祝祭と創造の継続を選んだ「トビウの森と村祭り2021」
揺すぶられ続ける自分、未経験の地点に立たされる
飛生アートコミュニティーは北海道・白老町、太平洋沿いの国道から約6km山側へ。10世帯ほどの小さな集落にある元飛生小学校の木造旧校舎を共同アトリエとして1986年にアーティストたちにより創設。そこに集うアーティストや有志メンバーらによって2009年から「飛生芸術祭」、2011年から校舎裏の森にて創作や環境整備を毎年春から秋にかけて活動する「飛生の森づくりプロジェクト」、同年からは芸術祭の前夜祭として「TOBIU CAMP」を始動させ毎年継続している。それらはいずれも集うメンバーたちの自主制作により企画運営をしている。2018年からは、飛生以外の町内エリアを舞台に、地域内のフィールドワークを通し多様な有形無形文化資源に出逢い、それらを再編集・再構築しながらさまざまな形態のアートプロジェクトを展開している。町内の他の文化芸術団体とも連携し、来訪者が町内各集落・各プログラムを回遊しながら地域を巡る面白さを協働で促進してきた。
自分を含め、今大人たちはコロナ禍を過ごす中、どこかで「あきらめ癖」や「中止・延期慣れ」してしまっていないだろうか。コロナは何かを「やらない(やれない)理由・言い訳」に、どうしてもピッタリきてしまう。この「やるせない慣れ」が少しずつ当たり前の感覚のようになっていき、ウイルスに便乗して散布、蔓延していく怖さのようなものを感じる。運動会に遠足、地元の小さな祭り、体育館でのスポーツ、図書室、ラジオ体操まで中止になっていく子どもたち。暮らしの身近なデキゴトがことごとく失われていく。
中止や延期の判断は間違ってないし、きっと一つの正解はない。しかし「やらない」はやっぱり悲しい。「やる」ことは未知数のリスクや大きな責任を伴うかもしれない。とにかくいろいろと怖い。先が読めない。中止の判断は、刻々と変化する情勢の中で、心的に肉体的にもある種、楽になれる部分があるのかも知れない(自分も多くの中止や延期の判断をしてきた)。しかし「ていねいに、あきらめず、やってみる」を進める選択だってあってよいだろう。複雑な思惑の行きつ戻りつは、おそらく私だけじゃなく規模大小や分野問わず全国、世界各地のオーガナイザー、主催者、企画者さんたち共通の現実かも知れない。誰もが怖いし心も痛い。感染者がでることも、責められることも、気持ちが折れることも、そしてあきらめることも。当初計画や感染情勢の予測もあっという間に崩れ去るような状況に、揺すぶられ続ける自分。未経験の地点に立たされる。
2020年芸術祭の開催とTOBIUCAMPの中止
飛生芸術祭は、森づくりメンバー自らによって、年に一度初秋に開催している。コロナ禍において、展示室の入場制限のためのスタッフ配置、来場時間ごとの駐車券販売などの工夫をこらし、来場者同士の密を避ける対策のうえで2020年、2021年と実施することができた。多種多様なイベント形態があるなかで「展覧会」形式は、人数のコントロールがし易い点において、現場環境と運営の工夫次第ではコロナ禍で比較的実施しやすい傾向にあることもわかってきた。
一方、2020年に中止したのが「TOBIU CAMP」である。2日間一昼夜を通して、校舎や体育館、グラウンド、森、牧草地の至る所に80組を超える各分野のアーティストがキャスト出演し、来場者は多い年で2000名ほどが訪れるオールナイトイベントである。この形態では、どうしても局所的な密を避けることができない点、多数の飲食ブースが必要であり不特定多数の来場者へ食事制限が難しい点、有志スタッフによる24時間通した感染対策の徹底管理自体が不可能である点などから中止を判断した。
さて、2021年秋のTOBIU CAMPはどうしようか。やめるか、やるか。2021年の実施計画にあたり、コミュニティメンバーたちで議論を重ねていった。
積み重ねてきた言葉、前へ…
先の北海道胆振東部地震(開催3日前に発生)による2018年中止。2020年コロナ影響による中止を2度経験している飛生メンバーたち。終わりの見えない続く2021年のコロナ禍において開催の是非をそれぞれどう感じているのか。私たちは森づくり活動の時間を使って話し合い、開催の有無への想い、開催するとしても、そのあり方の意見を積みあげていった。通常通りフルスペックで実施しよう、1日だけやれないか、規模を縮小してやってみよう、やっぱりやめておこう…。多種多様な言葉とアイディアが積み重なっていった。このときの自分は悩ましかった。開催へ強烈なこだわりを抱いていたわけじゃなく、かつ逃げたいわけではなく。開催賛否に加え、拭えない不安、疑問、希望が絡みあう心境。
集まった大切な意見たち。開催しようと自分の気持ちを大きく後押しした一つは、日ごろ森づくり活動へ集まるメンバーの子どもたちや、毎年来場を楽しみにしているたくさんの子どもたちへ、大人があきらめず進めていく姿を見せたい思ったことだ。「どうせ中止なんでしょ」ではなく、あきらめないで進めること。悩ましさも不安も未経験の運営や対応も、ともに味わいながら協働して前へ進めること。開催へ向けた勇気も気力も湧いていった。
TOBIU CAMPから改名し、1日限りの時間限定・来場数限定・コンテンツ縮小の『トビウの森と村祭り』の実施へ向けメンバーたちが動き始めた。「村祭り」はその響き、実施する規模、飛生の立地、そして私たちの自主制作のスタンス的にも調度いい。
各アーティストへのオファー、各出店者への依頼相談などのやり取りの際には、「参加する・しない、どちらであっても、私たちはあなたの考え方を尊重します」という主催側の趣旨を伝え、感染対策の実施計画の説明などを添えた。同じく私たちメンバー内においても多様な考え方があることを尊重し、実施日・準備日の参加への可否判断のいずれも、決して否定することはない意向を伝えた。
しなやかに変化し楽しむ心
例年のTOBIU CAMPより、うんと人数、コンテンツ、時間を絞ったこの2021年様式の村祭りの当日。メンバーの誰もがいまだ見ぬ景色を迎えたわけだが、結果「これはこれでとてもアリだね、イイね」と感じられる時空間が生まれ、各所運営の安心感もあった。2011年から継続してきた「ウポポ大合唱」は、巨大な火を全参加者で囲い、アイヌの伝承歌や踊りを共感・共創する最も象徴的な時間であるが、たくさんの理解・協力のもとで今年も成し遂げることができた。
村祭りの開催で実りが多かったと感じたことは、森づくりメンバーたちによる準備、本番運営、撤収、更に翌日からスタートする芸術祭開催に至る、さまざまな場面におけるメンバー同士の協働、尊重、支え合いが生まれたことだ。そういった姿勢に勇気づけられる自分も確実にいたし、小さなコミュニティの強さ、たくましさを感じた。
規模の縮小・制限=残念・切ない、ではなく、それを新たなクリエイティビティとして切り替えて楽しむ心。過去の栄光や実績に固執せず、それと比較することなく、しなやかに変化していく想像力、創造力。
中止ではなく「今年は祝祭と創造を続けよう」と挑んだコミュニティ、そこに集う森づくりの仲間たち。重ねられた言葉・意見、違いを認める心、迷いながら共感しながらも前へ向かう意志、姿勢にたくさん感化された2021年。あらためてコミュニティメンバーたちへ感謝したい。
公式WEB内のフォトギャラリーにて、村祭りや参加した子どもたちの様子が確認できます。
(2022年2月14日)