アートプロジェクト事始め
アートプロジェクトってなに?
アートプロジェクトという言葉、最近時々見かけるような気がしませんか?メディアなどでは、ちょっとアートっぽい企画を呼ぶときに便利に使われていたりして、あれもこれも「アートプロジェクト」。ウィキペディアで検索しても、全国の数多くの文化事業らしきものがヒットするばかりで、誰も定義を書いてはいません。どうも、誰もが勝手に使っている、現在成長中の言葉のようです。
とはいえ、ネットTAMの読者のみなさんなら、「だからその、ウィキにたくさん出てきた、全国各地で行われている、地域型芸術祭のことじゃないの?」、と突っ込んでくださるかもしれません。はい、私、実はここ数年、地域型芸術祭を中心に、いったい何がアートのプロジェクトなのか、「プロジェクト」という言葉に、各地の活動がどのような想いを反映させようとしているのか、考えてみました。全国でおもしろい活動をしている方々を20数名東京に招いて[*1]、活動の経緯を伺い、それから定義を考えてみました。そして、お招きした皆さんの活動紹介と、そこから抽出した定義をまとめた本が出来ました。『アートプロジェクト─芸術と共創する社会』(水曜社、2014)という本です。
ぜひ、ご一読を、とお勧めしたいのですが、なにせ分厚い。しかも3200円! 改訂前のウェブ版[*2]だと無料ですが、プリントアウトすると電話帳のようなものになってしまいます。いずれにしても、字が多い!! そこで本稿では、ごくごく手短にアートプロジェクトのツボを述べつつ、この分厚い本の気楽な活用法などをご紹介したいと思います。
また、ネットTAM講座もいよいよ実践編ということですので、後半には、アートプロジェクトの運営現場の悩みの数々について、ご紹介しますので、どうか最後までご一読あれ。
アートプロジェクトのツボ
定義なんて堅苦しいことは本に任せておいて、要するにアートプロジェクトは、みんなでわいわいがやがやとつくるもの、これが最大のツボです。美術館やギャラリー、音楽ホール、劇場など、専門の文化施設ではなく、野外や生活空間のなかに表現が出現することが多いのが、アートプロジェクトの第一の特徴です。文化の専用施設ではない場所をお借りするとなると、その場所の所有者がいるわけで、許可をいただいたり、無償で貸してくださいとお願いしたり、いやおうなく多くの「関係者」が登場します。たとえば、公園などをお借りするだけで、行政、町会、利用者など、多くの人々を説得し、その場所のさまざまな意味合いを考えざるをえないのが、アートプロジェクトのマネジメントの常です。場所との対話が、プロジェクトの原点となるのです。
美術作品がまちなかに展示されているだけのシンプルな形態のアートプロジェクトも多いですが、観客としては、スタッフというよりは見るからにまちの人が案内などしてくれると、プロジェクト感がぐっと増します。みんなでつくっているんだなぁ、と感じると旅の情緒が増すのが、アートプロジェクトの楽しみ方のツボでしょうか。まちづくりへの期待から行政が提唱することも増えていて、官民あげてみんなで盛り上げよう、という機運が高いプロジェクトも増えています。
また、せっかくまちなかで表現を展開するなら、その場所の関係者の人たちや、通りすがりの人たちにも参加してもらおう、などと思い立ってしまうことが多いのも、アートプロジェクトの特徴です。従来のアート作品とは、ここが大きな違いです。本来、アートは作品の出来栄え、つまり結果がすべて。さらに、「作品」と認められるには、「作者」が誰なのか明示することが必要だとされますが、アートプロジェクトでは、アーティストが不思議な活動を提案して、まちの人たちや公募参加者がそれを実現するという表現活動も散見されます。「関係性の芸術」なんて呼ばれたりしますが、表現活動がアーティストひとりのものではなく、共創的になることがあるのもアートプロジェクトの特徴です。(具体的には、後半の写真入り事例解説をご参照ください。)いわゆる芸術鑑賞を期待すると、「なんじゃ、こりゃ」となるので、楽しみ方のコツとしては、参加しちゃうことでしょう。私自身はワークショップ参加とか大の苦手なのですが、通りすがりの観客の人が思わず参加して、照れ笑いしている様子に遭遇するのがすごく楽しいです。目の前で思いがけぬ関わりが発生して、人びとがさまざまな反応を示しつつ、ついうっかり絡んでしまう様子を眺めるのも、楽しみ方のひとつですから、参加型が苦手というかたでも大丈夫。
いずれにしても、まちとアートの関わり方や、まちとの関わりから生まれる表現を、さまざまな立場の人が、それぞれの価値観を投影させつつ支援・成立させるのが、アートプロジェクトのツボなのです。
『アートプロジェクト―芸術と共創する社会』活用法
では、恥ずかしながら拙書の紹介です。
この本では、第1章から第9章まで、大学、オルタナティブな場、美術館、企業などの活動を紹介し、黒子である若手スタッフの座談会や、日本を代表するアーティストたちによる大型フェスティバルの未来予想、東日本大震災後の被災地での活動、社会包摂的な取り組みなど、多角的な視点からアートプロジェクトを語っています。どの章から読んでもいいので、興味のある章や、知っている人が語っている章、訪れたことのあるプロジェクトの話などから紐解くのがお勧めです。最初から読破しようとすると、多分、くじけます。
話者たちが語ってくださったのは2010年が中心なので、その後、発展して様変わりしたプロジェクトも多いですが、プロジェクトは消えてなくなるものですし、誰が何を考えてどういうふうに事を進めたのかは、なかなか知ることができません。さまざまな活動の歴史を紐解けば、これからアートプロジェクトを始めてみようかなと思っている人には、ヒントや留意点が満載だと自負しています。
読者の方からは、「自分のふるさとだったら、どのプロジェクトならできそうかな」と考えながら読んだら楽しかったというお声もいただきました。そんな風に活用いただければ嬉しいです。
冒頭の定義は、かなり堅苦しい文言なので、参考程度にふーんと目を通すくらいにして、どうかここでめげずに進んでください。また、最初の第0章の概説は専門家向けなので、研究者や芸術関係者ではないかたは、最後に気が向いたら開いてみるくらいで良いかもしれません。でも、20世紀後半の美術史的位置づけも試みているので、論文を書く学生さんは、ぜひ頑張って概説も読んでみてください。
また、毎年、この本の産みの親である東京アートポイント計画のTokyo Art Research Labという講座で、この本の続編となるレクチャーを開催し、新たな事例の関係者をお招きして、本書の読み解きをおこなっています。次回は2015年1月から秋葉原のArts Chiyoda 3331で開催予定ですので、皆さまのご参加お待ちしております[*3]。
現場の苦悩―その1:場所決め
さて、「みんなでわいわいがやがや」というツボは、あくまでアートプロジェクトの楽しい側面です。しかし現場はさまざまな苦悩に満ちています。後半は、そうしたアートプロジェクトの運営現場の実態について、かいま見ていただこうと思います。どこの現場でも似たような現象はあると思いますが、今回取り上げるのは、主に、写真で紹介する「音まち千住の縁」。私が教える千住キャンパスがある地域で、「東京アートポイント計画」[*4]の一環として足立区などと共催しているプロジェクトです。
まず、「みんなでわいわいがやがや」というと楽しげですが、関係者が多く、意見もさまざまとなると、現場の様相はケンケンゴウゴウ、カンカンガクガクの連続です。最初の難関として運営に立ちはだかるのが場所決めで、市民のみなさんの協力を得て企画運営側がピックアップした場所にアーティストが難色を示す、逆に、アーティストがまちを歩き回ってここだ、とインスピレーションを受けた場所に行政がうんと言わない、町会が眉をひそめる、警察や消防の許可を得られない...などなど、一筋縄ではいかないのが常です。いったい誰から説得したらいいのか、根回しに軽く1か月が過ぎていきます。開催3か月前、そろそろプレスリリースを出したいと広報にせっつかれながら、交渉が続きます。
作品のクオリティとは?
ようやく場所が決まり、企画内容を詰めていく作業においては、それほどカンカンガクガクの議論は生じませんが、ケンケンゴウゴウの悩みは企画担当者たちの心の中に生じます。「音まち」ではアーティストを擁しているので、企画の細かい内容まで、アーティストの意向が最大限重要視されますが、みなさん売れっ子なので、なかなか話し合う時間が取れません。海外にいるアーティストと、ようやく叶ったスカイプでのミーティングで、「で、君たちはどうしたいの?今回の企画で何を目指すの?」と突っ込まれて絶句。そう、アートプロジェクトでは、市民が近くにいてくださるため、企画担当者の脳裏にはプロジェクトを届けたい顔がリアルに思い浮かびます。ようやく決まった場所が地域社会にとってどのような意味合いを持ち、今回の企画の軸をどこに定めるのか、主催者の見識が問われるのです。アーティストの力量を最大限に引き出す芸術的なチャレンジは、今回どこにあるのか? 芸術的なチャレンジとは逆のベクトルを示しがちな、「わかりやすさ」を求める市民の声にはどう応えるのか?――企画者の心にはさまざまな葛藤が生じます。いや、そもそも、このプロジェクトで、地域になにをもたらそうと目論むのかちゃんと考えているのか、と、アーティストからも市民からも詰め寄られている事を実感するのが、企画者が成長する過程の第一歩なのです。アーティストは、名前を出して自分の作品となる企画において、担当者が学生だろうが、ボランティアだろうが、細部まで見逃してはくれません。容赦ない真剣勝負の連続です。
誰の意見を聞けばいいの?!
届けたい地域の人びとの顔を必死で思い浮かべながら、アーティストの突っ込みの嵐に七転八倒して、ようやく方向性が見えてくると、次は主催各者への説明です。ここでは、社会的な意義や実現可能性が問われます。地域に何をもたらそうとしているのか、区からはその戦略と戦術が明確かつ有効なのか突っ込まれます。東京アートポイント計画からは、はたしてそれが実現可能なのか、資材調達、人員、予算、時間などの可能領域など、運営の力量を突っ込まれます。おぼろげなプロジェクトの絵図が、揉まれに揉まれ、現実的な路線が探られます...というと、カッコいいですが、実際の現場担当者の感覚としては、企画の運営を進めているなかで、突然あらぬところから横やりが入る感じです。
たとえば良く揉めるのがチラシのデザイン。台割や掲載内容の文言の案を事前に諮っていたにも関わらず、デザインに落とし込んで形になって見えてきた時点で、「これはないんじゃない」というたぐいのNGが各方面から出てきます。ダサい、企画の軸がぶれているというディレクター。字が小さくて読みにくいという行政。「誰に何を伝えたいの」と蒸し返すプロデューサー(私)...。企画担当や広報のスタッフは、これまでの作業が徒労に思え、いったい、誰のいうこときけばいいのよ!!! と、投げ出したくなる瞬間です。関わる人が多く、みんなでワイワイは、決められない側面の連続でもあるのです。
もちろんこれは「音まち」特有の現象かもしれません。他所では意思決定機構が明快で、サクサクと事が進んでいるのかな、と、不安になることも多いです。「NPOの持ち味は、機動力と柔軟性」などと教科書には書いてあるかもしれませんが、「音まち」の現実は、関わる人の多さから、にっちもさっちもいかない状況が頻発し、あれよあれよという間に会期が迫ってくるのです。
人材不足と地域社会への負荷
ほかにも悩みは山ほどありますが、最後に重要な課題を指摘しておきたいと思います。第一に人材不足ですが、これは文化活動全般に共通の劣悪な労働環境に起因します。これまで述べたように、理不尽とも感じられる業務のなかで、スタッフにはただならぬ情熱が求められます。「魂かけて、社会保障なし」という職場なのです。もちろん、社会保障完備で魂はかけない、ではアートプロジェクトどころか文化活動が成り立つのかどうかおぼつかない気もしますが、さまざまな局面で関係者たちの板ばさみとなるアートプロジェクトのスタッフには、現状よりもっと報われる労働条件が与えられるべきではないでしょうか? そうでないと、良い人材が集まる業界には育たないと思います。
また、それより大きな課題は、はたしてアートプロジェクトで地域が潤うのかどうか、地域社会側の受け止める力量です。「潤う」という意味を経済波及効果のみに求めるのはあまりに残念ですが、新たな縁の創出や地域の価値観の刷新など、確かに全国各地でさまざまな成果が報告されています。しかし、地域社会にとって、アートは必ずしも「金のなる木」でもなければ、「わかりやすい娯楽」でもありません。芸術家の妄想力を受け止めて紐解きつつ、即効性を求めずに、気長に縁や価値を創出してゆく作業は、関わる地域の人びとにとって大きな負荷であることも事実です。そうした作業を、地域社会に寄り添いつつも、揺さぶりをかけて続けてゆくためには、やはり魂をかけて臨む人間の存在が不可欠です。全国でプロジェクトが急増するなか、そうしたスタッフは、奪い合いともいえる状況です。「芸術と共創する社会」を実現したいという人材は、読者の皆さまを含めて決して少なくないと思いますが、彼らが安心して人生を掛けて臨めるような環境整備が急務だと思います。
最後に
アートプロジェクトの理想と現実を語りたいと思いつつ、本稿では、理想も現実も、かいま見る程度にしかお伝えできずに申し訳ありません。現場は、共通の悩みを抱えつつも、どれひとつとして同じものはありません。理想も現実も、百花繚乱。ここから先は、現場に飛び込んでいただいて、ご自分の体で体験していただくのが一番です。辛く楽しい現場に、あなたも入ってみませんか? 悪魔のささやき? ふふふ、それは来てのお楽しみ。
写真コラム
本文では具体的な話ができなかったので、写真コラムで、「音まち千住の縁」(以下「音まち」)で展開する数々の共創的プロジェクトを紹介しつつ、さらに裏話をすこしばかり。
「音まち」で毎年開催している、アーティストの大巻伸嗣のパフォーマンス作品Memorial Rebirthは、大量のシャボン玉で空間を埋め尽くすものです。商店街や小学校の校庭で実施しましたが、2年目からは千住オリジナルの「しゃボン踊り」を追加。藝大の卒業生が作曲・振り付けしたオリジナルの盆踊りを、地元の日舞をたしなむご婦人たちが踊ります。端正な作品で知られる大巻伸嗣ですが、千住ではまちとの関わりづくりに奮闘中。
Memorial Rebirth 3年目となった昨年は初の夜の開催。小学校の校庭で映像の中にシャボン玉が漂いました。地元商店街やPTA、町会などでも顔役のかたの「夜は幻想的ですごいね!」の一言で、今年度も夜の開催が決定。しかし、夜の開催には予算が足りない!現在、まちの顔役の方々にお知恵をいただきながら、学生と事務局が地元で寄付集めに奔走中です。
これも昨年度のMemorial Rebirth。千住に移転してきた東京電機大学の先生や学生たちの協力を得て、事前に写真ワークショップを開催。参加者が撮った千住のまちの写真を校庭に投影しました。「せっかく撮った写真が見えないじゃない」とまちの方からお叱りの声も。今年度は11月2日、千住旭公園で開催します。企画運営に参画する市民の方々も増え、まちと共催の色合いを少しずつ高めています。皆さんの声を反映して、今回の夜の開催は作品鑑賞を前面に出す方向に。すごく美しい(はず)なので、ぜひご来場ください。詳細は「音まち千住の縁」のウェブサイトで。
あまちゃんの名曲で一躍メジャーになった大友良英は、凧を揚げて空から音を降らせるという難しいプロジェクトを提唱。公募で集まったチーム・アンサンブルズのメンバーが音の出る凧の開発に取り組んで4年目です。プロジェクト名は「千住フライングオーケストラ」。写真は、2012年度の凧揚げ本番。地上には大友さんの呼びかけで、楽器をもった人びとが集まりました。大友さんの指揮で、凧を見上げながら演奏。空との共演はなかなか大変ですが、すごく気持ち良いコンサートになります。
「千住フライングオーケストラ」の2014年3月の舞台は、千住の魚市場。仲買人の人がせりの声を張り上げて、イベントがスタートしました。「縁日」がやりたいという大友さんの掛け声に、公募で集まった「おもしろ屋台」。せりの紹介(名付けて「セリモニー」)に先導されて、大友さんと彼のスペシャルビッグバンドが屋台を一軒一軒まわっています。
「縁日」の締めくくりは、チーム・アンサンブルズと大友さんが開発した音の鳴る提灯。提灯に仕込まれたノイズ音楽は、事前に藝大の録音チームが市場で採取した音から作られました。大友さんのスペシャルビッグバンドの奏でる音と協奏して、幻想的な締めくくりに。強風のため、主役の凧はなかなか揚げられませんでしたが、地元の方々が出店した食べ物屋台は売り切れ続出の大賑わい。参加者6000人は、「音まち」では大記録になりました。
音楽家・野村誠が「音まち」に提案したのは、なんと「千住だじゃれ音楽祭」。初年度は銭湯で「風呂フェッショナルなコンサート」を開催しました。事前にまち歩きをして、一般参加者とだじゃれを言い合い、だじゃれで歌詞をつくった曲などを披露したのですが、出演者募集の時は、お風呂に水着で出演というのが、ハードル高くて誰も集まらないのではとヒヤヒヤでした。
だじゃれ音楽の手法は作曲方法にも展開しました。藝大の千住キャンパスのスタジオで「ドミノ倒し」という曲を披露。「ド」はドレミのド。「ミノ」は、「ミの音はNO=ミ以外の音を出す」...というような曲です。
「だじゃれ音楽祭」の2014年度企画は、野外コンサートの「千住の1010人」。またまた魚市場の駐車場をお借りして、壮大なだじゃれ企画の実施を決断した「音まち」。10月の本番に向けて、まずはタイトルのだじゃれを広めようと、写真のようなヴィジュアル広告を作って、夏前から町中に張り出しました。「千住の1010人? なんじゃそりゃ?」という効果を狙ったティザー広告です。
2014年10月12日、「千住の1010人」の風景。台風接近にひやひやしましたが、当日は良い天気に! タイやインドネシアからも音楽家たちを招いて、アジアンな音に魚市場が包まれました。
写真提供:「アートアクセスあだち音まち千住の縁」
(2014年10月15日)
アートマネジメントQ&A
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