アートと貧乏
アーティストが貧乏だということではなく、アートが貧乏人とどのようにかかわるかということを書こうと思います。
わたしは2003年から、大阪の新世界、そして西成、通称釜ヶ崎に喫茶店のふりをした拠点を持ち、アートNPOを運営する詩人です。
2000年初頭の大阪は河川敷きや公園、道路の脇にはブルーシートのテントが並んでいました。ホームレスと呼ばれる状態の人々が暮らしていました。釜ヶ崎にはシェルターがあり、そのベッドで眠る整理券を手に入れるために行列は毎日1000人を越えていました。
衣食住がまず先、という考え方もありますが、このまちでは、「仕事をさせろ」という運動もあり、その点でわたしはおおいに興味を持ちました。
「仕事」って、なんでしょうか。アートの仕事はなんでしょうか。
わたしがこのまちに拠点を持ったのは偶然です。
大阪市が新世界の娯楽施設の空き店舗を活用した現代芸術拠点形成事業「新世界アーツパーク事業」に誘われたからです。すぐ隣の釜ヶ崎との間に透明な塀があるのはすぐにわかりました。でもすぐに行き来がはじまり、ホームレス状態の人たちや路上生活の経験を持ち生活保護で暮らす高齢者と出会ってゆきました。彼らに舞台でパフォーマンスをする企画をつくるようになり、かかわりを持つようになりました。出演してもらうために、食べ物は寝場所はどうするのか、どこまでかかわるのか。配慮ができなかったりかかわりすぎたり、試行錯誤はいまも続いています。そして、5年で市の事業は終了し、どこに行ってもよかったのですが、釜ヶ崎に入りました。
そこでもっと大勢の、不安定で貧乏な状態の人たちとかかわるようになりました。
不安定と貧乏にもいろいろあって、路上生活、シェルター暮らし、生活保護、アルコールやギャンブル依存、借金、刑務所から出てきた、もと反社、貧困ビジネスにひっかかっているなど、多様です。同じ状態でもかけあわせによって、安定の度合いが変わります。そして、生育環境は、貧乏、暴力、そしてその背景には被差別や偏見の固定化があり、本人にはどうしようもないことが横たわっています。
人生は不平等です。
不平等に対して、アートがかかわってゆくこととして、一人ひとりが自分の声にしていく、そんな機会をつくりたいと思いました。誰も代わりの人生を生きることはできないから、自分で表して、存在を認め合うことからやってみよう。喫茶店のふりをして365日扉を開けて、「釜ヶ崎芸術大学」などを実践しています。ただ、運営するためのお金には苦労します。
釜ヶ崎にきて、貧乏で挫折ばかりで何も持たない人の、てらいのないことばやまなざし、表現に、わたし自身がもっとも励まされていることに気づきました。
しあわせの感覚が研ぎ澄まされてきました。
関係性はどんどん循環してこそ、おもしろく豊かになります。
循環のきっかけを生み出すこともアートの仕事だと思うのです。
(2022年11月17日)
今後の予定
- 展覧会:大阪関西国際芸術祭
- 釜ヶ崎芸術大学
3月28日(日)14:00 - 16:00
詩の講座
会場:釜ヶ崎芸術大学・zoomでオンライン参加可能
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