会彫刻的概念の構造を応用することで、人々の潜在的な力や個性・感性を、彫刻のように可視化できる経験をつくりあげていきます。またここで、自分自身を深く知る機会から「自分らしさ」を見いだすことの素晴らしさを、より多くの人に伝えていくこともこの活動の重要な目的のひとつと捉えています。
4月も半ば。2017年7月から開講予定のRC2017参加者・受講生の公募が、5月末ごろからスタートする予定です。詳しくは公式Facebookでご確認ください。
(2017年4月11日)
特定非営利活動法人インビジブル 菊池宏子
講座レポート(第9回2017年3月18日)
報告:Relight Committee2016:松葉有香、高木萌子、江崎日淑、関恵理子、江口恭代、山田悠、田島悠史
社会彫刻家を目指して
2016年夏、それぞれの思いを抱えたメンバーが集まり、Relight Committee2016が開講された。Relight Committee(以下、RC)は2015年にスタートし、今回で2年目を迎える。
市民大学としての「社会彫刻家の輩出」という新たなテーマ、その言葉に導かれたメンバー7名が加わった。ともに2017年3月11日から13日に開催されたRelight Daysを一つのゴールに走り出した日々。
3月18日に私たちは最終回を迎え、一人ひとりが「私は社会彫刻家である」というカードを授与された。果たして目指す社会彫刻家に近づくことができたのか。
思い返せば、それぞれに他者を通して自分自身と向き合う日々であったと思う。ユニークな他己紹介で始まる初回。思わず白熱した思い出深い回。そしてこれまでの集大成としての最終回。決して馴れ合いではない、適度な緊張感がある環境、毎回の授業が今の自分達の呼吸を反映した展開を見せていた。
2017年春、私達のこれまでの学びを一人ひとりの言葉で綴ってみたい。
新しい世界で、欲望の死に挑む(松葉有香)
私にとっての「社会彫刻家」とは、「社会に、人の心に、新たな風を刻み込む者」だ。
しかし、今だからこそ自分の定義を語れるが、最初から私の中にあったわけではない。
普段エンジニアとして働く私が、異なる世界に足を踏み入れたいために参加したRC。だが、私はそもそも社会彫刻家という言葉やアートについてほとんど無知であった。「アート=絵画」という短絡的な理解ではないが、では実際なんなのかと聞かれるとわからなかった。
そこから一歩進めたのが、第2回の座学で『Touch Sanitation Show』(Mierle Laderman Ukeles,1984)を紹介されたときだ。「そうか、アートとは見て楽しむだけではなく、見る人の考え方にまで作用するものなのだ」と。まだアートの片鱗しか理解していないかもしれないが、それでも私の中の「アート」が広がった瞬間だった。
そして最も衝撃的だったのは、各自のActionについて議論する月例報告会だ。そこで重要だったのは、主語が自分であることだった。金銭を支払う人=ターゲットを重要視するビジネスとは異なり、RCでは「なぜ自分がやりたいのか」を重要視していた。だからこそRCという場での議論は熱く、そして深い。中には自分をさらけ出せずに悩む人もいたが、それは逆にいえば、ここまで個を引き出せる場が世の中には少ないということなのだろうと感じた。
私にとってRCとは、そんな新しい世界を与えてくれた場である。正直、このRCの募集概要は不可解なもので、社会彫刻家を育成するといわれても、そもそも社会彫刻家がなんなのかわからなかった。でも、その扉を無知なまま強引にでも開いてみて正解だったと、ここにきて深く思う。
そんなRCを通じて生まれた私のAction『欲望の生と死』とは、「過去に抱いた欲望と一つひとつ向き合ったら、もっと人生が楽しくなるのではないか?」という問いから生まれたものだった。しかし、これを実行するにあたって他人を巻き込むことは必須条件であった。というのも、私の欲望は他人の欲望を蘇らせて前に進めることだったからだ。
そのために私はワクワクシートを作成し、それを使うことによってたくさんの人に「ワクワク=欲望の種」を思い出してもらうワークショップを行った。
だが、これは私自身のエゴかもしれない。私一人のポジティブ思考のために、仕方なく巻き込まれているだけではないだろうか。そんな考えがなん度もよぎった。しかし、少なくともRCという20名ほどの賛同者がいた。マジョリティがどう思うかはいまだわからないが、その答えはきっと今後も続けていくことでわかってくるだろう。
私は、このActionを始めるきっかけ=勇気を、RCでもらえてよかったと感じている。
私は社会彫刻家になれたのだろうか。その答えはわからない。誰が決めるものなのかも、その定義がなんなのかも。だが私は自分なりの解釈のもと、自分の存在を社会に刻み込むためにこれからも活動していく。そう志している限りきっと私は社会彫刻家なのだろうと、多少見栄を張ってもいいではないかと、私のポジティブ思考は語る。
松葉有香Action『欲望の生と死』
『傍観者』という私(高木萌子)
私にとっての「社会彫刻家」とは「自分の思考があり、誰がなんといおうと行動を起こしてしまう人」である。
RCに参加したきっかけは、大学のときの友人の勧めだった。何か新しいことを始めたいと思っていた私は「社会彫刻家」という言葉をウィキペディアで調べて、エントリーシートを書き始めた。
RCの初回、エンジニアから学童保育の先生など、さまざまな社会的背景を持つメンバーと顔合わせし、久しぶりに緊張感を感じたことを覚えている。そこから全9回の講義で「アート・生と死・自分」と向き合う1年が始まった。
vol.1
RCで飛び交う意見や内容、知識、すべてが新鮮だった。それだけ、自分が今までアートについて考える機会がなかったことを痛感した1日となった。
vol.2
「江原先生」の活動について話をうかがい、社会彫刻家について議論する時間だった。この日、先生から学んだ社会彫刻家像とは「自分に与えられた環境で、周りを巻き込みながら活動を起こせる人物」だった。アートの力に魅せられた江原先生は、小学校の先生という立場で、それを子どもたちに伝える授業を行っているのだと理解した。
この1年を通じて、江原先生を知れば知るほど、先生のアートが好きだという思考を知ることができた。先生は、その考えを教師という立場を生かして、子どもたちに伝えようと行動している社会彫刻家なのだとあらためて認識することができた。
vol.3
六本木のまちを歩きながら、自分がアート的だと思う風景をInstagramで撮影する。この時、私は自分の感じるものが何かさえわからないと感じた違和感が残った。
vol.4
Relight Project、そしてRCのきっかけでもある宮島達男さんの作品『Counter Void』のテーマ「生と死」をもとに企画を発表する。普段から仕事で、遺贈寄付という死を意識する現場にいるからか、自分の思考というよりは、自分の仕事にひっぱられた提案となってしまった。実際に、私の主体性が見えないというフィードバックをもらった。
vol.7
「生と死の間の人生のストーリー 『感動を伝える』ことで未来をつなぐ」という提案をしたが、ここでも自分が主体とならない提案になっていた。どうして自分のない提案になるのか、私自身も理由がわからないままだった。
vol.8
3回目の提案でも成長なく、主体性のない提案をしている自分がいた。再度見直しをするよう、メンバーからも厳しいコメントももらった。そのコメントを受けて、ありがたいと思いたい気持ちと同時に、自分の中で納得のいかない気持ち悪さがあった。「アートに正解があるの?自分の企画なのに、主体性がないってどういうこと?社会彫刻家の定義が明確ではないのに、なんで自分の企画がだめなのか、理解ができない。生と死というテーマは、社会彫刻家と関係があるの?」と自問自答の日々が続いた。
そんなことをメンバーに相談したり、実際に自分の興味がある教育現場にも足を運びながら、一生懸命自分の直感を探した。しかし、どれもしっくりこない。今やりたいと心から思えるActionがないのが今の私の現状だった。
自分の思考がないとわかったとき、自分が社会の中にいる『傍観者』だと気がついたのだ。RCでのクラスを通じて自分を知ることができたことは、本当に宝物だと思っている。これから自分の直感や思考を鍛え、主体的に行動できる自分になりたいと思う。
高木萌子Action 「『傍観者』という私」
現実世界で、非現実世界の体験の場をつくる社会彫刻家(江崎日淑)
私にとっての「社会彫刻家」とは、「経験から生まれた社会に対する問いを持ち、その問いをピュアに考える空間・空気をつくり出す人」である。そして、彼・彼女らによってつくられた空間・空気は、現実の世界に存在するが非現実的な空間・空気を持っていることだ。
授業で取り上げてもらった『Fluids』(Allan Kaprow,1967) という氷のブロックを積む作品。何か不思議な魅力があり、私は引き込まれていった。
どんなに頑張ってブロックを積み上げても、いつかは溶けてしまう氷のブロックをみんなで積み上げていく。現実世界ではブロックを積み上げているが、その光景は日常で起こりえない非現実の空間・空気とも言える。その非現実を匂わす作品を知り、さまざまな問いが浮かんできた。
「物理的に形に残らないことをやるモチベーションはどこから来るのだろう? 物理的に形にならないことは、果たして何も残らないことにつながるのであろうか?目に見えない価値がそこにあるのだろうか?」
そんな問いの答えを探しに、いつの間にか今までの経験を振り返っていた。そこで思い浮かんだのは、中学校時代のソフトテニス部でのボール拾いだ。先輩のプレーを見ながら、とにかくボールをみんなで拾い、カゴに入れる。最初は自由に拾うが、だんだん一緒に拾っている仲間と頭を働かせて最適な方法を考え始める。その過程から仲間意識が生まれたり知恵を共有し合ったりするなど、形には残っていないが心の中にその体験が刻まれていた。
Allan Kaprowさんの伝えたかったこととは違うかもしれない。でも私はこの作品から、誰かと時をともにする体験から心に刻まれるものが生まれ、そしてそれは見えないものであるが欠かせないものであることを感じたのだ。
このように、RCの授業でさまざまな作品を紹介してもらい、アートとはどのようなものであり、どのように見ていくのかの一例を教わった。そしていよいよ「生と死」についての私自身のActionの課題が出された。
私は、ビジネスの世界でぶち当たった問いと、その先で行き着いた方法をパフォーマンスアートで表現する試みを行った。
そのActionは『MOYA TO CHARA(もやとぅーちゃら)』と名づけた。ビジネスマンのモヤモヤを禅の力で吹き飛ばす5分間のパフォーマンスアートである。このActionには、出会った人と私との間にできる体験が、いつか何かムーブメントを生み出すものになってほしいという想いを込めた。
今思うとここでパフォーマンスアートを選んだのは、Allan Kaprowさんのような形にはならないけど心に刻まれる作品の影響を受けたのかもしれない。あえて5分間という制限を設けたのは、現実と非現実の境界をはっきりさせ、自分を振り返る時間に集中してほしかったからである。
そして本番。私は20名前後の方に『MOYA TO CHARA』を体験してもらった。やってみると、5分間という時間は長く感じられた。この短い時間から、その人の人間性や人生観が見え隠れする。モヤモヤはネガティブなイメージがあったが、実はモヤモヤが強い人は、とても前のめりな人でもあることに気がついた。また『MOYA TO CHARA』を行うことで、私自身が自然と心穏やかになった。
「今、夢中になっていることを実現できる職種にキャリアチェンジをしたいと考えている中で、『MOYA TO CHARA』は私に前に進む勇気をくれた。ありがとう」
イタリア人の彼女は、そんなメッセージをくれた。非現実の空間が、現実の世界を豊かにしていく。このメッセージをもらったとき、私は『MOYA TO CHARA』を続けていこうと決心した。まだ試行錯誤中の『MOYA TO CHARA』。いろんな人とかかわりながら、『MOYA TO CHARA』をより伝わりやすい形に彫刻していこうと思う。
Relight Projectと出会い、そしてそこに集まるメンバーと触れ合い、時間をともにしたことが大きな学びであった。加えて、自分自身でアートをつくり出し、実践するプロセスは、よりアートを理解する糧となった。パーフェクトには程遠い作品かもしれないが、『MOYA TO CHARA』をつくり出し、実践したことにより得られたものは大きかった。
これからも社会彫刻家として社会に対して問いを持てる人間でありたいと思う。
江崎日淑Action 『MOYA TO CHARA』
チャーミングに生きる(関恵理子)
私にとっての「社会彫刻家」とは「自分の軸があり、それに基づいて行動できる人」である。
RCに入る前、私はアートに飢えていた。なぜなら、私の周りからアートの気配が消えていたからだ。慌ててネットを検索して、アートの中に入っていける何かを探した。そこで見つけたのがRCだった。
「アートプロジェクト」「市民大学」「社会彫刻家」というキーワードが胸を刺した。何をする場所なのかよく分からなかったけど、ピンと来た。「ここ行ってみたいかも」。
私は絵を描いたり、何かをつくったりするのが得意ではない。だから、そういう技術を教える学校には向いていない。私はアート的態度を身につけたいと思っていた。イメージとしては、自分の考えがきちんとあって、それを表現できること。そうゆう態度を身につけたいと思ってRCに参加した。
最初は座学中心でスタートした。休日の朝早くから通うのはちょっとしんどかったけれども、新しいアートを知る喜びが勝った。社会に対して一石を投じるような、自分の足元がぐらつくようなアートが絶妙に差し出され、ちょうどNPO法人で働き始めた私には「お前はそれでいいのか」といつも問われていた気がした。
回が進むにつれ、自分のActionを企画することになる。アートなんてやったことがないし、何を足掛かりにしていいのかも分からない。わからないなりに借り物のような企画を発表すると、私が無意識に発していた「生きるのがめんどくさい」という言葉に、菊池さんが反応してくれた。
「それおもしろいからやってみれば」
自分が意図していなかったところに反応され、面食らったがうれしい気持ちになった。
「それいっていいんだ。それっておもしろいんだ」
とはいえ、「生きることがめんどくさい」というネガティブな感情に向き合うことに抵抗はあった。
「そんな暗いことをじめじめやりたくないな。恥ずかしくて人にいえないな。うっかり自分をさらけ出して後でバカ見るのやだな」
小さな葛藤、だらだらと時間が過ぎる日々。ほかにいいアイディアがないし、タイムリミットが迫る。腹を括って、めんどくさいことについて1年間書き綴るAction『生きるってめんどくさい』をやることにした。何よりも、RCメンバーが「それ読んでみたい」といってくれたことが、私の背中を押した。
最初は上手く書けなかった。グチっぽくなったり、何がいいたいのかよくわからなくなったり。やっぱりこんなめんどくさい企画やりたくないなと思ったり。ところが、中間報告で発表すると笑いがおきる。なぜか皆がおもしろがる。
「これっておもしろいの?」
なんとなく手ごたえを感じ始めた。ネガティブで後ろめたいと思っていた感情は、アートという装置を利用することでユーモラスなものに変換できることに気づいた。
蓋をしていた感情を表に出すことは、膿を出すように気持ちいいし、スッキリする。そして、それが新しい創造につながる。自分の気持ちを正直に話すことは、他の誰かの気持ちを開くことを知った。
3月18日の最終報告をした後に、宮島達男さんから「社会起業家と社会彫刻家の違いは?」と質問を受けた。
私は「社会起業家は、社会課題に対してミッションを設定し、ビジネスを通じて解決する人。社会彫刻家は、自分の中の問題意識に向き合って行動する人だと思う」と答えた。すると、宮島さんが「社会彫刻家は表現方法としてチャーミングでないとならない。あなたの作品はそんなことやってしまうのかというドキドキ感があってチャーミング」といってくれた。
「表現としてチャーミングであれ」。これは「人としてチャーミングであれ」とも取れる。これからの生き方を示唆していただいた気がした。
私のActionはまだまだ続く。どのように変化していくのか、どのように終わるのか、まだ想像がつかない。でも、このActionを通して、最初に思い描いていた「アート的態度」のしっぽを掴めたように思う。そして、これからますますチャーミングに磨きをかけていきたいと思う。
関恵理子Action 『生きるってめんどくさい』
辿り着いたスタートライン(江口恭代)
初めて社会彫刻家という言葉と出会ったその日から、今もそしてこれからも大げさかもしれないが、探求し続けていきたい言葉との出会いだと感じている。
私にとっての「社会彫刻家」とは「与えられた今の環境で生きながらも、未来に向けて他者とかかわり、社会とかかわり、その中から他者や社会に向けて自分自身というフィルターを通して自らの思いを表現し、周りに自らの思いを届け、小さな気づきの連鎖を与えていくことのできる人」だと思う。
こうして最終回を無事終えてこの原稿を書いている今、自身のAction『心の声 祈り ここから新たに』を終え、ようやく社会彫刻家としてのスタートラインに立てたように感じる。
3月11日、六本木の路上を歩きながら『花は咲く』を歌うパフォーマンスを行い、また同日の現代アーティスト宮島達男さんの青山での講演会の質問タイムに挙手をし、感想として『花は咲く』を歌った。
路上でのパフォーマンスはまるで修行のようであり、通行人の視線が痛く感じたこともあったが、歌い続けているうちに自分の心はぶれずに凛と定まっていた。そのとき、表現するということには、伝えたい強い思い、初心を貫き通す覚悟が必要だと感じた。
思い起こせば、このActionを実施するまで生みの苦しみがあり、それと同時にワクワクもあり、苦しさとワクワクと心の振り幅が日々変化し、不安定ながらも楽しく忘れられない日々であった。
また、人とのつながりや周りのメンバーの存在の大きさをとても感じ、他者に受容され同じ思いを共有できる喜びを感じる日々でもあった。
実施予定だった私の考えたプランができなくなったときの宏子さんと曉甫さんとの日曜の朝早いSkypeでのプラン変更ミーティング、就職活動の始まる時期にもかかわらず歌の練習に何度も一緒に付き合ってくれ、一緒にパフォーマンスも行ってくれた香月さん、多忙にもかかわらず映像に収めてくれた丸尾さん、一緒に講演会で歌ってくれた宮島さん、そして同じ生みの苦しみを抱えながらActionの実施を応援し続けてくれたRC2016のメンバーのみんな。
Actionを無事実施できた日の帰り道、一人歩きながら安堵と感動と感謝とこうした出会いに胸がいっぱいになりながら、人とのつながり、生きることの意味はすべてここに集約されているという気がした。
宮城県の七ヶ浜で生まれ、仙台市で育ち、東日本大震災以降、被災地出身でありながら何もしていない自分自身にずっと後ろめたさを感じ生きてきた。Actionを行ってみて、癒され救われたかった対象は、自分自身だったということにも気がついた。背負ってきたこれまでの重い気持ちから解放され、軽やかな心持ちでこれから前を向いて生きていける。そんなスタートラインにやっとたどり着けた気がする。
このRCでは、一番自分自身の心の対話を求められている気がした。企業の秘書として働いている私は、常に自分を一旦どこかに置いて一歩引いた立場を演じなくてはならない。
だからこそ、自分の気持ちとありのままに対話し、自分の想いを受容してくれる仲間と出会えたことは大きな意味がある。自分自身を表現できる場所を得られたことは、大きな感動体験であった。
1年間RCのメンバーとしてかかわり、自分と向き合う機会を持てたこと、自分を表現するおもしろさ、自由を得たこと、仲間との出会いなど想像以上に新たな発見の日々だった。まさに今を生きた、そんな青春時代にも近いものを感じた。
皆の心の葛藤、生みの苦しみを共有できたからだろうか。同志のようなこれまでにない新たな人間関係を結べる場所であった。これからも、そうあり続けるように来年もかかわっていきたい。
ここで終わらずに、これからも自分との対話を続け、社会彫刻家を目指して日々生きていきたい。
江口恭代Action 『心の声 祈り ここから新たに』
「アーティスト」と「社会彫刻家」(山田悠)
1年間のRCを終えてみて、私は「社会彫刻家」とは「人と人との関係をつくっていく者のことである」と答えを出したい。
漠然と、「社会」とは自分の力ではどうにもならない、何かとても大きくて捉えどころのないものだと思い描いていた。しかし今はもっと身近で、目の前にいる人々との関係をきちんと結んでいくことで、「社会」はつくられていくものなのだろうと感じている。そして、そのことに自発的で、意志を持って働きかけをしている者が「社会彫刻家」なのだろうと思う。
私は「アーティスト」としてRCに参加していたが、難しいところが多かったのが正直な感想だ。RCに参加する前の面接で(参加者は全員、菊池宏子さん、林曉甫さんの二人と事前に面接を行っている)菊池さんから「普段はアートをやっていない人たちに向けた講座だから、座学ではちょっと退屈しちゃうかもしれないし『アーティスト』だから求められることも出てくると思うけれど、それでも大丈夫?」といわれていた。2016年6月のことである。
2015年末にフランス留学から戻った私は、「自分はアーティストとしてどのように生きていくことができるのだろうか」と悶々としていた。面接で「大丈夫?」といわれてはいたが、自分の中ではこのプログラムは「社会彫刻家」の育成が目的であるから、「アーティスト」である自分自身は横に置いて参加できると考えていた。そうすることで、この社会の中での「アーティスト」の位置を客観的に掴めると思っていた。
そんな想いで始めたRCだったが、あっけなく私の思惑は打ち砕かれた。初回のRCで行った他己紹介(2人ペアとなってお互いのことを全員の前で紹介し合う)で、室内さん(「会長」というあだ名のRC2015メンバー)とペアになったのだが、そこで彼女より「山田さんはアーティストです」と高らかに宣言していただくことになる。本当はもう少しひっそりと、息を潜めながら参加する予定だったのだが、ここで晴れて「アーティスト」としての参加が公然のものとなった。
世の中は常に肩書きを欲するのだ、とそのときばかりは強く思ったが、このことをきっかけに私はRCに「アーティスト」として参加することに対して、徐々に前向きになっていく。また同時に「アーティスト」であるのだからおもしろいことをしなくては、よい作品をつくらなくては、というプレッシャーも常に感じていた。
今ここで、RCが終わってみて思い返してみれば、私がこの8ヶ月間で繰り返し自分自身に問い続けてきたのは、そもそも「私はなぜRCに参加したのか?」ということだったように思う。参加しておきながら、終わるまでずっと参加理由を問い続けるというのは変な話だが、自分自身が対峙する課題そのものを考えることが求められるこの学校で(第6回のネットTAMレポート参照)、私にとっての課題はまさにRCへの参加理由の中に隠れていたのだと今にして思う。
おそらく、メンバーのそれぞれが自分の中に何かしらの疑問や課題を持ちながら、しかしそれがなんなのかはっきりとはわからずにRCへの参加を決めたのではないだろうか。ある人にとってそれは「後悔」だったかもしれないし、またある人にとっては「欲望」だったかもしれない。そしてそれは、私にとって「アーティスト」としての私自身と向かい合うことだった。参加前に抱いていた「自分はアーティストとしてどのように生きていくことができるのだろうか」という想いは、そのまま「私はアーティストとしてどのように生きていきたいのか」という形の問いになって返ってきた。
「アーティスト」と「社会彫刻家」の具体的な定義や違いが自分の中で明確にならず、「社会彫刻家」として学びたいこと、「アーティスト」としてやりたいこと、「アーティスト」として求められること、これらの間を何度も行き来してきた。「社会彫刻家」=「アーティスト」ではなく、「アーティスト」=「社会彫刻家」でもないが、「アーティスト」であり「社会彫刻家」でもあることは可能なことであると思う。
アート作品(『Counter Void』)が、作者自身(宮島達男)の手から離れ、それを引き受けた人たち(Relight Project)によって、また別の誰か(Relight Committee)に引き継がれていく。アート作品を皆のものとして「つかってほしい」という想い、それを誰かと一緒に「つかおう」という想い、「つかいたい」という想い。私はRCを通じてそれらを共有し、またその想いのバトンを「つかった」という実感とともに手にすることができているように思う。
まだまだ未熟な私であるが、「アーティスト」であり、「社会彫刻家」でもあるように生きることを目指して、ここから一歩一歩、自分の行動を起こしていきたい。
山田悠Action 『Passengers』
「闘技場としてのRelight Committee」(田島悠史)
ぼくがおぼろげに思う「社会彫刻家」の定義は、「個人の動機を社会につなげ、その実現に向けて動く者」という感じのものになると思う。おぼろげなのだけれど
(外部からの依頼ではなく)個人の動機が起点になる以上、他者との衝突は不可避になる。しかし、その先には社会がある以上、その闘争は落とし所のあるものになるはずだ。政治学者Chantal Mouffeは「闘技的民主主義」を唱えている。これは乱暴にいえば、ゲームのルールの範囲内における葛藤や衝突といった「闘技」こそが民主主義には必要だ、というものだ。
ぼくがRCに求めていたものは、まさに「闘技」であり(…とカッコつけてみたが、要は「話がしたいから」だ)、それは十分に与えられたというのが今の実感だ。RC2016という「同級生」や、RC2015という「先輩」とたくさんの議論という「闘技」ができた。
しかし「闘技」を享受できる人は限られている。その一方で、その機会がなくても環境を整えることで「闘技」ができる人はいる。「闘技」を広げる方法はないか、と考えて実施したのがぼくのAction『collided thanatologies』だ。これは、ある90歳の女性に対する質問をインターネット上で呼びかけたうえで、私が媒体となりながら、女性がその質問に回答するものだ。世代も価値観も異なる質問者と回答者を、私とインターネットが媒介することで「闘技」が可能になるのではないかと考えた。
結果として、Actionを通じておもしろい「闘技」ができた。
Q「亡くなった人で会いたい人は?」
A「いないねえ」(いないのかよ!)
Q「一番楽しかった時期は?」
A「戦争中、同世代の女の子たちと病院で働いたこと。他愛もない話が楽しかった」
などなど。会いたい人といえば夫、戦争といえば悲惨、といったステレオタイプが崩される。動画の編集はまだ終わっていない。まだまだおもしろいネタ、「闘技」のネタが詰まっているように思える。
『collided thanatologies』の実現までに、鋭い質疑応答が繰り広げられた。私の発言の矛盾や、考えていない部分を的確に指摘された。それに対して、数秒で回答をひねり出して、また有効なコメントをいただく。RCは「闘技場」であった。
思えば「闘技」できる環境はなかなか存在しない。「闘技」はスピードを遅らせ、成果を減らしえるからだ。それは仕事はもちろん、大学のような教育コミュニティですら成果を求められ、しっかりと「闘技」する機会がつくりにくくなっている気がする。
さて、この1年の経験を、どう今後に活かしていくか。
「RCによって、今後が完全に変わってしまった」ということはさすがにないのだが、やるべきことの視野は明瞭になったように思える。たぶんそれは「闘技」にかかわるものだろう。
それにしても、心地よく楽しい時間だった。最後に「RCの皆さん。また何かやりたいです!」と叫んで、この場を締めようと思う。
田島悠史Action 『collided thanatologies』
緩やかなつながりの場所
3月18日のRCでは、RC2016による「座談会」と、RC2016発プロジェクト『社会彫刻家を探せ』の発表も同時に行われた。
RC2016による「座談会」は、RC2016の学びの総決算・振り返りとして実施した。「座談会」といっても堅苦しいものではなく、モデルは1月にRC2016がこっそりやった「新年会」だ。
「気楽に話せそう」ということで指名されたRC2015の山上祐介さんの司会により、「座談会」は始まった。最初に考えていた社会彫刻家はどんなものだったか、一番苦しかったのはいつだったか、前回(2月18日)の授業はどうだったのかなどについて、色々な意見が飛び交った。
『社会彫刻家を探せ』は、3月11日から3月13日の3日間、社会彫刻家だと思われる人を撮影し、なぜその人が社会彫刻家であると考えるかを記録するプロジェクトだ。このプロジェクトは、RC2016のメンバーが「RC2016が協働でやれるものをやりたい」という想いが起点となってつくられた。RC2016のメンバーがともに社会彫刻家について考えてきた、これまでの学びの総決算でもある。このプロジェクトの成果は、今後一般公開も検討されている。ぜひ注目してほしい。
この二つに共通することは、どちらも「市民大学」としてのRCを表したプロジェクトということだ。「市民大学」である以上、そこで繰り広げられる学びは決して孤立したものではなく、独立しつつも緩やかにつながっていることが要求される。RC2016のメンバーがそれぞれの想いで実践したActionと、「座談会」や『社会彫刻家を探せ』のような協働プロジェクトの両輪によって、私たちは「市民大学における学び」を実践できたのではないだろうか。
とはいえ、私たちは社会彫刻家としての一歩を踏み出したばかりだ。今回、それぞれが自分のActionを実施したり自己と向き合ったりしたことで得られたものの大きさは、どれほどのものだったろうか。ここで終わらず、引き続き社会彫刻家として自分のActionを続けるメンバーもいる。それぞれがこれからも自分自身と向き合い、表現し続けていく。すべては私たち一人ひとりに任されている。
RCもこれからも変化し続けていく。変わらないために、変わり続けていく。春からは新しいメンバーの募集が始まるようだ。よりよいCommitteeになることを願い、終わりとしたい。
レポート執筆:Relight Committee2016
(松葉有香、高木萌子、江崎日淑、関恵理子、江口恭代、山田悠、田島 悠史)
写真:丸尾隆一