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福島県富岡町での活動

富岡町沿岸部の空撮写真。写真奥の方には、東京電力福島第二原子力発電所の排気筒が見える

富岡町とは

現在、私が暮らす富岡町は福島県浜通りの中央に位置し、年間平均気温が13.8℃と東北地方の中では温暖で過ごしやすいまちです。このまちは、2011年の東日本大震災とそれによって発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故により全町避難を余儀なくされましたが、除染作業を経て2017年4月1日に一部帰還困難区域を除き避難指示が解除されたことで町民の帰町が開始されました。現在は町の90%以上のエリアが居住可能エリアとなっています。人々の生活再開に伴い商業施設がオープンし、次いで教育機関、福祉・介護施設、コンビニ、飲食店など生活に必要なインフラも再開/整備され、現在では基本的な日常生活は不自由なく過ごすことができるようになっています。

しかし、富岡町での生活が可能になったとはいえ、富岡町の人口、とりわけ町内の居住人口は震災前と比べ大きく減少したままになっています。富岡町が公表しているデータによると、震災直後の2011年3月末時点で15,830人となっていた人口は、2023年11月1日時点では11,542人と30%ほど減少しており、さらに富岡町内に居住している人口に絞ると2,267人(2023年11月1日時点)と全人口の20%ほどであることがわかります。 また、2,267人の内およそ半分が仕事などの理由で震災後に富岡町に移り住んできた方々と想定されており、新旧の住民が入り混じる状況になっています。

人口減少という状況に対し、今後どの程度元々の富岡町民が帰町を行う意向があるのかを調べるために、復興庁らが2022年度に行った「富岡町住民意向調査 調査結果(速報版)」を確認してみると、回答者2,545世帯のうち半数が「富岡町に戻らないと決めている」と回答しています。ここに「戻りたいが、戻ることができない」「まだ判断がつかない」という回答を加えると、実に80%近い人が富岡町外での生活を選択する意思があることがわかります。

こうした状況の中、富岡町ではこれまで取り組んできたファミリー層を対象にした移住施策に加え、今年度からアーティストやクリエーターに活動拠点の一つとして富岡町を活用してもらう可能性や、そのために必要な環境整備などの調査を開始しました。私たちNPO法人インビジブルもその調査の企画運営にかかわらせていただいており、本稿では今年度の活動と「アート×まちづくり」という観点から今後の展望について考えていきたいと思います。

プロフェッショナル・イン・スクール(PinSプロジェクト)

そもそも私たちがこの地域にかかわるようになったきっかけは、2017年に弊社のクリエイティブ・ディレクターでありアーティストの菊池宏子が富岡町教育振興計画検討委員会(通称:富岡町のまなびを考える会)の委員長に就任したことにあります。学校再開に向けたアクションプランの作成を進めたこの委員会では「コミュニティの拠点となる学校」を目指すことと、震災前から富岡町の教育方針として掲げてきた「町ぐるみで子どもたちを育てる」ことをコンセプトの中心に置きながら、新たに 「人がつながり 文化をつむぐ 多世代教育」を実現するための展望を立てました。

その後、同年8月に私たちは富岡町と包括連携協定を締結し、委員会で定めた理念のもと、富岡町立富岡小学校・富岡中学校を舞台に、各界のプロフェッショナルが、学校を仕事場としながら児童生徒らと学校生活を共にする「Professionals in School Project (PinSプロジェクト)」の活動を2018年の学校再開と同時に開始しました。活動開始から現在に至るまで、林敬庸、加茂昂、宮島達男、大友良英、小池晶子、力石咲の6名のプロフェッショナルを転校生として招聘。滞在するプロフェッショナルは、児童生徒らに技能などを教える教師ではなく、あくまで転校生という児童生徒と同じ立場で学校に滞在し制作活動を行ってもらっています。

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児童と共に授業に参加する音楽家の大友良英。児童生徒からのオファーを受け、滞在期間中に富岡小中学校の新しい校歌制作を児童生徒、卒業生らとともに行った。(撮影:岩波友紀)

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大工の林敬庸の制作作業を見学する児童。初年度に参加した林は、学校のシンボルとなる大きな机を制作した。(撮影:鈴木穣蔵)

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油絵画家である加茂昂の制作風景。富岡町のシンボルである桜や滞在時に在校していた全児童生徒が描かれた絵画を制作した。(撮影:鈴木穣蔵)

両者が同じ立場に身を置き学校生活をともにすることは、この活動の根底にある「教えない教育=偶然性が生まれる環境」の実現を目指すうえでとても大切なことです。学校生活という児童生徒の日常の中に、普段は出会うことの少ない経験や技術を自然なかたちで見聞きする機会や、対話や共同作業を通して新たな価値観に触れる機会を生み出すことで、そこに身を置く彼ら彼女らがそれぞれの視点から能動的に何かを学び取ってもらいたい。そして同時に、こうした関係性の中で生まれた作品が毎年学内に増え続けていくことで、学校が一つの「美術館」のような空間となり、ここにしかない独自性を持った学校になることを目指しています。

PinSプロジェクト アーカイブ 2018-2022 - 福島県双葉郡富岡町立富岡小学校・富岡中学校にやってきた「プロフェッショナル転校生」の活動と関係者の声 -

今年度の取組み

上述したPinSプロジェクトに取り組む中で、富岡町のまちづくり会社である「とみおかプラス」から相談を受けてスタートしたのが、冒頭に記した今年度の活動です。これまで対象にしてこなかったアーティストなどのクリエイティブな活動を行う人材に富岡町を知ってもらい、関心を抱いてもらうための活動に着手しました。

まず一つ目は、リアルな富岡町を認知してもらうための企画です。有楽町アートアーバニズム「YAU」に協力いただき、東京は有楽町にあるYAU STUDIOにて、YAU SALON vol. 12『“復興”をアートから問い直す』というトークイベントを開催しました。トークには富岡町の企画課職員、富岡町でツアーパフォーマンスの作品制作を行う演劇ユニットhumunus、そして経済産業省福島芸術文化推進室の担当者に登壇いただき、それぞれの立場からこの町でアートに取り組む理由やそうした活動の支援を進める動機などをお話しいただきました。トークの中で特に意識したのは、「富岡町とはこういう場所だ」とわかりやすく一言でまとめようとするのではなく、異なる意見や立場の人が、今こうして議論を重ね続けることを大切にしたいということです。原発の賛成反対や補償金の有無など、震災後もさまざまな分断が生まれてしまった場所だけに、今後、さまざまなアートやクリエイティブな活動が生まれ続けていく環境をつくるには、異なる者同士が共存する状況をつくることが重要だと考えています。なおこのトークの内容は、YouTubeでも公開していますので、ぜひご覧ください。

YAU SALON Vol 12「”復興”をアートから問い直す ~福島のこれまでとこれから~」

二つ目は、YAU STUDIOでのトークイベントに参加してくれた方々を富岡町に招き、この町を実際に体験することで町や浜通り地域に対する解像度を高めてもらうと同時に、今後必要なサポートなどを提案・意見公開するツアーの実施です。ツアーでは、トークイベントに登壇いただいたhumunusが行うツアーパフォーマンスの体験や、震災関連施設への訪問、そして富岡町や浜通り地域で活動する方々との交流会が行われました。自らの足で歩き、人々と会話を交わすことで、より具体性を持って富岡町を認識してもらうことがツアーの主たる目的でした。そしてそれらの体験を通して「移住したときに知り合いがいなくて不安」「車の免許がなくて生活できるか心配」「制作できる場所はあるのか」など、実際にこの地で活動するならどういう支援や環境が必要なのかをそれぞれの立場や専門性から語っていただきました。そうした意見を参考にしながら、現在、町内にある利用されていないスペースなどを調査し、アーティストたちの活動場所として活用できないか検討を進めています。

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YAU Studioの利用者らと富岡町の視察ツアーを実施(撮影:吉田和誠)

三つ目が、2003年に珠洲原子力発電所計画を凍結した珠洲市を訪問し、先日まで開催されていた「奥能登国際芸術祭2023」の視察です。芸術祭とは一体どういうものかということを富岡町役場の方に直接体験いただくこと、そして珠洲市副市長から開催に至るまでの経緯や実際の取り組みによる波及効果、現在の課題などのレクチャーを受け、実際に富岡町でアートによるまちづくりは可能か?を考える機会をつくりました。単にアーティストを招き作品を設置し観光客を呼び込むだけではなく、制作のプロセスにおける地域住民とのコミュニケーションや、部署を超えて運営する役所の体制など、芸術祭というものに対する理解が深まったことは、今後富岡町で「アート×まちづくり」を考えていくうえで大切な一歩になったように思います。

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富岡町職員とまちづくり会社の方とともに「奥能登国際芸術祭2023」を視察

このほかにも、富岡町での活動をより具体的に考えるワークショップの開催や、主に役場職員を対象にした有識者レクチャーの開催など、アートによるまちづくりの可能性を探究してきました。

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YAU Studioで実施した富岡町での活動をより具体的に考えるワークショップ。アーティストや移住を決めている方などが参加し、具体的に必要なことを議論。

今後の展望について

以上が今年度取り組んだ富岡町における「アート×まちづくり」の内容です。また、ここで記した取り組み以外でも現在さまざまなアート活動やそこから地域の未来を考える活動が生まれています。たとえば、宮島達男氏らが進める「時の海 - 東北」プロジェクトは、今年、富岡町でタイム設定ワークショップを実施しました。私を含む地元の有志で「時の海 - 東北」サポートコミュニティ in 富岡町というチームで運営を行い、当日は株式会社観陽亭に協力をいただき、地元の食材を使った食事を楽しみながらワークショップを開催しました。また、富岡産ワインをつくる「とみおかワインドメーヌ」は「ワインを核とした100年後の富岡町の未来を創ること」というビジョンのもと、ワインの生産と合わせてまちの新しい風景づくりを進めています。現在は桜の名所としても知られる富岡町の桜も、もとをだどれば半谷清寿という実業家らによる桜の植樹から始まっていることを考えると、100年後はワイン畑の風景が富岡町の代名詞になっているかもしれません。さらに富岡町以外の浜通りに目を向けてみると、「群青小高」や「Katsurao AIR」などそれぞれの地域に根づいた活動が行われていることに気がつきます。

震災から12年以上が経過した今、震災前の状態に戻るという意味での「復興」は非常に厳しい状況です。特にこれまで原子力産業が生み出してきた地域の雇用やそれに紐づく経済のエコシステムが失われた現状では、それに代わるものをつくり出すことは簡単ではないという現実があります。しかし、そうした困難があるからこそ、ここ富岡町をはじめとする浜通りが歩む未来を巨視的な視点で捉えつつ、国内外のさまざまな人々や活動と連携しながら新たな価値を創出していく活動は、とても重要な意味を持ちます。本稿を読み、少しでも富岡町や浜通りに関心を持った読者の方は、ぜひ次の週末こちらに遊びに来てください。そうして一人、また一人とこの地域とかかわりを持つ人が増え新しい活動が生まれる循環こそ「復興」を超えた未来の創出に不可欠だと、私は考えています。

アート×まちづくり~ひろがるアート 目次

1
災害からの復興と“文化”
2
価値をつくるアートをつくる人をつくるまちをつくる
3
アーティストコミュニティとしての黄金町
4
まちづくりを担う“若者”の想いを表現する民俗芸能をつなぐ
5
回遊劇場~アートを活かしてまちの回遊性を高める~
6
福島県富岡町での活動
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