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名古屋⇄岐阜、公私往還する場とメディア

 中部発の芸術批評誌『REAR(リア)』。(このコラムがそうであるように)柔軟で波及力あるネット発信が主流の時代にあって、『REAR』は地味で武骨な"紙媒体"としての様相を変えず(徐々に厚さを増しながら)、なんとか26号まで発行を続けている。創刊準備号発行が2002年の秋だから、早いもので10年目を迎えようとしているわけだ。学芸員(公務員)から私立大学の教員に職を転じた時機を得て創刊メンバーに加わったので、私にとっての『REAR』の10年は、組織を背景としない1個人の経験と心情、<企画/編集/記録>という試行錯誤の行動の日々とがシンクロしている。

場を持った『REAR(リア)』in ヨコハマ

 先頃、ヨコハマトリエンナーレ2011特別連携プログラム「新・港村 小さな未来都市」の参加団体として、BankARTの池田修さんから声をかけていただき、新港ピアの会場の一角に『REAR』のブースが出現した。紙媒体への自負とは裏腹に、それがどのように読まれ、資料として活用されていくのかは実感しがたく、客観的にはこの媒体の特性を見直すことができないまま、実務と責務に追われてきたのが正直なところ。新・港村ではバックナンバーを並べるしか術はなく、それでも少しは目立つようにと特製のポスターを設えて、お出かけしてきた『REAR』。編集室というリアルな空間を持つことのないこの媒体が、「インディーズ・メディア」と称された枠組みの中で場を得たことに、感慨深いものがあった。

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ブースは藤村龍至さんの建築(写真:武藤隆)

 ちなみこのポスター、26号まで執筆やインタビューに参加してもらった人名リストを、これまでの表紙色をストライプの中に配して、スタッフがつくってくれた。「なんだかポール・スミスみたいでおしゃれになってしまったね」と笑いながらも、500名余のそうそうたる執筆者リストに驚いた。「有志の編集による非営利の活動のため」とお願いして、無償で寄稿や取材を受けていただいての発行。本当に多くの方々の協力を得てこそ継続できているわけだ。編集メンバーもゆるやかに新陳代謝はあるものの、実質4~5名のマンパワーと、奇特な支えであるデザイナーさんの協力で成り立っている。
 継続するだけではいけない。そもそも発刊の初心に「育てる/後衛」という意味を『REAR』の名に込めたように、批評の役割を問い続けていく姿勢は重要だと、あらためて心している。

「地熱の荒野しんぶん」と「トトち舎」

 10年前に大学という場と職を得た時には、自由で柔軟な立場で、若者や地元の美術にかかわっていこうと意気込んだ。しかし、いつしか自らの「役割」を規定してしまう、そんな少々偽善的な自分との葛藤が自覚されたのが2年ほど前だったろうか。とくに私事ではあるが3年前の母の急逝から立ち直れない無力感にさいなまれ、雑然とした忙しさに紛らせる日々が続いた。しかしふと、正直に自分の言葉と場に向き合ってみようかと思えるようになってきた。生まれ育った岐阜や名古屋という地との関係を再構築してみようか...公私ともにそんな時期だった。
 折しも、70年代から名古屋のアングラ文化を支えてきた七ツ寺共同スタジオの二村(ふたむら)利之さんが、あいちトリエンナーレに際して意を決し、演劇と美術を往還させるプログラムを立ち上げるという。よーっし!何かその前哨戦として、おせっかいながら勝手に個人で何かできないか。私は、2010年の1月から7月まで月刊7回発行の個人新聞「地熱の荒野しんぶん」を編集発行することにした。「往還〜地熱の荒野から」は七ツ寺の小劇場空間でのインスタレーションに美術家が挑み、名古屋ならではの実験的な演劇公演がプログラムされた。さらにトリエンナーレ本体の展示として、高嶺格さんの「いかに考えないか?」というプロジェクトの運営もお手伝いすることに。ドタバタで事は何もスマートには進まないのだが、人間味あふれて楽しく、気持ちのいい現場だった。
 9月からの事業実施の前に、この「地熱の荒野しんぶん」がゆるやかな宣伝媒体として機能し、私はといえば予習と称しつつジャンルを超えた出会いと刺激を得て、自分自身に語りかけるような気持ちで、その言葉の温度に満たされていった。友人知人には個性的な連載記事をお願いし、撮りおろしのグラビアを配し、ここでも欲張りな編集者の立場を楽しませてもらった。

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「地熱の荒野しんぶん」(2010年1月1日から7月7日まで、ゾロ目の日に発行)
表面はグラビアと特集、「猫眼人語」なる筆者のコラム。裏面は、「ナゴヤ犯科帖」「俳句画往還」「美術の裏街道をゆく」「7コマ漫画 アングラくん」「百年前の映画」「7分間クッキング」という7つのコンテンツで7回連載。1号の特集は、俳人・馬場駿吉さんと作家・諏訪哲史さんの仮想対談、2号は寺山修司の「田園に死す」演出の天野天街さんと出演の流山児祥さんが登場。3月3日号は、未来からはぐれた三人官女に美術家の栗本百合子さん、米山和子さん、三田村光土里さんがコスプレ(!?)、4号は七ツ寺共同スタジオのある大須の地霊を、5月号はイギリスの劇作家サラ・ケインを解説。6月号は高嶺格さん、そして7月号には二村利之さんに登場いただいた。

 ちなみにこの新聞の発行元は「トトち舎」と称して、岐阜の実家の住所が記載された。実はこの場所は、何の活動実態もない空き家。しかし、いつかなんらかの機能を託せるのではないかと予感していた。それがオルタナティブなアートの場になるのか、単なる宴会場なのか、編集の作業場になるのか、まったくもって未定。「トトち舎」の名は飼い猫の名に由来するように、つまりはきわめて私的な場であることがはじまり。その出所に、公私混在のなんらかの出来事がおきていくのでしょう、きっと。
 目的を決めないこと。媒体(メディア)と場が、ニワトリとタマゴのようなものであったらいい。しかし、最初に決めたことが1つだけある。1枚の絵(尹 煕倉「何か(1)」)をみる時間と空間を得ることだ。陶粉でできた横長の作品を、1日の光の翳りを感じながらひとりでみつめたい。
 つい先頃、すっかり屋根と柱だけになるまで解体された「家」の原形を前にして、場とは「私」を再生するものであり、きっと「私」という「原形」もあらためて構築できるのではないかと思った。だから、この一枚の絵もやがて出現する空間も、公私を往還するための媒体なのだと思う。

(2011年9月21日)

今後の予定

2011年10月8日、長良川アンパンの出品作家でもある池水慶一さんの「毛深き人たち」展に関連して、東山動物園の園長さんと名古屋市美術館でのシンポジウム参加。
12月は、文化フォーラム春日井での高木正勝さんの展覧会企画に協力、12年2月には岐阜県美術館での「第6回円空大賞展」に関連して、田中泯さんの場踊りのお手伝いをスタンバイ中。年内は岐阜のスペース「トトち舎」整備で、壁塗り作業に没入することになりそうです。

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バトンタッチメッセージ

二村さん、お身体の具合いかがですか? 以前、座右の銘を聞いたら「往く日、還る日、人まかせ」と。無理せず、いろんな人を頼ってください。古本や「猫飛横丁」をそろそろ整理されるとの噂を聞きました。昨年のトリエンナーレ共催企画の敢行が、心身&経済の負担を重くしたのではないかと心配しています。ディープな演劇本の宝庫です。どなたか、ごっそり本を引き受けてくださる方が現れないかしら…そんな相談がてら、お酒はがまんして、また大須で逢いましょう!
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