まちづくりを担う“若者”の想いを表現する民俗芸能をつなぐ
日本青年館と民俗芸能
東京・神宮外苑に位置する日本青年館は、一世紀にわたり若者たちと歩み、文化を紡いできました。ホテル・会議室などの収益事業の一部は、青年団をはじめとする若者の活動やスポーツ・文化活動の振興のために役立てられています。
一般財団法人日本青年館は1921年に設立された団体です。日本青年館の財団設立と建設は、大正時代に国家プロジェクトとして行われた明治神宮のご造営に、全国から延べ約11万人の青年団員が全国から勤労奉仕(ボランティア活動)に携わったことを契機としています。神宮の内苑・外苑の造営作業に、全国1道3府43県から209の青年団が代表を送り出し、昼は造営作業にいそしみ、夜は交流し親睦を深めたりして10日間ほどの勤労奉仕を行いました。この勤労奉仕に携わった青年団を讃え、当時の皇太子殿下(後の昭和天皇)より令旨が下賜されます。そのことを記念し、青年たちの発案によって1921年に青年団を支援する「財団法人日本青年館」が設立されました。そして、全国の青年団員の一人一円募金で建設費のすべてを賄い、1925年には青年団の活動拠点となる建物、日本青年館が建設されました。
1925年10月、日本青年館大講堂で開館式が開催され、総理大臣や各省の大臣、青年団の代表などが参加し、盛大な会となりました。また、3日間にわたって開場事業の一つとして、「郷土舞踊と民謡の会」が企画されました。日本青年館が現在開催している「全国民俗芸能大会」のルーツともいえる事業は、日本青年館の歩みとともに始まったのです。「郷土舞踊と民謡の会」の企画に参画したのは、当時この分野の泰斗とされた柳田國男、高野辰之の両氏であり、実際の舞台を担当したのは小寺融吉で、日本に「民俗学」が生み出される契機にもなっていたそうです。「郷土舞踊と民謡の会」では、地域で伝承されている芸能を日本青年館の舞台で上演していただくものでしたが、地域で行われている当時の常識では思いつかない卓抜した発想であり好評を博したといいます。この催しは、ムラの祭りや芸能の伝承者であった当時の若者たちの集団である若者組(地域によっては若衆組ともよばれています)を前身とする青年団にとってうってつけのイベントでありました。というのも、若者組はムラの運営自体にかかわっていて、氏神社の祭礼の準備や祭礼で演じられる芸能やムラを守る自警などは、この若者組によって統括されていたのです。祭礼で演じられる芸能は、若者組自体の年功序列によって伝承され、新入りは先輩たちから厳しい教育を受けていたといいます。若者組は国家による学校教育制度が開始されて以降も、青年会や青年団などの名称を変えつつ維持されていきました。
「郷土舞踊と民謡の会」は、大正天皇の諒闇を除いて1935年まで10回開催されました。この間に日本青年館の舞台で上演した芸能は延べ70団体にも及び、北は「江差の船歌」から、南は沖縄石垣島の歌と踊りまで多岐にわたります。第8回には朝鮮半島から京畿道金浦郡東面登村里の「朝鮮の豊年踊」が演じられています。この「郷土舞踊と民謡の会」は、戦争によってその幕を閉じることになるのです。
戦後復興と民俗芸能
日本青年館は戦災による焼失をまぬかれ、終戦直後の混乱の中、地域青年団の結成、社会教育活動の促進を掲げて活動を開始しました。1947年4月、日本青年館は「郷土芸能発表大会」を開催、当時の開催要項には次のように書かれています。
我々は戦後の新日本建設のために大なる力のゆたかさを必要とする。特に国民の前衛ともいふべき青年たちに彼らの知識の向上と共に其の藝能の醇化をはかる所以である。本館は彼らが日頃行っている郷土藝能を公開し所期の目的達成を企画するものである
この趣旨に基づき、各地に設立していた日本青年館支部を通じて各地の青年団が「出演願」を青年館に提出し、その中から6団体を選んだのです。
「郷土芸能発表大会」はその後、「全国民俗芸能大会」となり、その始まりは、戦禍によって中断した「郷土舞踊と民謡の会」を国が芸術祭の一環として復活させたことから始まりました。この第1回大会は、1950年11月に一ツ橋の共立講堂で開催され、出演者は宮崎県から下水流の臼太鼓踊、秋田県角館の飾山囃子、岡山県白石島の白石踊、鳥取県宇部野の傘踊、高知県鏡村の太刀踊、滋賀県朝日の太鼓踊、東京都八王子の車人形、東京在住者による沖縄舞踊など13団体が参加、また、宿泊した団体により明治神宮で奉納公演も行われたといいます。
全国民俗芸能大会と芸態などの記録
「全国民俗芸能大会」の特色は、現地で行われている芸能のかたちのままに現地で演じる雰囲気をなるべく再現するように演出をせずに舞台で披露する点です。また、昼と夜との二部にわけて公演をしますが、夜の公演は昼の公演の出演団体の中からクローズアップし、芸能を専門家の解説や映像、実演などを通じて楽しむことができます。
出演する団体は民俗芸能の研究者などから構成する企画委員会が推薦します。これまで上演されてきた演目の特徴としては、国の重要無形文化財の指定など日本を代表する民俗芸能であったという点です。また、全国各地の多様な民俗芸能や民謡を調査、研究すると同時に、出演者にとっては発表を通じて保存や継承意欲を高めていく場として機能してきました。出演者にとっては東京で演舞する機会はまたとない晴れの場でもあるのです。
全国民俗芸能大会のもう一つの特色としては、民俗芸能の舞台上での発表を通じて芸態の記録の蓄積が戦前から行われている点です。舞型の採録、写真による記録、録音・採譜、衣装・小道具・採物などのスケッチなどが行なわれています。また、大会の出演芸能について専門家が詳しく解説する雑誌『民俗芸能』を、大会に開催にあわせて発行している点も特徴です。
こうして、日本青年館は戦前から一貫して民俗芸能の保存振興に取り組み、発表や記録などを通じて今までに500近い芸能を紹介してきました。41回大会からは全国各地の土地に代々伝わる民俗芸能や年中行事などさまざまな無形民俗文化財を文化資産として正しく保存継承するために、全国の市区町村が連携し、現在150近くの市区町村が加盟する全国民俗芸能保存振興市町村連盟(略称:全民連・事務局は東京都板橋区)との共催となりました。
うけつぐこころを、いつまでもつたえたい
民俗芸能は、地域で人々の暮らしにねざし、その土地の人々の暮らしの中から湧き出た願いや想いが、歌や踊り、音楽などの表現となってうみだされ代々継承されてきた、日本の歴史を現在につたえる貴重な文化遺産です。昨年11月には、ユネスコが歴史や風土に応じてさまざまなかたちで伝承されてきた風流踊について、世代を超えて地域全体で伝承され、特に災害が多い日本では被災地域の復興の精神的な基盤となるなど、文化的な意味だけでなく社会的な機能もあるとして、24都府県の合計41の行事を無形文化遺産代表一覧表に記載しました。これにより、日本の無形文化遺産の総数は22となり、民俗芸能への注目や評価も国内外で高くなっています。
しかし、都市部への人口の流入や家族や地域の人間関係の希薄化、さらに現在は過疎化、少子高齢化も拍車をかけ、伝承する人が減り、多くの民俗芸能が姿を消しつつある状況にあるといえます。
民俗芸能は、人々や地域の歩みとともにつくられた、こころのふるさとです。日本青年館は今後も、地域にねざしさまざまな形で継承に取り組む担い手の人たちを応援し、民俗芸能の火をともし続け、地域のバイタリティーに貢献したいと考えます。
今後の予定
第70回全国民俗芸能大会のご案内
日時:11月25日(土)開演13:00(開場12:00~)
会場:日本青年館ホール
11月25日、第70回全国民俗芸能大会が日本青年館ホールで開催されます。このような折、誠に心苦しいのですが、今年度よりご観覧にあたり入場料を設定させていただくこととなりました。日本青年館の経営においてもコロナ禍の影響が続くとともに、原油価格の大幅な高騰に伴い光熱費や食材費、輸送コストなどさまざまな経費の急騰が原因で運営経費が増大し、自助努力で吸収することが困難な状況にあり、やむなく入場を設定させていただくことといたしました。各地で少子高齢化、過疎化が叫ばれる中、懸命に取り組む担い手の皆様の想いに馳せ、少しでも地域活性や芸能の継承意欲の向上に貢献できればとの思いです。
今年の大会は二部構成で、第一部では2022(令和5)年にユネスコ無形文化遺産代表一覧表に掲載された「風流踊」をはじめ5つの芸能(6団体)に上演いただきます。また、第二部では第一部にも出演の「十津川の大踊・盆踊」をより詳しい解説を交えお届けし、会場の皆様と一緒に踊る機会を設けます。多くの皆様のご来場をお待ちしております。