境界を曖昧にする
過渡期の日本
少子高齢化時代のなかで、子どもの数は減っているにもかかわらず、障害児のための特別支援学級、支援学校は毎年増加している。このなかには、いままで社会のなかに潜在化していた発達障害という子どもたちが含まれている。15歳から34歳までの若年層の引きこもり者は70万人、フリーター率7%で年々増加している。年間自殺者は10年連続3万人を超え、精神科に受診し投薬する人も増える一方だ。
人々は、とても高いストレスにさらされている。コミュニティは崩壊し、孤立、分断はますます進み、社会のなかにあった寛容性、弾力性がだんだんと失われていることを感じる。同じ働き方、あり方を強要し、そこに添えない人を容赦なく排除する。多様性、個性を受け入れよう、認めようと口ではいうものの、少しの差異にも寛容になれない社会。
高度成長が終わり、右肩上がりではない成熟社会を迎え、大きな震災を2つ経験し、いまもいつ終わるかわからない苦しみに耐える地域とそれを他人事にしか思えない地域の格差。70年間戦争をしてこなかったがここに来て、きな臭い煙が立ち始めた日本社会。すべてが「過渡期」であり、これから我々はどうやって、何を求めて、何を幸せと考えて生きていくのか、その先が見えない迷走期でもある。
こうしたなかでの、東京オリンピック・パラリンピック。
私たちはここに何を求めるのか。
クリエイティブサポートレッツと居場所
私は2000年にクリエイティブサポートレッツを立ち上げた。
大学院卒業後、地元に帰って小さな建築・環境デザイン事務所を始めた。その後、結婚、出産。そして重い障害がある第2子を出産。そこから人生が一変する。
たまたま重度の障害の子どもを生んだことで、それまでつながっていた社会との関係を失ってしまった。私が普通に子育てをしたいと望んでも、障害の子どもとその家族は、だんだんと社会から周縁化して行く。
私と家族が幸せに生きていくためには、自分たちが心地よく居る場所を自らつくるしかなかった。それがクリエイティブサポートレッツだった。
そこから10年後に障害福祉施設アルス・ノヴァを設立した。ここに毎日30~40人の障害のある子どもと大人が通う。アルス・ノヴァには重い知的障害の人と一緒に発達障害、精神障害の人々も通っている。
ここには障害福祉施設によくある下請けなどの手作業がない。だから障害のある人たちも思い思いの過ごし方をしている。ずっと何かを続けている人もいれば、ウロウロしている人、寝ている人もいる。スタッフやボランティアも、演奏したり、一緒に何かをつくったり、詩を書いたり、踊ったり、彼らに添いながら、自分たちのやりたいことを重ねていく。
同じ地域に私設私営の「たけし文化センターのヴぁ公民館」がある。3階建ての古いビルを「誰もが利用することができる」場所として開放している。
ここに不登校や、引きこもりがちな人々もやって来る。いろいろな経歴の人がいる。そしてゆっくりと自分の居場所をつくり始める。
2008年から行っているたけし文化センターのコンセプトは、「個人の熱意を文化創造の拠点と捉える」だ。職業、経験、経歴、地位、名声、障害の有無、収入、住居、家族といったいわゆる固定の概念を外して、その人が熱心に取り組むこと(それが障害のいわゆる問題行動だとしても)に敬意を称し、そこから「文化」を考えていく事業だ。つまり個人を徹底的に尊重するところから、社会のさまざまなルールや規範を見直し、作り替えていこうというアートによる運動でもある。
レッツに来る若い人たちを見ていると「これから自分はどう生きていけばいいか」ということに悩み、迷っている人が多い。一般的には進学したり、就職しながら考えている人もいるだろう。しかしそれができずに、中退や休学、退職、定職を持たずに、「考える」ことを続けている人もいる。
しかし、こういう人に社会は冷たい。怠けているとして、「モラトリアム」を続けることを許さない。即戦力になり、うまく立ち回ることを強いる。役に立つか立たないかという価値観で人を判断していく。きつい時代だと思う。
社会のなかに余白、余裕が本当になくなってしまったと感じている。成果主義は、経済だけではなく、教育や、福祉にも蔓延している。さまざまな生き方を選択し、社会の規範に添えない人たちが、過度のプレッシャーで苦しまないようにするためには、社会の価値観を変えるしかない。
レッツの行っている事業は、ささやかではあるが、そうしたことを障害のある人とともに行っている。たけし文化センターや、のヴぁ公民館を自営で行っているのも、自分の居場所を自分でつくる。生きる力を温存、あるいは孵化するための場所なのだと思う。
障害のある人の表現活動
いま、障害者芸術の世界は、エイブルアート、アールブリュットに代表されるように、徐々に隆盛してきた。
パラリンピックは、身体に障害のある人の祭典であると言っていい。手や足、耳、声などが不自由な人でも、技術の発展によって、健常の人と同じようにスポーツを楽しみ、その能力を開花することができるようになった。2020年のパラリンピックは健常の人の記録を超えるのではないかと言われているほどだ。
それに合わせて全国で始まろうとしている文化プログラムのなかでも、障害者のアート活動が注目されている。文化政策だけでなく障害福祉といった分野でも、分野を横断して障害者アートの振興に力を入れ始めている。これから全国の都道府県でさまざまな事業が展開されるだろう。
レッツはこれまで15年間、活動を続けているが、いまほど障害者のアート活動が普通の文化事業と同等に語られる機会などなかった。障害者側からすれば、千載一遇のチャンスだと言えるだろう。
そもそもオリンピックというのは「能力の祭典」だ。もともと身体、才能、センスに秀でている人が努力して勝ち得る最高のステージだ。聴衆はそこに、スポーツの素晴らしさと高みを目指して、ときにはハンディを克服してひたむきに努力する姿に感動する。
誰よりも優れた作品、優れた記録。それを生み出す人々を賞賛する。
しかし、この東京オリンピック・パラリンピックが、「頑張る障害者は素晴らしい」「障害者でも頑張ればできるんだ」といった短絡的な思考が蔓延することとなるのであれば、甚だ迷惑としか言い様がない。
また、障害のある人が作る作品に注目が集まり、新しい市場が開拓され始めている。取るに足らないと思われてきた障害のある人の表現に注目が集まり、彼らの活動が盛んに行われることは結構なことだ。しかし、作品に優越がつき、経済効果に組み込まれて行くことに私は疑問を感じている。
お金が欲しい、有名になりたいといった明確な思いのある人はそれでいい。しかし、そうしたことまったく考えない、普通の人たちと違う価値観を持った人たちがいることも同時に知って欲しい。
アルス・ノヴァに通うまいさんは、毎日、いろいろなものをガムテープで包んでいく。木彫りの熊やだるまから生ものまで、一重ではなく何重にも重ねていく。1日に1つ以上、多いときには2個も3個もガムテープの塊ができる。そしてある日突然、せっかく巻いたガムテープをはがし始め、元の形に戻す。そしてまたガムテープを貼り始める。そうした行為を繰り返している。
最近、彼女のガムテープシリーズがどんな評価を受けるのか知りたいということで、ある障害者関係の全国公募展に応募してみた。見事入選して、その後なんとイタリア人のキュレーターの目にとまり東京で展覧会が行われた。
私は彼女のガムテープシリーズが作品だとは思えない。彼女にとってガムテープ貼りは、「日常」だと思う。だから容赦なくはがすし、また貼る。作品をつくることに興味があるのではなく、その行為そのものが彼女の何かを安心させたり、収めたりする。ご飯を食べたり、排泄したりといったものに近いものを感じる。
私が最も興味があるのはその過程や、それによって作られていく関係性だ。
厄介なこと以外なにものでもない行為を、お母さんがユーモアで切り抜けている態度や、スタッフや家族が自分たちの生存権をかけてせめぎ合いながらつくり上げていくオリジナルの関係性。そうしたものにアートを感じる。
りょうくんは、100キロ強の巨体で、あまり動かない。彼は、アルスのヴぁの1階と2階階の階段を行ったり来たりしている。普通の人なら5秒とかからないその階段を、20分も30分もかけて降りる。あるとき、スタッフがその姿をビデオに収めた。そのときにわれわれは、そのほとんど動いていないような彼の所作に、私たちには想像もできないような豊かな時間が流れていることを知る。
彼は特別支援学校からアルス・ノヴァにやってきた。教諭からは、指示にも従わず、集団行動もできない、何に興味があるのかもわからない、至って問題が多い人と申し送りがあった。しかし、それはわれわれ健常者の価値観から見ての話に過ぎない。カリキュラムがあり、メニューがあり、次にやることが決まっている生活のなかで、彼の行動は、問題であり、疎ましいものになる。しかし、われわれと彼の間にある「時間軸」を取り払ってしまうと、彼の内側にある豊かな世界が見えてくる。そして、我々がいかに時間に追われ、時間によって失っているものがいかに大きいかを知ることになる。
毎日毎日入れ物に石を入れてカタカタと鳴らしているたけしくんは、その行為が問題行動として捉えられ、学校や施設にとって、「それをやめさせて他のことをさせる」ことが目標だった。しかし、彼はそれを片時もはなさずやり続けた。いつの間にか体は変形して、さらに行動範囲も狭まった。アルス・ノヴァではそれを「熱心に取り組んでいる行為」と捉え、むしろ奨励した。これによって彼の問題行動は、彼を最も表す行為として価値感が翻った。彼のやっていることはどこに行っても変わりはない。むしろそれをどう捉えるかは、こちら側の問題であることを自覚する。
障害とは、病気や能力に問題があるのではない。その存在をわれわれ(私)がどう捉えるかの、「間=あいだ」の問題だと言える。障害者というのは総称であって誰も示していない。総称で語っている限り実態など見えてこない。
「私」と「あなた」、あるいは「彼」と「社会」。そこに横たわる具体的な関係性を考えたときに、それをどのようにつくるかの作業が始まる。さまざまなやりとりを行いながら、創造力をふくらませ、その間にオリジナルの物語をつくり出していく。これこそがアートだと思う。
二項対立の限界→境界を曖昧にする
健常に対して障害、できるに対してできない、優に対して劣。白か黒か、正しいか正しくないか、がんばるかがんばらないか、出来るかできないか...。
そうしたはっきりある境界が明確であればあるほど、人は生きづらくなる。
この境間にある、弱いもの、わけのわからないもの、不確定なものをわれわれは排除しすぎてきた。今こそ、境界を曖昧にする試みが求められている。そしてこれを導き出すヒントが障害福祉の現場にある。
オリンピック後のレガシーとは
日本の文化政策は、一言で言えば「余暇活動」だったのではないか。どこの地方団体でも文化政策は、福祉や、経済、建設、教育など生活と直結した政策と違って簡単に切り捨てられてきた。しかし、社会自体が問題をかかえ、金で解決できなくなった現代で、そこを「なんとかできる」のは文化以外、もはや良い方法がない。
障害福祉は、戦後、差別、偏見との戦いをくぐり抜け、人間として当たり前の生活を取り戻してきた。特に、圧倒的に普通と違った価値観を持つ知的障害者らを社会になじませていくために、さまざまな取り組みが行われているが、有効な手段はなかなか開発されていない。
そうしたなかで、むしろ社会側の価値観を変える、あるいは揺さぶる、問い直す方法として、「アート」があるのではないかと私は考えている。
文化は単独では、それほど力を発揮できない。しかし、形骸化してしまった社会のシステム、立ち行かなくなってしまった人々の感情、そうしたところに文化が介入することで、さまざまな変化が起こっていくのではないか。
それは目の前の問題を劇的に解決する機動力ではなく、「人の気持ちをなだめる、癒す」力として、そして「明日もとりあえず生きていこう」といった「生きるための力」になるのだと思う。
今回のオリンピックの文化プログラム立案の状況を見ていて疑問に思うことは、文化側のアプローチばかりが目立つことだ。文化以外の人たちがどれほど興味を持っているのだろうか。文化事業に空前の盛り上がりがあったとしても、それは結局打ち上げ花火で終わってしまう。地域で、現場で、突然、アーティストが登場し、何かをつくり始めたからといって、何かが劇的に変わることはない。むしろ、「異邦人」といった印象をさらに深めることになりかねない。
それよりも、アーティスト、あるいはアーティスト的な性質も持つ人材が、教育、医療、福祉、環境、行政などのスタッフとして現場に入りこんで、内側からアクションをじわじわと起こして欲しいと思う。
それぞれの現場にある課題を「アート的な手法」で解決しようとしたときに、いままで思いもよらなかったことが起こる。それによって、そういう思考をしなかった現場の普通の人たちにも伝播していく。こうすることによって、社会のいろいろな構造が変わってくるのではないかと思う。
オリンピック後のレガシーとは、それぞれの分野と分野が曖昧に、柔らかくなること。そしてそこに確実に人材が育ち、残ることではないだろうか。
2020年まであと5年もある。ぜひ、文化・芸術関係のみなさんに考えてほしい。
そして、ここにこそ、公的な支援をしてもらいたいと思う。
(2015年8月24日)
アートマネジメントQ&A
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