ネットTAM


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プリコグ:公益性を追求する経済活動としての社会実験

アートにかかわる人たちがアートを続けるためにどのような方法があるのか? ネットTAMでは今回「起業」に着目し、実際に会社を興し、さまざまな事業形態でアートを持続させている方々に、"アートの興し方"についてお話をうかがい、ヒントを探ります。

第7回はアートプロジェクトの企画・運営を行う制作会社の「precog(プリコグ)」を経営する中村茜さん。活動テーマを”横断と翻訳”とし、近年は“アクセシビリティ”(アクセスのしやすさ)と“インクルージョン”(包摂)にも力を入れ、プロジェクトの同時代性や新たな事業展開を追求し続けながら、「新しい価値」を社会実装し、“表現”の未来をつくる活動をしています。

株式会社precog
本社所在地:東京都新宿区
設立年:2006年12月28日
資本金:900万円(2020年8月現在)
従業員数:19名
主な事業:アートプロジェクトの企画・運営

現在、株式会社precogで実施しているアートによる事業とは

私たち「precog(プリコグ)」は、舞台芸術作品の制作からはじまり、芸術祭から映画祭、ウェブメディアTHEATRE for ALLなど、さまざまなアートに関するプロジェクトの企画・運営を行う制作会社です。加えて、人材育成やスクール事業、行政や民間組織向けの研修会、バリアフリー字幕や音声ガイドなどの情報保障制作にも取り組んでいます。

活動テーマは、“横断と翻訳”。近年は“アクセシビリティ”(アクセスのしやすさ)と“インクルージョン”(包摂)にも力を入れ、プロジェクトの同時代性や新たな事業展開を追求し続けています。 アーティストやクリエーター、そしてさまざまな分野の専門家と協働し、芸術体験と観客を鑑賞でつなぐだけでなく、国際交流・福祉・地域活性・教育普及など多角的なアプローチによって「新しい価値」を生み出し、“表現”の未来をつくる、をミッションに活動をしています。

Jejak-Tabi Exchange ~Wandering Asian Contemporary Performance~ アジアのアーティストやキュレーターとジョグジャカルターマレーシアーロハスシティー那覇を巡るエクスチェンジプロジェクト
主催:ドリフターズインターナショナル
ウェブサイト

チェルフィッチュ×金氏徹平「消しゴム森」
金沢21世紀美術館
ウェブサイト

アクセシビリティに特化したオンライン劇場 THEATRE for ALL
ウェブサイト

アートフェスティバルの運営事務局
日本財団主催「True Colors Festival – 超ダイバーシティ芸術祭 –」事務局
主催:日本財団DIVERSITY IN THE ARTS
提供:日本財団DIVERSITY IN THE ARTS
ウェブサイト

なぜ起業したか?

法人にしたのは、新国立劇場との契約に際して、早急に法人格が必要になったからです。「株式会社」を選んだのも当時1円で簡単にできる法人格というフレコミからでした。ですので、必要に駆られて法人化した流れです。

実態としては非営利事業がほとんどの事業体ですので、営利法人である「株式会社」でよかったのか、今でも疑問に思うことはありますが、「NPO法人」や「一般社団法人」の運営にもかかわるなかで思うことは、「株式会社」は柔軟性が高く、団体の意思決定もスピーディにできるので、毎年のように複数の新しい事業をゼロイチで立ち上げていく変化の多い業態には、向いている法人格と感じています。

起業したメリットとデメリット、そして今抱えている課題とは

法人化することで、それまで抱えていた困難が整理されていきました。

第一がバックオフィス面です。 立ち上げ当初は、融資や投資を受けるほどの事業計画もなかったので自分の給料分を運転資金として積み立てて、なんとか運営していました。並行してライブハウスでアルバイトをして生計を立てていた状況でしたが、法人化することで税理士などの専門家に支えられ、法律に則ってきちんと整理されるので、安心感が生まれていきました。

特に当時から、いくつかの劇団やダンスカンパニー、アートプロジェクトの制作をしていたので、各団体の資金力や事業性に合わせて運営できるように専門家の先生たちの指導のもと、バックオフィス業務を整備できたのはメリットでした。のちに、劇団等の団体もそれぞれ法人化することになった際も、それぞれが個別にバックオフィス機能を持つと、人手、手間、外注コストなどが倍々に増えてしまい、各団体の運営が立ち行かなくなることが予想され、解決策として各法人からバックオフィス業務をプリコグに委託していただいたことによって、ほかの法人にもバックオフィス機能を提供でき、全体として限られた人や資金で運営を合理化し、安定させる体制を構築できました。バックオフィスが安定することは、社会的な信頼を得て活動するうえでも重要なことですが、この部分はまだ課題に感じており、この領域の専門家、経験者がもっと芸術界に流入し、他業界のマネージメントノウハウが入ってくるとよりよくなるだろうと感じます。

7月に引っ越したばかりのprecogオフィス風景

第二が雇用についてです。当初は、人を雇用することに躊躇いや不安がありました。お金も人も足りない舞台&アート業界。さらに補助金事業の多い弊社の場合は単年度契約かつ、粗利が取れないので、自転車操業になる体質があるため、資金的にも人的にも経営が不安定な状況に陥りやすい特性があります。往々にして創作活動は、原価率が高く利益率が低い事業体質があるなかで、スタッフや事務所の維持管理コストが払えるのだろうか? というのが一番の不安でした。現在でも雇用の課題は大きく、新人の育成コストをかける余裕も乏しいなかで、近年は新卒入社して3年ほどしたらフリーランスで活動したいという若手も増え、それは会社としては大きな痛手にもなりえます。中堅になったスタッフもマルチタスクや高い専門性が求められるので、スキルを補うための研修などの育成プログラムを会社として装備できればよいのですが、今のところ本人の学習意欲とセンス、上長の良心に頼るほかありません。ビジネス領域で浸透しているような、研修やコーチング機会を提供できれば、業界人材の底上げにもつながるので、導入したいところ。もう少し利益があがる構造ができ、自社で研修プログラムやOJTを組める余裕が出れば、よりスタッフの活躍の場は広がるかもしれません。

さらには、会社に所属するスタッフは社会保障は義務化されますが、一緒に事業に従事するフリーランスアーティストや俳優には社会保障や福利厚生がつかない格差が生まれていることも大きなジレンマとなっています。日本では今後のどのようにアーティストなどの創造活動の担い手の立場を社会的に保障でき、持続性が担保できるのか? 大きな課題です。

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令和4年度文化庁委託事業の教材開発・広報・研修会の実施フリーランスアーティスト・スタッフのための契約レッスン

一方で、設立当初から法人化したことで、劇団の制作として一人で活動する孤独が徐々に解消されていきました。起業したことの一番のメリットは、チームで同じ目標に向かっていく仲間がいることかもしれません。チームがなかったら、出産や育児、親の介護や移住などのライフステージの変化に耐えられなかったでしょう。

「早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け」
(If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.)

これはアフリカのことわざですが、この言葉には助けられています。現在、アーティストプロデュース事業部、THEATRE for ALL事業部、アドミニストレーション部の3つの部署に分かれて運営をしています。ここまでさまざまな挑戦ができたのは個人ではなく、組織・チームとしての成長を第一に考えてきたからだと思います。法人化することで、スタッフが産休や育休を取得でき、体調を崩しても代わりに動いてくれる人がいることや、それぞれの得意不得意を補あえるチームが組めることにもメリットもあります。

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precog 2024新年度のオリエンテーションでの集合写真

アートや舞台という表現にかかわることは、賃金労働である以前に、生きるうえで人間の本質的営みや欲求にかかわる、ということです。創作活動にかかわるとき、「賃金労働」として簡単に切り分けられないところにある創造力や人間力が要求されます。さらに、アート作品やアートプロジェクトをつくることは、最終的に作品が生まれてみないとどんな価値があるかわからず(時に作品化された後もその価値について言語化するのは難しいことも多々あり)、「商品」や「サービス」として一定の貨幣価値を生み出すことができるのか? 作品が完成するまで予測できないことがほとんどなので、「賃金労働」や「資本」の論理がアート業界の行動原理として最適化されているとはいえません。

私にとって会社を運営することは、制度としての「賃金労働」と、人間の営みとしての「表現」がいかに折り合いをつけ、サステナブルな活動体形を築けるのか? という問いに挑む社会実験そのものです。 プリコグでは、「資本主義」ではなく「合本主義」の考え方を理念においています。「合本主義」とは、渋沢栄一が提唱したことで知られ、利益ではなく公益を第一に追求する経済活動のことと理解しています。「資本」や「賃金労働」の概念には、アートをやっていくうえでの弊害もあるということを自覚したうえで、社会に対しても批評的に捉えて、アートに適した「働き方」を模索し、持続可能な賃金労働と表現の黄金律はどこにあるのか? を探求することは、私にとって法人を運営することの一つのやりがいでもあります。

このような探究のなかprecogは舞台芸術の制作会社として生まれ、まもなく法人化から20年を迎えます。設立当初より、作品やアーティストと社会を繋ぐ制作のプロフェッショナルチームを目指してきました。そして、制作者とは、ときにプロデューサーであり、ときにドラマツルグであり、ときにキュレーターであり、ときにプロジェクトマネージャーであり、ときにアドミニストレーターであり、さらに営業や広報など横断的な専門性が必要な職能です。さらにprecogでは、国際交流、まちづくり、障害福祉や情報保障の専門性も制作者の重要な知見として捉え、芸術と社会の効果的な繋ぎ方に試行錯誤するなか、2021年に芸術選奨をいただき、大変励みになりました。

令和3年度(第72回)文化庁芸術選奨・文部科学大臣新人賞(芸術振興部門)

これからやってみたいこと

個人的なことですが、家族で長野に移住して3年目となりました。現在は人口2万人の街に住んでいて、生まれ育った東京との圧倒的な差を感じてます。

都心部のように展覧会や公演に触れられる機会は少ないのですが、なにより自然が身近で、いろんな人・コミュニティが近いのが魅力で、東京では距離感のあった行政、医療、福祉、教育など他分野との協働が生み出しやすいと感じてます。引き続きプリコグの本店は東京なのですが、長野では別の法人を立ち上げることなどを検討中で、地域社会で、芸術はいかに有効か? 挑戦していきたいと思っています。

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撮影:輕井澤二十四節氣(|+|=| STICK AND LADDER S.A.)
長野県・軽井沢で開催した「まるっとみんなで映画祭 2023 in KARUIZAWA」の様子

今年の4月から芸術系大学で非常勤を再開したのですが、就活に苦しむ4年生から就活に絶望しかない、ということを聞かされ、重く受け止めています。舞台業界の採用は、だいたいは実務経験3年以上という条件つきがほとんどで、新卒は行き場を失っています。自分が携わってきた舞台芸術や劇場が人を育成できる環境が整備されてないために、芸術系大学を卒業しても行き場がない。優秀で夢のある学生が沢山いるのでそんな彼らが活躍できる環境は整備したい。プリコグでも新卒の雇用を何年かやりましたが、資金とメンタリングのリソース的に中小企業で支えていくのは簡単ではないものの、法人設立20年を迎え、未来ある業界にしていくために、若い人のためのポジションをつくっていくこと、足りないノウハウを補うため他業界からの人の流入が可能になるよう雇用環境を整備していくことは引き続き努力していきたいと思っています。

これからアートとかかわり続けるためにどうするか?

これからアートとかかわり続けるためには、人の心を動かすような素晴らしい作品やアートプロジェクトを生み出す、という目的意識をもつことは、やはり欠かせないことだと思います。それは常に博打のような作業ですが、いまだ見ぬ表現との出会いへの渇望が原動力になります。同時に、社会とアートの接点をいかに増やせるか? が鍵になってくるとも思います。アートがアート愛好家のものとしてだけでなく、科学、教育、福祉、医療、観光、まちづくり、ビジネスなどの他分野でその価値がそれぞれ発見され、認識されていくことは、アートとかかわり続けるための貧弱な基盤を整えてくれることにつながると思えます。

今後の予定

関連リンク

アートとかかわり続けるために、なぜ起業したか? 目次

1
コロナ禍から立ち上げた文化芸術界に特化したジョブフェア
2
アートに触れるきっかけを圧倒的につくるミューラル(壁画)
3
アートをビジネスにするということを問い続ける
4
創造力を社会実装するアーツプロダクション
5
大阪・関西の成長戦略として芸術祭を創造する
アート×ヒト×社会の関係をSTUDYする「Study:大阪関西国際芸術祭」の可能性
6
アートを通じて架け橋を築く
7
プリコグ:公益性を追求する経済活動としての社会実験
8
『ティール組織』という理想を、絵に描いた餅にしない実践
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