大阪の優しさ
2009年に大阪に移り住み、梅香堂を運営し始めて3年近くが過ぎた。もともと美術関係の仕事を続けていたが、わけあってギャラリーを開設したのである。大阪にほとんど地縁もなく、いわば「飛び込み」のようなかたちで始めたのだが、3年も経てばいろんなことが見えてくる。何より、大阪という町が非常に暮らしやすいところだということ。暮らす前に抱いていたイメージと重なる部分もあるが、暮らさないと見えてこないところがある。そのいくつかを述べてみよう。
大阪は戦前まで日本経済の中心地であったため、都市の基礎的インフラがよく整っている。国際線・国内線や新幹線はもとより、地下鉄、道路など交通網の整備も悪くない。上下水道などの治水もすばらしいと思う。「水の都」といわれるとおり、豪雨ですぐに道路が冠水する東京とは比べものにならない。都市ガスの普及率もトップクラスらしい。
そして歴史的商都であるため、あらゆる意味で人の流入を拒まない柔軟さがある。俗に「京都十代、東京三代、大阪一代」と称されるように、よそ者に寛容な町だと感じる。ひるがえってみれば、生活保護被保護実世帯数日本一とされる町は、それだけ経済的に豊かではない人に優しく、暮らしやすいところだということの証左なのだ。また、資金に乏しい起業家などにとっても、東京や、おそらく京都などより敷居の低い町だといえるだろう。
梅香堂のある、梅香地区(此花区)も、交通至便にもかかわらず、地価(家賃)など物価が安い。高齢者などが多く、都市計画でいう「インナーシティ」化が進んだ場所である。その地の利に魅力を感じて開設したのだが、いまとなってやや大げさにいえば、梅香堂はそこにはからずも「ジェントリファイヤー(ジェントリフィケーションの仕掛け人)」の一人として参入したとも考えられる。
「ジェントリフィケーション」とは、衰退した大都市周辺の町に、アーティストなど(おもに若い世代)が移り住むことで一種の再開発が進み、町が変化していくことをいうのであるが、事実この3年間で、少なからぬアーティストやその周辺の若者たちが増えてきたのだ。はじめはアトリエ、住居、事務所であったが、次々とイベントスペースやギャラリー的性格を持つものも増え、最近アート好きの集う町の案内所兼カフェもオープンした。さらに近い将来、本格的なギャラリーやゲストハウス、シェアハウスなども誕生するという。
もとより、この地の「ジェントリフィケーション」には、政岡土地という大地主のサポートおよび美術家の藤浩志氏が副理事長を務めるNPO法人プラス・アーツの活動がその端緒にあったのだが、私が移り住んできたころより、そうしたいわば組織的な活動は低下し、この地にかかわる若者たちが中心となって自主的に町を変化させてきたのである。
近年、アートによる地域プロジェクトや町おこしなどは枚挙にいとまがないが、そのほとんどは行政や企業、その援助による団体などが主体となるのに比して、この地は指導者やスポンサー、組織や明確なプランもなく、密やかに「ジェントリフィケーション」が進行している稀有な例といえるだろう。
その背景には、先に述べた大阪の町の「暮らしやすさ、寛容さ」がある。アーティストやアートという、必ずしも経済的には豊かではない、一種の変わり者─よそ者にも、この町は「優しい」のだ。それが私を含め、こうした若者たちが、自然にこの地を愛し、助け合い、活性化させていく原動力となっていると思う。経済的には地盤沈下が激しいとされる大阪だが、その「優しさ─町の魅力」をいまだに失ってはいない。ささやかではあるが、この地の人々との交流も始まっている。
これからもこの町は変化していくだろう。しかし、この「優しさ」だけはいつまでも失わない町であってほしい。
(2012年3月12日)
今後の予定
「Spring─日常」 “Spring -- Daily Life”
2012年3月24日(土)~4月29日(日)
13:00 - 19:00
梅香堂の展覧会作家たちによるグループ展
[出品作家]
秋山ブク・安倍貴住・大城真・加藤恒一・川口貴大・黒目画廊・實松亮・下道基行・多田友充・中崎透・中村航・ボン靖二・前谷康太郎・矢代諭史・Yangjah・米子匡司
関連リンク
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此花区ではないが、すぐご近所の、米子匡司の運営する「FLOAT」。音楽イベントを中心に、さまざまな実験的表現を紹介する。JR西九条駅より「安治川トンネル」を潜って右折、100mほど。
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バトンタッチメッセージ
と思って、遠く大阪より、いつもエールを送っています。