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車と音楽について語ろう。

トークの様子(撮影:田村孝介)

クルマのデザインの変化、その背景には歴史の趨勢が色濃くみえる。では、これからクルマはどこに向かおうとしているのか。似た傾向がある、音楽は?──

有識者とともに社会や文化、歴史的観点からモビリティを考える、トヨタ博物館布垣直昭氏によるリレーコラム。

第5回は6月16日、トヨタ博物館にて開催された「トヨタ博物館開館30周年記念トーク」を紹介。音楽プロデューサーでモータージャーナリストとしても活躍する松任谷正隆氏との対談です。

始まりはアメリカだった。

音楽とクルマ。ジャンルは違えど、そのものづくりには共通点があるのではないか。そんな仮定を紐解くうえで、まずは互いのルーツをまじえたクロストークが始まった。

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スバル360(1958年 日本)

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ダイハツ ミゼット(1959年 日本)

松任谷正隆(以下・松任谷):トヨタのデザイナーだった布垣さんが、最初に興味をもったクルマが気になります。物心ついて最初に意識したクルマは?

布垣直昭(以下・布垣):スバル360ですね。家の車だったんですよ。

松任谷:僕が物心ついた1950~60年代、まちを走るのは国産ならオート三輪、ミゼットでしたね。あとはもう進駐軍の払い下げのアメ車。当時は、戦後、入ってきたアメリカ文化にしてやられた感がありました。

布垣:映画やテレビでもアメリカ文化が大量に入ってきましたからね。

松任谷:ゴールデンタイムに放送していたアメリカドラマに影響されました。[サンセット77]とかが大好きで。主人公が髪にクシを入れた後、コットンパンツに入れるのがかっこよくて。彼が乗っていたフォード・サンダーバードも忘れられない。

布垣:音楽的なルーツも、このころのアメリカ文化に?

松任谷:完全に影響されましたね。最初はディズニーアニメ。[スリーピング・ビューティ]とか。だからチャイコフスキーを演奏したくて、4歳でピアノを習いました。
あのなめらかな動きもロマンチックに見えましたね。日本のアニメもすでにありましたが、全部動きがカクカクしていましたから。

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フォード サンダーバード(1955年 アメリカ)

布垣:トヨタ博物館では、50年代~60年代のフロアに、当時のアメリカ車と日本車を対比できるコーナーがある。懸命にアメリカ車に近づけようとしているけれど、大きさもデザインもつくり込みもまったく違う。まさにクルマの差が、生活そのものの差でもあったんでしょうね。

松任谷:音楽でいうと、50年代くらいまではアメリカはカントリーベースのものやジャズがメインストリーム。そして途中から(エルヴィス)プレスリーが出始めて、カントリーがポップ性を帯びてきて、ロックンロールに移行していく。

布垣:このころ、車のデザインといえば、テールフィンですよね。キャデラックのエルドラドに代表されるような、飛行機と間違えそうなくらい大きな羽がついている意匠。
歴史上、最も世界中に広まったアメリカ車のデザイントレンドだったと思います。実はこのころ、55年に初代クラウンが誕生したのですが、マイナーチェンジのときにちょっとテールフィンがついている。

松任谷:ありましたね。あとメルセデスですら真似していましたよね。テールフィンに代表される流れるような繊細なデザイン。これは勝手に僕が思ってるだけですが、戦争の反動もあるのかなという気がします。
戦時中の車といえばジープのような無骨なもの。でも戦争が終わった瞬間、戦争を忘れたくて、その対局にある花が咲いたみたいなポップなデザインが支持された。時代とマッチしたのかなと。弾けるようなポップやロックンロールなど、音楽もそうですよね。

布垣:こじつけると、ユーミンさんの歌に〈Corvett 1954〉ってありますよね。

松任谷:こじつけましたね(笑)。

布垣:(笑)。1954ってことは初代なんですね。初代のコルベットがなぜ生まれたかというと、大戦中、連合軍としてヨーロッパ各国をわたったアメリカの兵士たちが自国にはないヨーロッパの小型スポーツを自分の国に持って帰ったことがきっかけなんですよ。「戦争は終わったんだからもっと楽しもう、アメリカにはなかったスポーツカーをつくろう!」と、コルベットとかサンダーバードが生まれました。

松任谷:おもしろい。

布垣:クルマも音楽も含めた多くの文化は、時代時代の国の隆盛に大きく影響を受けてきた。始まりはアメリカだった気がします。

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シボレー コルベット(1953年 アメリカ)

ベトナムを契機に、トレンドが大陸移動。

60年代後半から70年代にかけて、アメリカの隆盛は陰りがちになった。車も音楽も新たなジャンルが生まれ、トレンドが移り、動いていった。二人がみた時代の変わり目とは?

布垣:ただ60年代後半からガラッと変わりますね。ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカは元気をなくし、シリアスになった。映画でいえば[イージーライダー]のような反体制的なカルチャーが席巻した。

松任谷:音楽はそのまま反戦をテーマにしたものが増え、フォーク、あるいはフォーク・ロックが出てきた。クロスビー、スティルス&ナッシュとかですね。クルマも70年代に入ると、アメリカのデザインが急速に求心力を失っていった気がします。まずテールフィンなんて60年代で消滅しましたよね。

布垣:むしろきっかけは73年の石油危機ですね。省燃費に向かわざるをえなくなり、巨大なアメリカ車が勢いを失った。
当時、『カースタイリング』という本がバイブルでしたが、出てくるサンプルはヨーロッパ車が多かった。70年代は大陸のトレンドがすっかりヨーロッパ側に移り始めました。

松任谷:キャデラックが小さいセビルをつくった時に、トランクを切りっぱなししたおかしなデザインがありましたね。迷走している感じがすごくした。

布垣:ずっと大きい車をつくり慣れていた人たちが、「突然小さくてかっこいいクルマをつくる」のは難しかったんじゃないかと想像できますね。まったく違うノウハウがいる。

松任谷:日本はどうだったんでしょうね?

布垣:60年代半ばから急激に日本車が大量生産の時代がきて、小型車の代表である初代カローラがまさにその始まりだと思います。またクラウンは今でこそ少し大きい部類の車ですけど、日本車はアメリカ車から比べれば小さい。だから、アメリカよりむしろ日本のほうが「小さい車をいかにかっこよく見せるか」という知恵を昔から持っていたのかも。

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トヨタ カローラ(1966年 日本)

ところで、松任谷さんご自身は、この60年代後半くらいは、どういう音楽を?

松任谷:中高生くらいかな。それこそベトナム戦争の流れにあったフォークソングでしたね。クラシックピアノを離れてアコースティックギターになった。

布垣:日本もフォークブームでしたね。

松任谷:不思議なのが、日本に入ってくるとフォークはなぜか四畳半的な、下宿に汚いジーパンみたいな世界観が入ってくる(笑)。そこがおもしろいともいえますけど。

布垣:クルマのデザインも日本に入って変わるように、音楽も自然とローカライズされるんでしょうね。どんどん文化のかたちも流行も変わるし、しかもその中心の国がアメリカからまた移ったり戻ったりする。

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トークの様子(撮影:田村孝介)

違和感が、のちに時代をつくる。

車も音楽も制作にデジタル化が進んできた。それによって文化にどんな影響があったのだろうか? 2人の話は松任谷さんが手がけたテレビ東京系の番組『ワールドビジネスサテライト』のテーマソングの制作裏話から話が広がる。

布垣:ところで音楽をつくられるときは、どのようなプロセスからスタートされるのでしょう?

松任谷:僕はアレンジという仕事、メロディがすでにある曲のコードを変えたり、オーケストレーションをつくって“色づけ”をする仕事をしている。これ、最終的に「どんな色にしたいのか」というメッセージというか、テーマが明確にないとできません。

布垣:ほう。具体的な曲でわかりやすい例はありますか?

松任谷:最近つくった『ワールドビジネスサテライト』のエンディングテーマがある。曲そのものは(松任谷)由実さんがつくるんですが、アレンジのときに僕は「夜の電波の街」を俯瞰でイメージしたんですよ。ケータイやテレビとかいろんな電波をもし可視化できたら、こんな風に見えるんだろうなという画を想像しました。
するとその電波の波は、海のようにみえるだろうと。だから由実さんに「海という言葉を使いなさいね」と。結局、「夜の海を泳ぐ…」で始まる、あのフュージョンが生まれた。

布垣:おもしろい。クルマのデザインでも、明確なラインや形状よりも「こんな雰囲気のクルマがいいよね」と大枠がはっきり決まっていると、迷わないんですよね。
そういえば、松任谷さんはすごくアバウトに「前のあれみたいな曲をお願いします」と依頼されることがあるとか。

松任谷:ありますね。たとえば由実さんの曲で言うと「〈DESTINY〉みたいなのを」と何十回言われたか(笑)。それほど戦意喪失するものないですよね。だってそれはそれだもんっていう。依頼主はもっと違う言葉で説明するべきですね。「あのテンポ」だったら「あれみたい」とは違うじゃないですか。

布垣:我々がよく発注側にお願いするのが「具体的な手段をいわないでくれ」ということなんですよ。だけど、どういう風にしたいのかっていう根本のところの理由や気持ちはぜひ聞きたい。ただ、どう表現するかはつくり手に任せてほしい。

松任谷:あとね、僕がすこし大事にしているのが違和感なんです。ルノーのデザイナーをやってるパトリック・ルケモンが最初にメガーヌをデザインしたときに、もう本当に「世にも気持ち悪いデザインだ」と思いました。けれど2年後に見たら「うわ、これすごくいいデザインだ!」と思ってしまった。往々にしてあることだと思います。音楽でいうとクラフトワーク、食べ物でいうとパクチーみたいな。最初は驚くけれど、慣れてきたらたまらなく好きになる。僕はそういう音楽をつくりたい。

布垣:フランス車ってわりとそういうのが多いです。2CVも出たときはボロクソいわれたのに、今となってはフランスを代表する名車みたいな扱い。
でもすこし違和感あるものこそが、既存の何かとつながるとおもしろくなる。国とか地域の違いも同じですが、違うものがクロスオーバーすることで、どんどん文化的には高まる。車もそうあってほしいと思います。

松任谷:ものづくりの話しでいえば、今はテクノロジーの発展がはずせないと思います。たとえば音楽の世界では、この10年で「Pro Tools」という音楽制作ソフトが導入されてガラッと状況が変わった。楽器もすべてサンプリングできるし、簡単にやり直し、修正ができる。ボーカルなんていくらでも手が入れられますから、最近レコーディングされたものを信用しちゃだめですよ(笑)。

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トヨタ スープラ(1993年 日本)

布垣:なるほど(笑)。クルマづくりもデジタルツールが入ってきて、またデザインにかかわるデータの量も膨大に増えています。たとえば少し前の80スープラのころから、ヘッドランプの内部のデザインに凝るようになってきましたが、あの透明レンズに囲まれた内部の面構成のデータ量は今や昔のクルマ一台分を超えているのではないかとさえ思います。

松任谷:すごい。昔の処理速度ならできないデザインをしているということですよね。

布垣:昔だったらつくりこまなかったような細かいところにまで、いくらでも ミクロの世界に入り込んでつくれるツールになっているということです。でも、松任谷さんがよくおっしゃるけど「細部に入り込みすぎるとかえって全体のグルーヴを見失う」気がして…。

松任谷:あると思います。ここだけの話、〈あの日にかえりたい〉って曲。実はあれレコーディングでドラムのスティックを落とした音が入ってるんです。ドラムの奴が酔っ払ってきやがったんで。でもグルーヴがよかったので、それそのまま出したんですよ。とはいえ、あれを録りなおしたらもっと売れたのか、駄目だったのか、って今も考える(笑)。

布垣:でもものづくりにおいては、そういうポジティブな偶発性というか、奇跡を招くときが多いですよね。

松任谷:そういうところから新しい、おもしろいものが生まれるんでしょうね。

布垣:やっぱりおもしろくしたいですもんね。

松任谷:あともう一つ、人間は「飽きる」んですよ。たとえばジーンズの流行でもストレートからスリムになったり、パンタロンやベルボトムのようになったり、それがまた復活したりと、螺旋状にぐるぐると回りながら変遷していく。ようは「飽きる」からですよね。そのなかでまたすこしずつ新しいものが生まれていく。
僕はこの飽きるということが人間の素晴らしい才能だと思っているんです。クルマのデザインも、音楽もそうして新しいものが生まれてきた。だから、これから「自動運転の時代になる」「クルマは終わる」みたいな意見もあるかもしれないけれど、僕はむしろこの進化から、新しいものが出てくるという期待がある。人が飽きる限り、永久におもしろいクルマ、音楽、そして文化が生まれ続けると思います。

  • トヨタ博物館30周年記念トーク「移動は文化」より
  • 実施日:2019年6月16日(日)
  • 場所:トヨタ博物館 ホールAB(文化館1階)
  • 取材・文:坂本彩/箱田 高樹(株式会社カデナクリエイト)
  • 協力:トヨタ博物館

ボーナストラック:控え室での「ここだけじゃない話」

(事前の打ち合わせで担当者だけが聞いた「ここだけじゃもったいない話」を特別に…)

身体にしみつく土地の文化

布垣:松任谷さんは著書(『僕の音楽キャリア全部話します 1971-2016』2016年新潮社)の中で、ミュージシャンは国によって、演奏の質が違うとおっしゃっています。アメリカ人は骨太で、日本人は繊細だとか。実はクルマのデザインでも同じようなことを感じることがあります。

松任谷:30歳くらいからアメリカで録音していて感じるのは「人間が違う」ということ。視覚の明るさの感度も違って、彼らは暗いところがより見えて、我々にはふつうに明るいところがまぶしすぎたりする。聴覚だと、日本人には気にならないハイハットが彼らには痛く聞こえるらしくて、逆にベースで彼らに心地よい音が日本人にはそうでもなかったりとか。

布垣:心地よさの範囲が違うんですよね。 クルマのスタイルで心地よく感じるボリューム感の適量も地域で違ったりします。

松任谷:クルマの運転の仕方も違う。ブレーキの踏み方とか。そもそも人間同士の信頼の仕方が違うし、欧米はヒトとヒトが近いですよね。

常に状況は変わっていく、そこでポジティブであるために

松任谷:時代とともに音に対する美意識は変わっていきますよね。たとえばスネアの音の変遷。60年代、70年代はみんなドライな音だったんですね。それに飽きてきた人たちが遊び半分でゲートエコーをかけはじめたら、それが一気に広がって80年代ポップロック全盛時代はそれ一色になってしまいました。

布垣:クルマもカッコイイの基準は変化しています。外形スタイルでいうとホイールの見せ方は基本中の基本ですが、昔はフェンダーから少し内側にタイヤをおいていたけど、今は世界中のデザイナーが4隅にふんばるタイヤを描く。50年代のアメ車やシトロエンDSなどはむしろタイヤを見せないぐらいでしたが、今は大きなホイールを強調します。 ただ、今の若い人がクルマに興味ないといいながらトヨタ博物館のクラシックカーを見て「カッコイイ」といっているのを見ると、また基準がずれはじめているのかもしれません。

松任谷: 若者が古いものをイイと思うのは、それが自分たちのルーツだから。想像できない未来のものを見せられてもわからない。僕も40年前くらい昔、どこかで「未来のクルマ」のスケッチを見せられたんだけどまったく理解できなかった。でも今、それにそっくりなクルマがまちを走っていて、そう、CH-Rです。

布垣:豊田喜一郎が1936年のAA型にとりいれた「流線形」もそうだったのかもしれません。

松任谷:近い未来、音楽はサブスクリプション、クルマはカーシェアが普及していくのでは、という状況は共通していて、ビジネスモデルの変化が危機感を持って語られたりしていますが、これは音楽やクルマがコモディティ化していくこととは違うと思うんです。音楽やクルマも状況が変わってもその中で情熱を持ってつくられていくものだと思う。だから、僕は未来に対しては常にポジティブですね。

文:佐藤友美(トヨタ博物館)

移動は文化 目次

1
移動は文化!
2
本とクルマは、なぜアートに近づくのか?
前編「モビリティが変わると、文化が変わる。」

3
「何だかわからないけれどよい」正義
特別対談
本とクルマは、なぜアートに近づくのか? 後編

4
移動はいかに文化を創造していくのか

5
車と音楽について語ろう。

6
アールデコの巨匠は、なぜクルマに接近したのか。

「ルネ・ラリックとカーマスコット」
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