私たちは「多様性」と「包摂性」を兼ね備えた著作権制度をどのようにしてつくり上げるべきなのか?
1.著作権制度を文化政策の中に位置づけることの意義
小林真理先生からのお声がけにより、このコラムを執筆する機会をいただいた。第1回の小林先生、そして第2回を担当された朝倉由希さんの充実した内容に続くかたちで執筆するのは、私にとって大きな挑戦だが、第3走者としてバトンを受けた以上、精一杯頑張りたい。
私はこれまで、知的財産法と文化政策を主なフィールドとして研究を行ってきた。いわゆる「一足目のわらじ」は知的財産法である。知的財産法とは、私たちの知的生産活動として「人が生み出したもの」(以下、「知的成果物」という)について、知的成果物が生み出され(以下、「創出」という)、世の中に送り出され(以下、「媒介」という)、享受される過程にかかわるアクターの活動に対して法的に介入を行う法制度である。
その法的な介入は、いかなる知的成果物を主にどの知的財産法(たとえば、主に技術に関係する特許法、主に文化的表現に関係する著作権法、主に商品またはサービスの出所を示す標章に関係する商標法など)で取り扱うのか、知的成果物のいかなる範囲に財産権や人格権などの権利を発生させるのか、それらの権利をどのような条件の下で誰に帰属させるのか、知的成果物のいかなる利用の範囲について権利行使を認めるのか、といった事柄についてなされる。知的成果物に関係するアクター間における上記の事柄についての調整を通じて、知的財産法は、社会においていかなる模倣を認め、いかなる模倣を認めるべきでないのかという線引きを行う任務を負っているといってよいだろう。
知的財産法を研究してきた私が「二足目のわらじ」として文化政策の領域に足を踏み入れるに至った経緯には、振り返ってみると、いくつかの偶然が重なっている。
第1のきっかけは、私が15年以上前にアメリカに留学していた際に、文化経済学や「クリエイティブ産業」についての書籍をいくつか購入していたことである。しかし、大変お恥ずかしいことに、この当時の私は、文化政策についてまったく無知であったに等しい。日本の法学部でも、アメリカのロースクールでも、文化政策についての授業は提供されていなかったし、私はせいぜい著作権法に関する狭くて浅い知見しか有していなかった。その証拠として、「クリエイティブ産業」の名著として名高いRichard Caves, Creative Industries: Contracts between Art and Commerce (Harvard University Press 2002)を、「おぉ!『クリエイティブ産業』か。著作権法にも『創作性(creativity)』という言葉が出てくるな。きっと著作権法の勉強に役立つに違いない!」と喜び勇んで(?)購入したものの、著作権制度についての記述が300頁を過ぎる辺りまで出てこないことに深く「失望」して、しばらくはこの本を「積ん読」にしていたほどだからである。その後、著作権制度を文化政策の中に位置づけようと研究を進めていく中でこの本を読み直し、私はこの本の素晴らしさに感銘を受けるとともに、最初に読んだ際にその価値に気づくことができなかった己の無知と、この本を「積ん読」の状態にしていた己の不明を深く恥じるに至った。
第2のきっかけは、2007年に日本文化政策学会に入会したことである。上記に掲げた書物を購入していたように、私自身は文化政策についての関心はおぼろげながら有していたものの、それを知的財産法の研究とどのように結びつけたらよいのかということについては五里霧中の状態であった。しかし、根っからの楽天家(?)である私は、日本文化政策学会が設立されることになったという報に接し、思い切って会員になって勉強しようと考えた。初めて参加した年次研究大会から、日本文化政策学会の会員の方々はとてもオープンで、私のような門外漢にも温かく接して下さった。居心地のよさを感じつつも、日本文化政策学会で扱われるテーマの幅広さと奥深さに触れるたびに、自分の無知を痛感し、もっと勉強しなくてはならないと、いつも多くの刺激をいただいている。
第3に、いわゆる「パトロナージ」についての書物との出会いも、私にとっては決定的であった。私は、2008年秋にヨーロッパへ出張していた際に、ミュンヘンのアルテ・ピナコテークの売店で、Marjorie Garber, Patronizing the Arts(Princeton University Press 2008)を見つけた。引き込まれるようにその本を買った私は、すでに日本に向かう帰りの飛行機の中で、私が奉職する九州大学法学部における翌年秋の外国書講読において、法学部生たちと一緒にこの本を講読しようと決心した。この本は、パトロナージにおいて、パトロンと芸術家がどのように「資源(リソース)」のやり取りを行い、両者の間にどのような緊張関係が生じうるのかということについて、私に多くの気づきを教えてくれた。この本を通じて学んだことは、今も私の考え方の骨格を成しており、私はこの本に足を向けて寝ることはできない。
そして、ちょうどこの本を学生たちと一緒に読んでいた2009年秋に、私は「著作権と表現の自由」に関する学会報告を依頼された。この報告を構想している際に、私は、著作権制度が文化政策の一部であるとともに、文化芸術活動に従事するアクターの「資源(リソース)」のやり取りについて規制する法制度の一つであること、そして、著作権制度を、政府による補助金や、いわゆる「フィランソロピー」などの他の文化政策手段と比較する中で、著作権制度の特質をより明晰に捉えることができるのではないかということを感じるようになった。そして、この報告を契機として、文化政策の中に著作権制度を位置づける方向性をはっきりと打ち出せるようになった。
このようなプロセスを経て、2010年度からは、私が奉職する九州大学大学院法学府国際コース(英語のみで教育を行う修士課程および博士課程)において、“Creative Economy and the Law”という授業を開講し、前述したRichard CavesのCreative Industriesや、UNCTADが公表しているCreative Economy Reportなどを受講生と一緒に読んで議論しながら、「クリエイティブ産業」について少しずつ学ぶ機会をつくるように努めてきた。また、2016~2018年度には、一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)の寄附科目として、九州大学法学部において「クリエイティブ産業」に関する集中講義(2018年度のものはこちらを参照されたい)を開講することができ、「クリエイティブ産業」の最前線で活躍しておられる方々の貴重なお話をうかがうこともできた。
もっとも、私が文化政策の領域に足を踏み入れて研究しているという事実を他の知的財産法研究者に伝えた際の反応は、当初は冷ややかなものであったと記憶している。確かに、著作権法を日々の事象に解釈適用したり、国内外の著作権制度を比較研究したりする際には、文化政策が持ち出されることはほとんどないのが実情かもしれない。しかし、著作権制度が、いかなる条件のもとで、誰に対して、どのようなかたちで支援を行えるのか、という条件を明らかにするためには、いったん著作権制度の外の世界に飛び出し、著作権制度以外の文化政策手段が専らかかわる領域(たとえば、文化財、助成金、顕彰制度など)、著作権制度とのかかわりが比較的薄い領域(たとえば、美術の原作品、ライブの舞台芸術など)などの実情を把握することが、遠回りのようでいて、実は著作権制度の本質を明らかにする近道なのではないかと感じるようになった。
そして、このような考察を進めていく中で、前述したRichard Cavesの本において、どうして著作権制度が初めから登場しないのかということについても初めて理解することができた。この本で最初に登場するのは、絵画や彫刻などの美術の原作品(オリジナル)であった。美術の原作品を制作した芸術家にとっては、それら「一品物」の価値を高めることが重要であり、したがって、ギャラリー、批評家などと良好な関係を築くことの優先順位が高いのは明らかである。原作品が有名になれば、画集、絵葉書、ポスターなどの複製物を出版する機会も得られるかもしれないが、それは原作品の評価が高まることに比べればあくまでも二次的なことであり、著作権制度はこれらの複製物の創出と媒介の過程で初めて問題となることが多いだろう。原作品のコントロールは主に所有権によって可能であり、著作権制度の出る幕は、複製物に比べて相対的に少ないということも指摘できる。このように、文化政策の中に著作権制度を位置づける思考方法を採用することにより、著作権制度は文化芸術における「万能の剣」ではないということを実感するとともに、著作権制度について相対化する視座を得られたことは、私にとって大きな収穫であった。
このようなスタイルで研究を続けることにより、私は従来よりも明晰に著作権制度について理解することができるようになったと実感している。また、知的財産法研究者の中でも、文化政策の中に著作権制度を位置づけることの意義についての理解と共感が少しずつ深まってきているのではないかと感じている。
2. 現在の著作権制度に求められているもの
以下では、現在の著作権制度に求められているものについて考えてみたい。
私たちは毎日の生活において、知的生産活動、文化芸術活動等の成果である「文化的表現」を享受しながら生活している。前述したとおり、著作権法は、文化的表現の創出、媒介および享受にかかわるアクターの行動に影響を及ぼす法制度の一つである。
文化的表現を創出する者は、従来、文化的表現を社会に送り出すリソース(資源)を持ち合わせていないことが多く、当該文化的表現を世の中に送り出す者(媒介者またはメディア)が有するリソースに専ら依存してきた。そして、文化的表現の相当数は、平準化された品質の複製物(コピー)のかたちで商品化され、数多くの享受者に送り届けられることが珍しくない。著作権法は、従来、このような「マスプロダクション」「マスマーケット」に関係するアクターを主に支援してきた。
しかし、文化的表現の創出、媒介および享受を取り巻く社会的環境は劇的に変わりつつある。従来は享受者であった私たちは、SNSを用いて情報発信を行い、3Dプリンターを用いて自ら「ものづくり」にかかわっている。マンガやアニメの享受者の中には、同人誌などの「二次創作」に従事し、それを同人誌即売会等のイベントで自ら販売する者も一定数存在するなど、「二次創作」のコミュニティが隆盛を極めていることも広く知られている。また、地域活性化のために、地域の特産品や文化遺産などの地域資源を活用して、より「草の根」的に「ものづくり」「まちづくり」を進める動きなども活発になっている。
「一億総クリエイター」、「生涯学習」、「イノベーションの民主化」といった現象が進む現代社会において、文化的表現の創作、媒介および享受は、特定の「職種」または「職能」に閉じられるかたちで固定化されず、多様なアクターが、状況に応じて役割をその都度変えたり、2つ以上の役割を兼ねたりしながら、多様なかたちでかかわることが常態化しつつある(以下、このことを「多様性」という)。この現状に鑑みれば、著作権法の制度設計を行う際にも、多様なアクターの利害に配慮するとともに、当該アクターの意見が適切に制度設計に反映され、制度設計のもたらす成果が当該アクターに適切に反映される状況(以下、このことを「包摂性」という)を実現する必要性はこれまで以上に高まっている。
このような政策形成がなされなければ、「国民一人ひとりが社会のメンバーとして『居場所と出番』を持って社会に参加し、それぞれの持つ潜在的な能力をできる限り発揮できる環境整備」として「社会的排除の構造と要因を克服する一連の政策的な対応」(いわゆる「社会的包摂」。「一人ひとりを包摂する社会」特命チーム『社会的包摂政策を進めるための基本的考え方(社会的包摂戦略(仮称)策定に向けた基本方針)』(2011年5月))が適切に行われているとはいい難い。「文化芸術基本法」(平成29年法律第73号)が、「国民がその年齢、障害の有無、経済的な状況又は居住する地域にかかわらず等しく、文化芸術を鑑賞し、これに参加し、又はこれを創造することができるような環境の整備」(同法2条1項)を求めているのは、現代社会の環境変化に適応するべく、著作権法を含めた文化的表現に関する法制度設計が多様性と包摂性を兼ね備えることの必要性を例証している。
3. 「ダウンロード違法化の対象範囲の見直し」の問題が私たちに突きつけたもの
しかし、現在の著作権法の政策形成およびルール形成においては、多様なアクターの利害が適切に包摂されているかどうかという点で疑わしい事象も観察される。たとえば、2019年初めの「ダウンロード違法化の対象範囲の見直し」に関する著作権法改正をめぐる混乱は記憶に新しい。文化庁が示した案(以下、「文化庁当初案」という)では、適法なソースからではない私的なダウンロード(スクリーンショットを含む)について、その事情を知っている場合には、イラスト1枚、わずか数行の文章といった零細なものであっても違法となり、場合によっては刑事罰の対象とされることになっていた。
文化庁当初案が示した広範な規制範囲は、漫画家、建築家、デザイナーなど、プロとして「クリエイティブ」な活動に従事するアクターのみならず、私たちが日常生活で行う情報収集活動に対して悪影響をもたらすことが強く懸念された。有識者、「クリエイティブ」な活動に従事するアクターなどから幅広く反対が示されたために文化庁当初案の国会提出はいったん見送られたが、この問題は日本の著作権法の制度設計が包摂的になされていない可能性を浮き彫りにした。
著作権法は、「著作物」と評価される文化的表現の一定の利用について、権利者(著作者・著作権者等)に独占権を付与する法制度である。著作権法が多様性と包摂性を兼ね備えるかたちでルール形成されねば、権利者に過剰なコントロール権限が与えられ、正当と評価されるべき文化的表現の創出、媒介および享受を行っている者に対して民事上の責任追及が行われたり、刑事罰が課されたりする事態も生じ得る。このようなルール形成がなされれば、私たちの知的生産活動が大きく阻害される危険性がある。
「ダウンロード違法化の対象範囲の見直し」についての問題は、私たちの知的生産活動の成果である文化的表現を取り巻く環境が激変しつつある現代社会において、どのようにして多様なアクターのニーズを包摂的に取り入れながら著作権法の制度設計を進めていくべきなのか、ということを私たちに突きつけたといえるだろう。
4. 「多様性」と「包摂性」を兼ね備えた著作権制度の設計をどのように進めるべきなのか?
私は、「ダウンロード違法化の対象範囲の見直し」に関して、文化庁のもとに設置された審議会の委員(文化審議会著作権分科会法制・基本問題小委員会委員)として議論に加わり、文化庁当初案の方向性に強い危機感を覚え、他の審議会委員と連帯して、文化庁が推し進めようとする方向性での議論の取りまとめに強く反対した。しかし、知的財産法研究者の大多数をはじめとする審議会委員の反対にもかかわらず、審議会の報告書は取りまとめられてしまった。
私は、このまま事態を座視するならば、文化庁当初案のままの著作権法改正案が国会に提出されてしまうだろうと考え、その後の政治過程において、与党議員に文化庁案の問題点を説明し、文化庁当初案の法案提出を阻止すべきであると腹を括り、自らの信ずるかたちで行動を起こすことを決意した。幸いにも、知的財産法・情報法研究者グループ、日本漫画家協会、日本建築学会会長、100名を超える弁護士有志など多くの関係者が慎重な検討を求める声明を発したことも功を奏して、文化庁当初案の国会提出はいったん見送られた。
もっとも、この問題は依然として「継続中」であり、文化庁は、2019年9月30日~10月30日の期間において、「侵害コンテンツのダウンロード違法化等に関するパブリックコメント」を実施した。また、文化庁は、インターネット利用者の行うダウンロードの実態を把握するために、数千人規模のアンケート調査を実施するとともに、2019年11月末に有識者検討会(「侵害コンテンツのダウンロード違法化の制度設計等に関する検討会」)を立ち上げて、具体的な法案作成に向けた議論を進める意向であると言われている。
私自身は、この「ダウンロード違法化の対象範囲の見直し」についての一連の経緯にかかわる中で、日本の著作権法の制度設計が包摂的になされていないのではないかという強い危機感を抱くようになり、この状況を改善することが喫緊の課題であると考えるようになった。
多様性と包摂性を兼ね備えた著作権法の制度設計という目的を達成するために私たち研究者にできることは、現在の著作権法を取り巻く問題状況を的確に理解するともに、そこで生じている課題に対する解決策についての理論的な枠組みを提供することである。そのためには、著作権法および文化政策を専門的に研究する研究者に加えて、文化芸術による「社会的包摂」のあり方(特に文化芸術活動における共創、障害者アート、災害復興への文化芸術のかかわりなど)についての専門家、および、組織内における意思決定プロセスのあり方(特にガバナンスなど)に関する組織科学(組織論)などの専門家が集い、これらの知見を有機的に結びつけることが必要であろう。そこで、現在、これらの研究者を結集するかたちで学際的な研究プロジェクトを立ち上げるべく、その準備を進めている。
その学際的研究プロジェクトを立ち上げることができれば、そこでは、著作権法が抱える現代的課題の中で、とりわけ多様なアクターがかかわる状況を分析することが求められる。なぜならば、文化的表現の創作、媒介および享受において多様なアクターが多様な役割を担うことにより、伝統的な著作権法の枠組みに揺らぎが生じるとともに、それにより、関係するアクター間に緊張関係が生じる可能性が高まると考えられるからである。
また、上記の作業と並行して、よりよい著作権法の制度設計を志向するのであれば、文化芸術が社会的包摂に対してどのような貢献をなしうるのか、ある組織やあるプロジェクトにおいて、多様なアクターのニーズを包摂的に汲み取りつつ、社会的価値を考慮した意思決定を行うにはどうしたらよいのか、そして、それを支援するにはどのような制度設計が求められるのか、またそのような制度を形成するためには何をすればよいか、といった内容を掘り下げていく必要があると考えている。
このような作業を地道に進めていくことによって、多様性と包摂性を兼ね備えた著作権法の制度設計をどのように進めていくべきなのかということについての基礎固めができると思われる。その作業に向けた歩みを、これからも一歩一歩進めていきたい。
(2019年11月22日)
今後の予定
-
日本文化政策学会2019年度年次研究大会企画フォーラム「『ダウンロード違法化の対象範囲の見直し』の議論を振り返る」
12月21日(土)13時~15時
場所:さいたま市文化センター
登壇者:古川康(衆議院議員)、前田健(神戸大学大学院法学研究科准教授)、生貝直人(東洋大学経済学部准教授)、小島立(九州大学大学院法学研究院准教授)
ウェブサイト:http://www.jacpr.jp/このコラムでも取り上げた「ダウンロード違法化の対象範囲の見直し」に関する著作権法改正に関する問題を検討します。この問題に、審議会委員、あるいは与党議員としてかかわった関係者が集い、本件の問題の所在、著作権法の政策形成およびルール形成のプロセスが抱える問題点などを検討することにより、著作権制度のみならず、文化政策の領域におけるより良い政策形成のあり方について、参加者と一緒に考えたいと思います。
関連リンク
- 「ダウンロード違法化の政治決着 委員が使った『禁じ手』」(朝日新聞、2019年3月23日)
- 小島立「課題残る 関係者と議論を」(西日本新聞、2019年3月24日)
- すまほん!!「拙速すぎる文化庁の違法ダウンロード拡大と阻止、一体何があったのか?委員振り返る」(2019年6月16日)
- 小島立「『ダウンロード違法化の対象範囲の見直し』についての議論を振り返る」情報法制研究6号(2019年)22-35頁
次回執筆者
バトンタッチメッセージ
小島さんのエッセイは、文化政策の研究領域は幅広く、まだまだ参画してもらわないといけない分野がたくさんあることを思い出させてくれました。
既存の研究領域の人たちが、複眼的アプローチをとるためにもぜひ文化政策研究に関心をもってほしいと思った次第です。次の李知映さんは、もともとは韓国で俳優をしていて、日本の伝統演劇に関心をもって日本に留学してきたのがきっかけで研究の分野に足を踏み入れ、さらに文化政策への関心を広げてきました。演劇や芸能の実践の分野に強い李さんが、現在の文化政策研究にどのような点から取り組まれているのか。(小林 真理|東京大学教授)