文化を語る場をひらく
文化庁の研究機能強化とは
小林真理先生からお声がけいただき、若手研究者によるリレーコラムシリーズに執筆の機会をいただいたことはたいへん光栄である。若手の定義からは若干外れる気もしないではないが、それはさておく(自認という定義もあるようなので)。
私は現在、文化庁地域文化創生本部で研究官を務めている。2017年4月に、文化庁の京都移転の先行組織として京都に地域文化創生本部が発足したのを機に、機能強化の一環として置かれたもので、現在研究官は2名である。文化全般に関するデータが把握・蓄積されていないことや、政策立案に資する研究の不足は以前より言及されていたが、地域文化創生本部発足の前年の2016年、文化庁の移転協議会で次のような指摘がなされている。
これまでの施策の対象や手法にとらわれず、真に必要な施策を企画立案していくうえでは、実証的なデータや学術研究の成果に基づく政策形成が求められる。現在、文化行政に関しては政策研究機能が十分でないが、たとえば海外の文化政策動向等にかかる情報を収集・蓄積し、分析する機能や、文化GDP(文化産業の規模)及びその経済波及効果をめぐる経済分析は、効果的な政策を形成するうえで不可欠である。
また、同年11月に文化審議会が出した答申『文化芸術立国の実現を加速する文化政策(答申)~「新・文化庁」が目指す機能強化と2020年以降への遺産(レガシー)創出に向けた緊急提言~』には、次のような記述がある。
調査研究、政策立案の充実
文化芸術に関する国内外の情報や各種データの収集・分析、将来推計などの調査研究等を継続的に行う機能・ネットワークが必要であるとともに、これらの結果を活用し、エビデンスに基づいた政策立案機能を強化していくべきである。
このような議論を経て、体制は十分とはいえないが、研究機能強化を目指した歩みが始まっている。
私は主に、文化政策の国際比較調査研究を担当している。英国、アメリカ、ドイツ、フランス、韓国の5か国を対象に、文化予算や組織構造、施策内容、最新動向等を基礎資料として収集・分析している。各国の文化政策の専門家をメンバーとする研究会で調査研究を進めているが、研究会を通じて各国の政策の特徴や現状、最新動向を横断的に議論する中で、日本の文化政策をいかに考えるべきか、多くの示唆を得ている。
文化政策の国際比較といえば、各国の文化予算の比較は常に注目される項目であるが、文化予算は指標の一つであり、文化予算のみを見てある国の文化政策が優れているとか劣っているなどとはいえないことは、もう20年以上も前から文化政策研究分野の諸先輩方が指摘してきたところである。中央集権的な歴史の長いフランスと、地方が支える分権的な仕組みを持つドイツ、民間が支えるアメリカでは、そもそもの仕組みが違う。その背景を見ずに文化予算が充実した国=優れている、と単純に理解することは適切ではない。大事なのは日本の文化政策において目指す理念は何で、その実現のための施策は何かを考えることのはずである。また、よくある「日本は遅れている」という言説も意味をなさない。どの国の仕組みにも、優れた面もあれば課題もある。ただ表面だけ見て「よいところを真似しよう」、ということではなく、日本の実態に照らし、相対的に比較することから、何が学べるのかを検討することが必要で、調査の成果をもとに議論するプロセスこそが重要ではないだろうか。
文化庁内では、8月に職員を対象に調査概要の報告会を行った。また、昨年度は東京芸術劇場とアーツカウンシル東京の主催によるアーツアカデミー「東京芸術劇場プロフェッショナル人材養成研修」の枠で「転換期にある日本の文化政策を考える ~5か国との比較から~」という3回のレクチャーシリーズを行う機会をいただき、文化庁の調査結果をもとに、文化施設の制作者や行政、文化財団、アーツカウンシル、研究者、実践家など、さまざまな方を対象にレクチャーを行うとともに討論する機会をいただいた。このような場でいただく意見はまた、今後調査研究すべき事柄の検討にもつながる。調査報告書をまとめて終わりではなく、結果をもとに多様な関係者と考えるための議論の場を開くということが重要であると感じている。
大学等研究機関との共同研究で広がるネットワーク
文化庁では2017年度より「文化等と大学・研究機関等との共同研究事業」を行っている。文化政策研究機能強化とともに、研究者ネットワークの構築を目指すものである。現在、11大学と、文化芸術による社会包摂のあり方、実演芸術の国際文化交流の展望、アート・ロボティクスの可能性、芸術創造を支える人材育成のためのプラットフォーム研究(アーティスト・イン・レジデンスを中心に)、文化財活用の科学調査などなど、多岐にわたるテーマで進められている。各大学と文化庁のかかわり方や役割分担は、実情に応じてさまざまであり一律ではない。その中で私自身が最も深くかかわっているのは文化芸術による社会包摂のあり方のテーマである。
その中の一つ、九州大学との取り組みをご紹介したい。九州大学はソーシャルアートラボが主体となり、事業委託先である福岡を拠点に活動するNPO法人ドネルモが事務面のみならず実質的に研究メンバーとしてもかかわって、多くの場合スカイプを利用しながら研究会を重ね、密度の高い議論を行ってきた。昨年度は「はじめての“社会包摂×文化芸術”ハンドブック 一人ひとりに向きあい共に生きる社会をつくる」を成果としてとりまとめている。今年度はその延長線上に、「評価」をテーマにしており、先日9月25日には、「現場×行政 それぞれの視点をつなぐ」と題した公開研究会を開催した。全国から約100名の会場いっぱいの参加者が集まり、関心の高さをひしひしと感じた。
芸術文化に関する政策や事業の評価の課題は、私自身も長年探求してきた。本コラムシリーズスーパーバイザーの小林真理先生からのバトンタッチメッセージにもあるように、私は2000年代の前半にNPO法人トリトン・アーツ・ネットワーク(TAN)の評価事業に携わらせていただいた。第一生命ホールを拠点に、ホール事業と周辺のコミュニティ活動を担うアートNPOであるTANは、定款に評価事業の実施を書き込み、資金提供者や支援者らに自らの活動の価値を示すための戦略として、マネジメントの一部に評価活動を位置づけるという稀有なNPOであったが、2000年代以降、評価はどちらかというと芸術文化関係者には悩みの種であったように思う。公立文化施設や公的支援を受ける芸術団体を中心に、行政評価において集客数や稼働率、収益性等で評価されるようになったことが背景にある。財政難の中、また社会の価値観や課題が多様化する中で、なぜ芸術文化に公的支援が必要なのかということが問われ続けているし、数値指標からはこぼれ落ちてしまう、また、短期的には成果が表れにくい芸術文化の意義や価値を、いかに社会に向けて発信するのかということが求められ続けている。さまざまな新しい考え方や手法は紹介され試みられているものの、今回の研究会参加者の関心の高さや熱意が物語るように、今もこれといったスマートな解決策はなく、多くの関係者が悩んでいる。経済効果は客観的に示しやすいが、それが本質なのか?社会的意義を示すことは大切だが、有用性(役に立つ)では片づけられない、創造性や多様性といった価値をどう示せばよいのか? 私自身、ずっと何とかならないかと思い続けているテーマなのだが、簡単に解決しないからこそ探求する意義があるのだろう。評価の問題はつまるところ、芸術文化の公共的意義とは何かという本質にかかわる問題である。芸術文化の社会的・公共的意義を語る理論はさまざまに提示されてきた。しかしそれはすべての現場に共通する普遍的な一つの答えがあるようなものではなく、それぞれの場で、関係者の対話による合意形成のプロセスで練り上げることから立ち現れるものであろう。
今回の公開研究会では、アウトカムの重要性、それにつながる政策体系の必要性、価値を共有するコミュニケーションのツールとしての評価の可能性等が論点となり、会場からの意見も交えてたいへん刺激的なディスカッションが展開された。
このような公開の研究会で、多様な関係者と議論できたことは意義深い。これまでアートマネジメントの現場と研究との接続には課題を感じてきたが、実は政策の現場と研究の接続にも課題があることを、今の仕事を通じて感じている。何が今課題になっているのか、必要とされている知見や情報は何なのか、研究者と政策やマネジメント現場の相互の対話がもっとなされるべきであると思う。
地方の視点から文化を見つめなおす
ところで、私は2012年に出身地である福井市にUターンし、在住している。
福井は本当に文化資源の豊富な土地である。豊かな自然や歴史文化遺産がある。都市部ではみられなくなった人のつながりが残り、コミュニティの中で工夫し共同しながら培ってきた地域独自の文化がある。多様な郷土文化や祭礼など、暮らしに息づく文化があり、海の幸、山の幸などを使った食文化もすばらしい。若いころはその価値に気づくことができなかった。よく大学の講義などで学生に最初に説明する「文化は広義である」ということの意味が、ほかならぬ自分の地元に帰ったときに腑に落ちた。
越前和紙、越前漆器、越前打ち刃物など、伝統工芸産地も集積している。今福井では、伝統工芸の産地に若い人が加わり、デザイン性や新しい感性を取り入れて創造的な地域として外部の人をひきつける動きが出てきた。とても頼もしく思う。また、和紙に触発された現代のアーティストによる展覧会や、歴史的な街で展開される音楽祭などもあり、伝統と現代が呼応しあうことで、ここにしかない価値が生み出され国際的な交流・発信にもつながっている。このような地域に暮らすことで得られる視点は、研究するうえでも大切にしたいと考えている。
もうひとつ、福井で明るい兆しがある。2019年4月に福井県知事に初当選した杉本知事は、「文化力」をキーワードに新たな県政を進めることを打ち出している。私は、現在県が進める福井県長期ビジョン策定懇話会の委員を拝命し、僭越ながら文化政策研究者の立場から発言する機会をいただいている。杉本知事の方針を受け、長期ビジョン骨子(案)にもしっかりと「文化力」と書きこまれている。「文化」の名のつく会議ではなく、総合的なビジョン策定に文化の視点から提言できることに意義を感じている。幸福で質の高い暮らしの実現、多様性を認めあう社会づくり、人を呼び込む魅力ある地域づくり、創造的な産業の創出。そのすべてに文化はかかわっている。教育県として知られる福井が文化面も充実すればすばらしい。複雑化する未来の社会を担うこれからの人づくりにとって、創造性や豊かな感性は重要である。文化の多様な可能性を地方から発信することができればと思う。
ただ、現実には、文化の現場で働く人々の状況はたいへん厳しい。社会的意義の高い活動に熱意を持ち、脆弱な組織体制の中でギリギリで頑張るアートNPO職員を見ているし、文化施設のコンセプトが明確でない中で、集客アップ目的のイベントに疲弊している、信念を持つがゆえの悩みをかかえるスタッフもいる。一見華々しい取り組みだけでなく、地道な活動にも光が当たるように、現場の声を取り入れながら提言していければと思う。ここでもまた、福井ならではの文化とは何か、豊かな地域社会のために文化ができることは何か、文化と公共性について多様な関係者とともに考え議論していくことが重要だと感じている。
今後の予定
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公開フォーラム「新しい文化政策の構築をめざして」
12月7日(土)14時~17時45分
場所:京都大学 芝蘭会館 山内ホール
登壇者:佐野真由子(京都大学)、蔭山陽太(THEATRE E9 KYOTO)、山田奨治(国際日本文化研究センター)、朝倉由希(文化庁地域文化創生本部)、ラプリー ジェルミー(京都大学)、鈴木禎宏(お茶の水女子大学)、山本麻友美(京都芸術センター)、奥中康人(静岡文化芸術大学)
ウェブサイト京都大学の佐野真由子先生にお誘いいただいた新しいプロジェクトです。文化を大きくとらえ、包括的な領域としての文化政策を目指します。個人の立場で参加します。
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「文化芸術による社会包摂実践の波及 終わりのない探求プロセスとしての評価を考える」
12月8日(日)13時〜17時
場所:明治学院大学 本館2F(地上階)1254教室
登壇者:新藤健太(群馬医療福祉大学)、服部正(甲南大学)、鈴木励滋(地域作業所カプカプ)、茂木一司(群馬大学)、竹丸草子(群馬大学大学院、NPO法人こととふラボ)、朝倉由希(文化庁地域文化創生本部)
ウェブサイト文化庁と群馬大学による共同研究の一環のシンポジウムです。
関連リンク
次回執筆者
バトンタッチメッセージ
朝倉さんは、まさに新・文化庁という現場で、文化政策の実践と研究を結びつけて考えておられることが具体的にわかりました。今後の活躍があらめて期待されるところです。九州大学の小島さんは、著作権法の専門家です。文化・芸術と著作権の問題は、常に両輪で考えられてきたものですが、文化の発展を促していくために今はどのような関心を向けるべきなのでしょうか。またこれからの文化政策研究の発展に不可欠な視点がどのようなものなのか、ぜひお聞きしたいところです。(小林 真理|東京大学教授)