行政とアーツが適度な緊張感を持つ
(1)文化政策の担い手のあいだの緊張関係
前回はアーツカウンシルについて、アーツとカウンシルの2語に解体し、その概念に迫りました。そこでは、アーツカウンシルが文化振興のための公共政策の推進役としてアーツカウンシルが果たす効果を大きく4点で整理しました。まずは「組織から事業への観点の変更と、補助から助成への前提の転換がもたらされる」こと、そのために「助成対象と内容を評価できる専門家集団の組織化が必要となる」こと、それらによって「資金を拠出する行政側も、資金が提供されるアーツ団体側も、財政の透明化がもたらされる」こと、ゆえに今後は「プレーヤーに対してマネージャーの役割が重要となる」ことについて取り上げました。ちょうどそれは、国や自治体がすべてを担うのではなく、現場に権限が委譲されたうえで多様な主体によって多彩な事業が展開されていくという点において、EUにおける「補完性原則(subsidiarity)」にも似ている構図ともいえるかもしれません。
ただ、アーツカウンシルの運営原則には、1946年2月に英国でアーツカウンシルが設置された当初、初代議長についたケインズが主張した「アームズ・レングス」という原則がよく取り上げられます。その名の通り、「腕の長さくらいの距離を保つ」ということを意味する概念です。筆者と同じく、大阪府市統合本部の「都市魅力戦略会議」のメンバーで、大阪府と市の特別参与の中川幾郎先生(帝塚山大学法学部教授)の論文「芸術文化の公的支援に関する理論的根拠について」(1998年)では、ケインズがBBCを通じて行った演説から「芸術家の活動は、本来独立しており自由なものである。訓練や組織化、統制を強制されるものでもない」の部分が引用されています(p.189)。このように行政側が自戒的に芸術家から距離を置くことを主張した背景には、ナチス・ドイツが芸術を政治利用したことがあります。アーツカウンシルは、第二次世界大戦後、こうして政治の芸術への関与、さらには行政と芸術家との関係、ひいては文化政策とアーツ団体などの活動する環境をいかに整合、整理、整備を図っていくべきなのかを考える中で生み出されたのです。
ここでアーツカウンシルの有無にかかわらず、公的な文化事業は、活動の<担い手>とその<支援者>との間の二層によって展開されると捉えてみることにしましょう。そもそも文化に対して公的な資金を分配していくことの妥当性は、いわゆる学識経験者などの外部専門家を起用して行政が事務局を担った審議会などによって策定された文化政策との整合性から判断される必要があります。そのため、アーツカウンシルがないときには、策定された政策に基づく各種の施策を行政が<担い手>となって推進することとなり、行政が主催する事業の<支援者>として芸術家らが関与し、アーツ団体に対する組織運営への補助や、事業者としての委託がなされてきました。一方で、アーツカウンシルがあるときには、文化政策の立案段階においては同じく行政が審議会などの事務局を担いつつも、政策決定のプロセスにおいては現場の取り組みについて一定の見識を有するアーツカウンシルからの提言が反映され、各種施策の推進の段階においては、アーツカウンシルが企画・評価などを担う<支援者>として立ち、芸術家(たち)やアーツ団体が取り組みの<担い手>として事業を展開していくことになります。
このように、文化の担い手と支援者の関係を捉えてみると、行政から一定の距離を置いてアーツカウンシルが文化の推進役になる構図が明らかとなるかと思うのですが、とはいえアームズ・レングスの原則をアーツカウンシルの基本原理として過剰に位置づけることには注意が必要です。なぜなら、アームズ・レングスの原則は、あくまでアーツカウンシルを設置する行政側が重視したものだからです。逆にアート団体などが行政からの外部性ばかりを強調し、結果として担い手が独断的に事業を企画・実施してしまっては、公的な資金が用いられた事業の妥当性や整合性に対して、法令遵守(コンプライアンス)の視点や倫理観が問われることになるためです。つまり、手の届く距離に行政がいるということは「行政は金は出すが芸術団体に口は出さない」のではなく、必要があれば手を伸ばしていくことができる距離に行政はいて、しかも資金を拠出しているゆえの責任を有していることを意味するのです。
(2)文化政策へのPDCAサイクルの適用は妥当か?
ということで、前回の振り返りを手がかりに、前回予告させていただいた通り、「アームズ・レングス」という視点からアーツカウンシルの歴史的経緯と意味をひもといてみることにしました。そこでは、政治と芸術の独立性、そして行政と芸術家(たち)の独立性、それらが重視されたことに注目を向けたつもりです。それはこの間議論されてきた「日本版アーツカウンシル」や、2012年度より東京都が公益財団法人東京都歴史文化財団に設置した「アーツカウンシル東京準備機構(仮称)」などにおいても、盛んにこの独立性の視点が取り上げられてきたためです。ちなみに東京都ではアーツカウンシルの設置に関する議論のはるか前、1983年10月施行の東京都文化振興条例の第2条2項に「都は、この条例の運用にあたっては、文化の内容に介入し、または干渉することのないよう十分留意しなければならない」と定めていることからも、そもそも自治体文化政策においては立案側と推進側との独立性、そして両者の緊張関係が根差されるべしという規範を見いだすことができます。
ここでアーツカウンシルでは、行政からアーツ団体への独立性の視点に加えて、アーツ団体によるアーツ活動の計画性に関心が向けられてきていることに触れておくことにしましょう。実際、2012年6月13日の第3回大阪府市都市魅力戦略会議報告書「世界的な創造都市に向けて〜グレート リセット〜」でも、アーツカウンシルの検討の背景に「事業撤退ルール」や「外部有識者による評価」など「徹底したPDCA」を行うことがあると記されています。また、2011年2月8日に閣議決定された文化庁による「文化芸術の振興に関する基本的な方針(第3次基本方針)」でも、「日本版アーツカウンシル」の議論に重ねて、「文化芸術団体への助成方法を見直し、文化芸術活動への支援に係る計画、実行、検証、改善(PDCA)サイクルを確立することによって国としての支援策を有効に機能させる」ことが重点戦略の筆頭として示されています。前項ではアーツカウンシルが英国において行政からの独立性を重視する中で出てきた制度であったにもかかわらず、なぜ日本ではアーツ団体によるアーツ活動の計画性に関心が向いているのでしょうか?
そもそも、PDCAサイクルとは、製造業を中心とした品質保証や工程管理のために用いられてきた概念です。ウォルター・シューハートとともに提唱者の一人とされているエドワーズ・デミングは、自著「Out of the Crisis」(1986)の中で、1950年に来日した折の講義を通じて、Plan-Do-Check-Actの4つの語に落ち着いたとしています。PDCAサイクルは、もともとフランシス・ベーコンが導いた仮説・実験・評価による帰納の概念を発展させたものともいわれているのですが、目標管理型の品質保証の考え方を文化政策の領域に適用する意義はどこにあるのでしょうか? このことについては、可児市文化創造センターのウェブサイトに掲載されている、衛紀生館長兼劇場総監督の2010年9月1日のエッセイが参考になるでしょう。
衛紀生さんのエッセイ「日本版アーツカウンシルをデザインする。」では、アーツカウンシルが求められる根拠として、「学者・研究者や評論家が審査することで、本当に公平適正な評価ができているか」と、評価や審査への「不満」や「不安」や「不信」にある、と分析しています。したがって、この指摘をもとにすれば、文化政策にPDCAサイクルを適用する意義は、PDCAサイクルをまわしていくにあたって、それぞれの段階においてかかわる当事者の役割分担を適切に行っていくことにあると考えられます。つまり、政策立案レベルと政策推進レベルとでは、同じPDCAサイクルというモデルを重ねたとしても、前者では行政の役割が、後者ではアーツ団体の役割が決定的に重要となります。では、こうした独立性、計画性が反映された文化振興のための公共政策の推進役としてのアーツカウンシルはどのような取り組みを行っているのか、次回は、日本を含めて各国の事例を紹介することにしましょう。
(2012年6月10日)
おすすめの1冊
芸術文化の公的支援に関する理論的根拠について: 英国芸術評議会の問題点を通じて 帝塚山法学(2), 183-202. 中川幾郎 1998年 |