実験的な学びの場が持つ課題
前回は、Relight Committee(RC)の具体的な運営方法、運営体制の見直し、各回の授業設計などについて触れました。「社会彫刻家」を輩出することを謳う「市民大学」として、本来の学びの形・あり方自体への問い直し、そして人が主体性を持って学ぶための環境や仕組みづくりへの条件などを模索しています。今回は、この実験的な学びの場が持つ課題、そして改善・解決策について考えたいと思います。
そもそもRCは違い・個性を最大限に尊重する学び合い=「共育の場」と位置付け、現在は、社会人学生、大学職員、行政、民間企業、財団などに属す多世代・多分野のメンバーで構成されています。
彼らが交わる学びの環境において大切にしていることは、考える時間と状況をつくること。また、それぞれがなんらかの共通項・テーマを見出そうとする歩み寄りの力や意思、わからないこと、知りたいことに対して「なぜ?」という問いを自信を持って共有し、話し合える信頼関係の構築にあります。ここには、コミュニティ形成における「コミュニティ・エンゲージメント」という人と人とのかかわり方の概念・実践のアプローチを応用しています。
短いながら、この活動を通じて人々の想像・創造性こそが社会を形づくる本質であることを実感しています。固定観念への問い・考え方の機転をずらす作用を持つ現代アート、そして社会彫刻的概念の構造を応用することで、人々の潜在的な力や個性・感性を、彫刻のように可視化できる経験をつくりあげています。
特に学習プログラムの座学は、日常ではなかなか知る機会のない国内外のアートの事例などを多く活用しながら、作品の概要や作家の意図など知識を身につけることを目的とせず、作品から汲み取れるメッセージや社会への問い、そこから実社会のテーマと紐づけることで、アートをより身近に感じ、日常を考えるためのツールであると考えています。そのためにも、知識の上位概念を捨て、柔軟に他者から学んだりそれぞれが知恵を搾り出したりすることで、自らの価値観を育むことを目指しています。そして、当日の雰囲気や受講生の様子をうかがいながら、内容の構成や、議論のファシリテーションを行います。これは少人数だからこそできる、学びの進め方でもあります。
ただし、このように毎回の学びを積み上げながら内容展開をするプロセスに比重を置き、なおかつ主体的に考える力をつけることを主軸とした場合、対外的にみるとここにある具体的な技術や技法、知識という従来の学びのアウトプットが見えにくいということも、活動を運営する側としては、課題だと認識しています。
そこで具体性を見出すための解決策として、プログラム自体の骨格となる概念やプロセスなどを開示し、母体となるフレームが何かを明瞭化し、説明することだと考えます。同時に、目指すべき人物像、身につく能力を明文化し、市民大学自体が目指す方向性を提示することで、共通認識を提示し、前進することができます。もう一点は、協働的に考える時間を多く設け、学びを体験化することです。議論の場を多くつくることや、教わったことを教える機会をプログラムの中に組み込むことで、それぞれが学びを自分ごととして捉えてくれています。
2年目を迎えてからこそ可能になったことは、市民大学のTAを担う方々が、昨年度からの学びを伝え・共育することです。RCの経験を経て得たことなど、実体験があるからこそ出るアドバイスや知恵、各々が見つけ出した具体的な学びが共有されます。同時に、今年度の受講生の真新しい見解が、TAの良い刺激にもなり、新たな学びへとつながっていると思っています。
月一でやるべきこと
ですが、現段階では、月に一度会うことでできることには限界があるのは正直なところです。この月一度の時間がトリガー(刺激・動機)になることで、実社会、日常での時間が、さらなる学びの機会となります。そのための内容を構成することが、毎回の課題です。当日の学びから次回へつながる課題・宿題を出したりすることもしますが、このような市民大学を円滑に、誠実に運営するうえで一番大切にしていることは、「いつでも質問、相談してほしい」という意思を示すことです。学びたいときに学べる環境をできる限りつくっていきたい、同時に受講生が必要としていることを想像しながら、彼らの学びに対する意欲を継続してもらうために、試行錯誤しながらこのようなタイプの学びの面白さの伝え方を考え、工夫しています。
入り口と学びのモチベーション
実際に、このようなプログラムには、向き不向きもあります。自発的に学びを見出すことは、並大抵なことではではないですし、学んだ実感を得るのには時間もかかることです。人生のタイミングや、仕事や家庭の事情、生きていくうえで、どこに今の自分のプライオリティを置くかなど、参加者のコミットメントによっては、どうしても学びの度合いに差が生まれてきます。繰り返しになりますが、具体的な学びすら自らが見出すことを期待していることで、受身体制でこの大学に参加すると、どうしても学びが少ないのが現実です。
入り口のモチベーションはそれぞれが描く期待に満ち溢れ、意欲も高い。しかし、回数を重ねても、受動的な姿勢で参加している場合、「思ったのと違った。想像していたのとは違った」という各々がもつ期待値から外れていきます。もちろん、そうならないように努力をしながらも、ビジョンや方向性は示すにせよ、いわゆるカリキュラムを事前につくらない方針をもち、具体的なゴールがわかりづらい中で、違和感や不穏感を抱くひともいるはずです。何を持って学びとするかの価値観は本当に多様です。
休む、辞めるの選択
このようなプログラムは、休み際・やめ際と向き合う時期がきます。
そして理由はさまざまであるにせよ、「去るものは追わない」、これが基本的なスタンスです。休む、やめるの決断に至るうえで、そこには、それぞれの考えや思いがあってのことだと思います。ですから、その決断をする過程で考えたことを尊重することで、自発的に考える学びへとつながると信じています。
この市民大学は、仲良しグループをつくることが目的ではありません。一見冷ややかな印象があるかもしれませんが、馴れ合いの場になることで、できなくなることはたくさんあります。ここは、実社会で経験をもち、職種や経験が違うもの同士が集まり、同じような志を持って交流し学び合う「共育の場」を目指しています。多少の緊張感があり、普段とは少し違う自分に対してチャレンジできる。だからこそ、そこから生まれる新たな原動力、行動へとつながります。
次月のコラムでは、上記のような運営側の考え方に対して、現在RCに関わる人たちがどう感じ、どのような学びがあるのかを掲載していきます。
(2016年10月12日)
特定非営利活動法人インビジブル:菊池宏子
講座レポート(第3回 2016年9月10日開講)
報告:橋本隆一
「社会彫刻家を可視化する:六本木Rambling」
2016年9月10日、晴れのち曇り。不快指数100%なほど蒸し暑い。
東京・市ヶ谷にあるアーツカウンシル東京のオフィスは、土曜であることを差し引いても静かな環境。ドラマにも使えそうな白で統一されていて、仕事がはかどりそうな感じ。企業の水準を測るトイレもぴかぴか。エアコンの温度調節が難しいことを差し引いてもGreat。
Relight Committeeの第3回目のレポートを始める前に、前日9月9日に行われた「六本木をきれいにする会」から説明しなければいけない。
今年で20年目を迎える「六本木をきれいにする会」は、その名の通り、箒と塵取りを持って六本木の街を掃除する会で、六本木の地元商工会の方々らが中心となって活動している。
我々は街を歩くとき、何を見て歩くだろう?
標識。信号。店の看板。行き交う人。行きなれた通りや街でも、視線はいつも一緒だったりする。しかしこれに行動が一つ加わると街の景色は一変して見えてくる。
掃除もその一つだ。箒を持ちながら街のゴミを拾っていると、視線は平行線から足元になり、街の汚れ具合というそれまで感じた事のない目線で街を見るようになる。視点一つで街は変化する「モノ」なのだ。
一つのものを違う角度で観る。
これこそ、社会彫刻家としての素養なのではと思う。
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前日の「六本木をきれいにする会」に続き、以下では第3回目のRelight Commiitteについてレポートしていく。
まずは事務連絡の中で、Relight CommitteeのInstagram運用について話があった。
写真共有サイトInstagramにはRelight Committeeのアカウントがあり、メンバーそれぞれが日々の生活の中でアートだと感じたものを投稿することになっている。アカウントの存在は知っていたものの、私はまだログインしていなかった。面目ない。
これまでInstagramに投稿された中から気になった写真が紹介された。都バスの写真は手書き標語がおもしろく、野菜の写真は富樫さんが撮影したもので、どことなく郷愁を誘う。ウルトラマンの案山子ははたしてアートなのか。このアカウントは日々更新されているので、ぜひチェックしてみてほしい。
*
次に前回のおさらい。
メンバーそれぞれが、今知っている知識をもとにRelight Projectについて話をする。
「どういう形で『Counter Void』 を再点灯させるのかを考えるプロジェクト」
「現代美術作家・宮島達男氏がなぜ作品を消したのか、なぜ再点灯させるのか考えるプロジェクト」
「アートというわかりにくいものを、わかりやすく理解してもらうプロジェクト」
ほかにも、意識して言い方をかえてみる。
「アートを軸にしてコミュニティを語る場」
「それぞれがそれぞれの立場でアートとはなんぞやを語れる場」
「東日本大震災だけでなく、911やボストンマラソンテロ等を踏まえた、あらゆる生と死を考える場」
「Relight Daysのスキームつくりをする場」...
ちなみに、
授業の中で頻繁に話される「ソーシャリー・エンゲージド・アート」とは「参加、対話、行為に重きを置き、美術史はもちろん、教育理論、社会学、言語学など、さまざまな分野の知見を活用しながらプロジェクトを組み立て、コミュニティと深くかかわり、社会変革を目指すものです」と、とあるwebで記述されていた。
私は難しく考えられないので、「なんでこれがアート?」と思うこともしばしば。だからこそ、このような社会をつなぐ、考える場についても、このRelight Committeeで色々と模索していきたい。
次は、座学の一環として紹介されたアーティストたちや、アートと社会をつなぐ活動について考えていく。テーマは「足元から生まれる社会:地域コミュニティへのアートの活用と接続」だ。
以下、私のメモをもとに紹介された作品名やアーティストを列記していく。
事例の紹介だけでなく、ゴミ、掃除を切り口に社会とアートをつなぐための問題提起と話は進んでいった。
- 「Ausfegen(Sweeping Up)」Joseph Beuys (1972-85)
- 「ハイレッド・センター」(1964)
- Billy Apple (1970-75)
- 「Art that Sweeping the City」Jo Hanson (1970-75)
- Dumpster diving
- 「BASURA バスーラ」「神の子たち God’s Children」など(監督:四ノ宮浩)
- Vik Muniz
- Fallen Fruits
たとえば、Dumster Divingとは文字通り、ゴミ箱にダイブして食べられるもの発掘すること。そして、ダイバー(diver)たちは、「何をもって棄てるものなのか、何をもって使えるものとするのか。」をアクションで問い正す。大きなゴミ箱(Dumpster)にDiver(人)が入って、皮肉にも笑顔でバナナを食べている。周りには少し腐りかけた果物もある。
また、彼らは、どこにどの時間にどんなものが棄てられているのかをマッピングしていく。
「バスーラ」「神の子たち」は、ゴミの山を舞台に展開されるドキュメンタリー映画だが、ゴミからみえてくる壮大な社会テーマがある。
「Dumpster Diving」と「バスーラ」「神の子たち」の2枚の比較写真は、どちらもゴミという視点では同じだが、一つは裕福な世界でのゴミ、もう一つは貧しい世界でのゴミ。この対比を考えることにも大きな意味がある。
アーティストコレクティブのFallen Fruitsは、街中に実っている果実の中で、食べられるものをマッピングする活動を通じて、公共性に関することへの問いをし、そこで生まれるマップがアートだという。
数々の写真から見えてくるのは、ゴミも見方一つで無駄なものだったりアートに変化する有益なものに変化したりする。アートも見方一つで無駄なもの、要らないものといわれるようになる。社会性とアートの垣根は線引きが難しい。乱暴な言い方を恐れずにいうと、ゴミとアートは紙一重である。
以前、金属リサイクル業に従事していた私は、資源を消耗し続ける社会の中できれいなものを見せることだけがアートではなく、ゴミから有益なものを生み出すのもアートだと聞いてはっとさせられた。
昼食を挟み、後半は、六本木の街歩きをすることに。3人1組になり、1時間ほど六本木の街中で風景や人物を撮影し、Instagramにハッシュタグをつけて投稿する。課題は、それぞれが六本木という街を想像したときに描く姿をまず考える。それを前提に、街を観察しながら「これを足したらもっと自分が想像する六本木に近くなるのでは?」「逆にこれがなくなったらもっと自分が想像している六本木に近づくのでは」という視点で撮影していく。
成程、ココで前日の「六本木をきれいにする会」とつながるのかな?
さて、そこから見えてくるものははたして?
ここで、私は80年代にタイムワープして、かつて見た六本木と今回街歩きをした六本木との違いについて記述してみたいと思う。
降り立ったのは都営大江戸線六本木駅。都営大江戸線は都内で最後に完成した地下鉄のため、とてつもなく地下深くてモグラになった気分になる。(80年代は日比谷線しか通っておらず、終電が早くて毎回朝帰り覚悟の夜遊びをしていたのを思い出す)
さて地上に。昼の六本木は人通りも少なくて歩きやすい。しかし暑過ぎて熱中症になりそうだ。(昔は、昼間にクラブ帰りの女の子と外人さんが腕を組んで歩いている風景が見える、どことなく不健康な街な印象だった)
1964年開催の東京オリンピックにあわせて建設された首都高速が、常に視界に入る六本木交差点。2008年にリニューアルされた「ROPPONGI」のロゴのアートデザイナーは葛西薫さん。六本木の新ロゴについて、当時の記者会見では「ROPPONGI」の各アルファベットを樹木に見立て、全体で「並木道」をイメージした若草色のロゴとなる。六本木の成長を表すために縦のラインを意識し、天に向かって立つ樹木を表したほか、末広がりにすることで、今後の六本木の発展性を表した。」(六本木経済新聞)と述べられている。
(新ロゴ以前の「HIGH TOUCH TOWN ROPPONGI」と書かれた首都高側面のロゴ見ると、“ギロッポン”に来たって感じがしたのを思い出す。ロゴプレートは、昭和63年4月頃、当時の六本木商店街振興組合会長が「六本木交差点に六本木の印が欲しい」と考え、六本木で英会話教室やフラワーデザインの教室を営んでいた経営者に相談。約20種類のアイデアの中から決定・設置し、平成元年3月6日に除幕式を行ったという。年を取るわけだなこりゃ)
今もあるしゃぶしゃぶ「瀬里奈」のある通りに入る。まったく人通りがなく音のない街と感じる。(「瀬里奈」の前にあるビルのテナントは、全フロアにディスコが入っていた。周囲にはいくつものディスコが点在して、夜の街なんだよね)
ところどころ、寂れた雑居ビルがあったり墓苑があったり。かつての時代を感じさせる建物の隙間に高級雑貨店があったり。雑多な店が混在するのが面白い。(かつてはカフェバーやゲームセンターがあって、文化の香りよりも享楽の香りがしたな)
六本木は、いまだに外国人の姿をよく見かける。英語表記の看板もある。しかしそれは、国際都市を目指してつくられたものなのだろうか? (コロナビールの味を初めて知ったのは、昔の防衛庁、現在の東京ミッドタウン近くにあったバーの黒人から。札びらを握りしめてタクシーを停めたかつての時代ほど、今はお金の臭いはしないかもしれない)
坂の多い街と感じる。それが不思議に街の造形を形づくっていると感じる。坂には名前の由縁が表記されてあり、読むだけでもその土地の歴史が知れて面白い。六本木には、世界各国の料理店も点在しており、それぞれがインターナショナルな雰囲気を醸し出している。(昔、よく通っていた飯倉片町にあるザ・ハンバーガー・インやニコラス、WAVE、ジャック&ベティ、グリーングラス。ニコラス以外は皆なくなってしまった)
さて、集合場所であるけやき坂交差点の『Counter Void』前に終着。
街歩きで撮影したものを踏まえて、六本木という街をどう考えたのか、各グループで発表する。ひと言では言い尽くせませんが、今も昔も多様性と国際性がある六本木を感じることができた。
違った視点で「モノ」を見ることが、社会彫刻家には必須な視点だと教えられた。
レポート執筆:橋本隆一(Relight Committee2015)
写真:丸尾隆一