2030年を見据えるところから始まるアートマネジメント
アート業界では、一人が複数の組織に所属していたり、いろいろな肩書を使い分けている場合も多いと思います。私もそのような働き方をしている一人で、私の名刺入れの中には、所属や肩書違いの名刺が5種類入っています。 日本の大手企業が進めている働き方改革の一環で、「副業解禁」や「パラレルキャリア」が徐々にではありますが社会に浸透し始めているので、複数の肩書を持つという生き方は、あと10年後には珍しいことでもなんでもない、選択肢のひとつになっているかもしれません。
リンダ・グラットン教授らによる『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』を読まれた方も多いのではないでしょうか。この本には、2007年に日本で生まれた子どもの50%は107歳まで生きる確率が50%という具体的な数字を示しながら、これから先進国を生きる人々は100歳を健康に迎える時代に突入すること、つまりこれまでの「教育→仕事→引退」というロールモデルが通用しなくなり、個人の生き方を再度考え直すことが必要なのだということが書かれています。個人の「生き方」そのものが大きく問い直される、そんな「変化の激流時代」に私たちは生きています。
しかし、急激な変化は、その先の見通しができないことから恐怖や不安感を伴います。過去につくられたモデルやシステムはとっくに綻び始めているにもかかわらず、変化を恐れて既存のモデルに固執してしまえば、ますます現実とのギャップは広がり、現状のままではいけないとはわかっていながら次の一歩が踏み出せず、さらに閉塞感に覆われる──気がつくと負のスパイラルに陥ってしまっている、非常に生きづらいのがこの時代だとも思うのです。
しかし当たり前のことですが、これから起こること、未来のことは、今を生きている我々のうち誰も経験したことがありません。であれば逆に、どれだけ自分自身の未来をデザインしていくか、これから起こる変化に柔軟に対応できるか、ということこそが重要になってくるのだと思います。
2030年、そこにどんなあなたがいますか?
最近私は、「自分の15年の未来を描く」ワークショップ的なものをやっています。もともと自分の頭の中の整理として、妄想未来設計図をつくるということを中学生くらいから(まさに中二病的に)やっていたのですが、それを自分のSNSにアップしたところ「やってみたい!」というリクエストを複数いただいたのがきっかけです。まさかこんなことに需要があるとは思わなかったのですが、未来の端っこを今現在の自分の足元まで引っ張ってくるイメージで、A3用紙3枚を使って、自分の15年先から現在までを1本の線でつなぎます。15年後は2031年です。2031年は、みなさんだったらどうでしょうか。そこにどんなあなたがいるか想像ができますか?
このワークショップに参加してくれた方から「未来は自分で描くものなんだということに気づきました」「2020年にあまりに焦点を合わせすぎていたけれど、自分のライフプランを考えたらそれ以降のほうがはるかに重要だということがわかりました」といった感想をいただいたのですが、まさに私自身が重要だと思っていることが、これらの感想に集約されています。
最近はアート業界でも「2020年」、あるいは「2021年以降」というワードをよく聞きます。もちろんこれは東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会とそれ以降、アートをめぐる環境がどう変わるか/変えられるかを議論する機会が増えたということです。しかしこの2020年だけに焦点を合わせるというのはやや危険です。本来的には、もっと先の2030年や2050年の日本なり東京なり組織なり個人なりのビジョンがあって、そのビジョンを達成するために2020年のオリンピックイヤーをどう使うか、そこで何をするか、という議論と実行こそが重要だと思うからです。
2020年に何かしらの「ゴール」を設定してしまうと、2020年と2021年以降のあいだには線が引かれてしまいますが、しかしそれは誰かが勝手に引いた線でしかありません。アートのマネジメントにかかわっていると、助成金の申請書類や事業の実施計画を単年度で作成することが多いので、気がつけば来年度のことを考える比重が多くなります。また、「来年度」の先に「2020年」という社会的にインパクトのある節目があるので、来年のこと、もしくは2020年にばかり目が行ってしまうのも事実です。しかしマネジメントにかかわっている人たちこそ、自分の行っている活動の意味や範囲を長期的な視点で考える必要があると思います。書類には単年度のことしか書かなかったとしても、心の中にはもっともっと長いスパンのビジョンを持つことが大切なのではないでしょうか。たとえば次の質問にみなさんはどう答えますか?
─あなたはご自身の活動を通じて、次の世代にどんなバトンを渡したいと考えていますか?
社会が目まぐるしく変化している現代だからこそ、積極的に「自分がつくりたい未来を出現させていく姿勢」が、アートのマネジメントにかかわる人材に求められているのではないかと思うのです。
アートのマネジメント人材=次世代の社会的リーダー
私はアート業界以外の組織や個人とかかわることも多いのですが、そういった方々に私の仕事を「舞台芸術の制作者」として説明しようとすると、そもそも「舞台芸術って?」というところから説明が必要になります。そこにさらに「制作者」とか「マネジメント」がつくと「そんな仕事がこの世の中にあったことに今初めて気づきました!」といわれたりもします。
このリレーコラムの第1回目で橋本さんが舞台芸術制作者の専門性の多様性を指摘していますが、「制作者」という職業のなかにもいろいろな職能や専門性が含まれています。あまりにも多様なために細分化するのが難しく、全部ひっくるめて「制作者」といっているだけなので、制作者の皆さんは自分自身の強みに合わせてこの「制作者」という呼び方自体をカスタマイズしたらいいのではないかと思います。ニューヨーク市立大学のキャシー・デビットソン教授は「2011年度にアメリカの小学校に入学した子供たちの65%は、大学卒業時に今は存在していない職業に就く」とニューヨークタイムズのインタビューで語っています。変化の激しい社会の中で、当然「制作者」の役割も変化していきます。制作者のもつ職能や専門性の範囲もどんどん拡張しており、「制作者」を説明するにはもはや「舞台に上がるキャストではなく、また照明や音響や舞台監督などの技術スタッフじゃない人」のような「じゃない方芸人」的な説明でないと括れないほどです。だからこそ、もう少しピンポイントな肩書を自分でつけてもいいのではないかと思うのです。
ちなみに私の複数ある肩書のひとつは「トルネーダー」です。トルネードを変化させてつくった造語なのですが、私はいろいろなアート業界内/外の個人や組織や物事を巻き込み、つなげることで新しい物や事をつくっていくような仕事が多いので、この肩書を使用しています。業界外の人には「舞台芸術の制作者」よりは「トルネーダー」のほうがイメージとして伝わりやすいなぁと実感しています。
ちなみに「舞台芸術の制作者」を上述の「じゃない方芸人」的な説明ではない説明の仕方をする場合、私は次のように表現します。
“舞台芸術の専門的知識+クリエイティビティ+戦略的思考をもち、舞台芸術の作品と社会をつなぐ人”
先ほど述べた通り、あまりに業務の範囲が広いために「何をやる人か」の説明は難しいので、「どんな人か」を説明することにしています。決して雑用係などではなく、専門知識と経験が必要な、高度知的人材が「舞台芸術の制作者」です。また、舞台芸術の制作者たちの中には、行政、民間企業、非営利組織、教育機関などさまざまなセクターを横断しながらプロジェクトを立ち上げている人も多いと思います。政治や経済とは違った、文化や芸術を通した視点をもって社会のことを考え、それを実現化することのできるマネジメント人材は、私は紛れもない次世代の社会的リーダーだと思っています。しかしこのリーダーたちの社会的認知度は非常に低く、労働環境も整備されていないので、経験豊富な人材が他業界に流れてしまいがちです。このことはまさに社会的損失であると考え、継続的・安定的に舞台芸術のマネジメント人材が活躍できる土壌をつくるべしと仲間とともに立ち上げたのが、特定非営利活動法人Explat(エクスプラット)です。
このリレーコラムのテーマは「イベントではなくインフラとしてのアート活動のために」ですが、まさにそのためにも重要なのが「人材」です。人材は人材でも「自ら考え、実行できる人材」が必要です。Explatのミッションである「舞台芸術制作者を中心とした芸術にかかわる専門人材が、自らの仕事に誇りを持ち、心身ともに健康で、生涯の仕事として続けられる労働環境の実現」のために、人材育成/雇用環境整備のための情報提供、労働環境の実態調査、在職者への専門スキルアップ研修、インターンシップの合同説明会などを行っています。
Explatの説明をしたついでに、冒頭で私は5種類の名刺を持っていると書きましたので、Explat以外のことも説明しておこうと思います。
Explat立ち上げの1年後の2016年に「15年後の働き方を実践する組織」として立ち上げたのが合同会社syuz’gen(しゅつげん)です。先に立ちあがったExplatはあくまで組織や個人のサポートを行う中間支援組織ですが、社会における舞台芸術の可能性、あるいはマネジメント専門人材の可能性を具現化してしていく実行部隊も必要だと感じ、この組織をつくりました。この組織では実演団体のマネジメントから、行政主導のイベントの運営、海外の組織との協働、コンサルティング業務までありとあらゆることを行っています。かかわっている組織や手がけている業務の幅は、舞台芸術業界の中でもかなり独特なのかなと思いますが、スタッフの専門性を活かし、舞台芸術の可能性/フロンティアを開拓すべく、みんなで日々奮闘しています。
また、私は昨年神戸大学大学院国際協力研究科の修士号(政治学)を得て、今年から同研究科の博士課程後期に在籍しています。これが3枚目の名刺です。舞台芸術の現場を通じて身につく知識や経験も多いのですが、社会における舞台芸術の可能性をさらに開拓しようとする際に、俯瞰的な視点や、論理的な思考、それらを言語化・文章化する自分の能力に限界を感じ、大学院に入りました。やはりアカデミックな環境から得る刺激は大きく、また昨年修士論文を書いたことで、いろいろな「自己流」が少しだけ矯正されたような気もします。
あとの2枚の名刺は何かというところは長くなるので割愛しますが、時と場所によって自分の名刺を「今はこれだな」「この人との人脈をつくるんだったらこの肩書の自分だな」と使い分けています。私の人生のテーマは「多様性の溢れる、寛容な社会の実現」なのですが、そのための足場としてExplatがあり、syuz’genがあり、大学院があります。この人生のテーマはあまりに壮大過ぎるので、私の人生まるごと使っても完結しないだろうと思います。しかし、2030年、40年、50年のことを考えながら、せめて少しでもいい形で次の世代にバトンを渡せたらと、2017年の今何をすべきか日々考えています。
イベントではなくインフラとしてのアート活動のために、ぜひアート業界のマネジメント人材のみなさんとは、長期的な視野で「どんな社会を作りたいか」そして、「どんな生き方をしたいか」を今後も語りあっていきたいと思います。現状の労働環境はよくありませんが、私たちの意識次第で変わることも多いのです。だからこそ一緒に変えていきましょう。不満を行動に変えていきましょう。
最後に私も橋本さんに倣って、尊敬する方の言葉を借りて終わりたいと思います。
現代と同じく「激動の時代」だった幕末に、新時代を見据えて大きな実行力をもって行動した吉田松陰の言葉です。
夢なき者に理想なし
理想なき者に計画なし
計画なき者に実行なし
実行なき者に成功なし故に、夢なき者に成功なし
吉田松陰
(2017年5月20日)
関連リンク
おすすめ!
- 「ユーリ!!! on ICE」(アニメ)
もともともアニメもマンガも大好きなのですが、これだけは多くの人に見ていただきたい…。 -
「寛容社会 ~多文化共生のために<住>ができること」(研究報告書)
外国人にとって暮らしやすい社会は日本人も暮らしやすい寛容な社会であるとの仮説に基づいて「寛容度調査」を行った結果をまとめた報告書。
「寛容である」とはどういうことか、日本に暮らす外国人の方々の生の声は多くの示唆を与えてくれます。
無料でPDFもダウンロード可。 -
『出現する未来』(書籍)
何を隠そう、合同会社syuz'genの「出現」はこの本から。そのくらい大きな影響を受けた本。
学習組織(ラーニング・オーガニゼーション)というコンセプトを世界に広げたマサチューセッツ工科大学のピーター・センゲらによる書籍。
「現在」と「未来」、「個人」と「全体」の関係性をまったく新しい視点で結びます。
次回執筆者
バトンタッチメッセージ
現在アーツカウンシル東京にて助成プログラムをご担当されている佐野さんは、国際協力機関に勤務の後、フィリピン教育演劇協会(PETA)に留学。帰国後、吉祥寺シアター、世田谷パブリックシアターで演劇制作、教育普及事業を担当されるなど、劇場という立場でも芸術の仕事に携わってこられた経歴をお持ちです。
そうした佐野さんの視点から、助成プログラムを通じて芸術と社会をどのように結びつけていこうと考えておられるのか、そして創造の現場と助成する側の建設的な対話をどのように築こうとされているのか、興味深いお話がうかがえるのではないかと期待しています。
(橋本裕介│ロームシアター京都/KYOTO EXPERIMENT プログラムディレクター)