異文化交流から生まれるもの
横浜にある小劇場「STスポット」を運営するSTスポット横浜というNPOで、主に教育普及事業に携わっている高荷春菜といいます。文化芸術の領域横断的な広がりに着目して、今回は「アート×教育」というテーマの初回のバトンをいただきました。文化芸術と教育の接点をつくる仕事をしている立場から、領域を越境していくことのおもしろさ、異文化交流を楽しんでいるような感覚について、書いてみたいと思います。
STスポット横浜の教育事業について
元は劇場運営だけであったSTスポット横浜が教育事業を始めたのは2004年、はじめは神奈川県との協働事業で県内の学校へアーティストと出かけていく事業をスタートさせました。時を同じくして横浜市の文化観光局による芸術文化教育プログラム推進事業が開始、パイロット事業を経て2008年に「横浜市芸術文化教育プラットフォーム」が設立され、現在、横浜市文化観光局、横浜市教育委員会、横浜市芸術文化振興財団、STスポット横浜の4者が協働で事務局を運営し、事務局代表をSTスポット横浜が担当する体制となっています。
横浜市内には約500校の市立学校がありますが、学校からの応募を受けて、毎年130校程度の学校で、音楽、演劇、ダンス、美術、伝統芸能など多様なアーティストによる授業が行われています。STスポット横浜がそのすべての学校を担当しているわけではなく、私たちを含めた38団体(令和3年度時点)のコーディネーター(主に市内の文化施設やアートNPO・芸術団体)が学校とアーティストの間の調整役となり、教員の要望や子どもたちの実態に合わせてアーティストやプログラムを提案していく手法をとっています。
教員との協働は異文化交流
ある決まったプログラムを学校に持っていくような手法ではないとなると、コーディネーターとアーティストが教員と「協働で授業をつくり上げていく」といった色合いが濃くなるのですが、そこがなかなか難しい…!どういう狙いで、子どもたちにどういった体験の場をつくるのかについて、打合せを重ねて協議しており、単に頼まれたものを持っていくだけでは生まれない、紆余曲折のやり取りや試行錯誤が、あちこちで生まれています。異なる文化を持つ者が出会い、価値観や考え方を交換し、ともにつくっていく。まさに異文化交流のような文化的価値がそこに生まれているように感じています。
また、いってみれば相互の異文化理解が深まるように、市の教員研修のなかにアーティストや文化施設の職員が講師となって行う研修の機会をつくったり、コーディネーター同士のノウハウの共有の場や、「アート×教育 共有しあう役割を考える」と題した文化施設の社会的教育的役割について再考するトークシリーズを企画したりもしています。
「教育」とは何かをともに考える
これまでは、文化施設等が学校教育にかかわることの有用性について、アーティストによる授業が子どもたちにどんな好影響を与えるか、ということについて、言葉を尽くそうとしてきたように思います。ところが、近年の横浜市の学校からの応募をみていると、現場の教員たちは、アーティストによる授業で子どもたちに変化が起こるということはもうすでに承知済み、そのこと以上に、違った視点からの子どもたちの捉え方というか、「いろいろな人の目で、この子たちの多様な価値を見出してほしい」という思いがあるように感じています。
「教育」とはそもそも「善くしよう」として働きかける営みですが、何が「善い」「望ましい」ことなのかということは価値観であって、変化するもの。その変化が速く、何が望ましいものとして教育すべきかわからなくなっている現在、教員自身が、一番そのジレンマを感じているのではないでしょうか。これまでの教育はこうだったけれど、なんか違う、という違和感。そこに、異文化であるアーティストやコーディネーターと協働することで、教員自身(あるいは学校自体)の見方や考え方が変容していくことを求めているように感じます。これは、ちょっと思いがけない、けれども新しい文化が創造される現場に居合わせている感じがしています。
気づき合う
私たちSTスポット横浜が担当したある学校の特別支援学級での1年目、事前に何をどういった順でやるのかを決めてもらえないと、何が起こるのかの見通しがもてないと不安が強まってしまう子の対応ができなくて困る、といった教員からの意見がありました。授業をどう展開していくかは、子どもたちの反応をみてのアーティストの判断に委ねていましたので、毎回のざっくりとしたテーマや内容は共有していたものの、教員が子どもたちに説明できないということに、不安を感じさせてしまっていたのでした。このような一つの投げかけが教員からあって、いろいろと話し合っていくうちに、「不確定なことが大いに起こりうる世の中。何もかも不安がないようにお膳立てして経験させてあげることが教員の役目なのだろうか」「普段の授業では指導計画を立てて、これをやらないといけない、とどこかで思ってしまっていることで、子どもたちがやりたい・学びたいと思ったときには授業が違う方へ進んでしまっている、といったことが起こっていたのかもしれない」といった気づきが言語化されていきました。2年目になるとお互いに子どもたちにどういう体験をさせたいのかの共通認識をもって、比較的スムーズに子どもたちに向き合うことができたのですが、「今年はアーティストやコーディネーターと議論があまりできなくて物足りなかった」といった感想をもらす教員もいました。学校外部の人間とかかわって、何かが変容して新しいことが生まれていく、ということに期待をされていたのかもしれません。子どもたちに文化芸術の体験を、創造力を、ということに一生懸命になっていた私たちも、ここに新しい何かが見え始めていることに気づかされた出来事でした。
となりの異文化
文化施設には領域横断的にさまざまな役割が求められるようになってきていますが、専門分化しすぎた社会において、それぞれの領域との関係性を編み直す行為自体が、まさに文化を創造する行為に思えて、おもしろみを感じています。それはやはり、異国の地にワクワクと足を踏み入れるように、越境していって異文化に触れて、驚きや、期待していなかった思いがけなさに出会えるおもしろさに似ています。出会って、交換して、ともにつくることは、実に楽しい。そして、自身(文化施設)の価値観が揺るがされるような体験が待っている異文化が、いくらでもとなりにある、と思うのです。
また、教育とは何も子どものことだけに限りません。一人ひとりが生涯にわたって学び続け自分を変容させることができ、文化の創造に参加できるような社会であること、それは豊かな文化の創造者を育成する社会教育であり文化施設の担うべき役割でもあります。その実践の場は、今や施設内にとどまらず、先に挙げた学校現場や、福祉施設や地域のさまざまな人々の居場所でありうるのだと考えています。この後のリレーコラムで、そんなさまざまな実践の場について、それぞれの視点から語られるアート×教育を、楽しみにしています。
今後の予定
今、おもしろいと思って越境しかかっている領域は、特別支援教育、不登校状態にある子どもたち、外国につながる子どもたち、学校外の子どもたちの居場所、文化系部活動…などなど。まずは相手の言葉を学ぶところから、少しずつ勉強を始めています。
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次回執筆者
バトンタッチメッセージ
民間の文化の担い手のお話をぜひお聞きしたいと思い、ちょっと遠くに、バトンを投げてみました。ブックカフェとして町の人が新しい知や文化に出会える場所であり、且つそこで、文学、音楽、演劇などのイベントも行い、町の文化の交差点となっていることは、とても社会教育的だなと感じています。まだ行ったことがないので、ぜひいつかお邪魔をしたいです。