今後の展望
1.拠点劇場の数
劇場法(仮称)の具体的内容がどうなるか不明ですが、これからこの法律にどう向き合っていくべきなのか、考えるべきポイントを挙げておきたいと思います。
まず、劇場法(仮称)の大きな理念として、全国2,180館という公共ホールの数があまりにも多すぎ、拠点劇場を選定してメリハリの利いた活用をしたいという思いがあります。今後、大規模改修時期を迎える公共ホールが多数あることを考えると、ここで歯止めをしておかないと、同じ歴史を繰り返す恐れがあります。
そのためには、当然ながら適性な配置が求められます。閉塞感を抱える地域では、劇場法(仮称)を救世主のように考えているかも知れませんが、これは決して「公共ホール救済法」ではありません。現在のように、隣の自治体に豪華なホールがあるから自分たちも欲しいという考えは通用しません。観客の利便性を考えると、平日の観劇にはベッドタウンではなくターミナルに近いほうがよいと思われますし、活動を持続するには一定規模の経済圏と観劇人口が必要です。そう考えると、拠点劇場の配置はおのずと決まってくるでしょう。拠点劇場が機能を発揮するための配置を、注視する必要があると思います。
舞台芸術では、劇場・音楽堂以上に日々の稽古場が重要です。多数の稽古場を有する大規模アートセンターに改修し、アーティストが集まるまちにするという選択肢もあると思います。廃校を稽古場施設に転用した事例が全国で注目を集めていますが、これからは改修時期を迎えたベッドタウンの「無目的ホール」を大規模アートセンターにすべきではないでしょうか。拠点劇場が増えすぎてしまうと、それはもう拠点とは呼べません。劇場法(仮称)が「無目的ホール」の救済ではなく、新しい使い方を促すものであってほしいと思います。
2.ハードとソフトの一体化
劇場法(仮称)の目的は、劇場・音楽堂の根拠法をつくり、建物(ハード)と事業(ソフト)を一体化した事業体として機能させることですが、先進的な創造拠点を除き、そうした人材を備えた公共ホールは限られるのが現状だと思います。これまで作品づくりの主体は芸術団体で、劇場・音楽堂はあくまで施設を貸し出す立場でした。創造機能をどうやって公共ホールに移植していくのか、たとえ法律が制定されたとしても、この理念が具体化するには相当の紆余曲折があると思います。平田オリザ氏も再掲『ディー』5号(第2回参照)で、「この20年の間に劇団の力は逆に一時的に強くなるかもしれない。やっぱり劇団と共同制作というのがいっぱい出てくると僕は思うんですけどね。それ以外に運営のしようがないと思うんですよ。地方の公共ホールには」と答えています。
つまり、最初の20年はシステムを定着させるための過渡期であり、その間に新しい環境で育った若手が、次代を担う人材として地域の劇場・音楽堂に勤務する――そうした長期的な青写真を平田氏は描いているのでしょう。これを本当に実現させるためには、劇場・音楽堂の職員を増員するとともに、その枠に優秀な制作者が芸術団体から転職する動きが必要だと思います。芸術監督やプロデューサーを設置するだけでは、活動を持続していくのは物理的に不可能です。多数の職員が分担しながらプロジェクトを平行で進めないかぎり、拠点劇場にふさわしい事業はできません。それには職員の思い切った増員、新たな人材の登用が必要だと思います。
ここで重要なのは、人材を職員として雇用することです。人員増が難しい公益法人は事業系スタッフを業務委託で確保しがちですが、業務委託では組織に知見を蓄積することが難しいと思います。業務委託が主流になると、指定管理者業務と同様に、劇場・音楽堂の制作業務を受託するビジネスが生まれます。現在でも「公共劇場」の一部で、制作会社の業務委託や出向が見られます。これが進むと制作者は劇場・音楽堂ではなく、制作会社への就職を志すようになるでしょう。これは人材の流動ではなくアウトソーシングです。劇場・音楽堂は作品を外注でつくればいいのではなく、学芸部門や営業部門も一体となって、存在自体が地域に根づく必要があると思います。そのためにプロパースタッフを増員する度量が、劇場法(仮称)とセットで求められていると感じます。
芸術監督やプロデューサーの資質についても、さまざまな意見や危惧が出ています。推進派がモデルとしているのは、フランス全土に広がる国立演劇センターのネットワークだと思いますが、フランスの芸術監督は原則として兼業が禁止され、フルタイムの勤務が求められています。この点は日本も見習うべきで、東京在住の著名な芸術監督やプロデューサーが、非常勤で週に数日だけ通うような体制では何も変わらないでしょう。劇場法(仮称)で規定するのは難しいと思いますが、専門職員の雇用形態については認定基準を設けるべきではないでしょうか。
3.貸館のあり方
最後に、民間劇場との役割分担に触れておきたいと思います。民間劇場は貸館が主体ですが、人気の劇場ほど意図的なブッキングを行い、独自のラインナップを展開してきました。そのラインナップに加わりたいという思いが、芸術団体を切磋琢磨させ、日本の演劇文化を育ててきたと言えます。貸館自体がダメなのではなく、意思を持った貸館なら、自主事業に相当する効果を上げることができるのです。劇場法(仮称)で「公の施設」の制約がなくなった場合、公共ホールでも貸館の恣意的運用が可能になり、民間劇場との棲み分けが難しくなることが予想されます。
これまで日本の演劇文化は、民間劇場が意思を持った貸館で底辺を支え、その土壌の上に、1990年開館の水戸芸術館に始まる創造発信型の「公共劇場」が自主事業を展開する構図でした。軋轢がありながらも両者は棲み分けをしてきたわけですが、「公の施設」という制約がなくなることで、公共ホールで民間劇場と同様の貸館が行われ、結果的に民業圧迫が進むことが危惧されます。現在でも多くの公共ホールで、自主事業として劇場が制作に関与していない作品が上演されています。買取公演と呼ばれるこの形態は、芸術団体にとっては「無料の貸館」と同義であり、民間劇場の経営者からは、長期のリハーサルやロングランへの挑戦など、民間ではできない実験性が必須だと指摘されています。こうした貸館やそれに近い形態について、民間劇場を踏まえた役割分担の整理が必要だと思います。
「公共劇場」が作品創造、教育普及、人材育成をきちんと担えば、民間劇場との役割分担も明確になるとの意見もありますが、最初からそうした能力のある公共ホールは限られますし、それらは劇場法(仮称)がなくても、すでに「公共劇場」として認識されています。創造環境が整っていない公共ホールをどうするかが課題なのです。法律は手段であって目的ではありません。海外の制度をそのまま取り入れても成功するとはかぎりません。日本にふさわしい創造拠点のネットワークはどうあるべきか、日本の演劇文化を育んだ民間劇場とどう協業するのか、その議論を先にすべきではないでしょうか。
(2011年11月15日)
おすすめの1冊
『演劇は仕事になるのか? 演劇の経済的側面とその未来』
米屋尚子著 彩流社 2011年 劇場法(仮称)を推進してきた芸団協の責任者による最新のアートマネジメント入門書。演劇界の抱える課題を歴史的経緯を踏まえて分析し、これからの文化政策を考える。 |
参考リンク
可児市文化創造センター「館長の部屋」
地域の創造拠点で館長兼劇場総監督を務める衛紀生氏のエッセイ。文化政策への提言多数。