ネットTAM

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問題提起:デザインされた政策と草の根から立ち上がる政策のバランス

去る2022年3月15日、企業メセナ協議会の主催、ネットTAM及びON-PAMの共催で国際シンポジウム「復元力と創造性をもつ芸術文化支援に向けて~アメリカのファンドレイジングの現在から~」が開催され、私は研修報告とパネルディスカッションの進行役としてこのシンポジウムに携わりました。当日は、平日の朝10時からという早い時間にもかかわらず、リアル会場の国際文化会館にもたくさんおいでいただき、オンライン視聴の方もたくさんいらっしゃったようで、現在のアートマネジメントのトピックの中でも、特に資金調達ということに関心を寄せている方々が多いことをあらためて実感しました。

私の研修報告は20分という時間で駆け足での説明になってしまったので、この場を借りて少し補足しておきたいと思います。そして今回が3回にわたるコラムの最終回ということで、今回のシンポジウムであらためて考えたことと、今後多くの方と議論をしていきたいことを述べてコラムの締めくくりとしたいと思います。

国際シンポジウム開催の様子「ニューヨーク研修報告」

1. 寄付額に占める芸術支援の割合

フィランソロピー全般、つまり個人寄附・企業寄附・財団による助成・遺贈すべて合わせて、アメリカでは2020年に4,714億4,000万ドルが寄付されました。日本円にして、55兆4千億円です。ただ私は研修報告の際、あえてこの金額を日本におけるそれと比較しませんでした。アメリカのフィランソロピー文化は建国の理念やそれにかかわるプロテンスタンティズムと深くかかわっており、日本と歴史的な背景が異なるからです。むしろ今回の議論の上で重要だと考えたのは、その資金の行き先です。資金の大半は、宗教(28%)、教育(15%)、福祉(14%)、助成財団(12%)、地域コミュニティ(10%)に流れていて、いわゆる「芸術」分野へは5%に過ぎません。つまり、アメリカにおいてもあらゆる公共セクターの中で、芸術は必ずしも優先順位が高いわけではない、ということなのです。

ディスカッションの中で議論がありましたが、CSRやSDGsなど、企業が優先的に取り組むべき社会課題が大きくなり、また個人の寄付という面でも環境問題や経済格差、教育問題などが関心を集めている一方で、芸術の社会的価値を企業や個人支援者と共有するためにはどうすればよいのか、という意味ではアメリカも同様に課題といえば課題です。しかしその点に関してホプキンスさんの回答は少し意外で、「他の分野と比較しない」というものでした。自分たちのミッションを定め、それを理解してくれる可能性がある相手をきちんとリサーチして、そのうえで相手を説得する、というものです。プラグマティックといえばそうですが、私には健全であるようにも思います。芸術に携わる我々が芸術を優先するのは当たり前で、それを他者にまでその優先順位を押しつけるのは違うと考えるからです。それを別の分野、たとえば環境分野の方がやっているとしたらどうでしょうか。「今重要なのは環境問題で、芸術は後回しでもいいでしょう」なんてこと(実際には言わないと思いますが)が聞こえてきたらきっと違和感を感じることでしょう。それは国や自治体のあり方を方向づける政治の仕事であって、そのような議論の仕方は議員や関係官庁の方々に任せるべきではないでしょうか。現場のアートマネージャーは、社会に呼びかけて支援を募っていくのですから、資金をどう「奪うか」と考えるより先に、自分たちのミッションをきちんと語っていくことの方が重要だろう、と今は考えています。そして出会った支援者と関係を結び、プロジェクトなり具体的な何かを通じてその支援の結果を社会に示し、支援者との信頼関係を深め支援の輪を広げていけば、もしかすると結果としてシェア5%が6%くらいになるのかもしれません。それでもとても大きなことですし、それが現実に「芸術が社会を変えた」ということを意味するのかもしれません。つまり合意形成のプロセスは不断の努力によってしか築くことはできず、とても地道な作業であるべきだということです。

パネルディスカッションの様子
パネリスト:カレン・ブルックス・ホプキンス氏[ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック(BAM)名誉プレジデント]、笠原美智子氏[アーティゾン美術館 副館長]、佐藤大吾氏[NPO法人ドットジェイピー 理事長/武蔵野大学 教授]、吉本光宏氏[ニッセイ基礎研究所 研究理事・芸術文化プロジェクト室長]

2. アーティストのベーシック・インカム

今年の2月、Creatives Rebuild New York というイニシアティブが、アーティスト向けのベーシックインカムを発表しました。これは、アーティストに収入保証または雇用機会のいずれかを提供するもので、アンドリュー・W・メロン財団が企画・出資し、フォード財団とスタブロス・ニアルコス財団から追加支援を受けて実施されます。経済的に困窮しているニューヨークのアーティスト2,400人に、18カ月間、毎月1,000ドルを支給するプログラムのほか、雇用プログラムでは、州内の地域密着型組織や自治体と連携して活動する300人のアーティストの雇用に資金を提供する予定です。参加アーティストは、年間65,000ドルの給与(ニューヨーク州の世帯収入の中央値に見合った額)と福利厚生を受け、芸術活動に専念するための時間を確保することができます。報告会で説明した通り、このようなプログラムはすでに2021年の夏からパイロット版としてアメリカの別の都市、ミネソタ州セントポールと、カリフォルニア州サンフランシスコ市で始められています。

1. ベーシックインカム/ニューヨーク/主体: Creatives Rebuild New York/予算: 1億2,500万ドル/出資者:アンドリュー・W・メロン財団、フォード財団、スタブロス・ニアルコス財団/対象数:2,400人(支給期間:18ヶ月)/支給金額:1,000ドル/雇用プログラム:年間65,000ドルの給与と福利厚生を提供し300人のアーティストを雇用

2. サンフランシスコ/出資者:サンフランシスコ市(「パンデミック救済基金」による追加出資)/実施主体: Yerba Buena Center for the Arts(YBCA)/対象数:130人/支給金額:1,000ドル/3. セントポール/実施主体: Springboard for the Arts (全額⺠間資金を原資とする)/対象数:25人(支給期間:18ヶ月)/支給金額:500ドル

これらは、パンデミックの影響で制作や発表ができず、経済的に困窮したアーティストが多数いることから始まったわけですが、聞くところによるとアーティストへのベーシックインカムはパンデミック以前から常々話題にのぼっていたそうです。しかしそれには背景があって、いくつものアーティスト個人支援の助成金が「アワード」つまり賞金形式であって、使途を定めずアーティストのキャリア全体を応援するという視点に立っているものが実際に存在してきたからなのです。そして、アーティスト個人への支援、つまり「制作物」や「プロジェクト」ではなく、アーティストの存在そのものが社会にとって必要であるという認識は、特に90年代初頭の「文化戦争」を経て広がったものです。この「文化戦争」では、表現の自由の問題に端を発し、「国が“何をするかわからない”アーティストに人々の税金を使って支援をするのはまかりならん」という保守派の声に押された結果、NEA(全米芸術基金)がアーティストへの直接支援をやめ、それに応答するようにして中間支援組織が生まれ(あるいはアクティブになり)個人支援を堅持した、という背景がそこにあります。このようにアメリカの今日の芸術状況において、中間支援組織が大きな役割を果たしていることはコラムの第1回目にも述べた通りです。

3. 個人の力への信頼とその両面 〜結びに代えて

アーティストの存在そのものが社会にとって必要であるという認識は、日本やヨーロッパに比べてアメリカでは一際強い印象で、それが私にとっては素晴らしいと感じることの一つです。というのも、私はこの十数年、現場からの視点で表現の自由について常に関心を持って考えており、アーティストの存在そのものを社会にどう位置づけるかと、表現の自由はどこかつながっているように意識してきたからです。それはまた別の機会で議論したいと思いますが、ここでは文化政策という視点から問題提起をしてコラムを締めくくりたいと思います。

アメリカは社会一般で考えても、個人の力への信頼というものが強く、「あなたがどのような肩書きであるのか、どのような組織を背負っているのか」よりむしろ、「あなたが今何を考えていて、何をしようとしているのか」が重要であるといった認識が一般的です。それがいわゆる「アメリカン・ドリーム」を支えているのでしょう。これは芸術分野においても同様で、だからこそアーティストの存在そのものが社会にとって必要であるという認識も広がりやすかったのだと思います。しかしながら、文化政策として考えたとき、必ずしも良い面ばかりでもない、というのが今回の研修で得た私の印象です。

政策や支援を担う側は行政というより民間の財団や個人の富裕層で、それらが自発的に活動するので、姿勢としては素晴らしいものの、体系だった政策や支援が行われづらいという課題があります。初期には似たような政策や支援プログラムが、別のイニシアティブから行われ、重複・混線など非効率が多々あり、それが時間を経て徐々に整理されてくるといった具合です。逆に支援される側も、個人の信頼関係に依存しているので、一旦あるアーティストが支援を獲得すると、その関係性に新しいアーティストが参入して支援を獲得するのが難しいといった課題があります。つまり、いつも同じ顔が主要な財団の支援を受けている、といった具合です。

しかし、政策や支援プログラムの混乱、また同一アーティストへの支援の固定化といった課題は課題として認識されやすいので、時間とともにある程度は解決されるでしょう。それより根深い問題だと私が感じるのは、このような個人への信頼の依拠が、アーティストの存在や活動が点としてのみ存在し、面にならないというアメリカの芸術界全体における影響です。実例としては、国際的な動向にまで配慮した舞台芸術のフェスティバルがほとんど存在しないことが一つの顕れです。面にならないという影響は、短期的には「アート・シーン」として国内外から認知されづらいという結果をもたらし、アーティストのモビリティや仕事の広がりを阻害することになります。長期的には、現在における包括的な芸術面の動向を記述する「ディスコース」が生まれづらく(決して批評が少ないということではありません。むしろアメリカの現代アートや舞台芸術の個々の批評は日本より充実しているかもしれません。)、アーティストの活動が歴史化されづらくなる結果をもたらします。それはすなわち、歴史を参照できないという意味で、時代を更新するようなイノベーションが生まれづらくなる可能性もあるということです。

翻ってヨーロッパにおいては、国や自治体による包括的な文化政策とそれに基づいたイニシアティブが強く、きわめて「デザインされた」シーンが広がっています。それにより、効率よく資金は配分され、アーティストは(アメリカに比べればずっと)作品制作に集中できる環境にあります。しかしその「卓越性の追求」に重きを置いた芸術支援は、ツアー地を転々とするアーティストの生活と相まって、社会の階層化に対して影響を与えないどころか、それを追認するという課題も一方であるのではないでしょうか。
果たして日本において今後検討されるべき文化政策は、どのようなバランスで率いられるのが相応しいのでしょう。私はある一定のデザインも必要であると同時に、芸術が社会の中で真の意味で生き生きとしたものであるために、草の根的な一定の自律性も必要だと考えます。その適度なバランスを多くの方々と議論して、暫定的であるにせよ、いずれ社会的コンセンサスがかたちづくられるとよいなと考えています。それは、誰がどのように芸術を支援するのか、という資金調達の実践とも深くかかわっているはずだとも思います。つまり、芸術に携わる我々だけで抽象的に議論するのではなく、社会とかかわる実践を通じてともに考えていきたいということです。

全3回のコラムにお付き合いいただき、どうもありがとうございました。

(2022年3月22日)

おすすめの1冊

カレン・ブルックス・ホプキンス著「BAM... and Then It Hit Me」
ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージック(BAM)をアメリカにおける現代舞台芸術のメッカとして不動の地位を築いた彼女の、36年間にわたるBAMでの仕事・記憶をとどめた著作です。たくさんの写真とともに、印象的なエピソードがたくさん詰まったこの本を、アート・マネジメントの必携図書としてお勧めします。
以下のサイトからオンラインでご購入いただけます。
https://my-site-108553-107163.square.site/

特別編 アメリカのファンドレイジングの現在 目次

1
復元力と創造性をもつ芸術文化支援に向けて
2
アメリカでの研修報告・その1
3
多様化するファンドレイズ
4
問題提起:デザインされた政策と草の根から立ち上がる政策のバランス
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