日常編集家として世に立つ
―日常再編集宣言―
日常再編集(にちじょうさいへんしゅう)とは、あなたの目の前にある日常風景・状況を整理し、そこから自らの関心を引き出し、その関心を表現(他者に伝えるための創造的な媒体―文章、映像、音楽、写真、ウェブ、イベント企画、プロジェクトetc…)へと編集しなおすこと。わたくし、アサダワタルは、あなたの日常生活の中に区切られている様々な役割―仕事、学業、家事、趣味etc…―、またその役割を演じるべく所属するコミュニティや分野、それらの在り方や各々の関係性を、“文化的妄想”をもってして再編集し、この世の中を、ちょっとヘンテコに、でもなんだか面白く、素敵に生きやすい状況に変えるべく、謹んで努力をすることをここに誓います。
上述文は、2012年の新年に際してホームページに載せた「日常再編集宣言」という名のテキストです。
この考え方を最も端的に表すことができたかなと感じる最近の自分のコンセプトワークに「住み開き(すみびらき)」というものがあります。
「住み開き」とは、自宅を代表としたプライベートな生活空間、もしくは個人事務所などを、本来の用途以外のクリエイティブな手法で、セミパブリックなスペースとして開放している活動、もしくはその拠点のことを表す考え方として、3年ほど前から僕が勝手に提唱し始めたコンセプトです。お店でもなく、公共施設でもなく。無理せず自分のできる範囲で好きなことをきっかけに、ちょっとだけ自宅を開いてみる「住み開き」。そこから生まれるコミュニティーは、金の縁ではなく、血縁も地縁も会社の縁をも超えたゆるやかな「第三の縁」を紡いでくれるはず。こういった妄想をもとに、2009年以降、さまざまな自宅開放型文化活動の公開取材ネットワーキングを、大阪、東京を中心に展開しつつ、つい先日『住み開き 家から始めるコミュニティ』(筑摩書房)を出版しました。このネットTAMリレーコラムでは、これまで雑多な文化活動を継続してきた自分のバイオグラフィーを振り返りつつ、アートマネジメントという観点からもなんとなく意義のあるようなテキストを提示できればと思います。
時代は遡って1990年代後半。僕は当時、大阪市立大学の法学部生であり、かつ音楽活動を精力的に行っていました。当時、ドラマーとして参加していたバンド越後屋が、くるりが立ち上げたレーベルの第一弾アーティストとしてCDを出すという話になり、学業そっちのけでただひたすらライブとレコーディングの日々を送っていました。「音楽で食っていくぜ!」といった特段熱い思いがあったわけでもなかったのですが、でも「バンドをいい流れに乗せたい」とは思っていたので、4回生になってもリクルートスーツを着ることなく、2002年卒業と同時に「The 夢追いフリーター」のようになったのです。時代が超就職氷河期であったことも、音楽活動の継続に都合よく動機を与えたのかもしれません。02年は環境系の会社でアルバイトをし、03年は印刷出版社で契約社員をしました。その間にソロ活動(大和川レコードという名義)を始めたり、新しいバンド(SJQというバンドで、HEADZというレーベルに所属中)に加入したり、また、音楽だけでなく実験映像や現代美術のシーンでも活動を広げたり。なんとか「生計を立てること」と「表現をすること」を両立させていました。しかしこの2軸の両立は一時的には成し得ても、継続することは決してたやすいことではなかったのです。
「時間的に厳しくなる」といった物理的な理由はあるにせよ、自分にとってこの両立を阻む最大の理由は精神的なものでした。それは「コミュニティー同士(会社と表現活動の現場)の関係性の断絶」からもたらされる苦痛です。会社では音楽の話はほとんどしなかったし、しようと思ってもできませんでした。休憩時間や飲み会の席であっても、会社ではお互いのプライベートな趣味の話や、個人的な関心からくる突っ込んだ議論をすることは極めて稀で、誰もが特段当たり障りのない会話でやり過ごしているように思えました。今思えば僕が正社員でなかったので、(一人だけ風貌とかも変だったし…)余計に周りもどう扱っていいのかわからなかったところもあったと思いますし、今以上に世間に対して斜に構えていたフシもありましたから。僕としては、お互いがお互いの会社以外で所属しているコミュニティーのエピソードを、少しだけでも共有できるような労働環境であれば、おそらくもっと気が楽だったろうなとあらためて感じます。しかし、そんな会社をあてもなく探しまわるよりも、自分自身の考え方を根本的に変えない限り、この先を生き抜くことができないのでは? それが、当時の僕の逼迫した心境でした。「生計を立てること」と「表現をすること」を両立させるだけでなく、融合させないといけない。つまり「表現を仕事にし、日常生活を表現へと読み替える」こと。僕はその時、自分の人生コンセプトとして「日常再編集」という言葉を掲げることを覚悟したのでした。
以降、僕はさまざなライブハウスやアートスペース、ギャラリー、カフェ、ミニシアターなどに頻繁に通い、出演したり企画を持ち込ませてもらうようになります。そんなことを続けていた03年秋、「COCOROOM」(正式名称:NPO法人こえとことばとこころの部屋)という場所に巡りあいました。このリレーコラムを読まれている方であれば、COCOROOMをご存知の方も多いのではないでしょうか。大阪市浪速区の経営破綻した都市型遊園地 フェスティバルゲート内にあるそのスペースでは、さまざまな表現者が集い、連日ライブや展示会、上映会などが開催されていました。また、いわゆるアーティストだけではなく、その周辺で働く日雇い労働者や福祉・まちづくり関係者も集まっていたり。そして、代表である詩人・上田假奈代氏の活動テーマは「表現と自立と仕事と社会」。まさしく自分が抱えているテーマを実践している人が目の前にいることに感動したのを今でも覚えています。その出会いからCOCOROOMでのボランティアを始め、1年後には常勤スタッフとして、音楽演奏や舞台制作をはじめ、さまざまな地域コミュニティーにおける文化プロジェクトの構想・立案・演出・運営を手がけることになりました。そして06年春以降は転々とキャリア(その間に大阪のアート寺院「應典院」に関わりつつ「築港ARC(アートリソースセンター by Outenin)」というプロジェクトを立ち上げたり)を積み重ねつつ、同時にいろんな人にも迷惑をかけつつ、その延長線上に08年秋以降の「住み開き」の提唱が位置づいています。(ちょうどアサヒ・アート・フェスティバル2009に参加するための申請書に「住み開きアートプロジェクト」という言葉を書いたのが事の発端でした。)
「住み開き」を提唱するにあたっては、実はネガティブな理由もありました。その理由はある特定の地域コミュニティーでプロジェクトを継続することに関するシステム的限界と自分の不甲斐なさにあります。システム的限界とは、簡単に言えばお金の話ですね。ご存知のように、こういったプロジェクトは文化振興やまちづくりに携わる行政セクターや企業の助成金などで成り立っていることが多く、単年度、長くても4年度分の契約が通常であり、後は実施するNPOや任意団体の自主財源を絞り出さないといけません。そのためにカフェを開いたり、寄付を募ったり、新たな支援者を探したり。さまざまな知恵を絞っているNPOは数多あるけど、どこもかなり厳しい台所事情を抱えているのは皆さんの中でも身をもって感じられている方もきっと多いでしょう。それと平行して自分自身の不甲斐なさとはまさしく、そういった新たな運営システムを発明できなかったこと。そして自分たちがその地域を去っても、地域住民が自律的にプロジェクトを展開していけるフェーズにまで、持ち上げきれなかった経験。こういった忸怩たる思いの中から、僕は活動の幅を、文化芸術分野だけでなく、都市計画分野や社会福祉分野にまで広げ、領域横断的に転用できるユニークな「コミュニティー表現」を立ち上げることを考えました。そして、最小単位で継続可能、なおかつ創造的で自律的なコミュニティーの作り方を自分なりに模索した結果、「家」という存在に着目したのです。「家を開く」ことでコミュニティーが生まれる。そして開いている人同士をネットワークしていくハブを担う。そしてその状態を拡散させるための概念をメディア化する。そういった流れから「住み開き」という言葉が誕生しました。
09年の春から本格的に「住み開き」に関する取材活動、訪問イベント企画、執筆などを始めてから、早いものでもう3年が経過したのですね。その間に「住み開き」から発想を得たさまざまなアートプロデューサーや地域づくりの仕掛人の方からお声掛けいただき、地域に前述したような「第三の縁」(住み開き本でも対談した三浦展さんの言葉を借りれば、共同体ならぬ「共異体」)を紡ぐことに対する構想・演出をすることが多くなりました。10年からは東北に縁をいただき、青森県八戸市の八戸ポータルミュージアム「はっち」の立ち上げ期間に、2か月現地滞在しながら行った地域資源再編集プロジェクト「八戸の棚Remix!!!!!!!!」。そして、昨年末からは、岩手県上閉伊郡大槌町で町役場の方々や復興支援に携わるNPOの方々とともに、地元の蓬萊島をテーマにした「ひょっこりひょうたん塾(仮称)」の立ち上げなどに関わっています。このリレーコラムを書かせてもらうことになったきっかけでもある鈴木一郎太君を中心に展開する「たけし文化センター」のプロジェクトにも一郎太君からの絶妙なオファー内容のもと関わらせていただいたり、同じく、福祉の文脈を越境すべく活動している滋賀県近江八幡市の「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」の発信編集に携わったりしてきました。
最後に、今年2012年は住み開き本を携えつつ、そしてそこに演奏者としてだけでない、日常生活・コミュニティーの中での「音楽の使い方」を開発したいという思いを強めています。かつての日本に数多存在した放浪芸のように、生活や仕事や地域の中に溶け込んだ音楽のあり方。日常編集家としてこれからもさまざまな妄想を現実社会に大胆に投げ込んで(大暴投も含めて…)いけるよう、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。まだお会いできていない読者の方々へ、そして既に何かしらの分野やコミュニティーを通じて出会わせていただいた方々へ。いつか必ずどこかで新たに出会い、また出会いなおせる機会を心待ちにしています。
(2012年1月13日)
今後の予定
住み開き本の出版トーク&ライブが目白押しです。ぜひいずれかに遊びにきてくださいね。詳しくはホームページを参照に。
住み開いたり、たむろってみたり。
2012年1月27日(金)美術家 中崎透氏との対談+プチライブ@大阪 西九条 梅香堂
日常再編集のための報奏 住み開きの現場にて
2012年1月29日(日)ライブ&住人伊藤広志氏とのトーク@大阪 神崎川 navel café
台湾のサウンドアートイベント『失聲祭』を見る meets 住み開き!
2012年1月31日(火)@東京 渋谷 アップリンク
日常再編集のための報奏 住み開きの現場にて
2012年2月5日(日)ライブ with プリミ恥部 & 住人 としくに氏、斉藤恵太氏とのトーク@東京 渋家(シブハウス)
住み開きから垣間みる コミュニティとノマドのこれから
2012年2月10日(金)素人の乱×現代編集者 米田智彦さん×まれびとハウス内田洋平さんとの対談 @東京 新宿 ラヴァンデリア
住み開きから垣間みる“編集”のこれから
2012年2月19(日)雑誌IN/SECTS編集長 松村貴樹さん×スタンダードブックストア店長 中川さんとの対談@大阪 スタンダードブックストア心斎橋
住み開き×ぼくらの仕事
2月25日(土)トーク&プチライブ@名古屋 栄町 カフェ・パルル
ぼくらの家には土間も縁側もなかった -そしていま、住み開きへ
2012年3月4日(日)トーク&プチライブ@岡山 やっち
and more…
関連リンク
- 日常編集家 アサダワタル
- 住み開きと書籍「住み開き 家から始めるコミュニティ」
- 越後屋
※筆者注:当時僕は“阿佐田亘”という名義でドラムを叩いてました - 大和川レコード
※筆者注:2000年代前半に頻繁に行っていたビデオパフォーマンスの動画です - SJQ
- COCOROOM
- 應典院
- 築港ARC
- 八戸の棚Remix!!!!!!!!
- ひょっこりひょうたん塾
- たけし文化センター
※筆者注:前回のリレーコラム 執筆者 鈴木一郎太氏のテキスト - ボーダレス・アートミュージアムNO-MA
おすすめ!
『限界集落温泉』
(鈴木みそ)
月刊コミックビームで連載していたもので、「銭」という社会派コメディを描いた鈴木みそさんの作品。あとがきには、「お年寄りの割合が村の半数以上を占める廃村寸前の村、いわゆる「限界集落」に年越し派遣村の人々がごっそり移住したら、いや、せっかくだからアニメやゲームやフィギュアに詳しい一癖ある「オタク」たちを集めたらどうなるか…?」のような着想が書かれています。ソーシャルメディアの使い方におけるリアリティ描写が際立っているため見落としがちなのですが、実はクリエイティブ系人材の地域コミュニティーへの関わり方、さらにコミュニティーファシリテーションの妙味までを描いていて、とてもおもしろいです。ぜひ、アートマネジメントに携わりたい方にも読んでもらいたいです。
次回執筆者
バトンタッチメッセージ
そうか、あの時、君はまだ20歳そこそこだったんだよねー。
ある意味では近すぎて、あまり最近ゆっくり話ができていないけど、逆にこんな公式な執筆の場であればこそ、声かけることできるなぁと思いました。
いつもありがとう。これからもよろしく。