アートの源泉として夜
深遠な文化は夜の深い時間に生まれるというのは真実だと思う。夜だからこそ許容される表現の実験性、昼間の肩書きから離れることができる多様で雑多な交わりがある夜はアートにとっての重要なインフラだと思うし、そんなアートはまちに刺激を与え、魅力的なものにしていく。1年ほど前にアムステルダムで開催されたナイトメイヤーサミット(夜の市長サミット)に参加した際に、ベルリン市の職員がベルリンは貧しいが世界一セクシーなまちだと誇らしげにプレゼンし、都市政策の専門家たちがまちにミステリアスさを残すことの重要性を力説していたことには強く頷いた。ナイトメイヤーサミットにはヨーロッパを中心とした30都市ほどからナイトシーンのリーダーが参加していたが、どの都市も夜が観光等の経済資源であることに加え、文化の源泉であることに対して意識的であり、そのための研究や調査、法整備も活発な印象を受けた。
他方、わが国をみると、いわゆる風営法という法律によって、ナイトクラブ(ダンス営業)を中心にナイトエンターテインメントは強く規制を受けていた。夜12時以降(最長午前1時)は飲食を伴うエンターテインメント(遊興)は一切許されていなかったのである。夜を活動の場とするDJやミュージシャン、各種アーティストは法的にはアウトサイダーとして定義され、豊かな表現の場をつくってきた事業者も法的に不安定な地位に置かれ続けてきた。他方でそれゆえに商業化されていない強度ある文化が培われてきたという逆説的な見方もあるとは思うが、やはり多くの才能の芽を育てることが困難な土壌であったことは間違いない。事実、大阪京都を中心にナイトクラブやライブハウスの大規模摘発が行われ、そこには日本を代表するDJやミュージシャンを輩出してきた店舗も含め多くの店舗が廃業や業態変更を強いられた。
その後の反対運動や地道なロビー活動によって、昨年6月23日にダンス営業の規制が撤廃され、許可制ではあるがナイトエンターテインメントも適法に営めるようになった。この法改正は既存のナイトクラブ営業を保護しようとすることが目的ではない。新たな経済圏としての時間市場を開拓し、かつ多様なプレイヤーの参入を促すことで、多層的で奥行きあるナイトシーンを創出しようとするものである。
ナイトクラブに加え、ライブハウス、ホテルやレストランなど多様な場が夜に開かれ、そこにおいては、DJやダンス、ライブ、ショーやパフォーマンス、ダーツなどの各種アミューズメントなど多様なコンテンツが展開されることを想定している。
たとえば、日常に密接なライフスタイルがあるのがレストランをとってみても、レストランにエンターテインメントを付加し、食とコンテンツを掛け合わせることで、レストランは単なる食事を提供する場から、都市の文化装置に、またコミュニティハブに転化する。エンターテインメントは食に文化的な付加価値を与え、また食の場は文化の芽をインキュベートする文化装置となる。レストランのような日常の場にこそ、その都市ならではのライフスタイルがあり、時代の空気を感じることができる文化がある。かつてホテル王イアン・シュレイガーが、あえてナイトクラブではなく、多様な人々に開かれているホテルのロビーラウンジでパーティを行い、若かりしころのウォホールやバスキア達などを交流させることで、ニューヨークのアートシーンの土壌としたのも同様の着想である。
昨年6月の風営法改正はアートの源泉でもある夜にある文化インフラを育てるための試みであったが、主な交渉は警察庁に対して営業の適法化を求めることであり、これはスタートでしかない。4月27日にはナイトエコノミー議連という新しい議員連盟が発足する。これには経産省、観光庁、国交省のほか文化庁も加わり、より活発に夜間文化や夜間経済を推進するべく、多くの民間事業者をアドバイザリーボードに加えてさまざまな政策を打ち立てていく予定であり、夜を深遠な文化を生み出すインフラとしてアップデートされることが期待される。
(2017年4月25日)
次回執筆者
バトンタッチメッセージ
舞台芸術制作者を中心としたアートマネジメント専門職にむけて、人材育成/雇用環境整備のためのさまざまな取り組みを行うNPO法人Explatの理事長を務めておられる植松侑子さんに次のバトンをお渡しします。芸術を社会とつなぐ専門人材の社会的認知度とその役割の重要性を広く普及啓発することをミッションのひとつに掲げられており、第1回の私のコラムの話題を広げてくださることと思います。また、バイタリティ溢れる植松さんご自身の多彩なご活動にも触れていただければ、アートマネジメントの仕事を志す読者のみなさんへの刺激となるでしょう。(橋本裕介│ロームシアター京都/KYOTO EXPERIMENT プログラムディレクター)