ネットTAM

4

「契約」、「許可」、「肖像権」について

「契約」について

 契約とは、法律的に国家権力に守ってもらえるような、当事者間の約束のことです。基本的には内容は自由です(もちろん例外はある)。
 アーティストにとっての契約とは、作品を成立させる要素としては一部分でしかないことがほとんどです。しかし、「仕事」として考えたときに、他者のニーズに合わせるという要素は大きいと言わざるをえません。
 いずれにしても、まったく独りで作りあげたものを、誰にも話さずに、誰にも見られないどこかに放置してくるのは、趣味ではあっても、アーティストの仕事ではありません。何らかの発表というプロセスが伴います。「仕事」は他者のニーズに応えることであって、そのニーズを掘り起こす(たとえば観客に「ああ、俺はいまこれが観たかったんだ、感じたかったんだ!」と気づかせる)ということではないでしょうか。逆にいえば、あらゆる意味の契約はそこからスタートするのです。
 アーティストとギャラリストやキュレーターの間には、事故が起こったときの処理方法、責任分担、うまくいった場合に互いが得るもの、あるいは契約解除と作品返却といった、イレギュラーな問題についての取り決めも必要です。
 契約をするのは互いの合意があればよく、必ずしも書面は必要ではありません。しかし、互いに何の責任を負うと決めたのかを見直すためには契約書(名称は合意書でも覚え書きでも良い)を作成しておくのは悪いことではありません。また、たとえ一度契約書を作ったとしても、互いのニーズがずれていることが発覚したときは、すぐに内容の見直しを検討すべきです。

「許可」を得ないで行うとどうなる?

 許可とは、場所や物の管理者によって禁止されていることをあえてやるために、禁止を解除してもらうことです。手続きに従って申請書を出し、許可状をもらわなければいけない場合もあるし、届けを出すだけでいい場合もあります。これは、公共施設であっても、私企業や個人の建物であっても基本的には同じように考えてよいです。しかし、何が許可まで必要で、何が届出だけでいいのかは、場所や会社ごとに違うので、管理者を捜し出して聞くしかないところです。
 一般的に、公道は警察署の管轄です。その他の公共施設や企業の施設は管理者がはっきりしてい場合が多いのですが、個人所有の場所や私道はその利用者(さらにその所有者がいる場合は、利用者だけではなく所有者も)に許可をもらう必要がある場合があります。
 さて、では「許可」をもらわずにやったことがバレた場合、どのような法的な制裁を受ける場合があるでしょうか。まず、「表現の自由」という人権は公権力に対する有効な対抗手段です。たとえば道路で、交通の危険を生じさせることなく表現活動をしている分には、騒音等の問題が生じないていない限り、問題は大きくありません。通報されたとしても、せいぜいやっていることを中止させられ、退去させられる程度であることが多いでしょう(もちろんやっていることの内容によりますが)。逆にいうと、大掛かりなものは警察に許可を得なければ刑罰を受ける可能性もありますので注意が必要です。
 むしろ民間の所有地で行った場合の方が問題が大きくなる可能性があります。実際には警察で説教を受ける程度のことが多いでしょうが、その場所で強く禁止されている行為をした場合は、不法侵入罪などの刑罰を含む、より強い公的制裁を受ける可能性もあるため、注意が必要です。なぜなら、第2回で述べましたが、アメリカと異なって日本では、個人と個人、個人と企業といった私人間の関係において、表現の自由が最大限認められるとは言いがたいからです。
 ですから、公道で小規模なことをやる場合を除いては、原則として許可をもらうべきです。許可を得るためには、権限のある担当者個人と、こまめに顔を合わせ、信頼関係を徐々に築いていくということが最も重要です。残念ながら日本では、アーティスティックな理想を語るだけではコミュニケーションが成立しない場合が多く、またその場所での行為が公開パフォーマンス的なものである旨説明すると、許可を得られない可能性が高いです。しかし逆に、限定された観客や参加者のみが一時的にその場所に来ると説明すれば、担当者としてはリスク計算がしやすく、許可を下ろしやすくなります。また、実際に活動しているアーティストにうかがったところ、映像や撮影に関するものであれば、「映画の撮影」と説明することで、ずいぶん許可が下りやすくなるようです。そして一度許可が下りれば、よりラディカルなことをすることも可能になる場合や、ひょっとしたら仮にそれが約束と違うものであっても黙認してくれるという可能性も高まります。もちろんその後も信頼関係を保つことを忘れてはいけませんが。

「肖像権」の問題

 最後に一番複雑な「肖像権」の問題に触れたいと思います。肖像権は、徐々に認められつつありますが、実はまだ権利として強く保護されると認められたものではありません。そのため、どうしても複雑な説明になってしまうことをあらかじめご了承ください。
 法律的にいうと、肖像権は「人格権」の一種です。人格権にはさまざまな種類がありますが、肖像権は独立した人格権であるという説もありますし、プライバシー権の一環とする説もあります。また、営利目的の利用を禁止する権利であるとする説もあります。どちらにしても、明文の法律が存在していないし、最高裁判例が少ない分野ですので、統一された見解はありません。
 写真の肖像権についてごくごく簡単にいうと、撮られた人がそれを公開されることで社会的評価を下げられる姿とか、写真という媒体に記録されることがはばかられる姿の撮影などは肖像権侵害の可能性が高いです。しかし肖像権侵害といっても、撮影自体が禁止されるという解釈と、公への発表が禁止されるという解釈が両方ありますが、要は、たとえば裸や、隠し撮りされた水着、有名人の隠したい過去などについては、撮影や発表については承諾がないとリスクになるといえます。
 芸能人や有名人等の撮影については、逆に肖像権は制限され、撮影自体が禁止されることは減りますが、営利目的で行った場合には、「パブリシティ権」という、芸能人等に特有の財産権を侵害したことになる可能性はあります。
 写真については他に、子どもの写真の撮影の問題があります。撮影自体が刑事罰の対象になる場所もあると聞いています(国の法律ではなく条例で)。ですから、子供の撮影については別の注意が必要です。子ども自身が承諾しても、有効な承諾の能力がないとして、違法性が消えない場合があるからです。
 とはいえ、注意ばかりしていてはいい写真は取れないと思いますし、職業写真家の職務上の撮影であるということは民事的にはいい方向に働くこともあるでしょうから、過度に気をもまないでいいと思います。「被写体とのコミュニケーションや信頼関係の構築が不得意だけど人物撮影が得意な写真家」というのも珍しいでしょうし。結局のところ、肖像権リスクを低減するかしないかは、その写真家の(芸術的な)ポリシーとの天秤にかかっているのです。
 仮にトラブルになった場合は、商業性の有無も判断材料になります。この点、それがアート作品としての撮影かそうでないかによって、日本とヨーロッパとアメリカではそれぞれ、権利が侵害されたか否かの意識が異なる場合があるようなので、その場所での感覚をよく確認されることをお勧めします。

 いかがだったでしょうか。複雑な分野ですが、少しでもご理解が深まれば幸いです。
 もちろん、承諾書を交わせばそれだけで法的な問題は回避できるかもしれませんが、必ずしもそれがベストであるとは言えないシチュエーションもあると思います。承諾書の書き方の注意や、パブリシティ権についてはまた別の問題もありますが、それらはまた別の機会に譲りたいと思います。

(2007年10月15日)

おすすめの1冊

人格権法概説
『人格権法概説』 五十嵐清著
有斐閣
2003年

肖像権、パブリシティ権等の人格権に関する概説書として、正確でコンパクトな記述がされている。

アートに関する法律入門 目次

1
イントロダクション/「法」とか「法律」とか「憲法」ってなんだろう?
2
法知識はアート関係者にとっての護身用「伝家の宝刀」/「表現の自由」と「表現の萎縮・改変」
3
「著作権」の歴史的背景と今日の問題
4
「契約」、「許可」、「肖像権」について
5
「アートと法律」に関するQ&A
この記事をシェアする: