一人とともに動き、一人とともに考える。
今回このエッセイを執筆するにあたって、ここ数年かかわってきたプロジェクトのうち、福祉にかかわるかもしれないものをいくつか思い出してみました。
たとえば、『Pamilya(パミリヤ)』という作品をつくるプロセスにかかわったこと。
この作品は、フィリピンから日本に来て、日本で介護の仕事をする女性の福祉施設での日常をドキュメンタリー的に再現する演劇で、京都在住の村川拓也による演出、私はドラマトゥルクと称して公演づくりに併走しました(2020年福岡で初演、2022年に久留米と京都で再演。初演時のレビュー)。
わたしたちの多くは、フィリピンから来て日本で働いている人のことも、介護の仕事の現実も、目の当たりにすることは少ないでしょう。しかしそのわりにはなぜか、特定のイメージを抱きがちです。フィリピンから来た人は明るいだろう、介護の仕事はきついだろう、と。しかしその思い込みは、当たり前だが単なる思い込みにすぎないことが多くあります。今回出演した方の名前はジェッサさんといいますが、舞台上で日常を淡々と再現するジェッサさんの姿は、ある現実に対して一面的な見方だけでは捉えきれないものを、見る者に感じさせます。
また、聴覚障害のある人にとっての音楽について考える機会をつくっていること。
私の本務校である九州大学大学院芸術工学研究院で、2022年から聴覚障害のある人と音楽の関係を考えるプロジェクトを始めました。2016年に九州大学に来てから、聴覚障害のある人にとっての音楽のあり方を研究する学生の指導補助をしたり、音響を専門にする先生方との交流、さらには聴覚障害のある俳優さんや劇場アクセシビリティに取り組む方たちとの親交を深めるなど、いくつかの活動にかかわってきました。その文脈がうまく重なり合って、大学院生の授業の課題として、聴覚障害のある人とそうでない人とがともに交流できるワークショップの開発に取り組み始めたのです。
2023年2月に実施したイベント「きこえないあそび。きこえないムジカ。」では、企画の立ち上げ当初から福岡県聴覚障害者協会青年部と一緒に企画を考え、ダメ出しももらいながら一緒に進んできました。アウトプットはまだまだ改良の余地はあれど、310名の来場者のみなさんからのアンケートも含め、対話のプロセス自体が非常に価値のあるものだと実感させられました。きこえない人の観点ときこえる人の観点の異なりをふまえて、いかにその二者の価値観を超えた表現を生み出すことができるか、議論はいまも続いています。
さらには、アーティストにとってのケアはどのようにして可能かを考え始めていること。
2022年1月ごろから、おもに京都を拠点にしているアーティストやアートマネージャーたち4名(奥山理子、タカハシ 'タカカーン' セイジ、松岡真弥、私)と、「ケアまねぶ」と称したリサーチ・コレクティブを立ち上げ、活動を始めました。昨今のハラスメントに関する議論もふまえながら、若手アーティストがより自律的に安全にキャリアを育むためのフォロー体制を考えることができないか、その手がかりを福祉制度における「ケアマネジメント」に求めた社会実験を試みています。
具体的には、若手アーティストに、一般に福祉の現場で用いられる「アセスメント」や「ケアプランの作成」といったプロセスを応用したかたちで面談やディスカッションを行い、一人のアーティストにカスタマイズしたケアプランを作成しています。そのプロセスでは、本人が「困りごと」として自覚していることだけを見るのではなく、いわば「潜在的なニーズ」に着目し、一見だらだらとおしゃべりをしている中で浮かび上がってくる本人のニーズを捉えるような時間を大切にしています。このプロセスでわかってきたことを報告する場(2023年3月に初回を実施。今年度末に2回目を予定しています)を設け、多くの現場でアーティストに対するケアがていねいに行われるにはどのようにしたらいいのかと試行錯誤を続けています。
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── 人のことを一面的に見ず、多面的に理解すること。異なる観点がどのように共有できるのか、対話を続けること。包括的なニーズではなく、ある一人に着目し、その潜在的なニーズを見ること。
もちろんここまで紹介してきた事例は私自身の活動例だけですので、大きなことを言えるわけではありませんが、ここに挙げたようなポイントを振り返ると、あることに気づかされます。
いずれも、アートプロジェクトの現場でアーティストに期待されていることであるようにも見えるんです。
またその一方で、そのいずれもがまた、福祉の現場で支援者/被支援者のあいだのコミュニケーションで大切にされていることのようにも見えるんです。
アート×福祉。この連載でも実に多くの観点から、アートと福祉のかかわりについて取り上げられてきました。ただ、「アート×福祉」という言葉があるということは、同時に、「アート」と「福祉」が別のものであるからわざわざ掛け合わせて表現する必要があるという状況が今もあるということです。実際、ここの連載に取り上げられてきたような先進的な活動や、それに続いていくような活動から遠く離れると、アートと福祉の交わりは、全国的に見てもまだまだ充実できるような気がしています。
さらに厄介なのは、アート×福祉をうたっていながら、初回の中島さんの言葉を借りれば「一人ひとりをよく見て大切にすること」という視点が見られないようなプロジェクトもたくさんあること。アーティスト活動の「補足」としてアクセシビリティが付け加えられるものや、アートに取り組んでいながらかかわる人たちの尊厳を意識していないような福祉の活動は、本当に「一人ひとりをよく見て大切にすること」につながっているでしょうか?
そのようなことを考えると、アート×福祉の取り組みが充実していくためには、アートや福祉に関係する活動や仕事をしている人たち一人ひとりがよりよく生きていくための仕組みをつくることが不可欠です。それはいわば、「わたしたち」のアートから疎外されている人たちとともにあるアートを再構築することでもあります。
最近、アートミーツケア学会という組織の共同代表に選んでいただきました(ほんまなほさん、森合音さんと一緒に)。新体制とともに新しく生まれ変わるこの学会を、まさに、アートとケア、アートと福祉の交わりを真剣に考えるような場にしていきたいと考えています。問いに立ち止まり考えるだけでなく、過酷ともいえるスピードで動く現実をともに走る。考えながら動き、動きながら考える。その結果どこまでたどり着けるのか、みなさんにもぜひその歩みをともにしていただきたいと思います。
今後の予定
九州大学では社会包摂デザイン・イニシアティブという組織で今後もあれこれ仕掛けていくつもりです。今回は書ききれませんでしたが、久留米シティプラザでの演劇鑑賞に特化したユースプログラム、ミリカローデン那珂川でのボランティア育成のプロジェクトも進行中。アートミーツケア学会も、これまでとは大きく方針を転換して、情報発信を頻繁に行っていく予定です、ぜひチェックしてください! また秋には共著本が一冊出る予定です。
関連リンク
おすすめ!
長津結一郎『舞台の上の障害者:境界から生まれる表現』、九州大学出版会、2018(手前味噌ですが…)
ほかは最近読んで感銘を受けたものを。
榊原賢二郎『障害社会学という視座:社会モデルから社会学的反省へ』、新曜社、2019
西村ユミ『語りかける身体:看護ケアの現象学』講談社学術文庫、2018