舞台芸術の蘇生と変異、あらたな発明に向けて
未知のウィルスが世界に蔓延している。平常時の営みが一時中断し、私たち人類は例外状態の中の日常を生きている。身体を「内側」に閉じ込め、「外側」との接触を断つ。国境という国境は封鎖され、移動が大きく制限されている。この非常事態は政治、経済、産業、医療、教育など、想定されるかぎりすべての人類の営みに深刻な影響を与えている。文化芸術もその例外ではない。
特に筆者が軸足を置く舞台芸術ないし上演芸術は、多様な芸術ジャンルの中でも、最も致命的な打撃を受けている。それはいうまでもなく、これら演劇・舞踊・音楽・大衆芸能といったライブ・パフォーマンスが、人間同士が集まることによって生まれる相互作用を前提とした営みであること、人間の身体の移動が企画・創作・普及・鑑賞のプロセスにおいて必要不可欠な営みであることに起因する。つまり舞台芸術においては、身体的な「濃厚接触」と「移動」が大前提なのだが、その両方がタブーとなった非常事態の今、舞台芸術は一時的に昏睡状態に陥っている。現に世界の主要な音楽祭や演劇祭は、8月末まで軒並み中止となった。夏に開催されるバイロイト音楽祭やアヴィニョン演劇祭が、3ヶ月以上前から中止を発表せざるをえなかったのは、そもそも出演者やスタッフの移動と濃厚接触が不可避のリハーサルができないからだ。舞台芸術、劇場文化という営みの基礎代謝が完全に停止した状態では、集中治療室で昏睡状態を続けるしかない。それでも欧州の文化政策先進国のように、基盤となるインフラや特殊ケア(補償)があれば延命は可能だろう。だがそもそもケアはおろか検査さえままならない日本では、命を落としかねない。舞台芸術の生存が、危ぶまれている。
ではどうしたらいいのか。マニュアルなき治療を試みるように、舞台芸術を生業とする経営者や制作者、芸術家たちは、自らの実存と生存をかけて、この危機への対処法を必死で模索中だ。と同時に、昏睡から覚めた瞬間には再び自らの力で深呼吸をして、外気を身体に取り込み、血液を循環させていくリハビリのイメージトレーニングも始まっている。だが、再び戻ってきた外の世界は、もはや以前と同じ生存環境ではないだろう。ウィルスの脅威が消えない限り無期限に「濃厚接触」と「移動」が制限される中で、上演芸術はどのように生還することが可能なのだろうか。
この問いに対して、私は当然のことながら、現時点では明確な答えを持ち合わせていない。実際のところ、すでに試みられている上演のオンライン配信、徹底した観客管理(体温測定やマスク着用の義務づけ)、官民による業界への資金補助は急場の応急処置に過ぎず、根本的な生存条件が変わってしまった後の世界をどう生き延びていくか、コペルニクス的な発想の転換と発明が必要であると私は考えている。しかもそれは複数の場所で、複数の芸術家や企画者によって同時多発的に行われるはずだ。地域によって気候や生存条件が違うように、それぞれの条件下で個別的で独創的な発明がなされ、それら多様な提案が複合的に上演芸術の進化に貢献する。生物学者の福岡伸一氏のことばを借りれば、「ウィルスは私たち生命の不可避的一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない」。なぜなら「それはおそらくウィルスこそが進化を加速してくれるから」だ(福岡伸一『動的平衡:ウィルスという存在』、朝日新聞、2020年4月3日掲載)。いま、未知のウィルスは上演芸術を部分的に破壊するかもしれないが、生き残った一部に変異と進化を促すはずだ。その希望を忘れずに、来るべき蘇生とリハビリテーションに向けて、以下、現時点でのささやかな試論の断片を記しておこう。
舞台芸術や上演芸術と呼ばれる、ライブでの発表を前提とした芸術表現は、そもそも濃厚接触こそが価値であり続けてきた。とりわけ20世紀の舞台芸術史は、演者と演者、演者と観客、観客と観客、劇場の内側と外側の間にいかに有効な相互作用を生成させるかが至上命題であったといっても過言ではない。その試みから、舞台芸術を進化させる重要な演出論や演劇論が生み出されてきた。
フランスの詩人・演劇理論家のアントナン・アルトーはエッセイ『演劇とペスト』(1933)において、ペストを演劇の「分身」、すなわち演劇と重ね合わせることでその本質を浮かび上がらせるアナロジーとして用いている。「演劇の作用はペストの作用と同じように有益」であり、「それは人々があるがままの自分の姿を見させ、仮面を剥がし、虚偽を、怠惰を、低俗を、偽善を暴く」ものである(p48, アントナン・アルトー『演劇とその分身』、安堂信也訳、白水社)。つまり、ペスト /演劇は一瞬にして社会を震撼させ、既存の関係性を突き崩し、生の本質を極限的な手法で生成・表出させるエネルギーなのである。こうしたアルトーの主張を引き継ぐかたちで、寺山修司はペスト的な相互作用の生成を目指した観客論、俳優論、劇場論を展開し、その芸術実践をウィルスのごとく都市空間に散布していった。ペスト/演劇の力によって、都市の日常は一瞬にして異化され、私たちの知覚は新鮮に、都市の現実を経験し直すことができる。
アルトーが演劇をペストに重ねてからおよそ1世紀が経とうとしている今、私たちはまさに目に見えないウィルスが社会を一瞬にして激変させ、既存の価値観や規範が覆され、例外状態となる様を目の当たりにしている。その速度と効果はあまりに劇的だ。私たちの生存を脅かす未知のウィルスは、逆説的に生の本質を突きつける。その生のあり様こそが、アルトーの目指した演劇の本質でもあった。
だが今、私たちは家にいる。あらたな演劇を試すために劇場に集まることもできない。それどころか自らの個室に閉じこもり、あらゆる身体的相互作用から距離を置く。下手をすると一日中誰とも話さず、パソコンの画面に向かってデジタル情報を出入力する以外、何も出来事が起きない。まるでベケットの不条理劇のように、私たちは永遠の待機と自閉の中にいる。
この引きこもり状態は、より外へ、より開かれた存在であろうとしてきた同時代的芸術が目指してきた方向とは真逆の態度である。放っておくと自閉し排他的になってしまう共同体に、より異なる他者、他所を異物として招き入れること。アレルギーは外部からの異物に対して過剰反応する免疫システムの暴走によって生じる。昨夏あいちトリエンナーレで生じた一連の騒動も、まさに異なる価値観・歴史観に対する過剰反応が無数の抗議電話として顕在化されたものだろう。異質なものを排除しようとする免疫システムが暴走しないよう、アートは常に外部を希求してきた。だから古今東西を問わず、芸術家は共同体の外部から招かれ、内側に向かう力に風穴を開ける存在として必要とされてきたはずだ。
だが今、国境は閉ざされ、私と外部を隔てる部屋の扉も閉ざされ、外部との接触が極限まで制限されて久しい。部屋の中で、私たちは時間感覚を失い、外部を失う。昨日は今日と同じで、明日も同じように円環する。外側では制御不能な非常事態が次々と発生しているにもかかわらず、私は常に部屋にいて、植物のようにたたずんでいる。
この自己隔離の空間において、外部を異物として排除せず取り入れ、自己を生成変化させていくための、あらたなオペレーションシステムを発明しなければならない。内側にいながら、外側につながっていく演劇的な仕掛けとはどのようなものか。
とても抽象的なことを書いてしまったが、現実にはこれから数カ月、あるいは数年先に、私たちが部屋の外に出たとき、ウィルスが完全に消滅しないであろう世界で、ウィルスと共存し、ある意味ではその力を内在化させながら、あらたな相互作用を社会に生み出していく方法を発明しなければならない。私たちが自ら閉ざした隔離空間が、異なる時空を生きる誰かにとって、広大に開かれた外部として存在するような仕組みを、私たちはつくり出すことができるだろうか。すでにはじまった、ウィルスと共存しながら、あらたな生のあり方を模索する時代。危機の時代は、発明の時代にもなりうる。アルトーの予言的アナロジーから100年を経て、今、私たちは、ウィルスの力と芸術の力を二重化することで、閉鎖された国境やあらゆる境界線に風穴を開け、内側を外側に、外側を内側につなぎ直すことで、自らを蘇生させなければならない。それは、ウィルス共生時代に突入した私たちの生存を賭けた、長い長い変異のプロセスの、最初の一歩なるだろう。
追記
本稿執筆にあたって、もともと編集部からは「コロナ危機に立ち向かう現場レポート」ということで依頼を受けていた。私が実行委員長兼ディレクターを務めているシアターコモンズ'20(会期:2020年2月27日〜3月8日)は、政府による大規模イベント自粛要請後に開催された数少ない文化事業だったため、その苦労話も含めてご依頼をいただいたと理解している。だが2カ月前の当時と現在ではリスク状況があまりに異なるため、現場レポートよりも未来に向けた上記のようなエッセイを執筆させていただいた。シアターコモンズ’20の現場からのレポートは、以下のとおり要点を完結に追記しておきたい。
オンラインへの切り替え対応
開幕前日の2月26日、政府からの大規模イベント自粛要請が出されたが、その前から一部オンラインへの切り替えを検討していた。26日のうちに、長時間の対話形式となる言論イベントやワークショップ、リーディングパフォーマンスをオンラインでの実施に変更した。この大きな方針転換は、津田大介氏が代表を務める有限会社ネオローグに協力を仰ぎ、オンライン配信の設備、会場、技術のリソースを惜しみなく提供していただいたことで実現した。この場をお借りして感謝申し上げたい。
観客との対話
2月27日開幕公演『インディアン・ロープ・トリック』上演前に、ディレクターである筆者が観客の前に登場し、主催者としてのポリシーと対応を口頭で説明し、理解と協力のお願いをした ※上記写真参照。その際観客からいただいた温かい拍手や、アンケートに寄せられた「続けて欲しい」という声には随分と支えられた。アンケートは紙に加えてオンラインでも回収できるようにし、随時観客からの反応をスタッフ間で共有・分析するよう務めた。
海外招聘者の対応
海外からの招聘アーティストについては、それぞれスカイプ会議を行い、東京の状況を説明。本人の意思を尊重しつつ個別に判断した。結果的に、インド、ベルギー、ドイツからのアーティストは来日し、対策を講じたうえで予定どおり演劇公演を行った。言論イベントに参加予定だったオランダ、台湾、香港からのゲストの渡航は取りやめ、スカイプでの登壇に切り替えた。
いま思うこと
あれから2カ月が経った。今思えば、あの時期にシアターコモンズ という11日間の演劇祭を開催できたことは「奇跡」のように思われる。そしてそれは、特別な対応や勇気に支えられた奇跡というよりは、いわば「不幸中の幸い」に支えられたものだった。たまたま海外からの招聘パフォーマー数が少なく、高齢者もおらず、健康上のリスクがそれほど深刻ではなかったこと。小泉明郎によるVR演劇作品やジルケ・ユイスマンス&ハネス・デレーレの無言パフォーマンスをはじめ、演者同士が対話をしない形態の演劇がメインだったこと。意思決定のフローがシンプルで、最終的に実行委員長である私が責任を引き受けられる体制であったこと。これらは、もともとシアターコモンズというイベントに備わった性質であり、それゆえ状況に応じてフレキシブルに決断を積み重ねながら、最後まで続行することができた。それでも開幕日が1週間ずれていたら決断は全く異なるものになっていただろう。
(2020年4月21日)
今後の予定
- 芸術公社チャンネル
芸術公社がプロデュースするトーク、シンポジウム、ワークショップなどをオンラインで配信するチャンネルを始動。2020年5月4日にはチャンネル開設記念トークを生放送。 - シアターコモンズ ・ラボ
2020年6月よりオンライン開講。岩城京子をディレクターに迎えた「パフォーマンス学ラボ」等を実施。 - シアターコモンズ'21
2021年2月末〜3月初旬の開催に向けて準備中。
関連リンク
- シアターコモンズ'20レポートブック
随時noteにてシアターコモンズ’20のレポートレビューを掲載中。
おすすめ!
- 『バッコスの信女―ホルスタインの雌』
市原佐都子の最新戯曲。あいちトリエンナーレ2019で初演され、第64回岸田國士戯曲賞を受賞した。 - 『あいちトリエンナーレ2019カタログ』
筆者は舞台芸術のキュレーターとして「“情の時代”の演劇」という論考を寄稿している。
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