~コロナが拓いた舞台芸術のデジタルアーカイブ化と動画配信の未来~EPADの試み
わざわい転じて福にできる?
コロナ禍で舞台芸術界がどれだけ深刻なダメージを受けたか、このコラムの読者には、改めて説明を繰り返す必要はないものと思います。残念ながら、今も3回目の緊急事態宣言発出で公演中止、延期の報が相次ぎ、やり切れない思いでいっぱいです。いつになったら劇場やホールがコロナ禍以前の状況に戻れるのか。出口は見えないけれども、何もしないではいられない。この禍を状況改善のきっかけにできないか…。「ウィズコロナでの挑戦」というお題をいただき、そういう試みのひとつとして、私が昨年秋から約半年関わった「緊急舞台芸術アーカイブ+デジタルシアター化支援事業」(以下、EPAD事業と表記)について紹介し、ここ数か月考えてきたことを書きたいと思います。
EPAD事業は、文化庁がコロナ対応のため導入した「文化芸術収益力強化事業」に採択された事業のひとつです※1。ウィズコロナでの「収益力強化」は難題ですが、経済的打撃を受けている芸術団体を文化庁が直接支援するのではなく、事業立案者が間に入って「収益力強化」に資する事業を提案するという枠組みが特徴です。これを舞台芸術緊急事態ネットワーク(JPASN)※2 が舞台芸術支援に活用しようとしました。企画提案するには、法人格と事業実績のある団体と共同する必要があり、アーカイブ事業で定評のある寺田倉庫株式会社が事業パートナーを引き受け、舞台芸術のデジタルアーカイブで実績のある早稲田大学演劇博物館とも連携することで実施体制がつくられました。
※1:560億円の第二次補正予算による文化庁が提示した文化芸術活動への緊急総合支援パッケージの施策のひとつ(一部、スポーツを含む)。
文化芸術収益力強化事業(文化庁)
※2:舞台芸術にかかわる諸団体が、分野や表現方法の違いを越えて「ライブの舞台を通しての表現者」として連帯し、緊急事態から脱却し、安全な状況で公演活動を再開し再生していくために、互いに連携し協力し合うため2020年5月に結成された。支援策や感染対策ガイドラインの策定に関連して省庁と折衝をするなど、舞台芸術界の声を発信してきた。
http://www.jpasn.net
公演映像の活用という課題
EPAD事業の核は公演映像の活用にありますが、目の前の創造現場にいる人々へのサポート《現在への支援》と、芸術団体の収益力強化につながる基盤整備《未来への支援》を同時に目指しました。基盤整備として掲げられた課題は2つあり、ひとつは公演映像の配信の促進、もうひとつは舞台芸術を未来に継承するアーカイブの公開です。
昨年のステイホーム期間に、ロックダウンされた海外の主要都市の劇場が過去の公演の映像を配信して寄付を呼び掛けていたのを観た方もいると思います※3。しかし、日本の劇場で、このような配信ができたところは稀でした。公演映像の配信に必要な権利処理がなされていなかったからです。舞台芸術は、時間と空間を観客と共有するなかで成立する表現です。そのライブ感へのこだわりから、演劇人の中には、そもそも映像にして公開することに抵抗を感じる人も少なくないです。が、コロナ禍で劇場に人を集められなくなった状況下では、配信を考えないわけにもいかなくなりました。
※3:例えば、National Theatre At Homeと題して、ロンドンのロイヤル・ナショナル・シアターをはじめとする劇場が過去作品の期間限定無料公開を連続的に行い寄付を呼び掛けていました。その後、有料会員対象に、オンラインで舞台作品映像が見られるサービスを提供するようになっています。
National Theatre at Home
ここで問題になるのが、配信のための権利処理です。作品に関わるすべての著作権等について洗い出し、配信の許諾を得る必要があるのですが、これを劇団などの公演主催者が適切にできるかというと、独力では困難な場合が多いです。EPADでは、著作権等に詳しい弁護士らをはじめとする権利処理チームを編成して、公演主催者に代わって権利処理をサポートし、配信を許諾した権利者に権利対価を支払うとともに、配信できる公演映像を増やし、公演映像活用の道筋をつけました。
2つめの課題は、公演映像などを収集しデジタルアーカイブとすることでした。劇団や劇場・ホールには、公演を記録した映像はあっても、その多くが死蔵されているという問題がありました※4。歴史的にも貴重な映像が経年劣化の危機にあり、著作権に関する適切な契約がなされていないため、公開や複製が不可能な状態にあるというのです。EPAD事業では、過去の公演映像も収集することで、劣化が進んでいた映像のデジタル化を進め、新たに公演を企画できない団体でも、過去の映像記録があれば、協力対価を受け取ることができるようにしました。
※4:早稲田大学坪内博士記念演劇博物館が、「舞台芸術・芸能関係映像のデジタル保存・活用に関する調査研究事業」に取り組み、2014-2015の2年度にわたり、全国の劇団や劇場・ホール・博物館等文化施設を対象に、映像資料の所蔵状況に関する調査を実施しました。
こうして収集された映像は演劇948本、舞踊249本、伝統芸能86本、全部で1283本。そのうち配信可能にできたのが291本です。これらの映像の情報は、早稲田大学演劇博物館が開設した「ジャパン・デジタル・シアター・アーカイブズ」(JDTA)という舞台公演映像の情報検索特設サイトで検索が可能になっています※5。
アーカイブ化は公演映像だけでなく、戯曲や舞台美術資料のウェブ公開も実現しました※6。そのほかにEラーニング動画の制作も行っており、事業の全体像は、EPADポータルサイトから見ていただければと思います※7。
※5:キーワード検索、詳細検索など、情報検索が容易にでき、日英2ヶ国語表示なので、海外発信も期待できます。舞台写真・フライヤーなどビジュアル資料も閲覧でき、配信の権利処理のできた映像については、サイト上で3分程度の抜粋映像も見ることができます。収集された映像のほとんどが、今後は演劇博物館内で事前予約制で視聴可能となります。
Japan Digital Theatre Archives | JDTA
※6:収集された戯曲は全部で553本。そのほとんどは、全文を戯曲デジタルアーカイブで閲覧することができ、舞台美術資料は、EPADポータルサイトで閲覧することができます。
※7:EPAD事業報告書はこちらから
コロナ支援だからできたアーカイブ
実は、舞台芸術のアーカイブを求める声は、ずっと以前からありました。その重要性は文化芸術推進基本計画の戦略1にも「アーカイブは新たな文化や価値を創造していくための社会的基盤となるもの」※8 と掲げられていながら、総合的な公演映像のアーカイブ化は着手されてきませんでした。最大の理由は、端的に言ってしまえば財源なのでしょうが、確たる収集方針と公開の体制づくりを念入りに検討し、アーカイブ構想を充実したものにしようとすればするほど、莫大な費用が必要となって実現可能性が遠のくというジレンマに陥ってきたのかもしれません。
※8:文化芸術推進基本計画(第1期)P.13
EPAD事業は、逆説的ですが、アーカイブの充実よりも「コロナ支援」を優先させたからこれに着手できたという側面があるように思います。今回収集した映像等の資料は、短期間で収集したものとしては多種多彩ですが、日本の舞台芸術の総体を考えると、ごく一部です。アーカイブされてしかるべき主要な団体、作家の作品が抜けていると感じられた方もいらっしゃるでしょう。今回、公演映像や戯曲を提供しなかった人たちの理由を尋ねたところ、出したくても準備にかけられる時間がとれずに断念したという声が少なくありませんでした。収集できなかった団体、関係者には申し訳ないですが、事業期間と予算がもっとあればと残念でなりません。
そして今後アーカイブの充実を考えるならば、過去に遡っての公演映像の収集とデジタル化が望まれます。今回は、現場支援として現在活動中の団体の公演映像の収集を優先したため、2010年以降の公演映像が大多数を占めています。アーカイブがより充実していくには、収蔵作品、情報をいかに拡充していくか収集方針を定め、その拡充作業を可能にする支援体制をいかに整えるかが課題として残されています。
オンラインの限界と可能性
EPAD事業では、公演映像の配信のための権利処理をサポートしましたが、映像配信が生の舞台芸術公演に取って代わるとは考えていません。それに、配信すれば収益力が上がるなどというほど単純ではなく、配信するための手間とコストの回収を考えたら、どんな公演でも配信すべきとは考えにくいです。今、映像配信で視聴者を集められているのは、2.5次元ミュージカルやポピュラー音楽などのごく一部の同時配信です。同じ空間にいられなくても、今、出演者たちとつながっていたいというファン心理が支えているのでしょう。一方、アーカイブ配信となると、まだまだ視聴者は僅かです。当然といえば当然ですが、公演そのものに魅力と知名度がなければ、配信しても観ようという人は増えません。さらに言うと、ライブこそ楽しいと思っているような観客も配信を楽しむようになるには、配信ならではのプラスアルファの「何か」が必要だと思います。もちろん、配信で視聴者拡大を働きかけられる可能性もありますが、それには戦略と時間が必要でしょうし、決してコロナ禍にある舞台芸術救済の万能薬ではないというのが率直なところです。
それでも、私がEPAD事業に関われてよかったと思うのは、「時間と空間を共有すること」が不可欠である舞台芸術が、「時間と空間を共有できない人たち」に向けて、アーカイブや配信を通じて、なまの舞台に近いものとしてオンラインが活用される道筋が拓かれたことにあります。「時間と空間を共有できない人たち」とは、地理的に劇場に行けない人、仕事や病気、介護、子育てなど様々な理由で劇場に出かけられない人、高い切符代を負担する経済的な余裕のない人などです。舞台そのものとは違う疑似体験だとしても、そういう人たちにアクセス機会を提供することは大切なことです。とりわけ私は、舞台に興味はあっても、劇場に行くことのできない少年少女に想いをはせます。彼ら彼女らは、将来の担い手たちです。かつての自分を振り返りながら、彼ら彼女らに何か手渡せたらと願っています。
ほかのクリエイターたちにリスペクトを
そして、もうひとつ、私がアーカイブを活用して欲しいと願う人たちがいます。今、舞台芸術に携わっている現役の人たちです。
日本の舞台芸術は多種多様で、非常にバリエーションに富んでいます。これまで自分は舞台芸術の基盤整備に関わる仕事をしてきて、比較的、いろいろ見聞きする機会を得てきた方だとは思いますが、それでも全く触れたことのないジャンルもまだまだあります。演劇と括られるジャンルだけでも多種多様で、少しでも興味関心を持った人には、いろいろ体験してみて欲しいと思うのですが、「時間と空間を共有」しないと分からないとなると、なかなか知り得ません。例えば、日本の演劇の全容を示す「地図」か「航海図」のようなものがあればと願ってきましたので、JDTAのようなサイトができたことは本当に朗報です。こうしたアーカイブを、クリエイターたちがどんどん使って、自分とは違う創造者たちの仕事を知ってくれたらと思います。どんな天才アーティストも、無から創造しているのではなく、その人の経験や周囲の環境から影響されているはず。直接的には関わっていないように見えても、かつて創造活動をしてきた先人たちと、どこかで繋がっているはずです。いろいろな刺激を受けて、共感でも反発でも対抗心でも湧き上がらせながら、これからの創造、表現を強靭なものにしていって欲しい…夥しい数の公演の情報集約という作業の渦中で、「決して一人じゃないよ、君たちは」と、大勢のクリエイターたちから励まされていたように思います。クリエイターたちに、リスペクトを。そのバトンを、未来のクリエイターたちにも託したいと思ったのでした。