移動は文化!
幼いころ、まるで自分が乗っているような気持ちでクルマのおもちゃを走らせたり、映画やマンガの主人公が乗るクルマにひそかに憧れたり、友人や伴侶とともに出かけたカーオーディオから流れる音楽にときめき、そして思い出となったり、テレビで流れるクルマのCMが話題になったり…、あなたにもちょっとしたクルマ経験はないだろうか。積み重ねられたそうした経験がクルマを文化にしてきたのではないだろうか。
「クルマは時代を呼吸している」というのが、30年ほどクルマづくりにかかわってきた私の実感でもある。ユーザーがクルマに何を求めるのかは時代で変化し、それに応えなければ売れない。クルマはおのずと生まれる過程で時代の風を吸い込むのだ。スピードを求める時代にはクルマは流線型となり、快適性を求める時代には豪華な装備を競い、形や色もそれを表現しようとする。ハイソカーがブームといわれた時代には夜の六本木に映える白いボディカラーとともにキラッと光るクロームの装飾が施され、陰影の映えるシャープな形が好まれた。
逆にクルマのトレンドが時代に影響を与えることもある。高性能なターボ車が人気を博した時代、掃除機までターボを名乗っていた。クルマのはいた息が周りに影響を与えていたのだ。
私の勤めるトヨタ博物館もクルマ文化の醸成を大きな使命と捉えている。トヨタに限らず自動車の歴史130年を語るうえで重要な車種を選び、常設で約140台を展示しており、そのほとんどが今でも走らせることができる動態保存としている。
世界の歴史車両を収蔵していることからドラマの撮影などにクルマ借用のお問い合わせが来ることも少なくない。画面に登場するクルマにはドラマの時代感や雰囲気を表現する力があるからだ。時には登場人物のキャラクターをクルマが代弁する。ボンドカーはその代表格かもしれないが「007は二度死ぬ」に登場したトヨタ2000GTのオープンカーは、半世紀たった今でも当館保有車でトップクラスの人気だ。実はこのクルマをボンド自身は運転していない。ボンドが危機におちいったとき、謎の美女アキが運転する2000GTにボンドが乗り込むのだ。そのシーンをしなやかな車体がみごとに演じており違和感がない。まるで役者さんのようだ。
本年4月16日、トヨタ博物館に「クルマ文化資料室」がオープンする。名前は「室」であるが、小さな博物館を一つつくるほどの労力が注ぎ込まれていると自負している。
収蔵品の展示点数約4,000。先に述べたクルマにかかわるさまざまなモノ、おもちゃ、印刷物、などトヨタ博物館が開館以来30年間収集してきた自動車ゆかりの品、約15000点を吟味し、資料と資料を糸でつなぎ合わせるように展示体系をつむいできた。一品一品の背景を調査するなど気の遠くなるような作業の積み重ねである。
そしてこの展示室のテーマは…
「移動は文化 ~移動は文化をはぐくみ、文化は移動をいざなう~」である。
展示室に実車は一台もない。だが4000点のモノを通じて時代とクルマを感じていただきたいというのがかかわったスタッフの狙いだ。
だが一つの疑問がある。クルマは本当に文化になっているのだろうか? クルマにかかわってきた私たちはそうであると信じ、そうあってほしいと願ってきた。だが見方によりそうであるともいえ、そうでないともいえる。たとえば小学館さんの発刊された日本美術史全集には、壮麗な日本美術や寺院建築などとともに自動車も取り上げていただいたのは大変光栄なことであり、このような事例からクルマは文化の仲間に入れていただいているともとれる。しかし建築も鉄道車両も重要文化財に指定されたものが存在するが、残念ながら自動車にはまだない。クルマはまだ文化発展途上にいるのかもしれない。「クルマ文化資料室」はその発展途上の後押しとなれば幸いである。
今回のリレーコラムでは、今後のモビリティ時代を見据えて「移動は文化」をテーマとしてお願いしている。このリレーコラムがクルマ文化の幅をさらに広げたり、ちょっとした将来へのヒントとして育っていけばこんなにうれしいことはない。
次回執筆者
バトンタッチメッセージ
移動と文化を考えるうえで、外せないのが「本」だ。トヨタ博物館には車に関係する本だけを集めた図書室があるが、世界の膨大な本や雑誌の量を見るだけで、車がいかに書籍になっているかがわかる。実は次のコラムをお願いしているのが選書のプロ、幅さんである。ご縁のきっかけは博物館にブック・カフェをつくった際、コーヒーを飲みながらゆったりした気分で楽しめる本を…と選書をお願いしたのが始まりであった。何せ読まれている本の量が半端ではない。本を通じた圧倒的な知識の持ち主である幅さんからは、どう考えてもおもしろそうなお話がうかがえそうである。これから5回にわたりバトンをつないでいくこととなるが、今回のリレーコラムはバトンを「対談」という形で回していこうと考えている。