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舞鶴発〜新たな地図を描く

 京都府北部に位置する舞鶴市でアートにかかわる仕事をするようになって2年半がたちました。いろいろな企画を行い、小さなことから大きなことまで、日々いろいろな出来事があるのですが、最近、ある違和感を感じることがたびたびあります。「まいづるRBのプロジェクト=舞鶴赤れんが倉庫群」という見られ方です。

 確かに、2009年に舞鶴市に来たきっかけは、旧海軍が建設した赤れんが倉庫群でなにか芸術文化を通じたソフト事業を展開してほしい、という依頼からでした。今も変わらず、赤れんが倉庫周辺を舞台にした企画(たとえば、アーティスト・日比野克彦氏監修「種は船 in 舞鶴」など)を行っているので、必ずしも間違いではないのですが、初年度からずいぶんとまいづるRBをとりまく環境が変わってきています。

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舞鶴赤れんが倉庫群の様子

 舞鶴には、昔、武器などが保管されていた大きな赤れんが倉庫が12棟あります。2009年度には、そのうち、約100年前の趣をそのままに残す3棟を使い、美術家・小山田徹氏監修のインスタレーション「浮遊博物館」や演出家・松田正隆氏による演劇公演「都市日記 maizuru」、ダンス公演「踊りに行くぜ‼ in 舞鶴」などを行いました。どれも、赤れんが倉庫という場所そのものを舞台装置に見立てた作品です。

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小山田徹による「浮遊博物館」(2009)。舞鶴の海に漂着したものや舞鶴で集めた海に関するものを約300個、グリッド状に吊るし、モノの視点を提示した。
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「踊りに行くぜ‼ in 舞鶴」(2009)。ダンサー・森下真樹と音楽家・宮嶋哉行によるパフォーマンスの様子。そのほか、星三っつ×Haco、MOSTROの作品も上演された。

 しかし、活動2年目の2010年度からは、1年目に使用していた赤れんが倉庫群の改修工事が始まりました。来春には、現在活用されている倉庫とあわせ、多目的利用の公共施設「舞鶴赤れんがパーク」としてリニューアルオープンします。工事にともない、まいづるRBも赤れんが倉庫そのものを活用するだけでなく、まちの人々とのかかわりや赤れんが倉庫以外の場所での活動が広がりをみせるようになりました。また、1年目の成果もあって、周囲からそうした活動が求められるようにもなっています。

 なかでも代表的なものに、市内の特別養護老人ホームで行う「シリーズとつとつ[※1]、商店街空き店舗を使用したアートスペース「yashima art port」[※2]、小山田徹氏と行くアート・キャンプ[※3]、市内中学校の支援学級と未来美術家・遠藤一郎氏と行った「未来龍舞鶴大空凧[※4]などがあります。

※1 「シリーズとつとつ」では、2010年3月にダンサー・振付家の砂連尾理氏が、老人ホームに入居する認知症のお年寄りと一緒に、赤れんが倉庫でダンス作品を発表したことをきっかけに、その後も同老人ホームで継続的な身体ワークショップと、それにともなう臨床哲学者・西川勝氏による勉強会と、舞鶴在住の人類学者・豊平豪氏による文化人類学カフェが開催されています。思考と身体への理解を深める場を、老人ホームの職員や入居者、一般の参加者が一緒になってつくり出しています。
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「シリーズとつとつ」より。砂連尾理による身体ワークショップの様子(2011)。
※2 今年5月から、東舞鶴にある商店街の空き店舗を利用したアートスペース「yashima art port」を運営しています。アーティストが滞在したり、気軽に人々が集うことのできる場所をめざしています。
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「yashima art portでの東舞鶴商店街「夜の市」のミーティングの様子(2011)。
※3 小山田徹氏をナビゲーターに、2010年には小学生を対象とした舞鶴の海辺をめぐるキャンプを行い、今年は一般から子供までを対象に、舞鶴に河口をもつ由良川~加古川沿いを行くキャンプツアーを開催しました。いずれも、水辺の歴史文化を見直す目的で、アーティストと寝食をともにする1泊2日のキャンプを行いました。
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「小山田徹とのアート・キャンプ(2010)より。神崎海岸で黒曜石のナイフづくりと舞鶴でさかんだった塩づくりを行った。
※4 遠藤一郎氏による、舞鶴市内の中学校の支援学級でのワークショップと作品展示を行いました。まいづるRBのこれまでの活動をきっかけに、今年10月に中学生たちとの共同作品「未来龍舞鶴大空凧」が実現しました。
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遠藤一郎による『未来龍舞鶴大空凧』(2011)。市内中学校の支援学級の生徒たちと「夢」を書いた連凧をつくり、最後に約130の連凧を空に揚げた。

 市内での新しい動きが活発になるにつれ、初年度にあった「赤れんが倉庫の活用」もまいづるRBのテーマとしては徐々に小さくなってきました。それでもなお、「まいづるRB」の「RB」が「Red Brick(赤れんが)」であることはもちろんのこと、初年度のインパクトやビジュアルの強さからか「舞鶴=赤れんがでのプロジェクト」のイメージが外部に強く出ているように思います。

 外部イメージと実情のずれへの違和感はどうしても生じてしまいます。「ずれ」は、当然自分たちの発信の仕方にも課題があるでしょうし、それに大きく左右されますが、たとえば、助成金獲得のための言葉や、「行政」「市民」「観客」、言い換えると特定の「なにか」に向かって使われる言葉が先行してしまい、結果的に、豊かで繊細な、そして日々変化し続ける現場の実情を表す言葉の自由度が奪われ、ある種の「ずれ」となってしまっているのかもしれません。そのことに自覚的になる必要があるように思います。現場の豊かさを表すような木目細やかな言葉やアウトプットの方法が重要です。

 このように考えるようになったきっかけの一つとして、「種は船 in 舞鶴」をあげることができます。単に赤れんが倉庫を舞台にした企画ということ以上に、「船づくり」ということを軸に、市内を中心としたさまざまな人たち(地元作家や職人、市職員や造船所職員、海上自衛隊員や電力会社職員、主婦や小中学生、フリーターなどなど)とプロジェクトを共有し、新しいコミュニティーが芽生えつつあることを実感しています。そこには、「アート」そのものや企画コンセプトへの共感以上に、そこに集う人たちによって生まれる「なにか新しい可能性やエネルギーのある雰囲気」への期待感があるように思います。また「種は船」では、みんなでつくった自走する船で、今後、実際の航海へと乗り出します。舞鶴という地域の枠組みを超えて、新潟を目指し、日本海の港々を立ち寄りながら、地球の視座で日本列島を見直そうという壮大なプロジェクトです。「種は船」だけではありません。シリーズとつとつ、アート・キャンプ、yashima art portに人が集い、プロジェクト単体の枠を越えて、小さいけれど、うねりは確実に生まれています。

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日比野克彦監修・デザインによる「種は船 in 舞鶴」2010年の様子。赤れんが倉庫芝生広場で約1か月間をかけてダンボールと紙による大きな模型船を制作。延べ5000人が参加した。
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「種は船 in 舞鶴」2011年の様子。11年は8月から実際に自走する船づくりを行っている。漁師さんたちに習った漁網の編み方で、船の上部を覆う。
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「種は船 in 舞鶴」2011年の様子。11年10月に外装だけできた状態で着水を行った。自衛艦を背景に曳航してもらう。今後、内装やデッキなどを制作後、来年5月に新潟に向けて日本海を北上する航海をめざす。

 ここ数年のプロジェクトで私が実現しようとしていることは、まいづるRBの活動を通じて、〈新しい「地図」の種類を増やすこと〉ではないかと思います。地球儀や道路地図、海図など、地図には目的にあわせたさまざまな種類があり、人は目的に応じた地図を使い分けます。

 既存の枠組みや尺度だけではない、その人なりの「地図」を増やすことで、認識の幅も広がっていきます。そのための可能性が、表現や芸術、アートというジャンルにはあります。自分が今、社会やある枠組みの中のどのポイントに立っているのか、過去にはどんな軌跡を残し、そこから先どんな選択肢を持ちうるのか。そのことを考えるときに、地図のストックは1つでも多い方がよいように思うのです。尺度や物の見方に自由と幅の広さを持つことで、人間の生活の豊かさが問われるのではないかと思います。その選択肢を無限に増やす可能性が、アートや芸術表現の重要で優れた点ではないでしょうか。

(2011年11月14日)

今後の予定

種は船 in 舞鶴(日比野克彦監修)
2010年から3か年計画で続く企画。海と港と造船の街・舞鶴の特色をいかした船づくりを行い、来年5月には、舞鶴湾を出て新潟を目指し、各地の地域文化を伝えていく航海をめざします。

KOBE-MAIZURU DANCE EXCHANGE PROGRAM
Art Theater dB 神戸との協働によるダンス・レジデンス・プログラムを実施します。公募によって選ばれたダンサーに、神戸と舞鶴にそれぞれ滞在していただき、ワークショップと作品づくりを行います。舞鶴には、アジアからのダンサーが2012年2月中旬~3月中旬の約1か月間滞在予定。

シリーズとつとつ
舞鶴市内の特別養護老人ホーム<グレイスヴィルまいづる>にて、随時、ダンスワークショップ・勉強会・文化人類学カフェを開催しています。開催日は不定期ですので、まいづるRBブログツイッターをご覧ください。

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次回執筆者

バトンタッチメッセージ

鈴木一郎太さんとは、今年はじめてゆっくりお話をしました。
私がふと思い立って、東京出張の帰りに一郎太さんのいる浜松に立ち寄って、そのしばらく後に、ふと思いたったかのように一郎太さんが舞鶴にやって来てくれました。
浜松で障がいのある人たちとともに活動を行っている姿は、とても生き生きしていましたし、同時に、骨太に鋭く社会を見つめる目つきや話しぶりが印象的でした。
共通の知人に「二人はなんとなく似ているところがある」と言われたことや同い年ということに勝手に親近感を抱いています。
まだまだ秘密がありそうな、一郎太さんの活動をぜひ教えてください。なんといっても「鈴木一郎太」という名前がすてきです。
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