「著作権」の歴史的背景と今日の問題
著作権(Copyright)は、私人に与えられた禁止権(独占権)です。もともとイギリスで、国家から出版特許を得た者の権利としてはじまりました。その当時は、著作権は今の特許権や商標権と同様、国家に特別な税金をおさめて登録することによって初めて与えられる権利でした。つまり、出版業者が、商売のために複製禁止権を国家から買い、国家の保護を受けるということです。そのため「Copyright」と呼ばれます。これはその後の英米法で発展していきます。
一方、フランスなどの大陸法の分野では、創作者としての地位(Authorship)を重視し、創作者という天才へのロマン主義的な憧れから、創作者に神から与えられた天賦の才能を保護するという発想が生まれました。こちらは、産業のためというより、天才に特別の地位を与えるものです。さらに、すべての人間の人権そのものを「天賦のもの」と考える大陸においては、天賦の才能の現れといえるような作品であれば、国家に許可を得る必要なくその作品の扱いについて作者が管理する権利を持つことができる「無登録の著作権制度」という流れが発達していきました。
このふたつの流れは、その後、写真術や録音再生といった技術の発達とともに、互いに影響を与えながらも、交わることはなく発展していきました。技術の発展とともに複製が容易になってきたこともあり、著作権が設定できるものの対象が拡張されてきました。しかし米国では長らく、著作権は合衆国に登録したものにしか発生せず、外国の著作物については「©」マークがなければコピー自由、という、原則としてコピー自由な「コピー大国」でした。今も使われる「©」マークの起源はこれです。
しかしその後、80年代以降、米国は国家戦略として、コンピュータープログラムやデータベースなどを著作権の保護対象に含めた上で、無登録で世界中に対して著作権を主張できるようにすることで自国の産業を保護・発展させていこうという方向に戦略転換し、近年になって大陸法に合わせた無登録での著作権を認める条約に加盟しました。といっても、米国内では未だに登録制度は残っており、実際の著作権侵害訴訟においては登録しておくことが必要な場合が多いのですが。ちなみに米国の政策転換によって、今は「©」マークには法的な効力はなくなり、つけてなくても基本的には世界中で著作物として認められ得ます。ですから今は「©」マークは、誰かの著作物であるということを注意するための、一種のキャプションのような意味しかありません。
最後にもう一度整理しますと、英国で出版業界が産業のために作り出した「著作権特許」という概念が生まれ、大陸では天才に特別の地位を与えることを重視して人権的著作権という概念を作り出し、その両方の流れがずっと続いてきたということです。そして日本では、ふたつの流れが混在しています。クリエイター個人のレベルでは大陸法的に無登録で著作権が発生する一方で、ひとたび企業と著作権契約を結んだり、企業が社員を使ってコンテンツやコンピュータープログラムを作成したり流通させたりして商売にする場合は、産業法的な扱いをして行く方向に進んでいます。このふたつの流れが混在しているために議論も起きますし、著作権法は毎年のように改正されているのです。
しかも、インターネットが爆発的に普及したのちは、コンピューターネットワーク自体が万能のコピーマシンといえるため、新しい形での引用や、リンクといった、法整備されていない分野での問題も生じています。そのため、クリエイター個人のレベルでは管理することが難しくなっています。また、マネジメントや営業活動の選択肢としても、単なる禁止権としての著作権は使いにくいという側面もあります。さらに、クリエイティブの世界では過去に他人が創作したものを素材のひとつや着想のヒントとして使うというのは、ある意味当然のプロセスですから、どこまでそれをしていいのかわからないということが、一種の「チリング・イフェクト」を生んでいます。最近ではクリエイティブ・コモンズ(不特定を相手にした著作権契約の一種を作家が設定できるようにしようという国際的なプロジェクト)という選択肢を利用するクリエイターが国際的に増え続けていますが、それもこうした複雑な事情が背景にあります。
(2007年9月15日)
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